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ブログな人々あるいはリヴァイアサン

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<幻獣リヴァイアサン>

ブログ界の仕掛け人、小鳥さんが、ブログの歴史の新しい扉を開けようとしている。
 
              「腐女子と木村剛が交わるところ」

    小鳥さんがアップしたこの文章を全てのブログな人々に読んでほしい。

人類は、直立歩行を始めて以来、自由になったその両手にさまざまな道具を携え、自然や外界に働きかけ、そのことを通じて自らの意識世界をも進化させてきた。インターネット&blogというツールを人類が手にしたことで何かが変わると世界中のブログピープルが予感していたわけだが、この文章によってその扉が開かれたというべきである。

世界中で人々が殺し合い、大学教授が女子高校生のパンツを覗き見る・・・17世紀の哲学者トマス・ホッブスが論じた「万人の万人に対する戦いの世界」が現出しているような我々の21世紀。ホッブスは同じような混乱の時代にあって、社会の自然状態から生まれる混乱と対立を解消するために「国家主権」というフィクションを設定し、それを旧約聖書に登場する幻獣リヴァイアサンになぞらえた。ホッブスが生きた時代よりもさらに耐え難い苦しみに満ちた現代において、人々のつながりを再び回復するものは何なのか?多少の強引さは承知の上で、ホッブスの「国家主権」という言葉を「ネット主権」という言葉に置き代えれば、小鳥さんのこの文章はブログな人々にとっての「リヴァイアサン」と呼ぶべきものである・・・と、突然、歴史家となったカトラーは断言する。
もちろん、この出会いは、キムタケ&腐女子の卓越したインテリジェンスと気取りのなさ、キャラクターの良さがあってこそ生まれたものだ。しかし、もし二人がそもそもブログな人々でなかったとしたら、ありえなかった出会いでもあることも事実。

人は何故ブログするのだろうか?

この問いは、ブログな人々であれば誰しも一度は抱く問いのようだ。誰に届くかわからぬまま、あてどもなく毎日、眠い目をこすりながらメッセージを発信しつづける・・・それは、ちょうど無人島からガラス瓶に入れたメッセージを海に流す漂流者のようでもある。ブログな人々のこうした情熱は一体何によってかき立てられているのか?

自分のことやブログな人々の自問の文章を見ていくと、誤解を恐れずあえていえば、それは「奇跡」への期待なのではないかと思う。♪誰かがあなたをどこかで待っている~♪なんて甘っちょろい歌を持ち出すつもりはないけれど、見ず知らずの人から返ってくるコメントや寄せられるトラックバックに感じているのは、大海からメッセージボトルを取り上げる時に感じる「奇跡」の感情なのかも知れない。

繰り返して言おう、小鳥さんが、ゴーログと腐女子を赤い糸で結んだのはまさに「奇跡」の技である。ブログというメディアが単に物事を媒介するメディアであるだけでなく、「奇跡の装置」になることを示してくれた。

本来、別の世界に属し、交わることなどありえない存在同士が同じ地平で出会う。ブログが可能にしたのはそうした摩訶不思議の世界だ。

(カトラー)

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