世界の中心で「ごはん(エスニックフード)」と叫ぶ!
このブログに最多登場回数を誇るクリングルの村井君の紹介で、エディター&ライターの「にむらじゅんこ」さんと銀座のシャネルビルに昨年末にオープンして評判の「BEIGE TOKYO(ベージュ東京)」でお会いした。
にむらさんは、パリの大学で美術史を専攻し、そのままパリで暮らすこと12年。最近では上海にも関心を広げ、上海の旧フランス租界地区にある1930年代のアパートメントを借りて、パリと上海、東京を行き来きしているというコスモポリタンだ。雑誌「ソトコト」で、パリのエスニック・スローフードを紹介する連載を3年にわたって続けていて、残念ながらその連載は今年の4月号で終了してしまったのだが、とても素晴らしい文章を書かれていた。どう素晴らしいかは、バックナンバーを手にとって実際に読んでもらうしかないのだが、「ごはんのことを書いていたけれど、本当にいいたかったのは別のことなんです」とにむらさんはそういって、いたずらっぽく微笑んだ。
フランスのサッカーワールドカップ代表が、全て移民の選手で占められていたということが日本でも話題になったように、現在のフランスはエスニック(人種)の坩堝といっても良い。当然、パリにはエスニックの数だけエスニックフードやレストランがあふれかえっている。それは、きっとフランスという国が、労働力や税収の確保のため、移民を受け容れざるを得なかったためかなと勝手に想像していたのだが、そうした「想像」は、ひとりよがりなもので、周りが鏡張りのような日本という空間に閉じこめられているがゆえに、鏡に映る自分の似姿を見て納得しているようなものと悟った。
にむらさんは「フランス人は、いつも自分たちが世界の文化の中心にいると思う分だけ、外(エスニック)への関心が高いんです」と、むしろ積極的に世界中の見知らぬものを受け容れる、コスモポリタンとしての遺伝子がパリの人々には受け継がれていると説明してくれた。
パリのエスニックフードを追いかけている彼女の文章を読んでいくと、世界中の様々な人々や辺境の民族が、熱烈に世界の中心(パリ)を目指した軌跡が、恋あり絶望あり革命もありと、ダイナミックに織りなされ、万華鏡のような世界として見えてくる。彼女の文章のユニークさと輝きは、そうしたパリをめざしたエトランゼ(異邦人)たちの魂を「ごはん(エスニックフード)」を通していきいきと描いている点にあるだろう。にむらさんは、わたしたちが無意識に取り囲まれている鏡張りのようなことばの空間の外に出て、遠くからやってくる光が見える万華鏡を手にした、数少ない日本人のひとりなのだと思う。彼女のようなエトランゼたちのスピリチュアルに触れると、自分がいかに島国根性に冒されているかに気づかされる。私も世界の中心(パリ)で、無性にエスニックごはんを食したくなった。
私たちがランチをした銀座シャネルビルの最上階のBEIGE TOKYO(ベージュ東京) は、シャネルとアラン・デュカスグループによる共同プロジェクトで、店内はベージュに統一され、天井の高い開放感のあるシックな空間は、とても落ち着けるものだった。ベージュというのはシャネルのシンボルカラーなのだそうだ(にむらさんの受け売り)。注文したのはベジタブルのランチコースで、とても爽やかで美味しいと思ったが、プロのにむらさんの評価は「ちょっとサプライズに欠ける」と結構手厳しい。
聞けば、彼女は、翌日から取材でモロッコに飛ぶとのことだった。ランチの間、私は彼女の話だけでサプライズは充分だったのだが、世界の中心でサプライズを追い求めるパリジャンの仲間入りをしたにむらさんの目は、もう海を越えて遠いどこかの辺境の国を彷徨っていたのかも知れない。
(カトラー)
追記:ソトコトの連載は終了してしまったといったが、うれしいことに、にむらさんの連載は近く本にまとめられて出版される予定だという。
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