讃岐饂飩 根の津の官能的なうどん
店内は狭く、テーブルが4つ、18人で満員になるこじんまりとした店だが、店主が饂飩に恋していることが伝わってくる。根津あたりは好きで良く歩くのだが、蕎麦屋の激戦区である。根津権現の周りにも4~5軒はあり、この饂飩屋さんのすぐ近くに手打ち蕎麦の店が昨年の同じ時期に開店した。
この店のオーナーは、10年ほど前から讃岐うどんの店を開きたいと考え、準備を進めてきたのだという。10年前といえば、今日の讃岐うどんブームのかけらもなかったような時期。ブームに乗って饂飩屋をはじめたわけではないですよと言いたいのだろうが、それを裏打ちするかのようにしっかりとした饂飩を出している。蕎麦屋激戦区である根津に敢えて饂飩の店を開くことにしたのも余程自信があってのことだろう。
饂飩か蕎麦かといわれれば、迷わず蕎麦を選んでいた。シコシコとした手打ちうどんは確かにうまいが、どこか田舎臭くて粋じゃないと思っていた。けれども、この店の饂飩を食べてその考えが変わった。驚かされたのは、饂飩というものはかくも洗練されて官能的な食べ物かということだ。
すっと盛られた蕎麦も美しいが、きちんと打たれて供されるこの店の饂飩は、象牙色に輝いていて、あたかも女性の肌のようである。
蕎麦は無を、饂飩は混沌を孕んでいる
香りを楽しむのが真の蕎麦通であると聞いたことがあるが、食べ物としての蕎麦が、究極的には香りという「無」のような存在に収斂していくとすれば、饂飩の本質は「つるり」とした手触り、口触り、世界と直に触れあっているというエロティックな感覚に求められる。饂飩の語源は、「混沌」という言葉にあるらしい。中国から「混沌」という名の小麦粉の皮で餡を包んだワンタンのような菓子が伝来した。肉餡を嫌った当時のわれわれの祖先が、その皮だけを食したのが、饂飩の起源といわれている。蕎麦がその本質に無を孕んでいるのと同じように、饂飩は混沌をかかえていたのだ。
混沌といえば漢文の教科書などで取り上げられている『荘子』中の寓話が有名だ。
「南海の帝「しゅく」と北海の帝「忽」とが、中央の帝「混沌」の地で幾度か会ったが、そのたび混沌は快くもてなした。しゅくと忽は何かお礼をしようと相談した。『人には7つの穴があり、見・聞・食・息などができるのに、混沌の顔には穴がなくのっぺらぼうだ。穴をあけてあげよう』そこで二人は、毎日1つずつ穴をあけたが、7日目に混沌は死んでしまった」(「荘子」応帝王編)
なるほど、混沌とは、饂飩のように「つるり」としていたということなのだ。
と、こんなことを考えながら、注文した饂飩を待っていたわけではないが、調理場から「外に何人並んでいるかな?」という主人の声が飛んだ。いつの間にか店の前には、長い行列ができていた。主人が外で並んでいる客の数を確認したのは、饂飩を茹でるタイミングをはかるためである。蕎麦と異なり、饂飩を茹でるには時間がかかる。並んでいる客が席に着く頃に、間をおかずに茹でたての饂飩を出すための配慮なのだ。
主人の行き届いた配慮と手際にかかって、混沌は美しい饂飩となって私たちの目の前に運ばれてくる。
何日かして、また店に足を運んでしまった。どうやら私は饂飩に恋してしまったようだ。
(カトラー)
【讃岐饂飩 根の津】
東京都文京区根津1-23-16
電話:03-3822-9015
営業時間:11時30分から14時30分 土日祝は~15時、
17時30分から21時(20時20分ラストオーダー)
日曜日は昼のみ営業、定休日月曜日
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コメント
滑らかな肌触りのなまめかしいお饂飩様ですね~。
是非食べに行ってみたいです。
うどんの前身が“こんとん”であるというのは知っていたのですが、混沌だとはしりませんでした。勉強になります~。
投稿: Tinkle | 2005.01.19 12:14
Tinkleさん、書き込みありがとうございます。
根津はちょくちょく歩くんですね。他にも以前記事で紹介した青空用品店なども近くにありますよ。
投稿: katoler | 2005.01.21 13:20