佐世保事件とバトル・ロワイアル
バトル・ロワイアル(BR)を読んだ。
佐世保事件のこともあるが、少年、少女たちに熱烈な読者が広がっているということを聞いていたので、以前から読んでみたいと思っていた。
オリジナル版「バトル・ロワイアル」 (毎日新聞 2004年6月20日 西部朝刊より)
99年に出版された小説の設定は97年、大東亜共和国。この全体主義国家は毎年、全国の中学3年を対象に50クラスを選び「戦闘シミュレーション」と呼ばれるプログラムを行っていた。生徒たちは殺し合い、最後の一人だけが家に帰れる。
売れた小説100万部、マンガ本数百万部、映画観客350万人、ビデオ・DVD56万本。女児はBRをまねた自作の小説も書いた。マニアの間では数年前から、同じような試作が流行している。オリジナル版バトル・ロワイアル。「オリバト」と呼ばれる。
まず、述べておきたいことは、佐世保事件に代表される、少年少女の凶悪事件とインターネットやサブカルチャーを関連させて論じる一般マスコミの論じ方は、あまりに皮相にすぎるということだ。ましてや、原因をネットやサブカルチャーに求め、悪者に仕立てるようなやり口は、日頃、ネットやサブカルチャーの影響力に脅威を感じている既成マスコミの無意識の恐怖感の裏返し、もしくはウサ晴らしに過ぎないと考えている。引用した毎日新聞の記事は、支局長の家族が事件の被害者になってしまったということから、突っ込んだ取材がされており、問題のとらえ方もバランスがとれていると思うが、他は相変わらずのステレオタイプな報道が多い。
相変わらずのステレオタイプ報道
マーケティング的には、この問題についての説明は簡単なことだ。世の中の全ての殺人者、凶悪犯のメディア接触状況を試みに調べて見ればよい。皆、何らかのメディアに接触していて、結果としては既成のテレビ・新聞を見ている割合が高くなるはずだ。同じように問題を起こした少年少女を調べれば、ネットやサブカルチャーとの接触度が高くなるに決まっている。実際にアンケートでもとって見れば、オウムのサリン事件実行犯たちは、休刊した「噂の真相」を見て世の腐敗を嘆き、テロ行為に及んだかもしれない。高校生のスカートに鏡をかざした某大学教授は、「Economist」を読んでいたら、ムラムラしてしまったのかも知れない。だからといって噂の真相やEconomistを責めるバカ者はいないだろう。少年少女の事件の問題の本質をメディアとの接触の問題にすりかえるのは同じように愚かなことだ。
バトル・ロワイアルは優れたファンタジーノベル
バトル・ロワイアルを読んでみてまず感じたのは、これは大変優れた「ファンタジーノベル」であるということだ。
版元の太田出版が、この本の奥付で興味深いコメントを載せている。
本書「バトル・ロワイアル」は、実は、本来なら小社から刊行される予定の本ではなかったのです。作品そのものは、97年3月には一応完成されており、その時点で、某社のミステリー小説賞に応募したところ、一次予選さえ通過しなかった、と聞きました。 一年後、そこに若干の手直しを施し、某社のホラー小説大賞に再度応募したところ、最終候補までは残ったものの選考委員全員から「非常に不愉快」「嫌な感じ」「賞のためには(入選させることは)絶対にマイナス」等々、酒鬼薔薇事件の余波もあってきわめて内容が反社会的であるとのレッテルと共に、全面的に批判を浴びせられ、再度、落選。・・・(後略)
悪評も極まれば、それが逆に評判になる。太田出版がこの本を刊行するや大きな反響を呼んだ。ミステリーにもホラーというジャンルにも納まり切れなかった、この小説がこれほどの読者を掴むことができたのは、実はこの作品が、ハリーポッターやロードオブザリングと同様、優れたファンタジーだったからだと考えている。
人は、現実があまりに酷い時、もうひとつの世界観「ファンタジー」を渇望する。ファンタジーの物語性とは、別の世界への出口を暗示することに他ならないからだ。
BRで描かれている、同じクラスの仲間が最後の一人まで殺し合うという椅子取りゲームのような状況は、そのままリストラが進行する大人の世界そのものであり、ついさっきまで忠誠を誓っていた人間が突然寝返り、自分の敵になるという心理ゲームは、イジメなどを通じて今の子供たちが生き抜いている現実そのものである。この小説がファンタジー作品として優れ、熱烈な支持を得ているのは、そうした酷いリアルな現実を下敷きにしつつ、その現実から数センチ空中浮揚するような形で、オウムの麻原のように物語(ファンタジー)を組み上げて見せていることだ。
覆い隠された「死」という現実
作品の中で、印象的であったのは「血の匂い」という言葉である。生きた人間から大量に出血する血液がむせかえるような臭いをもっているという描写は、特異なリアリティを持っていて、この作品のファンタジー性とリアル性を象徴する表現となっている。
