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押上、木賃アパートメントの悦楽

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もう死語になりつつあるが、「木賃アパート」という言葉がある。
4畳半一間、風呂無し、共同トイレという、今では信じられないような住空間にかつての日本の若者たちは肩を寄せ合って暮らしていた。

これも懐メロになったが、南こうせつの「神田川」というフォークソングで、風呂のないアパートに暮らす恋人同士が一緒に銭湯へ行き、出口で相手を待ち「洗い髪が芯まで冷え」「小さな石けんカタカタ鳴った」と歌われた、あの世界である。日本全体が発展途上にあり貧しかったが、東京という街で若者達が夢や野望を描いていた良い時代だった。
漫画家の梁山泊と呼ばれ有名な「トキワ荘」には、手塚治虫、石の森章太郎、赤塚不二夫などそうそうたる面々が集い、未来を熱く語り合った。木賃アパートとは、高度成長時代の日本を担った無名の若者達が夢を紡ぐ場所、人生のスタートをきる場所であったといってもよい。そして、昭和30年代、若者達の過剰な夢の受け皿になるように、大量の木賃アパートが、東京の街に建てられた。その多くは、いまでは取り壊され、マンションや駐車場に姿を変えたが、都市の片隅でまるで誰からも忘れ去られたようにそのままの姿で遺っていることがある。

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押上にオープンした「スパイス・カフェ」は、そうした取り残された木賃アパートを見事にリノベーションしたものだ。オーナの伊藤さんが、このアパートと出会った時、既に住人の姿は無く、若者達の夢の跡のように朽ち果てて、荒れ放題の状態だったという。
しかし、その「木賃アパート」は、伊藤さんのセンスと手腕によって、とても気持ちの良い空間に生まれ変わった。昔の4畳半と6畳の部屋は壁が取り払われ、ひとつにされた空間にはテーブル席が5つ並んでいる。押入だったという場所にはワインセラーが置かれ、その横は、私が座っているカウンター席と厨房になっている。私が訪れた昼食時、既に店内は予約の客で一杯だった。私はひとりだったのでかろうじてカウンターに席がとれたが、このカフェをめあてに若い女性達や近所の会社員達が扉を開いて次々と入ってくる、その度に丁寧に詫びている姿が印象的だった。

スパイス・カフェは押上から徒歩で10分ほどの所、古い商店街の表通りから一歩引き込んだ一角にある。すだれで囲われた花道のようなアパートへの狭いエントランスを抜けると、そこに異空間が広がる。初夏の花々が咲き乱れ、まるで遠い彼岸の世界に紛れ込んだような錯覚に陥る。昔、このアパートで青春を過ごした人が、この場所を訪れたとしたら、その変貌に目を見張り、そして、感動することだろう。思い出の場所は、想像の中ではいつも美しい。その想像の世界にしかないはずの美しいアパートメントが現実となってそこに建っているのだから・・・

 生まれ育った下町の一角で、
 古い木造アパートを利用した
 カフェと、カレーと、アートの
 ある空間を作りました。
 設備以外はすべて自分たちの手で作り上げ、
 環境に負荷を与えない自然住宅、
 呼吸する家を目指しました。
 人と、料理と、文化と、街とが
 つながっていく空間ができたら・・・
 そんな思いもこめて「スパイス・カフェ」と名付けました。

               (スパイス・カフェ案内より)

開け放たれたアパートの窓から、夏の風にのってカフェの若者達の笑い声が響いてくる。かつてこのアパートにも、多くの若者が夢を紡いだ日々があったはずだ。
芭蕉は、夏草の生い茂るかつての戦場に立って「強者どもが夢の跡」と詠んだ。それにならって一句。

夏風に よみがえる声や 夢の跡  (火頭羅)

<創造空間 Spice Cafe>

●営業時間
 Lunch   11:45 - 14:00
 Cafe    14:00 - 16:00
 Dinner   18:00 - 22:00
       (L.O. 21:30)
  *定休日 毎週月曜日&第三火曜日

●場所
 〒131-0044
 東京都墨田区文花1-6-10
 TEL : 03-3613-4020
 FAX : 03-3613-1228


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コメント

はじめまして、こんばんは。
記事を見て何とも言えない懐かしさを感じました。4半世紀も前、まだワンルームマンションとやらが一般的でなかった頃、私もこんな木賃アパートに住む学生でした。窓の手すりなどもこんな感じでした。一人暮らしを始めて寂しかった時に、エニシダの鉢を買ってきて窓際に飾っていました。明るいイエローの色合いが私を元気付けてくれたのを覚えています。う~ん、かなりイイ所、突っついていますね。近所なのでさっそく、お茶しに行きます。
貴重な情報ありがとうございます!

投稿: REI | 2005.06.15 00:32

REIさん、コメントありがとうございます。
ご近所とは素晴らしい!ぜひおでかけ下さい。私が食したランチのカレー(ラム)も大変美味でしたよ。

○○荘と聞くと、私の場合も思い出モードに入って胸キュン状態になります。
学生時代通っていた松戸の先のアパートを近くまで行ったので探したことがあるのですが、
すっかり取り壊され駐車場になっていました。
何か心にぽっかり穴が空いたような思いがしたことを憶えています。
木賃アパートは不動産のストックとして見た場合は確かに問題があるのでしょうが、Spice Cafeのような形で残っていくなら、都市の記憶を保存でき、素晴らしいことだと思います。

投稿: katoler | 2005.06.15 01:59

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