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無読層=団塊ジュニアが変える活字ビジネス

無読層におびえる新聞・出版業界

新聞・出版業界に「無読層」という言葉がある。新聞を読まない、または、本や雑誌を買わない若い世代(団塊ジュニア層とも重なる)のことを指す。私はこの言葉があまり好きでない。というのもこの言葉が使われる時、活字離れをしている若者に対するある種、侮蔑的なニュアンスのようなものを感じるからだ。

どうも大きな勘違いがあるように思えるのだが、新聞や本が読まれなくなったのは、今に始まったことではない。たとえば、毎日自宅に届けられる新聞を購読している大きな要因は、天下国家を論じるお偉い記者さんのご託宣記事を読みたいからではなく、テレビ番組欄や近所のスーパーのチラシが入ってくるからだということぐらい誰もが知っている。大学の先生方は、今の学生は本を読まなくなったと嘆くけれど、それでは昔の学生はそんなに読書家だったのか。
今は死語になった「ニューアカデミズム」が流行った80年代の大学生たちは、確かにドゥールズ、デリダといった難解な本を小脇に抱えていたけれど、大方はそうしたことが単にカッコイイことに思えたからに過ぎない。平たく言えば小難しい本を持っていること=女の子にもてる という図式が成り立っていた時代だったのだ。

新聞、出版物が売れなくなった原因

それでは、一体何が変質して、新聞や出版物が売れなくなっているのか?
私はその要因は、メディアと読者が共有していたと思われた情報共有空間(世間と言い換えても良い)が崩壊を始めているからだと考えている。

戦後から高度成長期にかけて日本人の情報空間の基本要素を形成していたものは、毎日宅配される新聞とテレビそして固定電話であった。毎朝、新聞を広げながら朝食を食べ、NHKのニュースや朝の連続ドラマをチェックして会社に出かける。息子や娘に「長電話しすぎるな!」と小言をいうようなこともあったけれど、それは今日よりも明日が右肩上がりに良くなることが信じられた、思えばまだ牧歌的な時代であった。

こうした牧歌的な世界が崩れていることを示す端的な現象が、新聞購読者の減少、固定電話契約者数の激減、そしてあまり報道されていないことだが、NHK受信料不払者の増加である。年金保険料の支払いを拒否する若者が増えていることなども含めて、こうした現象の背景にあるのは、人々が同じ情報、同じ世界の見方や同じ日本の将来像を共有することにNOを言い始めている現実だ。

私の若い友人でIT企業に勤務するM君は、こうした無読層と呼ばれるネクスト・ジェネレーションのひとりといえるが、新聞はつまらなくて読む気がしないからと、独り住まいを始めた3年前から止めてしまった。電話は携帯電話があれば不自由を感じることはないという。テレビもあまり見ないのだがサッカー中継とネット接続のためにケーブルテレビに加入している。NHKの受信料はケーブルテレビに入っているのだから払わないで良いと考えている。本は同世代の若者に比べれば良く買う方だが、好きな作家などは特に無く、最近はAmazonのユーズドコーナーやオークションサイトで中古本を買うことが多くなった。

新聞や本は読まないが、M君の生活を取り巻く情報環境は、私のようなオジサンに比べて格段に豊かである。某一流私立大学を出て英語が堪能なため、海外のニュースサイトやWebのチェックは怠らないし、仕事仲間から入ってくるメールで彼の情報ストックが刻々とアップデートされていることを知っている。

そもそも情報価値というものには2つの側面があると考えている。ひとつは人の知らないことを知ること(個人的価値)、そしてもうひとつは、人が知っていることを知ること(世間的価値)。幸か不幸か、日本では後者の価値があまりに肥大化してしまった。情報の実体より朝日新聞やNHKがどのように取り上げ、何と言っているかが気になる、経済のことなら日経だ。一流新聞がどの家庭でも読まれていると聞くと、欧米人は驚くようだが、新聞を読むことで個人にとって価値のある情報を仕入れているのではなく、世間がどのように言っているかを知る手段が一流新聞をとることなのだと考えれば納得がいく。

団塊ジュニア世代がもたらす大変革

さて、話を元に戻そう。無読層とは、新聞や本を読まない不勉強な人々ではない。むしろ逆だ、ブランド化した大新聞、大出版社が垂れ流す世間的な価値にまみれた情報よりも自分にとって価値のある情報とは何かに判断基準を置く人々といえるだろう。

マーケティングの世界で黒船のようにいわれている存在が、団塊ジュニア層(M1)と呼ばれる世代だ。このM1世代(20代後半~30代前半)が消費マーケットという舞台の中心に踊り出ている。ちょうど「無読層」にも重なることから、彼らの親の世代(団塊層)とは違って、メディアのアプローチが有効に機能していないといわれている。実際、色々なメディア企業がこの世代に向けて媒体を開発しては失敗してきた経緯がある。新聞や雑誌、マンガでさえ買わなくなっているのなら、タダならどうだ!とリクルートが「R25」というあまり面白くない情報誌を街角で大量配布したが、こんなのもでは状況は変わらんよと私のブログで批判したこともある

キムタケこと木村剛氏が「週刊!木村剛」で出版ビジネスの変容についてとりあげている。<「本」は大変革するか?>確かに変化は始まっており、賽は投げられたのだ。その変化の幅は出版ビジネスにとどまらない、新聞、ネット、さまざまなメディアを巻き込んだ大変動が準備されているというべきである。そして、その鍵を握っていると思われるのが、団塊ジュニアと呼ばれる世代層である。彼らは、人口構成上、大きなポテンシャルを持ち、今後の消費の主役になると考えられると同時に、幼い頃からゲーム機などで遊び、携帯電話を使いこなすなど高いITリテラシーを持ち合わせている。また、親の世代(団塊世代)と共通しているのは、ルーズソックスをはじめ時代の流行現象を作ってきたことだ。彼らの心をつかむことができる全く新しい情報提供形態が開発されれば、今後のデ・ファクトになることだって夢ではない。ブログのユーザーが急拡大していることも、「大変革」の序章なのかも知れない。

現在、直面しているのは、単に新聞、出版ビジネスの危機なのではない。情報共有空間全体の崩壊と再構築が進行する中で、新たなビッグチャンスが到来しているととらえるべきなのだ。

(カトラー)

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Comments

興味深く読ませて頂きました

ボクが言いたいことを全て代弁してくれたかのような
そういった錯覚を覚えるほどです

ボクは一応たまには読売や朝日を読みますが
情報ソースは大概JMMや信頼しているブログや
新書の類の、要は発信者の顔が見える媒体を選択しています

マーケティングの専門教育を受けていないので
今後参考にさせて頂きたいと思います

Posted by: carrot | 2007.04.15 at 10:16 AM

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