JR西日本、悪玉論を排す
JR福知山線の列車脱線事故をめぐって、JR西日本の企業姿勢や社員のモラルに対する批判が強まっている。
ボウリング大会、その後の飲み会、ゴルフコンペと大事故を起こしたにもかかわらず反省が無いというのが基本的な論調である。前回のエントリー記事でも述べたことだが、JR西日本の責任は厳しく追及されるべきだが、むしろ気になるのは、最近のマスコミ報道の矛先だ。明らかにヒステリック化あるいは幼児化しており、こちらの方が「オーバーラン状態」もしくは「脱線寸前」にあるといってもいい。
こうした悲惨な事故を引き起こした原因を考える上で、最も避けなくてはならないのは、「悪者捜し」である。事故によって平和な日常生活を破壊されたわけだから、小市民的な感情あるいは常識からすれば、どこかに問題を引き起こした張本人がいるはずだと考えたくなる。肉親や友人を亡くした場合であればなおさらのことだろう。しかし、およそ事故と呼ばれるものは「起きるはずのない」「誰も予想ができない」事柄が、「さまざまな偶然が重なって」発生するから事故と呼ばれるわけで、不条理としかいいようのない場合がままある。もちろん今回の脱線事故は明らかに人災と考えられるべきで、他の不条理な事故と一緒くたにするつもりは毛頭ない。ただし、「JR西日本が悪かった」ということで問題を単純化できないことも確かだ。誰が悪者かという問題提起の仕方自体が、実は問題の本質を隠蔽することにつながるのであって、重要なことは、こうした事故が発生するに至ったプロセスとその出来事の構造を明らかにすることである。
六本木ヒルズの回転扉事故では・・・
六本木ヒルズの回転扉の事故に関して、失敗学で有名な工学院大学の畑村洋太郎教授が座長となって各分野の専門家を集めたプロジェクトチームが組織され、1年間にわたって原因究明の作業が進められた。そのプロセスとその報告成果をまとめたNHKの番組「ETV特集」が、偶然にもJR福知山線脱線事故の直後に(4/30)オンエアされていた。プロジェクトチームには、六本木ヒルズの運営会社である森ビルや回転扉のメーカー、三和シャッターの関係者も参加した。両者は、この事故の法的な責任について法廷で抗争中だが、そうした関係を超えて、原因究明を科学的な立場から行いたいという畑村教授の呼びかけに応じてプロジェクトに参加したという。
プロジェクトの作業では、事故が発生したメカニズムはもちろんのこと、そうした事故を発生させた技術のありようや背景要因にまで解明作業のメスがいれられた。例えば、六本木ヒルズの回転扉はステンレス材で作られており、大きな重量を持っていた。それが回転することで発生する大きなエネルギーが少年の頭蓋骨を押し潰したのだが、もともと回転扉の技術がヨーロッパから持ち込まれた時点では、アルミ材で作られていたという。欧米の回転扉のほとんどは、今でもアルミ材で製造されており、人が挟まるようなことがあったとしても死亡事故につながるようなことは起きていない。
プロジェクトチームは、そうした軽いアルミ材で作られていた回転扉が、日本ではどのような技術的な系譜をたどり、凶器に転化しうるステンレスの回転扉に変わっていったのかを克明に明らかにしていった。こうした問題自体、法的な責任が争われる法廷では議論されないことであり、プロジェクトに参加したメーカーにとっても全く意識されていなかった問題であった。誰が悪いと片づけられる問題でもない。しかし、プロジェクトチームの報告によって、誰が見てもこのことが少年を死に追いやった大きな要因であったことが明らかになった。
さらに、プロジェクトチームは、この六本木ヒルズの回転扉の事故を教訓に、問題を普遍化する必要を説き、日本の建築物の扉に潜む危険性を提言している。
まことに見事な報告だと思った。
畑村教授は、最後に「プロジェクトチームのメンバーの原因究明のエネルギーになったのは、亡くなった少年の魂であった」と報告を締めくくっている。
JR西日本の事故の原因究明についても求められるのは、悪者捜しではなく、こうした真摯な解明作業であることは間違いない。
北側国土交通大臣が「新型ATSの設置が、福知山線再開の前提条件であり、新型ATSが整備されることが利用者の信頼を得るための一つのシンボルだ」と語っていた。
