ここはどこ?わたしはナポリタン?
新橋から「ゆりかもめ」に乗って、東京ビックサイトに行く途中に、車窓からチラリと視界には入っていたのだが、広場には教会風の荘厳なロココ調の建物がそびえている。
一体、どこに迷い込んだのだろうと思い、その教会風の建物に近寄って見ると、な、なんとそれはJRAの場外馬券売り場であった。ヨーロッパの旧い市街では「教会」を中心に広場があり、そこから街が放射状に形成されている。それにしても、その「教会」に相当する荘厳な建物が、場外馬券売り場とは!
調べて見ると、それは「ヴィータイタリア」と名付けられた街で、汐留シオサイトに近接し、イタリアの街を模した再開発プロジェクトとして計画されたものだという。私が迷い込んだのは、「ピアッツア」と名付けられた中央広場にあたる場所で、この広場を中心に55,000㎡におよぶイタリア街がこれから2007年にかけて出来上がっていくのだそうだ。
「なんでまたイタリアなんだろう?」いぶかしく思って、ホームページなどを隈無くチェックしたのだが、そのコンセプトが今ひとつわからない。例によってイタリア人のデザイナーなどが関わっており、街の景観デザインを手掛けているということなのだが、そもそも、なぜここにイタリア街なのだという謎が解けない。
しかし、この手のレプリカタウンは、今に始まったことではない。経営不振に陥った「オランダ村」をはじめとして、日本全国に「ドイツ村」(赤城山)やら「スイス村」(安曇野)、「サンタランド」(北海道・広尾町)なんて所まである。汐留に忽然とイタリア街が現れたとしても、ことさら目くじらをたてるような問題ではないのかも知れない。
スパゲティ・ナポリタン=コスモポリタン理論の挫折
そもそもオリジナルとレプリカ(模倣)という概念は、我が日本国においては明確に峻別されるものではなかった。法隆寺にしても京都や奈良の都にしても、考えてみれば中国の都の巨大なレプリカタウンであった。解体するなと澎湃(ほうはい)として保存運動が巻き起こった東京駅の駅舎だって当時のヨーロッパ建築を頑張ってレプリカしたものだった。むしろ、オリジナルとレプリカとの境界を曖昧にしつつ、気が付くと結局は自分たちのものにしてしまう精神こそ日本文化の本質ではなかったか。そう、スパゲティ・ナポリタンのことを想えばよい。あの甘酸っぱいケチャップにまみれ、日本人であれば誰もがこよなく愛している食物は、確かに「イタリア風」ではあるが、イタリア人は誰一人として食べていないではないか。この「ヴィータイタリア」は、まさしく「スパゲティ・ナポリタン」のような街なのである。イタリア風であってイタリアでない、いやむしろコスモポリタン的というべきか・・とブツブツ独りごちながら、広場を歩いていると、あるものが目に入り絶句してしまった。
そこにあったのは、イタリア国旗を掲げた、イタリア風ラーメン屋であった(写真)。そして、広場の近くにはイタリア風の顔をしたカレーショップ(CoCo壱番館)まで・・・な、なんだこれは!
この現実を前にカトラーのスパゲティ・ナポリタン=コスモポリタン理論はもろくも崩れ去ったのであった。
(カトラー)
<イタリア風ラーメン屋(左)とイタリア風カレーショップ(右)>
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント