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子どもたちの反乱がはじまった?

私の前回の記事「佐世保事件とバトル・ロワイアル」に、いくつかのコメントやトラックバックをいただいた。
バトル・ロワイアル(BR)を読んで見て、これが優れた「ファンタジー作品」だという受けとめ方から、佐世保の事件を引き起こした少女に見えていたものを自分なりに想像してまとめた文章である。もちろん、あの少女の心の闇をこんな文章にまとめただけでつかみきれるはずもない。しかし、彼女がファンタジーの世界を生きていたのだという理解の仕方をすることで、小六の少女が、我々から見てかくもおぞましいと感じられる事件をどうして引き起こしたのか、その心情に少しだけ近づけた気もした。

バトル・ロワイアル(BR)は正統ファンタジー

子供はファンタジーを必要とする生き物である。それは、子供たちが未知の世界に向かって働きかけ、蚕が繭をつむぐように自分の周りに作り上げる像が、ファンタジーと考えられるからだ。訳知りの大人のように未知なる存在への興味が無くなり、繭をつむぐ力がなくなった時、ファンタジーも終わる。だから、ファンタジーとは、未知の世界を求めて子供が生きる力、生命力そのものといっても良いだろう。ファンタジーは本来、普遍的、根源的なものであって、時としておぞましいものや目を背けたくなるものまで含むものである。例えばグリム童話には、絵本や子供の本にはとても載せられないホラー話があることは、よく知られている。

『グリム童話/メルヘンの深層』(鈴木晶著)より

グリム童話の中には次のような話もある(ただし、載っているのは初版だけで、以後は削除されたから、ふつうの『グリム童話集』には入っていない)。

 あるとき、父親が豚を屠畜するのを、子どもたちが見ていました。子どもたちは午後になると遊びはじめました。ひとりの子どもが弟に「おまえは子豚になれ、おれは屠畜人になる」と言って、抜き身の小刀を手にとって弟の首に突き刺しました。母親は上の部屋で、赤ん坊に行水をさせていましたが、子どもの叫び声を聞きつけて、大急ぎで階段を駆け降りました。そして子どもの首から小刀を抜き取り、屠畜人役の子どもの心臓を突き刺しました。それから、たらいのなかの赤ん坊はどうしているかと思って、急いで部屋に駆けつけましたが、赤ん坊は溺れ死んでいました。母親は絶望して、首をつって死にました。夫は畑から帰ってくると、この有り様をみて気が狂ってしまい、しばらくして死にました。

誤解しないでほしいのは、どこかにグリム童話ホラー版というのが存在したわけではなく、この童話自体がもとから、こうしたおぞましい話を抱え込む形でこの世界に生まれてきたのである。商業出版に適さないという理由で、そうした話を割愛した上で出版されている今のグリム童話が実は正本ではないのである。
同じ観点から、現在大きなヒットを記録しているハリウッド映画的な口当たりの良い「ファンタジー」は、むしろファンタジーの力を商業的に利用したものということができるだろう。敏感な子供たちは、そうしたハリウッド・ファンタジーに手垢にまみれたタテマエ的なものを感じ、BRの世界に惹かれるのである。
その意味でBRという作品は、正しき意味での正統ファンタジー作品と呼ぶべきかも知れない。

少女はなぜ境界を越えたのか

佐世保の少女は、BRというファンタジーに影響されて、友達だった少女を殺害したのだろうか。BR(119~120頁)を読めばわかるが、少女の行為はこの作品の特定の場面を正確に模倣していることがすぐわかる。その意味では、明らかに少女はこの作品に影響を受けていたといえる。しかし、少女の犯した「殺害」という行為にBRが影響を持ったのかといえば、私の答えは「No」である。確かに少女は、BRの一場面を頭に描き、何度も反芻して凶行に及んだ。しかし、本来、想像することと、実際に行動に移すことには大きな隔たりがある。
人間であれば、誰だって一度ならず誰かを殺してやりたいと思うことはあるし、映画やゲームの中で殺人者に感情移入してしまう経験を持っていることだろう。しかし、私たちは決してその感情を実際の行動に移してしまい「境界」を越えることはない。