これは一見もっともなことを言っていそうだが、明らかにマッチポンプだ。JR西日本に厳しい顔をしているように見せつつ、実は福知山線再開のためのハードルを示しているに過ぎない。この国に蔓延しているJR西日本悪玉論は、安物の田舎プロレスのように、悪玉を仕立て上げることで、結局はこのように政治的に利用されていくだけだろう。彼らにとって必要なのは、問題の本質解明ではなく、再開ためのシンボル(=言い訳)さえあればよいからだ。
これでは、亡くなった107名の方々は浮かばれない。
(カトラー)
<追記> 5月9日
「日本人悪玉論を排す」
JR福知山線脱線事故に関するこの記事と前回のエントリー記事に対していただいたトラックバックやコメントをチェックしていたら、「霞が関官僚日記」のコメント欄でR30さんが私の記事を引き合いにしつつ、fer-matさんと議論されていた。
fer-matさんは、今回の事故の要因をスピードと効率を優先させる社会システムそのものを見直さない限り、こうした事故の根本的な解決にはならないと主張していた。
一見、こうした議論には理があるように見えるが、私には単なる評論家的な議論としか思えない。同じような議論を今回の事故に関していうと、ニューヨークタイムスなど海外のメディアが一斉に展開していた。転覆した列車の高見運転士が、1分半の遅れを取り戻そうとスピード超過した事実を捉えて、日本人が鉄道に対して求めている、過剰なまでのパンクチュアリティ(時刻厳守)への要請が圧力となって運転士を追い込んだという内容の記事を書いていた。
こうした議論を突き詰めれば、R30さんが批判していたライブドアPJの記事同様、事故の根本要因は日本人の国民性や文化にあり、結局のところ日本人が悪いという話になってしまう。そういう要素が全く無いとはいえないが、この種の議論は、外国人がゲイシャやフジヤマについてコメントするのと同じレベルの単なる文化論であって、今回の事故の本質を考える上では、雑音に過ぎず余計なものと考えた方が良い。
まず、理解しておく必要があるのは、こうした悲惨な事故の原因というものは、誰もが納得できる「正解」などは多くの場合、存在せず、真実は藪の中にあってなかなかその姿を見せてくれないということだ。この世の出来事について何でも答えが出せると思っている小利口な人々や評論家的な連中は耳ざわりの良い説明をして、悦に入り、次の瞬間にはその事故や事件のことをすっかり忘れてしまう。
「日本人の考え方や文化、あるいは社会システムに問題がある」という議論の仕方は、出来事の本質を隠蔽させるだけのものとしか私には思えない。出来事の本質を隠蔽するように働くという意味において、「日本人悪玉論」は、この記事で取り上げた「JR西日本、悪玉論」と何ら変わるところがない。
今回の事故の原因究明で重要なことは、できるだけ手触り感のある形で事故発生のプロセスを「言語化」することだと考えている。それは、死者が見たもの、感じたものを追体験する作業と言い換えても良いだろう。この記事で紹介した六本木ヒルズの原因解明プロジェクトチームは、その作業を見事に成し遂げた。むろん神でもあらぬ限り、出来事の全て解明することなど不可能だ。わからなさがどこまでも残り続ける。しかし、そのわからなさを意識することが「畏れ」を持つことにつながり、死者を本当の意味で弔うことになる。
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六本木ヒルズのセキュリティホール
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コメント
どう考えても、対策が出来ないので矛先をそらそうとしているようにしか見えません。
庶民はよほど愚民だと思われてバカにされている気がします。
だから、そっち系ニュースはスルーしてます。
原因究明と対策の情報待ちですね。
投稿: わに庭 | 2005.05.08 06:51
連休中のニュースネタ不足、が表面的要因のひとつなのでしょうが、テレビと新聞、が暴走してますね。
