本家カトラーのつぶやき&明るい革命のこと
先週は、かなりバタバタしており、ブログの更新などにも手が回らない状態であったが、友人から「Blog of the week受賞おめでとう!」というメールをもらい、慌てて「週刊!木村剛」をチェックした。
キムタケ氏からエールをおくっていただき、望外の喜びである。さらには「カトラッてる」という新語まで創作していただき、今後、カトラー本人としては、どういう顔をして投稿したらよいのかと考えると冷や汗タラタラものである。
キムタケ氏から「文章がウマイ」などとほめてもらったわけだが、本人としては、こうした文体は、そもそもネット向きではないと考えている。第一に長いし、パソコンのスクロールのスピードに合わせて読むことができない。ネットにはネット向きの名文、文体というものがあって現にそうした文章は存在する。キムタケ氏のココログの文章はかなりイイセンいっていると思うが、私が理想とするのは、「腐女子=ちずちゃん」の文章である。これは本当にスゴイと思う!私のようなわけ知り顔の40代のオヤジまで抱腹絶倒させるわけですから。まさに「国民的ブロガー」の称号を与えたい。
実は、腐女子の「萌えた」文体を真似して、下書きなどを試みたこともあるのだが、これが我ながらキモイ。とても読めたしろものではなく、あえなくゴミ箱行きとなった。「カトラッてる」の新語も創っていただいたわけで、本家カトラーとしては、現在のパターンで精進して行くしかないと心に決めた。
「週刊!木村剛」の読者の皆さんにおかれては、「カトラって」いただくことも結構だが、「萌えた」文章や自分なりの新しい文体に臆せずチャレンジしてほしい。
「ブログはメディアになれるか」へのトラックバックでも触れたように、私はブログを始めてまだ3ヶ月の新参者だが、新しいメディアとしての可能性を強く感じている。「週刊!木村剛」で巻き起こっている出来事の数々は、まだ揺籃期にある新しいメディアの実験といっても良いだろう。将来、「日本ブログ史」などという歴史書が誰かによって編纂されることが万が一あれば、「週刊!木村剛」は、間違いなくその1頁を飾ることになり、未来の大学入試に「日本のブログ草創期にあって、メディア大衆化運動の先駆けとなったブログコミュニティの名前と開設年は?」なんていう問題が出題されるに違いない。そうした歴史の現場に参加できることは、大きな喜びである。今後ともキムタケ氏には、頑張ってほしい。
さて、ここでやめとけば、良いのだが、トラックバックをいただいたので、この記事で取り上げたWinnyの問題についても触れておきたい。
Winnyと明るい革命
この記事をアップした後、Winnyの制作者、東大の金子助手は、「著作権法違反幇助罪」で起訴されたが、容疑を否認して今後は裁判となる見通しだ。Winny関連の記事は以下のサイトにまとまっている。
私の記事では、金子氏の行為の犯罪性の有無や著作権法のあり方についての議論はしていないが、この事件がきっかけでネットにおける知的資産の共有と著作権の問題に関心が集まり、今後、社会的な議論が大きく展開していくことになるだろう。
あんぽんたんさんが指摘しているように、渦中の金子氏は「運動家」であって、逮捕されることも織り込みずみの確信犯であったーという見方もできるだろう。というのも、金子氏の逮捕や有罪か無罪かに関わりなく、ネットの現実はさらに一歩先へと進んでしまっており、47氏=金子氏は当然そのことも知っていたはずだからだ。
Winnyのユーザー数は200万人ともいわれ、その内のかなりの部分で音楽ソフトのダウンロードなど違法なファイル共有が行われていたという。アメリカにおいても過半数をこえる若者がファイル共有ソフトを使って、違法なことを知りながら音楽や映像ソフトを共有しているという報告がされている。現実の問題としてそうしたユーザーをいちいち「著作権法違反」で逮捕することなどできはしないだろう。さらには、金子氏の容疑とは、著作権そのものを犯したということではなく、そうした現実を助長する意図を持ってソフトを開発・利用させたということである。
著作権法自体が現実にそぐわなくなっているのに、その違反を幇助したというだけで逮捕されるべきなのか?
こうした疑問を背景に、金子氏の行為の犯罪性そのものに対する議論が今後は高まることが目に見えている。
本来、「技術」というものには優れている、劣っているという尺度は存在しても、良い悪いという倫理性の尺度は存在しない。慶応大学の村井純教授が、この事件に関連してこうした視点からコメントしているのが印象的であった。Winnyは10年に一度生まれるかどうかの優れたソフトで、日本のインターネット技術のある達成を示しているという。確かにインターネット技術の進歩という尺度から見れば、今回の事件の犯罪性などは(村井氏はそうはいっていないが)取るに足らないものという見方が後世においてされるかも知れない。
しかし、私の目からは今回の事件には、ある種の「暗さ」が存在すると思える。それは前回の記事でも指摘した「テロリスト」に通じるような「暗さ」である。テロリストには大義がある。その大義の実現ためには、手段を選ばず、無辜の人々が犠牲になることも容認するという点において暗いのである。今回の事件の中では、人の命が奪われることなどはありえないという意味で、金子氏の行為をいわゆるテロリストと同じものと断じるつもりはないが、レコードが売れなくなるなど、現実的な実害が生まれているのも確かだ。
McDMasterさんが言うように、Linuxの開発者のTorvalds氏が「楽しみ」のためにLinuxを開発したように、別の原理に基づく「革命」を期待したいという指摘には、私も全く同意する。インターネットの世界には明るい「革命」が似つかわしい。
最後に余談をひとつ、週刊金曜日という雑誌の最新号で、赤軍派の重信房子の娘として有名な重信メイさんとエロ・テロリスト、インリンの反ブッシュ対談というのが組まれていて面白い。エロ・テロリストというのはパロディだが、インリンは至極真面目で本気でエロ・テロリストを自認していることがわかり、写真集を買おうか、今、本気で悩んでいる。
明るい革命とインリンに興味のある方は公式サイト「インリン・オブ・ジョイトイ」までどうぞ。
(カトラー)
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