« Lost in Translation(ロスト・イン・トランスレーション) とサントリー「響」 | Main | 団塊世代が「団塊」の看板を外すとき~ひとりビジネスの時代 »

秋葉原の復活を支えるフィギュア文化

akihabara_cross_field.jpg

<ITmediaニュース>

秋葉原ITセンター、「秋葉原クロスフィールド」が正式名称に
 NTT都市開発、ダイビル、鹿島の3社は4月20日、東京・秋葉原で着工した再開発施設の正式名称を「秋葉原クロスフィールド」に決めたと発表した。高層ビル2つからなる多機能施設が2006年3月までに完成する予定。

秋葉原の青果場跡地(通称ヤッチャバ)に建設が進んでいる再開発ビルが秋葉原クロスフィールドという名称に決まった。
秋葉原の電気街のネオンの間からニョッキリと首を出した工事中の高層ビルは、来年の5月には竣工し、日立製作所の本社が移ってくるという。ITセンターとして大学のサテライト機関も設置され、産学連携の拠点にもなっていくという。

秋葉原の地盤沈下が言われて久しい。戦後の闇市に始まり、高度成長時代には家電の安売りタウンとして、また80~90年代は、草創期のパソコン販売を引っ張り、パソコン、ゲームフリークたちの聖地となった。現在も家電とパソコン販売の街であることは変わりないが、郊外やターミナルステーションにビッグカメラ、ヨドバシカメラといった大型量販店が出店したことでごっそりと客足を取られてしまった。PC機器の販売がインターネットにシフトしたことも響いた。
その意味で、この再開発計画は文字通り、秋葉原の浮沈をかけた再開発プロジェクトといえるだろう。

フィギュアショップが建ち並ぶアキバ

久しぶりに秋葉原を歩くと、目につくのは外国人客とポスターを紙袋に入れて歩き回るオタク青年たちだ。最近では、フィギュアショップなどが表通りにも目につくようになった。JR秋葉原駅前のラジオ会館は、もはやフィギュアのメッカといってもよいし、リニューアルした秋葉原デパートにもフィギュアショップが入居した。
クーラーなんかを買おうとこの街に紛れ込んだ一般ピープルにとっては、こうした情景はちょっと異様に感じられることだろう。カトラーが時々覗く家電ショップのオジサンもやや自嘲気味に「アキバは外国人とオタクの街になってしまいました」と語るのだが・・・。その言葉の裏には、家電製品を求めてお客で賑わった昔の繁盛したアキバが忘れられないという思いもあるのだろう。しかし、待ってほしい。そもそもアキバという街は、特定の人間にしか受けないディープな感覚の商品を取り扱うことで成長してきたのではないか。
その昔、家電の安売りの街として売り出した時代でも一般の家電ショップやメーカーからは大きな反発を生んだ。パソコンが市場に出始めた時もそうだ。アキバでパソコンという不思議なハコにのめり込む若者たちに社会やメディアは不思議な生き物を見るような好奇の目を向けていたのではなかったか。

現在、アキバで進行していることも基本的には同じことだ。アキバがビジネスとしてまだ認知されていないカオス状態の何かをインキュベートする場であるなら、秋葉原クロスフィールドは、そうしたカオスに形を与え、増幅する装置になるべきだ。ITセンターや産学連携などという、カッコイイ看板にこだわっていては駄目だ。

akiba_figyure.jpg

フィギュアから生まれるビジネス?

でも、一体、オタク青年が偏愛する「フィギュア」から、どんなビジネスが生まれてくるというのか?と問われるかもしれない。
そういう疑問を抱く人は、現在、公開中の「イノセンス」(押井守監督作品)を見れば、答えをみつけることができるだろう。イノセンスは押井監督が3年間をかけて制作した渾身の作品である。CG(3D)とセル画(2D)が融合した、現在のアニメーション技術の頂点を見せる作品に仕上がっている。その映像美を鑑賞するだけでも映画館に出かける価値があると断言するが、この作品のもう一つの見所は、押井監督が、フィギュア(人形)の問題を深く取り扱っている点だ。コンピュータと人間が融合していくような高度な電脳社会(ユビキタス社会と呼んでもよい)の中で、古くて新しいテーマ、フィギュア(人形)の問題が浮かび上がってくる、サイボーグ、ロボットなどが現実の技術として可能になった今、人間は、フィギュア(人形)の問題に向き合わざるを得ないという見方がこの作品の重要なモチーフになっている。

多少難解な面もあるが、押井監督がこのテーマについて提示した世界は映画を見ていただくとして、重要なのは、フィギュアが、到来する高度情報化社会が抱える問題と地続きの関係にあるということだ。

例えば、人間の姿に似せた「ロボット」は、日本で独特の発展を見せ始めている。良く指摘されることだが、キリスト教のもとで神以外に「人間」の創造主を認めない欧米社会にあっては、「ロボット」は、どんなに人間に近くなったとしても「ガジェット」(機械の塊)でしかない。それに対して日本人は、ソニーが開発したアイボにさえ、感情移入し「ペット」として扱う。
フィギュア(人形)としてのロボットは、たぶん日本においてのみ進化を遂げていく宿命にある。からくり人形以来のものづくりの伝統もこうした進化を支えることになるだろう。また、ロボットを疑似人間またはペットとして扱うという意味において、これはひとつの「文化」でもある。秋葉原の問題に即して言えば、アキバは、世界のロボット文化のメッカになりうる可能性を秘めているのだ。

機械(ロボット)や人形に人間性を見るー考えてみれば、これもアニミズム的な「宗教」のひとつといえるかも知れない。そうだとすれば、オタク青年たちはこの「宗教」を広める使徒であり、この「宗教」は間違いなく世界宗教として、電脳世界を席巻することだろう。だとすれば、アキバがAKIBAとして世界中から巡礼者を集めることも夢ではない。

(カトラー)

inocence.jpg

<押井守監督作品「イノセンス」

|

« Lost in Translation(ロスト・イン・トランスレーション) とサントリー「響」 | Main | 団塊世代が「団塊」の看板を外すとき~ひとりビジネスの時代 »

Comments

uh. informative post :)

Posted by: Cypesype | 2009.12.12 at 10:08 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20869/533136

Listed below are links to weblogs that reference 秋葉原の復活を支えるフィギュア文化:

» 行くたびに変わるアキバ、なにも変わらない逗子・葉山 [Sky's The Limit v2]
あぁ、なんかホッとするんですよねぇ、たまに都会に出て、最寄り駅の逗子駅に帰り着... [Read More]

Tracked on 2005.03.01 at 02:21 AM

« Lost in Translation(ロスト・イン・トランスレーション) とサントリー「響」 | Main | 団塊世代が「団塊」の看板を外すとき~ひとりビジネスの時代 »