「夥しく流れる血」、そして「死」というものは、生身の人間にとってまぎれもない現実であるにも関わらず、現代社会では覆い隠されてしまっている。皮膚の下を確実に流れているにもかかわらず、それに触ることができない。自分の腕をカミソリなどで傷つけ、出血させる自傷行為を繰り返す少女が増えているというが、「血」は、彼女たちにとって覆い隠されてしまった「死」の象徴であり、ファンタジーである。
「週刊!木村剛」で木村氏は佐世保の事件に言及しつつ以下のような指摘をしている。
幼い頃に「他人の痛みを感じる」という実体験を積んでいない場合には、それが積もり積もって爆発したときには、われわれの予測を超える凄惨な事件を惹起するのではあるまいか。今回の事件がそれを象徴していると言い切るつもりはないが、リアルなコミュニケーションが希薄な中で、ネットにおけるバーチャルなコミュニケーションに没頭していた子供たちの間に起きた悲しい出来事として、色々と考えさせられることの多い事件ではあった。
「他人の痛みを感じる」実体験、現実に対して手触りのある実感を持てない子供たちは、リアルとヴァーチャルの境目が稀薄となり、そのことが今回の事件を引き起こす背景になったとする分析はそれなりの説得力を持っている。社会問題として考えた場合は、木村氏の指摘のように、子供たちの身体性を回復させることが有効な処方箋になるのかも知れない。
しかし、凶行を犯した少女の本当の心の闇は誰にもわからない。事件後の少女のコメントが伝わってきているが、なぜ凶行におよんだかは、少女自身にとっても理解不能の状態にあることがわかる。
ただ、私がこのBRという小説を読んで、想像したのは、彼女の目に見ていたのは、ひょっとすると「ファンタジー」だったかも知れないという思いだ。もちろん、そう考えることで彼女の行為がいささかでも正当化されることではない。しかし、彼女が憎んだ酷い現実や、そこからの出口を求めて抱いた別の世界に生きたいという願望は、現代に生きる少女であれば誰もが抱く夢想(ファンタジー)である。彼女は決して「怪物(モンスター)」なのではない。ファンタジーを信じたという意味では、魔法使いのハリーポッターや「はてしない物語」の主人公バスチアンになりたいと考える、どこにでもいる小学6年生の少女である。彼女のことをモンスターと呼ぶのであれば、全ての少年少女がモンスターになりうるといわなければならないだろう。
友達を誘い、凶行に及んだとき、彼女が無意識に望んだのは、次のゲームがどこかで始まり、魔法のように別の世界が目の前に立ち現れてくることではなかったか。しかし、人の死はまぎれもない現実であって、彼女をどこかに連れて行ってくれる「ファンタジー」ではなかった。次のゲームはけっして始まることはなかったのだ。
(カトラー)
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コメント
トラックバックありがとうございます。
何か胸に迫る悲しさを感じます。子供の頃は、ファンタジーに心を奪われやすいというのは、私自身そうでしたから、そうだと思います。
サンタクロースを本気で信じるならそれは可愛らしいですが、ファンタジーとは決してキレイなおとぎ話だけではないですよね。
投稿: Tinkle | 2004.06.29 00:49
カトラーさん、こんにちは。くりおねと申します。
この記事を読んで、深く胸を打たれました。特に
>次のゲームはけっして始まることはなかったのだ
このフレーズは重く刺さってきます。
ところで、「終わりのない物語」はミヒャエル・エンデの「はてしない物語」のことを指していらっしゃいますか?だとしたら、その主人公は「バスチアン」で、「モモ」は主人公の名前がタイトルそのままです。
せっかくのいい記事が細部でけちをつけられてはもったいない、と思いコメントさせていただきます。(意図するものが違っていたらご容赦下さい)
投稿: くりおね | 2004.06.29 12:52
くりおねさま
コメントありがとうございます。
ご指摘の点、その通りです。エンデのファンの方々からは叱責ものですね。
カトラー家の娘たちもエンデの大ファンで、いろいろ本やらビデオやら持っているのですが、このミスを知ったら「サイテー!」とかいわれそうです。ちなみにバトル・ロワイアルも読んだようなのですが、感想を聞いたら何か「せつない感じ」がしたと言っていました。受けとめ方はそれぞれのようです。
ということで、アップした記事を以下のように修正させていただき、再アップロードさせていただきます。ありがとうございました。
<以下修正します>
「終わりのない物語」→「はてしない物語」
「モモ」→ 「バスチアン」
投稿: カトラー | 2004.06.29 14:54
トラックバックありがとうございます。
私がトラバいただいたのは、「無菌室育ち」ですが、カトラーさんのお書きになったことを読んで、また、色々考えましたら、楽天の字数では収まらなくなってしまいました。
「無菌室育ちの貴婦人は…」の記事は、頂いたトラバへのリターンです。
よろしかったら、ご一読下さい。
投稿: わに庭 | 2004.06.29 16:53