カトラーが魔都「上海」を行く② ~外灘(ワイタン)、新しき「租界」の光と影~
外灘(Waitang)、別名バンド(Bund)と呼ばれるこの地域は、アヘン戦争後、欧米の列強に蹂躙される形で「租界」として差し出され、ここに立つ歴史的建造物は、いずれもが欧米の建築家の手によって建設されたものである。今でこそ上海を象徴するランドスケープになっているのだが、中国の人々にとっては租界時代の屈辱の歴史を想起させるものでもある。
現在では、外灘の歴史的建造物は銀行や行政機関、ホテルなどとして利用されている場合がほとんどだが、最近になって、1916年に建設された「外灘3号」という建物が複合商業テナントビルとしてオープンし、注目を集めている。もともとは英国の保険会社のビルとして建設されたものだが、昨年の4月にリニューアルされ、ファッションブランドや飲食施設が入居し、上海の新しい話題スポットになった。
1階にはアルマーニ、2、3階はアートギャラリーとアジア地区に初めて出店したというフランスのエビアン・スパが、そして3階以上がレストラン・飲食施設で構成されている。レストランの中でも話題になっているのが、新鋭シェフ、ジェレミー・ルーンが経営する黄浦會(Whampoa Club)という上海料理レストランである。前評判を聞いていたので、上海に到着した日の夜に行ったのだが、既にテーブルは予約で一杯になっていた。仕方なく日をあらためてランチに出向いた。
まず、驚かされたのは店内のインテリアだ。エントランスを通り抜けると、テーブル席に向かう広いアプローチ廊下があって、その装飾が息をのむような美しさであった。
料理はフレンチの新しい感覚を取り入れ、器も盛りつけも斬新かつ極めて洗練されていたが、いわゆるフュージョン系のレストランにありがちな奇をてらったようなところはなく、上海料理の伝統をふまえたしっかりした内容だった。
われわれが注文したのはランチコースだったので、200元(2800円)程度だったが、上海の一般人民にとっては高値の花であることは変わりはない。店内で目についたのは外国人が多かったことだが、旧正月ということもあってか、中国人の大家族がいくつかのテーブルを囲んでいた。改革開放が進む中国の沿岸部では経済的成功をおさめる富裕層が急速に拡大している。この店で昼食をとる中国人家族もさしづめそうした中国の新しい中産階級を代表しているのだろう。
コスモポリタン・シティとしての上海
上海にいると、ここが依然社会主義の国であり、発展途上国に分類されるということを忘れてしまう。外灘3号のこのレストランで食事をしている人々は、カトラー夫婦を除いては「コスモポリタン(世界市民)」と呼ぶにふさわしい面立ちをしている。
かつての租界時代、上海には世界中の文化が集まり、コスモポリタン・シティと呼ばれた。中国人民の苦しみとは別世界のところで、連夜パーティーが催され、ジャズが流れ、世界中から山師と美女が集まった。中国共産党は、こうした「租界時代」を屈辱の歴史として長く封印し否定してきたが、最近になって再評価を始めているといわれる。世界に向けて門戸を開き、外国の進んだ文物を取り入れ、世界都市として輝いていたこと自体はポジティブに認めようというわけだ。バンド地区の歴史的建造物を活用して外灘3号が初の本格的な複合商業施設としてリニューアルされたということも、背景に現在の「開放路線」の恩恵があることは間違いない。
食事を終え、外灘3号の建物の外に出たとき、寒空の下、建物の傍らで老婆が、1本2元の茹でトウモロコシを山積みにして売っている姿が目に入った。
その光景を目にした時、中国は新しい「租界」を上海につくろうとしているのだと確信した。
魔物が住むといわれる上海という都市は、かつての租界時代から今に至るまで、闇が深くなる分だけ輝きを増すという宿命とともにある。
(カトラー)
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