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KING KONG(キング・コング)のデリカシーに嫉妬する

king_kong ハリウッド映画を見ても面白いと思ったことがほとんどない。

現在、公開中の正月映画「キング・コング」についても最初は全く見るつもりはなかったのだが、後述するミヒャエル・ゾーヴァの絵を見て気が変わり映画館にまで足を運んだ。

キング・コングは官能的な映画?

薄々予感はあったのだが、キングコングという作品は、極めてエロティカル(官能的)なメッセージに満ちた作品である。「美女と野獣」という原初的なモチーフを通奏低音にしつつ、現代ではほとんど不可能になった「プラトニック・ラブ」を見事に描いた佳作といえるだろう。

官能的といってもキング・コング映画だから、ラブ・シーンだとかヌード、ベッドシーンの類はもちろん一切出てこない。にもかかわらすゾクゾクさせられるのだ。こういう言い方をして、妙な嗜好があると思われたら困るが、例えば、主人公の女性が、キング・コングが支配する髑髏島(スカルアイランド)で島民に捕まり、生贄として差し出され、迫り来るコングの前で恐怖に泣き叫ぶ、いわゆる絶叫シーンなどには、自分でも意外なくらい興奮させられた。少なくともこの映画のピーター・ジャクソン監督はキング・コングと美人女優という組み合わせによって、「美女と野獣」という古典的な構図を下敷きにして官能的なメッセージを発信することを明らかに意図していただろう。主人公の女優のナオミ・ワッツも良い。典型的な「美人」なのだが、運動神経が良く、そのことが巧まずして媚びのない色気になっている。彼女がキングコングの目の前で機械体操の選手のようにバク転やら側転やら即興のダンスを披露して機嫌をとろうとするのだが、サーカスの少女が醸し出すような色気が感じられる。

「美女と野獣」というモチーフには、世界各地でフォークロアとして伝わる異類婚姻譚などを源流として、1946年にジャン・コクトーが制作した古典的名作「美女と野獣」、そしてコクトー作品を下敷きにした現在のディズニー映画やミュージカル作品にまで連綿とつながる系譜が存在する。そのイメージの蓄積を通じて、「美女と野獣(Beauty and the Beast」という組み合わせは、われわれの心の奥底に秘められた集合的無意識を刺激するキーワードになっているといってもよいだろう。

gorilla_and_girl2 ミヒャエル・ゾーヴァのゴリラと少女

実は、この「キング・コング」という映画の存在が視野に入る前に、気になっていたミヒャエル・ゾーヴァの「最初の遠出」という作品がある。暗い海原をいくボートに乗ったゴリラと少女が描かれていて、とても想像力を刺激する作品だ。ミヒャエル・ゾーヴァは「ちいさなちいさな王様」の挿絵で一躍世界に注目され、フランス映画「アメリ」(2002年日本公開)の美術を担当したことで知られる画家だが、その作品はどれもが象徴的なメッセージ性に満ちている。なかでもこれは、とりわけその象徴性喚起力において抜きん出ている作品だ。ミヒャエル・ゾーヴァ自身もこの作品は見る人によって様々なストーリーが生まれてくることに触れ、ゴリラに象徴されるマッチョ男がいたいけな少女を連れ出すことを想像させ、そのことが女性差別につながるという理由で抗議を受けたり、それとは逆にこの絵を見ることでファザーコンプレックスから解放されたと感謝された話を紹介している。

話は少し横道にそれるが、私自身がこの絵から感じたストーリーは、この絵のゴリラと少女は、人間同士のカップルが不忍池や井の頭公園のボート池でボート遊びをしているように、暗い荒海の中でデートしている・・・というものだったが、いかがだろうか。私の友人の中には、この絵を見て、少女の方がゴリラを誘惑しているという見方をしていた人(この見方はあまりにスゴくて笑ってしまった)もいた。

キング・コングという映画作品は、「美女と野獣(Beauty and the Beast)」というフォークロア的コンセプトまで立ち戻って評価しないと本当の価値はわからない。単なる怪獣特撮映画ではなく、大げさにいえば人間の秘められた無意識をテーマとしている点がこの作品の本質である。

キング・コングに美女が惹かれる理由

さて、この映画では「美女が野獣に惹かれ、野獣が美女に惹かれる」というラブ・ストーリーが、もうひとつのモチーフとなっている。美女は何故、野獣(キングコング)に惹かれたのか。それは、コングの中に生まれたデリカシーゆえではないかと思っている。世の中には、とにかく強いマッチョ男が好きという女性もいるようだが、この映画の中でキング・コングに美女が惹かれたのは、そうしたマッチョ好きの女性の心情とは全く異なるだろう。

右手でティラノザウルスをなぎ倒しながら、左手で美女を守りながらやさしく包み込む。コングには、自分が少しでも力を込めれば、美女を押し潰してしまうかも知れないという懼れが生まれたことだろう。その懼れのことをデリカシーと言い換えることができるし、愛と呼ぶこともできる。

