団塊世代が「団塊」の看板を外すとき~ひとりビジネスの時代
団塊の世代とは堺屋太一氏が名付けの親だが、これほど周りからああだこうだと言われ続けた世代もないだろう。
この世代が結果として世間の関心を集めてきたのは何故か?と問われれば、そのわけは2点に集約できると思う。ひとつには、この世代が常に時代の流行を先導してきたと考えられていること、そして、彼らがベビーブーマー世代として人口構成的に大きなかたまり(団塊)を形成しており、なおかつ世代全体で同じような消費行動をとると見られてきたことだ。
確かに彼らは、「かたまり」として行動してきた。若かった頃は、平凡パンチを片手にアイビールックに身をつつみ、安保反対を叫び、戦後の民主主義教育の第一世代として核家族を形成して、ニューファミリーと呼ばれたかと思えば、日本株式会社のモーレツ社員として世界中から批判を浴びたりもした。60代にさしかかれば、今度は高齢化社会におけるシルバーマーケットの担い手として期待されるというわけだ。
しかし、私はこうした団塊世代がもっていたといわれる「同質性」も、ついに崩れてくるのではないかと考えている。
少し前のことになるが、団塊ピープルが多く参加している「新現役ネットの会」が主催したシンポジウムに参加した時のことだが、メインプログラムが終了し、質疑応答の時間になった。他の講演会でもそうだが、日本人はあまり質問などをしない傾向がある。しかし、その時は全く違っていた。次々と質問が飛び、しかもその質問者がなかなかマイクを離さず、あたかもカラオケ熱唱状態。あげくは自分のことを熱く語り始めた。会社をリタイアすると、皆、個人の素顔に戻り、かくも熱く語りだすものかと感心したおぼえがある。
「ひとりビジネス」が団塊世代のこれからのキーワード
この新現役ネットの会の事務局長をしている船橋利幸さんが定年後「ひとりビジネス」成功集という本をまとめた。この著書でも豊富に実例が紹介されている「ひとりビジネス」という生き方が、これからの団塊世代のキーワードになるのではないだろうか。
船橋さんは、その本の中で、「ひとりビジネス」という言葉との出会いについて次のように紹介している。
私も数年前に新聞社を辞めて自分一人で会社を興し、その一方で中高年の活動を支援するこの団体の手伝いをしているのですが、これも「ひとりビジネス」をしていることになるのでしょうか。 後日、その彼、岩崎冨男さんにその疑問をなげかけたところ、彼は笑いながらこう言いました。 「社長は会社を大きくすることが仕事。一方、私がやっているのは『ひとりビジネス』。会社を大きくしない、“身の丈”ビジネスなんですよ」・・・中略・・・“始めに自分ありき”。自分一人で、自分の好きなビジネスにかかわっていく生き方があってもいいのではないでしょうか。そしてこれを「ひとりビジネス」と呼ぼうと思うのです。
多くの団塊ピープルにとって、残念ながら定年後を遊んで暮らすというわけにはいかない。日本の年金制度は崩壊寸前だし、仮に彼らが日本人の平均寿命を生きるとすれば、定年後の人生は余生というにはあまりに長い。確かに団塊世代は、一生懸命働いてそれなりの資産、ストックを形成したとはいえ、ヨーロッパのように蓄積された富だけで生き延びていけるほどの豊かさはない。まだ、ストックには頼れないのであり、団塊世代には何らかの形でフローに貢献、稼いでもらう必要があるのだ。
その意味でこうした団塊世代の潜在力を社会に還元していく仕組みが構築できるかどうかが、日本が豊かな社会を築けるかどうかの分かれ目になることは間違いない。
ポジティブな見方をすれば、団塊世代が「団塊」の看板を外し、「ひとりビジネス」をあちこちで花開かせることができるならば、アメリカのシリコンバレーも経験しなかったような、新しい日本型の起業文化が根付くことになるのではないか。その可能性はあると思う。
(カトラー)
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