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東アジアを覆うナショナリズムの影

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中国の反日デモが、とうとう上海にも波及した。
暴徒化した一部の中国人が、上海領事館や日本料理店などに投石などを行い、ガラス窓や看板が破損させられたことが報道されている。

気がつけば東アジア全体がナショナリズムの影に覆われはじめている。中国や韓国で広がっている反日の動きは、反作用となって日本にも伝わり、日本国内でもナショナリズム的なものが強まってくるだろう。
私はナショナリストではないが、こうした反日デモに関するニュースなどを聞くとやはり不快な気分にさせられる。夜郎自大で思い上がった中国政府高官のコメントや救いようもなく低脳な韓国大統領の発言を聞くと「フザケルナこの野郎!」とテレビ画面に向かってモノでも投げつけてやりたくなる。そうした自分自身の感情を発見して、ナショナリズム的な心情というのは、案外根深い所で成立しているのだなあと驚いてしまう。

ナショナリズムという感情の起源

ナショナリズムの起源を問うていくと、ネーション(民族)、ステート(国家)、キャピタリズム(資本制)が、相互補完的に成立した「近代」にたどり着く。文芸評論家で思想家の柄谷行人氏は、これらが三位一体のものとして機能しているのが「近代」の本質であり、ナショナリズムjという感情の基盤になっていると、次のように説明する。

「私はネーションの基盤に・・・解体されていった農業共同体があると思います。それまで自給自足的であった各農業共同体は、貨幣経済の浸透によって解体されるとともに、その共同性をネーション(民族)の中に想像的に回復するわけです」(柄谷行人著『日本精神分析・言語と国家』より)
ここで指摘されている「想像的に回復された共同性」こそが、高度成長時代に農村から都市を目ざした多くの日本人や現在の中国沿海都市部の人々が、まさに求めてやまなかったものではないか。日本の高度成長期、若者たちは農村から都会に出てサラリーマンになり、想像の共同体(=村)を「会社」の中に発見した。しかし、中国では、共同体の代替え物としての日本の「会社」のような存在がない分だけ、共同体的なものへの欲求は、もっと過激な「民族主義」として立ち現れてくる可能性がある。

反日を叫びながら、北京や上海の街をデモをしながら練り歩くテレビ画面に映し出された中国の人々の顔は、日本に対する憎しみに駆られているというよりは、どこかカタルシスを感じている表情が見受けられた。農村から都会に出てきて、独りぼっちの彼らは、デモに参加し、日本という見たことも行ったこともない想像上の共通の敵に向かって石を投げつけることで共犯意識に近い仲間意識を分かち合っていたのではないかと想像している。
もちろん、だからといって彼らの行動を大目に見ろといいたいのではない。今回の反日行動に駆り立てている民族感情といわれるものが、中国の都会に暮らす最下層の若者の孤立した心情という、案外、ナイーブなものを起源にしているということをいいたいだけだ。むしろ、そうしたナイーブな感情を政治的に利用している中国共産党政府は、厳しく糾弾されるべきだし、ナショナリズムを政治的に利用することの危険性を彼らはもっと知らなくてはならない。
中国共産党幹部は、日本の指導者の「歴史意識」を問題にする。そして、その「歴史」の名のもとで「反日」の投石が続いているわけだが、過去の「歴史」を根拠にして特定民族・国民を攻撃するとやり口は、実はナチがユダヤ人に対して行ったことと何ら変わらない。ナチはユダヤに対する迫害をただ独り狂信的に行ったのではない。ネーション(国民)の圧倒的な拍手喝采に後押しされて行ったことを忘れてはならない。

グローバル化がナショナリズムを強化する

もうひとつ見ておきたいのは、東アジアを覆うナショナリズムの背景には、明らかにグローバル化の影響があることだ。グローバリゼーションによってナショナリズムが無くなるというのは呑気な考えだ。逆にグローバル化によって、ネーション(民族)は否定されるのではなく、むしろ強化される。外の世界が目の前に立ち現れることは、反作用として内向きになる人々をナショナリズムに向かわせることになるからだ。この面からもナショナリズムの影はますます色濃くなっていくことだろう。

高度成長の時代の日本では、想像の共同体としての「会社」を発見したことが、今の中国の状況とは異なると述べたが、考えて見れば、今の日本は中国の状況とさほど大差がないといえるかもしれない。終身雇用制が崩れ、居心地が良かった、かつての共同体としての「会社」はどこかに消え失せた。かわりに、学校にも行かず、働いてもいない、共同体に帰属することを拒否し、孤立化した50万人を越える「ニート」と呼ばれる若者たちが出現している。彼らは、例えていえば、火をかければ、パッと燃え上がるカラカラに乾いた薪のようなものだ。全てを諦観したように今は無為に過ごしている彼らが、ある日突然「愛国」を叫び始め、中国大使館に向かって投石を始めないという保証はどこにもない。

(カトラー)

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