そして、この映画でキングコングが見せてくれたデリカシーとは、私も含めて日本の男どもがすっかり忘れていたものではあるまいか。

私は映画を見ながら、このゴリラのようになりたいと、心からキング・コングに嫉妬した。

上映時間が3時間を超える大作だが、時間を感じさせない佳作であることを保証する。ただし、カップルで見ることはあまりおすすめしない。なぜなら、君の彼女は、きっとキング・コングの方に恋してしまうだろうから。

(カトラー)

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Comments

普通はそういう解釈みたいですね。

私は単にボス猿が群の構成員を守ろうとした、ナオミワッツを擬似的にしろ最後の構成員と見なしたという風に観たんですが、そういう意味では美女でなくて少年でも子犬でも、コングにとっては守る対象になり得たと考えてます。
あ、もちろん絵ずら的興行的には美女でなければいけないのですがね。

また私は結構今日の男性陣はデリカシーを持つ部分は以前より多いと思ってます。
腫れ物を触り切れずに戸惑うぐらいに。
思春期に入った娘に戸惑うお父さんのように。
むしろ群を守る力不足や力の性質の変化や対応の多様化による戸惑い、群やコミュニティとどう向き合うのか適応するのか苦悩している点。
つまり自分はコングに嫉妬することはなく、感情移入して泣いたんです。

Posted by: トリル | 2006.01.08 at 06:27 PM

1月18-23日ゾーヴァの展覧会が松屋銀座であります。
http://www.matsuya.com/sowa/index.html

Posted by: バジル | 2006.01.12 at 03:42 PM

トリルさん、ご挨拶遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年も辛口コメントよよろしくお願いします。
確かにご指摘の通り、デリカシーの行使の仕方が問われている面があると思います。
ただ、今の若い男性諸君は、デリカシーを持ち合わせているというより、単に臆病なだけという面もあるのではないでしょうか。
デリカシーと臆病さは似て非なるものだと思っています。その意味で私自身はコングのようなデリカシーがもてないものかと嫉妬すると申し上げたわけです。

バジルさん、ゾーヴァの展覧会を教えていただき、ありがとうございます。この絵のように、少女を誘拐してぜひ見に行きたいと考えております。

Posted by: katoler | 2006.01.13 at 02:18 AM

それは苦悩を持ち続ける覚悟と共に踏み込む事の有無ですね。
それは一定の濃い人間関係を持つ場合避けようがないですよね。
言わんとする処は結構自分の周りでも当たってますよ。
アダルトチルドレンの一形質でもあるのかな?

ただそれを勘定に入れても社会の、コミュニティや生活習慣や価値の変化の影響ついては大きいと思いますよ。
単にまずは積極的であれば何とかなるというモノではないと。
いや、本当に出しゃばりでデリカシーも無く傍若無人ならば、そういう苦悩は無いのですけどね。

髑髏島のワッツとコングの関係のように貧乏長屋暮らしは隣近所協力が生活のため必然でコミュニティが成立してましたが、周囲に協力の必要が無くなれば本人が望んでもコミュニティは歯の抜けた櫛の如く崩壊します。
果たして日増しに煙たがれながらコミュニティを等しく働きかけるのは、今日的には賽の河原の石積み作業のように苦行ですよ。

コングがコングらしくコングの儘にNYをジャングルに見立て受け入れられるなら問題はないが、NYは、近代人間社会は管理できない野生やある種の旧い矜持は、キャリアごとデリートされますよ。
逆に言えば、現代社会はそういう不安定で不確かなモノを必要とせず寧ろ排除することで成立してる面があると思う。

Posted by: トリル | 2006.01.13 at 05:02 AM

あと更に言えば、制作サイドのインセンティブは、デリカシーに嫉妬して欲しいという方向ではなく、そういうカトラーさんの言うデリカシーが個々の人間は別にして現代社会に必要とされてない、という叫びなんだと思います。
でなければ、あれだけコングに思い入れるでしょうか?

あ、と言い忘れてました。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしく。

ところで、私辛口コメンターでした?

Posted by: トリル | 2006.01.16 at 04:24 AM

こんにちわ。
僕は早稲田を目指している現役生です。本当は慶応も好き。でも、父が慶応だから、早稲田に決めました。同じじゃ嫌なんです。
僕は以下の3つのブログを読んで、
早大受験のやる気を保っています!

1位 現役女子大生芸能プロ社長の日記
(22歳・早大政経学部4年の天才女社長が熱く語る)
   http://blog.livedoor.jp/riddler/

2位 闘う早大生:夏川潤香の「高校・大学受験講座」
(小泉総理が愛読しているという噂の注目ブログ)
   http://yaplog.jp/uruka_natukawa/

3位 輝女KIRAJYO 輝女ブログ
(社会貢献を目指す女子大生サークル。
早大生も参加しています。
メンバー登録受け付け中)
http://kirajo.jugem.jp/

この人たちとキャンパスで出会えるように頑張ります。


Posted by: 源太郎 | 2006.01.20 at 09:39 PM

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