「無印の家」というドールハウス
有楽町の無印良品ショップの改装を機に、店内に「無印の家」のモデルハウスがオープンした。
日用雑貨、ファッションに始まり、最近では家電、生花やパン、惣菜にいたるまで、生活領域全般にわたってブランドを展開している無印良品をみていると、いずれ「家」を手がけるだろうと考えていた。予想通りというわけではないが、今年の年頭に新聞広告で「無印良品の家」を提供することを宣言し、4月には、三鷹にモデルハウスをオープンさせた。スケルトン・インフィルをベースにした「編集していく住まい」という考え方と、大きな吹き抜けを持った箱型の一室空間の提案は、現在の日本の住宅市場を前提にすれば極めて大胆なものといえるだろう。
有楽町の店内に設置された2階建てのモデルハウスの前には、行列ができていた。その光景は、唐突な連想かもしれないが、子供の頃、作って遊んだ秘密基地を思わせた。
無印良品というブランドの生みの親は、1980年代に当時の西友ストアおよびセゾングループのカリスマ的なリーダーであった堤清二である。安さだけを売り物にしていた、スーパーのプライベートブランドに対して、メーカーブランドVSストアブランドという単純な対立図式を乗り越え、「無印(=Non Brand)」という新しいコンセプトを提出した。「わけあって安い」というのが、当時の広告キャッチフレーズであったが、価格という軸しか存在しなかったスーパーマーケットのマーケティングの世界に、「ヴァリュー(価値)」のコンセプトを持ち込んだ点でも画期的だったといえる。
堤清二というカリスマは、既にビジネスの表舞台から姿を消しているが、学生時代は左翼運動に没頭し、経営者になってからは、「流通革命論」という著作で流通業界の革新の旗手となり、同時に辻井喬のペンネームで数々の文学賞を受賞する詩人であり作家でもあった。さらに、経営者としては、怜悧な独裁者であったことが知られている。「ウチのトップは、何を言い出すか全く予想がつかない。本当に気が狂ってしまったのではないかと思う時さえある」と、当時、セゾングループに籍を置き、堤清二に近かった私の知人がそう嘆いていたことを思い出す。
「無印良品」が担う堤清二の遺伝子
「無印良品」とは、経営者にして文学者、詩人にして独裁者という堤清二という屈折した天才の遺伝子を色濃く担っているブランドである。堤には、自分自身のそうした乖離を自覚し、あえて楽しむような所もあった。
「無印良品」は、一般にいうところの「ブランド」ではない、厳密にいうと「アンチブランド」ブランドなのだ。商品に商標を表示しない、飾らないというのが表層に見えるコンセプトだが、根底的なところでブランド自体を否定しているのが、このブランドの本質である。ブランドでありながら、そのブランド性を否定しているというアンビバレンス(両義性)こそが、無印の成長エネルギーの源泉といってもよいだろう。その両義性は、ちょうど堤清二自身の両義性にも重なって見えてくる。
例えば「無印」のコンセプトを特徴的に表しているのが、割れたできそこないの煎餅をパッケージして、「割れていますが味は変わりません」とうたっている商品だ。商品自体のブランドパワーでモノを売るのではない。商品の見方=ヴァリュー感がブランド化したものが「無印」といってもよいだろう。
割れたできそこないの煎餅までも「ブランド商品」に変身させる魔法の杖となるコンセプトを手にした時、堤清二は恐らく狂喜したに違いない。
そして、そのカリスマが今やいなくなった世界に「無印の家」が登場した。
デザイン性と機能性の高さは、確かに無印良品の名にふさわしいともいえるだろうが、割れた煎餅をブランド商品に変えて見せた凄味はない。ただ一つの基本設計パターンをベースにそのヴァリエーションのみを提供していくという考え方は確かに大胆だが、それによってプライスが革命的に下がっているわけでもない。基本設計パターンに縛られることで、敷地の形状も限られるから、多くの販売実績は期待できないだろう。もともと良品計画は、この「無印の家」で過大な販売目標をもっているとは思えない。現状では、「無印良品」全体のイメージリーダーとしての役割を期待していると見るべきだろう。だとすれば、逆にもっと大胆に「無印」として冒険する道があったのではないかという気がしている。
トヨタ自動車がプリウスを手掛け、環境に対してひとつの回答を提出したように、住宅の環境負荷を徹底的に見直すといった方向性もひとつの方法だろう。山の木を切り出して建築され、スクラップされれば大量の廃材が生まれる、住宅は、クルマよりよほど反環境的な存在だ。年頭の新聞広告で「無印の家」の誕生を予告した時、広告のヴィジュアルには、アフリカのカメルーン北部の山間地域にある「ディリ」という名前の小さな村の写真が使われていた。実は、この広告の写真を見た時に、「ああ、MUJIRUSHIもいよいよ環境住宅をやるのか」と勝手に思いこんでいたから、こうしたことを言うのだが・・・
有楽町のモデルハウスの中を歩き回っていた時に、そんな私の思いとは関係なく、団塊ジュニア層とおぼしき若いカップルが嬉々としてカタログに見入っていた。この家の将来の主人になるのは、無印で家具やインテリアを買い揃えている彼らのような若い人々で、人形(ドール)のために様々な小物を買い集めた末に、ドールハウスを買うように、この「無印の家」を買っていくのかもしれないと思った。どこか人形に似ている彼らには、確かにこの無印の家は似つかわしい。
無印良品を生み出した、かつてのカリスマ堤清二がこの「無印の家」を見たらどんな思いを抱くだろうか。
(カトラー)
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コメント
カトラーさん
コメントありがとうございます。
先ずはご報告ですが、これまで2本、私はカトラーさんの"住宅関連"の記事にトラックバックしたわけですが、その中に必ず登場していたJ子さん、ついに念願のマイホーム(マンション)をご購入され、来春にも入居だそうです。
しかし、やはり外断熱マンションは数も少ない上値段もかなり高いらしく断念。無印の家は、あのがら~んとした造りが、冷暖房設備を考えるとちょっと、、、ということで、どちらも見送ったみたいです。ううう。。。(大汗
投稿: fumi_o | 2004.12.14 19:44