お涙頂戴と悪役叩きの大衆演芸パターンの繰り返し、せめて悪役の悲しみ程度は描いてもらいたいものです。
JR西日本の対応が雪印等のころより洗練されてきた(事故直後を除く)ためか、マスコミのボロが見えすぎ。
ETVは片隅で良い仕事をしばしば見せてくれます。局、新聞、番組ごとの個性がもっと出て欲しいですね。
投稿: 円山貫 | 2005.05.08 07:42
まったく、同じ意見です。ボウリング大会、宴会ネタで、テレビ、新聞のトップニュースを埋め尽くしてしまう、という矮小で情緒的なマスコミは、その構造を解析しておかなければならないメディア的リスクだと思います。
投稿: soulnote | 2005.05.08 10:23
さまざまなマスコミ批判が多いのを、新聞社、放送局などの人間が知らないとは思えないし、違う報道の仕方をしたほうが商品として差異化できるから得だろうと思うのに、なかなかそうならないのはなぜでしょうか。
一つの仮説は確信犯でやっているということ。人気番組をいくつも作った娯楽系のプロデューサーの話を聞いたことがありますが、「悪口言う人もその番組が気になって見ている」ことを言っていました。フジテレビの女子アナウンサーはろくにニュースも読めないと批判する人も、そのアナウンサーがタレントとしてバカ騒ぎするバラエティを見ているといったことです。
とすれば、悪役探し、お涙頂戴、何様のつもり、とマスコミ批判される報道でも、見られている、話題になっている、と思って反省しないかも。これは、大衆の覗き趣味があるからパパラッチがいるのだという受け手責任論とは少し違った問題かな、と思います。
また、JR西日本はゴルフコンペなど社員の振る舞いを調査して報道したわけですが、これも、(なまじ隠すと騒ぎが広がるという危機管理対応によるものかもしれませんが)、視線をそらす効果があったともいえます。とすればマスコミは居丈高になって追及している相手に内心で舌を出されて馬鹿にされていることになる。
マスコミ批判は、道義や品性の問題の前に、読者・視聴者の知りたいことを取材できない無能、というほうがあたっているし、マスコミのほうもそう言われるのを嫌がるのではないかな、と思います。
自分たちの知りたいのはこういうことだという批判が一番いいのでしょうし、そういうメディア(または記事や番組)を探せればもっといい。
投稿: kuroneko | 2005.05.08 22:34
いつも拝見しております。
リンクさせて頂きました。メルアドが見当たらなかったのでここに書かせて
頂いております。URL欄に記入したページからリンクさせて頂いております。よろしくお願いします。何かございましたら、当HP上にあるメルアドへメールにてお願いいたします。
とりいそぎ、ご報告まで。
投稿: kousinpage.com | 2005.05.09 03:06
実際、JR西日本は今、大変みたいですよ。事故と全く関係のない部署でも関係している、みたいな。知らぬ顔はできぬ、みたいな。休日返上、みたいな。
そーゆーのは、報道できないのか、興味がないのか?
やっぱ。
どっかから視線そらせ圧力があるよーな、バカにされてるよーな気が…。
投稿: わに庭 | 2005.05.09 12:15
私も、全くの同意見です。読んでとてもスッキリしました。
マスコミには、本当にしっかりしてほしい。
過去の企業の起こすトラブルについての報道
(雪印、日本ハム、三菱自動車・・・)でもいつもそうでしたけど、提起している問題が、本質からかけ離れている!!
投稿: 遅いですけど | 2005.05.14 20:29
複合要因だと思いますけどね
・会社の利益優先主義が安全より優先されたこと
・運転手が以前にも同じことで処分されていた
・JR西日本の体質
JR西日本をこういう体質にさせたのは
日本人の体質でもあるわけで、
国民全体に責任が無いとはいえないと思いますよ。
実際2,3分の遅れでも文句いいますからね。
fer-matさんの意見は理想主義的に見えるかもしれませんが、社会全体のスピードがはやすぎるということは、現在の社会のさまざまな問題の原因となっていると思います
投稿: 鳥蔵 | 2005.05.18 01:42