ずっと私を捉えているのは、この少女が犯してはならない、その境界を踏み越えて、凶行に及んでしまったのは、なぜなのだろうという疑問だ。木村剛氏が指摘したように、子供たちを取り巻く世界では、体ごとぶつかるような人格形成の場が失われ、純粋培養されたために「他人の痛みがわからない」感性を持つ子供が増えているということも大きな理由かもしれない。しかし、私が最近の少年少女の凶悪事件を見ていて感じるのは、さらに深刻な事態である。それは、誤解を恐れずにいえば「人を殺す」ことの心の垣根がどうしようもなく低くなってしまったということだ。
佐世保の少女殺害事件に限らず、長崎の立体駐車場から男児を突き落とした誘拐殺人事件、新宿のマンションから男児を突き落とした最近の事件、それぞれの事件の内容や背景も異なるのだが、共通するのは子供たちに明確な「殺意のエネルギー」が感じられない点だ。人を殺したことへのおののきや、罪の意識が伝わってこない。いずれも自然体で殺人行為を実行しており、何故殺さねばならなかったのか、事件の核心に迫ろうとすると靄につつまれてしまう。もちろん彼らに直接会ったわけでもないので本当のことはわからないが、彼らの心情を伝える立場にあるメディア側にも凶悪犯罪を引き起こした彼らに動揺が見られないことで、あきらかにとまどいが生まれている。

「人を殺してはいけない」という人間としての基本的な感情が壊れ始めているのではないか。それが、少女を殺人という実際の行為にまで走らせたのではないか。そうした思いが私の中で生まれている。

子供は世界を反映する鏡

こう問いかけることで気が付いたことがある。それは、そうした人間としての心の崩壊が進行しているのは、本当は子供たちの世界に限ったことではないという事実だ。地球上の至るところで、それぞれの大義に名を借りた「殺人」や「虐殺」「テロ」が横行している。無差別に、理由もなく、無慈悲に、しかも易々と人を殺しているのは、実は私たちが生き、つくりあげている今のこの世界そのものではないか。子供たちは、ある意味そうした現実の世界を正直に学習し、反映している鏡にすぎないのかも知れない。
こう述べることで私は佐世保の少女の犯罪が、社会のせいであるといいたいわけではない。子供の人格や倫理観の形成に親が決定的な役割を持っているという意味では、親子関係や教育の問題は極めて重要である。しかし、子供は親の所有物ではなく、完全にコントロールすることなどできない。ネットをはじめ様々なメディアとの接触を通じて、崩れ落ちる国際貿易センタービルから飛び降りる人々の姿や、イラクの人質が首をはねられる姿を目撃し、世界の姿や人間のありかたを学んでいく。人間同士が殺し合う現実を目の当たりにしつつ今の子供たちは成長していることを忘れてはならない。そうした中にあって「人々はなぜ殺し合うのか?」という疑問は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問に容易に転化するだろう。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」 凶行を犯した少年少女も含め、今の子供たちはそうした問いかけを我々の社会に対して投げかけはじめている。そうした問いかけにわたしたちはまともに答えることができるだろうか。

前回の文章も含めて、私がメッセージとして伝えたかったのは、私たちが佐世保の少女の心情に、少しでも近づくことができるだろうかということだった。少女は異常であり、自分たちの子供とは全く違うと、怪物(モンスター)として片づけることが、とりあえず一番ラクだろう。その上で、BRが悪い、インターネットが悪い、少女の親の教育が悪いと「悪玉探し」をしていれば良いからだ。しかし、そんなことをしている内に事態はもっと深刻な形で進行している。

子供たちの反乱が始まった。

彼らをモンスターと呼ぶことは、我々の世界がモンスターであるということと同義だということを忘れてはならない。

(カトラー)

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Comments

TBありがとうございます。
テキスト、興味深く拝読させていただきました。
私は、残忍な性質を生まれながらに持っている人というのは古の頃からおり、子供による残酷な殺人も少なからずあったろうと思っています。また、その残忍さを不幸にして助長させる環境というものもあったはずであります。
こんなHPもあります。(http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji33d.htm)
マスコミが情報力をさほど持たなかった時代、村社会では、隠蔽された事件も数多くあったでしょう。
反乱は常に、どこにでもあると思います。戦争もテロも常にあり、混迷に陥ってない時代を探すほうが困難ですからね。

