検察が死んだ日
小沢一郎が強制起訴された陸山会事件を巡る虚偽捜査報告書作成の問題で、最高検は、27日、私も発起人の一人となっている「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が虚偽有印公文書作成およびその行使により刑事告発していた田代政弘検事を「嫌疑不十分」で不起訴とする決定を下した。田代検事の当時の上司ら6人についても、「嫌疑なし」で不起訴となった。
先月から、田代検事以下が近々不起訴処分になるだろうという観測記事がしきりと流されていたが、ロシアのサイトから捜査報告書の現物や石川元秘書と田代検事の録音記録の反訳書がネット上に流出したり、小川前法相が退任会見でこの問題に絡んで指揮権発動を検討したことを口走るなど、検察当局にとって想定外のハプニングが相次ぎ、処分決定はその都度先送りされてきた。今週になって世間の目が、消費税導入と民主党の分裂騒ぎに向かっている、そのドサクサに紛れて検察は処分に踏み切ったのだろうが、最高検察庁の示した調査・報告なるもののあまりのお粗末さ加減に、検察寄りのリーク記事を流していた大手マスコミさえも「身内に甘すぎる処分」と一斉に反発の声が広がった。
田代検事の故意性を否定する最高検の調査報告
田代検事が書いた捜査報告書の記載と録音された実際の供述内容を比較すれば、誰の目からみても、とても「記憶の混同」で説明できるものではなく、田代が意図的に供述内容を捏造していたことは明らかであるにもかかわらず、今回の最高検の調査結果では、「大筋で一致するやり取りがあったと思い違いをした可能性を否定できない事情が複数認められ、虚偽公文書作成の故意があったと認めるのは困難」と田代検事の故意性を否定している。
例えば、その例としてあげているのが、「記憶の混同」の核心となっている再聴取における石川元秘書の発言「ヤクザの手下が親分を守るために嘘をつくようなことをしたら選挙民への裏切りだ検事にいわれて、(小沢元代表の関与を)認めた」という箇所。これは、田代検事が捜査報告書に石川元秘書とのやり取りとして記載しているが、録音された供述内容には一切出てこない。最高検は、この点について石川元秘書の拘留中の取り調べの記憶と混同したという田代検事の説明を鵜呑みにして故意性を認めることはできないとしている。
今回の最高検の調査報告は、捏造捜査報告書と録音された供述内容の食い違いを田代検事の「記憶の混同、思い違い」に無理矢理こじつけることだけに終始しており、事実や証拠に基づく論理性のかけらも無く、身内の犯罪を隠蔽することだけに汲々としている検察組織の醜い姿ばかりが浮かび上がってくる。
27日の処分決定の発表とともに行われた記者会見では、こうした支離滅裂な調査報告に記者から質問が相次ぎ、答えに窮して立ち往生する場面が度々見られたという。
田代検事を起訴できない検察当局の事情
そもそも検察当局は、陸山会事件の公判で、録音の存在と捜査報告書の捏造が明らかになり、我々が虚偽有印公文書作成同行使で告発した時点で、田代検事の「記憶の混同」とこの件を弁解するしかない状況に追い込まれていた。というのも、田代検事が意図的に捜査報告書を捏造したことになれば、田代に再聴取を命じた組織の意図、すなわち、検察審査会を利用して、小沢一郎を強制起訴に持ち込むという特捜検察の上層部の一部の意図までが遡って問題とされてしまうからだ。
また、「記憶の混同」という弁解を崩せば、少なくとも偽証罪が成立することとなり、「記憶の混同」という説明を田代検事に指示した検察上層部の組織的責任、あるいは犯人隠避罪までも問われることになってしまう。あくまでも今回の問題は、田代検事の個人の「記憶の混同」と言い張る必要があったのだ。
かくして、当局は、田代検事を結局は起訴できないだろうという見通しを我々は当初から持っていたが、それでも心の片隅で、この世の正義の番人といわれた特捜検察なのだから、どこかの時点で自浄作用が働くのではないかと一縷の望みをもっていた。
しかし、残念ながらその望みは完全に絶たれた。今回発表された調査結果の内容を見ても組織防衛だけに終始しているのが明らかであり、そこには組織としての自浄能力も彼らが体現すべき「正義」のかけらも存在しなかった。
2012年6月27日は、この国の検察組織が死んだ日として記憶されることになるだろう。
(カトラー Twitter: @katoler_genron )
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