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プロ、アマチュアの垣根の消失がもたらす「喪失」

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The New York times on the web より>(拡大できます)

アテネオリンピックが、あと数時間あまりで開幕する。
私が学生の頃までは、オリンピックにはアマチュア規定があり、プロとアマチュアが厳しく峻別されていた。オリンピックの代表が金品を受け取っていたということがわかると、出場権を剥奪されてしまうことさえあった。プロ野球選手やJリーガーたちがオリンピック会場に続々と乗り込んでいく今の光景を見ると、まさに隔世の感がある。
アマチュア規定を撤廃したのは、80年代、サマランチが会長に就任してからだが、これを機にスポーツとビジネスの関係は一気に密接なものとなり、巨大なマネーがオリンピックをめぐって飛び交うようになった。このことによってオリンピックから「真のスポーツマンシップ」が喪われたと嘆く人もいる。

資本主義のマネーパワーは、手つかずの処女地(フロンティア)をどん欲に求めながら、際限なく巨大化していく。その勢いのもとで、時にはスポーツマンシップのような「無垢なるもの」は蹂躙され、単なる「キレイゴト」、または「過去の遺物」として葬り去られていく。それが、資本というものの本質であり、資本主義社会の宿命と言ってもよいだろう。プロとアマチュアの垣根がなくなったのは、こうした資本主義の本質に根ざしている。

産業化がプロ、アマの垣根を消失させる

もうひとつ例をあげよう。人類最初のプロフェッショナルな職業とは、「売春婦」だったといわれる。一般の婦女子とは明確に区別され、プロ(売春婦)とアマ(一般婦女子)の間には越えられない壁があった。しかし、平成ニッポンにおいては、風俗産業は世界でも類例のない進化を遂げ、顧客のニーズに応えて見事に細分化された商品ラインナップをそろえている。
セクシャリティ(女性・性)を販売するという意味においては、マクドナルドの看板にかつて記載されていたスマイル0円と吉原ソープランドの入浴料30,000円は、同じ軸上に存在するといってもよい。仮にこの両者をそれぞれ対極にすえて、その間を、援助交際、キャバクラ、ランパブ、イメージクラブ、ピンサロ、ファッションマッサージ・・・あげていけばきりが無いが、世の風俗関連サービス商品をプロットしてみよう。そして、どこにプロとアマの境目があるのか線を引いて見ろといわれれば、誰もが呆然としてしまうだろう。早い話が自分の娘がアルバイトをすると言い出した時、どこまでだったら親としてOKするか?という問題だ。私も娘を持つ親として、自分なりの基準は持っているつもりだが、その根拠をあらためて説明しろと言われたら明快に答えられるか疑問だ。かくして、平成ニッポンにおいて「売春婦」と「一般婦女子」を隔てる垣根は失われてしまったことを我々は悟るのだ。そして、婦女子(腐女子ではない!)の「処女性」喪失の代償として得たものは、巨大な富を生み出す風俗産業である。

メディア・マスコミ世界は最期に残された聖域

前置きにだいぶ力が入ってしまったが、ここから、かなり強引なことは承知で、いきなりメディアビジネスの問題に議論を展開したい。
メディア・マスコミの世界は、資本主義の神学とでも呼ぶべき領域で、さまざまなものが「市場化」されていった中で、最期まで手つかずに残された「サンクチュアリ(聖域)」のようなものだった。「だった」と述べたのは、ブログも含めて、さまざまなメディアツールが生み出され、このサンクチュアリを取り囲んでいる壁が急速に崩れつつあるからだ。
「プロ」と「アマチュア」の垣根についても同じことがいえる。
インターネット技術などに裏打ちされたメディアツールを使いこなしつつ、新しい事実や真実を発掘したり、影響力を行使する「アマチュア」が急速に増加している。「ネットは新聞を殺すのかblog」の湯川氏が指摘する参加型ジャーナリズムの萌芽は至るところで見られるといっても良いだろう。昨日、アップされた湯川氏の記事「参加型ジャーナリズムをめぐるちょっとした論争」が、この問題を考える上で貴重な示唆を与えてくれる。その記事の中で、朝日新聞の本郷さんというOBが、ジャーナリズムの役割について以下のような比喩を紹介したという。

比喩で示そう。ショウケースに置かれたカレーの値札が倒れている。三人の客が当てずっぽうに値段を言い合ううちに、六百円か、との合意に至る。そこへ現れた男が、ケースの裏へ回って値札をつかみ出し、「七百円、この通り」と差し示す。  価値ある情報とは、これである。ジャーナリスト、ジャーナリズムの役割が、ここにある。 (中略)  新聞でいう価値ある情報には、見識が濾過した信頼がある。

見識が濾過された信頼ある情報を提供することがジャーナリストの役割という、ここで示された見解に異を唱えるつもりは無いが、本郷氏には「カカク・コム」を利用してみることをオススメする。
本郷氏が指摘する「ジャーナリズム」が、「これはジャーナリズムです」などと一言も断らず、実現されていることを知るはずだ。

カカク・コムの成功が意味するもの

「カカク・コム」がスタートした当初、既存メディアからは、「無料でこうした情報をタレ流してどうやって成り立っていくつもりだ」「アキバの店からカカク・コムの調査員がつまみだされたそうだ」というような声が聞こえてきて、かなり冷笑的な見方をしていた。
実際は、どうか?カカク・コムは今やパソコンや家電にとどまらず、様々な商品の価格を比較検討する場合に、消費者にとって欠かせない存在となっており、マザーズに上場、もちろん事業としても黒字化し急成長を遂げている。かつて調査員をつまみ出したアキバの店も今やカカク・コムに広告料を払って価格情報を提供している。「ジャーナリズム」は金になることをカカク・コムは証明した。

インターネットなど新しいメディアツールを活用した「参加型ジャーナリズム」とは、カカク・コムのようなリファインされた情報流通システムそれ自体として実現していく可能性が一番高いのではないかと考えている。
人材・転職、不動産など、いわゆる広告情報の領域は、既にリクルートなどが大がかりな形で、メディアビジネスに転化させた。カカク・コムの成功で、価格の比較情報のように、それ自体は広告情報ではないが、やり方次第では記事コンテンツ情報と考えられていたものまでが、ビジネス化できるという可能性が生まれたのだ。今後、こうした動きはさらに加速し、プロが専有していたと思われた情報がアマチュアの手にわたり、両者の垣根は消えていくことだろう。新聞ジャーナリズムの最後の砦「オピニオン」の分野では、ブログが登場していることはいうまでもない。

かつて、スポーツや風俗産業の分野で産業化が進み、プロ、アマの垣根が消失した際には、「スポーツマンシップ」や「処女性」といった「大切なもの」をも喪うことになった。メディアやそのメディアが扱う情報の産業化が、止めようもなく進む世界にあって、今度は、私たちは一体何を喪わなければならないのだろうか。
この記事を書いているのは、共同通信ブログの休止騒動がきっかけとなっているが、ブロガーたちのコメントの嵐の海に沈没したまま沈黙を守っている小池氏の姿に、この「喪失」のイメージを重ねて見てしまうのは私だけだろうか。小池氏が育った古き良き時代の「ジャーナリズム」や「ジャーナリスト」が無惨な姿を晒すことになるのかと想像すると個人的には、やるせなさが募る。

これまでの「ジャーナリズム」が資本主義の神学そのものだったとすれば、「神は死んだ!」とニーチェが喝破したように、「ジャーナリズム」を待ち受けているのは、緩慢なる死しかないと言えるだろう。だとすれば、ジャーナリズムは進化し、生まれ変わらなくてはならない。

(カトラー)

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