今の時代云々というより、結局子供を持つ私たちが個々に何ができるかを考えて子供たちと対峙して実行するしか無いと思う昨今です。たぶん、正しい答えはありません。100人の子供がいれば100通りの結果があるわけですから。

ちなみに、私は「人を殺してはいけない」というのは人間としての基本的な感情ではないように思っています。私たちは生まれてから手足の上げ下げに始まり、一つ一つを学習して成長していきますよね。事故で脳の一部をやられて手足が不自由になった人と話す機会があり、あらためて感じたのは、人間ってのは人間らしい所作のほとんど全てを生活の中から学習してきたということです。脳がやられて改めてゼロから学習することのしんどさをその人は語ってくれました。人をいたわる心といったものも、個別の性質の差はあれ、訓練によって身につくものと考えてます。「人を殺してはいけない」という感覚は「殺した先にある多くの悲しみ」を想像し、悲しむ人を思いやるチカラに他ならないでしょう。勿論、殺人者となった自分の将来を恐れる保身の感情もあると思いますが。

Posted by: たなb | 2004.07.02 at 08:12 AM

俺は口下手だし、文章能力が低いのでうまく自分の感情を書き伝えることができないのですが、たなb様の

>「人を殺してはいけない」という感覚は
>「殺した先にある多くの悲しみ」を想像し、
>悲しむ人を思いやるチカラに他ならないでしょう。

これにとても共感しております。

個人的なことですが、人付き合いの仕方でいつも気をつけようとしていることは「一度相手の身になってみる」ということです。いろんな場面で問題が起こった時にまず落ち着いてそのことを考えてみると意外にほとんどのことの解決の糸口が見えてきます。 最近の子供に限らず、やはり大人もそんなちょっとしたことができなくなっているようにも感じます。 殺したいと思ってしまったやつがいても、その相手にも自分と同じように人生を歩んできて、いろんなことに感動して涙して苦しんで笑ってきた時間があると考えるとやっぱり殺すことはできないと思います。(その相手に自分の大切な人が殺された場合とかは計り知れない怒りを生むと思うのでこんな奇麗事では制御できないのかもしれませんが…)     やはりうまくいいたいことを表現できなかったのですが…カトラー様がおっしゃられてるように責任転嫁や都合のいい言い訳を見つけて逃げていてはもうどうにもならない領域に来てしまってるのでしょうね…

Posted by: ひろムー | 2004.07.05 at 07:44 PM

コメントをありがとうございます。
たなbさんのコメントを拝見していて、思い出したのは精神分析家の岸田秀氏の「人間はもともと本能の壊れた動物だ」という言葉です。本能が機能している動物たちは自然の法則にのっとって生きているので、無駄な殺しはしません。その点、人間の場合は、自然状態に置かれると何でもありのカオスに陥ってしまう傾向があるのかも知れません。
ある意味、しょーもない生き物ということになるのでしょうが、発情期だけでなく四季折々いつでもセックスができて、限りない欲望を持てる存在となったことで人類は地球上にこれだけはびこることができたわけでしょう。本能が壊れているという意味では、ちょっとしたきっかけがあれば殺人だっていつでも犯せる・・・もともとそういう生き物なのかもしれません。単にそうした存在であることから人間を救済するのは、ひろむーさんも共感されているように、人間が持つ「想像する力」なのでしょう。そのことで言えば、僕たちが子供の頃も、イジメや諍い、暴力が身近に存在しましたが、おおもとでは、子供たちの想像力は未来に向かっていました。今の子供たちを見ていると、もちろん個人差はありますが、想像力のベクトルが個人同士の人間関係など出口の無い問題に向かい過ぎていて、未来に向かう力を失っているような気がします。社会全体がヴィジョンを失っているからでしょうか。

Posted by: katoler | 2004.07.08 at 10:53 AM

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