ぐしゃぐしゃに原型をとどめぬまでひしゃげた車体、ヘリコプターの轟音が鳴り響く空の下で、次々と遺体が運び出されてくる。テレビ画面に映し出される時間が停止したような映像に9.11の時の記憶が蘇った。これは何者かによって引き起こされたテロ事件ではないかというのが、私がJR西日本福知山線の脱線事故の映像を見たときに真っ先に抱いた印象だった。
しかし、時間が経つにつれて事故原因はテロとは関係がなく、この電車の運転士が制限速度70kmのカーブを108kmものスピードで進入してきたために、遠心力に耐えきれずにそのまま横転してマンションに突っ込んだのではないかという見方が有力となっている。しかし、本当にカーブで100km程度のスピードを出すことで電車が横転してしまうものなのか、そもそも運転士は何のためにスピードを限界まで上げてカーブに突入していったのか、数々の謎が残る。
ATSと事故の関係
連日のマスコミ報道を通じて、日増しにJR西日本の企業体質を批判する声が大きくなりつつある。これだけの大事故を引き起こした企業として厳しい批判を受けることは当然だが、単にJR西日本を悪玉に祭り上げるだけで、正確でないものも見受けられる。
読売新聞が社説(4/26)で
「現場付近には自動列車停止装置(ATS)が設置されていた。だが、赤信号での進入をチェックするだけの古い型のもので、電車が制限速度を上回っても作動しない。新型が導入されていれば、惨事には至らなかったのではないか」
という主張を展開していた。これに反応したのだと思うが、北側国土交通大臣が、新型ATSを敷設するまで福知山線の運転再開は認めないという方針を打ち出した。
このニュースを聞いてそんなものかなと思っていたが、たなか@さくらインターネットさんの
エントリー記事で今回の事故と新型ATSの問題は、実は何の因果関係もないことを知った。
ATSが旧型だったという件については、今回の事故回避という観点で言うと、全くといっていいほど筋違いのものです。
ATSには、大きくS型とP型があって、Sは赤信号を無視した場合にブレーキを掛けるもので、PはPatternの頭文字が示すとおり、列車の速度パターンが計算され、現示されている信号が守れない速度になると、自動的にブレーキが掛けられるものです。
・・・・今回の場合は列車が遅れていたわけですから、恐らく信号は青を現示しているはずなのです。
ここで指摘されているように、新型ATSに搭載されている速度パターンを把握して列車に自動的にブレーキをかけさせる機能は、起点となる信号と連動しており、青信号の状態でカーブに突入していった今回のような場合は、そもそも機能するようにできていない。
国土交通大臣の見解を受けて、JR西日本が慌てて新型ATSの敷設工事を始めていることが報道されていたが、私も含めた技術のことを知らない一般人が、こうした対応によって今後の事故発生が防止されると誤解したら、亡くなられた107名の方々は浮かばれないだろう。
事故発生に至ったプロセスやその発生原因の科学的な解明は、今後進むだろうが、大元の要因は、この電車の高見運転士が、大幅なスピードオーバーの状態で事故現場となったカーブに突入していったことにあった。彼をそうした行為に追い立てた心の闇を解明しなければ、本当の原因究明を行ったことにはならない。
ガラス細工のような福知山線のダイヤ
技術的な面でまず問題とされるべきは、たなか@さくらインターネットさんが指摘しているように、JR西日本のダイヤグラムの組み方であろう。福知山線のダイヤは、いったん遅れが生じると「回復不可能」な形で組まれていた。こうしたガラス細工の宮殿のような環境下に置かれた個人は、何かミスを犯したら、はなから白旗を掲げて諦めるか、高見運転士のように、回復不能なことを知りつつ、それでも生真面目に努力を重ねる人間の2種類に分かれてしまう。そして、残念なことだが、ミスが起きた環境の中で、状況をリセットできない生真面目な人々は、その状況の延長線上でさらに対応を重ねてしまうために、最初から問題を投げ出して諦めてしまう人々よりも、結果的に事態や問題を悪化させてしまうことが往々にしてある。
事故の直後に、一部で高見運転士の適性を問題にする論調が存在したが、むしろ問題は逆だ。この高見青年が、運転士として問題とされるべき点があったとすれば、運転士の適性として必要とされる「生真面目さ」が過剰だったことだろう。生真面目な彼は不可能を知りつつ、少しでも遅れを取り戻そうと、死の瞬間まで文字通り「一所懸命」にもがいてしまった。
悲劇的なことは、この事故が発生した局面において、高見青年のJR西日本という企業組織の中におけるポジションも同じように「回復不能」状態に陥りつつあったことだ。ガラス細工のようにいったん壊れれば回復不能な福知山線のダイヤと同じように、JR西日本という企業組織の中のキャリアパスも、いったん「問題運転士」という烙印を押されてしまえば二度と回復することが不可能だったに違いない。
新幹線の運転士になることが、高見青年の幼い頃からの夢だった。そのために彼は真面目に勉強し、高校でもトップクラスの成績をとり、念願叶ってJR西日本に就職し、運転士になることもできた。しかし、運転士になりたての頃にオーバーランというミスを犯してしまう。
今回の事故の直前にあった伊丹駅での二度目のオーバーランは、彼自身にとっても自分のキャリアパスにとって致命的なミスになると感じられたことだろう。既に事態が「回復不能」状態にあることを知りつつも生真面目な彼の目の前には、スピードを上げるという選択肢しか残されていなかった。
高見運転士の遺体を第一車両から回収した救急隊員がニュース番組でインタビューされ「高見運転士の死顔は安らかな表情をしていた」とコメントしていた。彼の行動が、結果として107人の死者を生む悲劇的な事故を引き起こすきっかけとなったが、死の直前の高見運転士を捉えていたのは「一所懸命」にやったという思いだけだったのではないか。もがくことからやっと解放された、そのやすらかな死に顔とは、「これしか道がなかった」と言って死んでいった自爆テロの殉教者の諦めの表情にも似ていたのかも知れない。
(カトラー)