ラビリンス(迷宮)築地の女神
築 地のすし屋といえば、「寿司清」がポピュラーだが、寿司清の前には昔も今もいつも長蛇の列ができている。こうした繁盛振りを見れば、他の寿司チェーンだっ て築地に出店しても良いと考えるだろう。築地側の変化もある。築地で家業として卸、中卸を営んでいる人々も代替わりが進んでいるからだ。町の寿司屋が、大 手回転寿司チェーンなどに押されて、廃業していくのを見てもわかるように、昔からの飲食店を相手にしている、従来型の築地の商売は基本的には厳しい環境下 におかれている。家業を続けることができずに、外部資本に営業権や店舗を売り渡すケースも増えているという。
豊洲への移転が決定的に
築 地の変化に追い討ちをかけているのが、築地市場の豊洲への移転問題だ。老朽化した魚市場の施設を現在の場所で建て替えるという方針を、いったん打ち出した 時期もあったが、東京都は財政難などを理由に、豊洲(江東区)に移転することに方針転換した。この転換に対して地元や中央区なども反発して、移転反対運動 が起きていたのだが、今年の2月に地元が、築地の再開発を積極的に進めることなどを条件に反対を取り下げたため、6年後の2012年を目処に移転すること が、ほぼ決定的となった。
築 地の移転反対の大きな理由に、「築地ブランド」の価値をどう考えるかという問題があった。魚市場が築地から豊洲に移転すると、当然のことだが、築地も豊洲 も「築地市場」とは呼ばれなくなる。築地という街そのものが、魚河岸と密接に結びついて形成された地域であるから、その核である魚市場が移転してしまうこ とで、築地ブランドそのものの存立も危うくなる。一方、豊洲に魚市場ができたとしても、築地のようなブランド価値を構築することは到底不可能だ。建物だけ は立派な卸売市場は建設されるかも知れないが、「築地」というブランドがもっていた歴史性や文化性を豊洲に期待することはできない。また、魚市場および場 内市場の豊洲への移転は決まっているが、その外郭を形成し、一般客とのインターフェイスとなっている場外市場の移転については具体的なプランが存在してい ない。
何ものにも代え難い築地ブランドの価値
ここにきて、地元が移転反対の姿勢を取り下げたのは、魚市場の移転と「築地」のブランド価値を切り離し、魚市場と場内市場が移転した跡地の再利用・活用を通じて新しい「築地」ブランドを再構築していくという、「前向き」姿勢に転じざるを得なかったからと推測できる。
昔 から築地を愛するファンのひとりとして、何の影響力も持たないことを承知で、あえて意見をいわせてもらえば、築地の移転には、今もって断固反対である。豊 洲に移転した魚市場は築地ではなくなるし、魚市場が移転してしまった築地も「築地」ではなくなる。築地という地域ブランドがもっている歴史性、文化性は他 の場所では決して再現できぬものであり、その非再現性こそが築地の個性、ブランド価値そのものの根幹を成しているからだ。築地での建て替えという選択でど の程度の費用増になるのか知らないが、魚河岸と呼ばれた時代から積み重ねられてきた築地のブランド価値に比べれば、安いものではないか。魚市場の跡地を再 開発するといっても、おきまりの飲食テナントが軒を並べ、どこにでもあるショッピングモールと一緒になってしまったら、築地の価値や面白さは全く失われて しまうことだろう。
極 めて遺憾なことに、この国の再開発は、どれもおしなべて見かけの経済効率だけが優先されるため、街が本来持っている歴史性や文化性を評価する視点が全くと いっていいほど欠落している。こうした視点に立って、築地の町が作り変えられたら、間違いなく、町を寸断する太い道路が縦横に走り、路地裏を網の目のよう に張り巡らされた人々のネットワークは崩壊させられるだろう。整然と店が並んだショッピングモールのような築地なんて面白くもなんともない。築地の町を歩 けば誰もが実感させられることだが、路地や入り組んだ迷路のような路の果てに元気な店がある。そうした路地裏のバイタリティが、築地のブランド価値そのも のになっているのだ。こざかしい広告屋や行政の片棒担ぎの再開発プランナーとかいう連中が、偉そうに描いて見せる再開発プランなどくそ食らえだ。そんなも のに乗ったが最後、築地や築地ブランドは、それこそ台無しにされるだけだろう。
路地裏の神に敬意を払う
移転に反対することで、築地が変わらなくても良いといいたいのではない。時代に合わせて変わっていくことは必要だが、築地の歴史性、文化性、言い換えれば築地の「路地裏の神」に敬意を払えといいたい。
築地の新顔で、「虎杖(いたどり)」というカレーうどん店がある。場外市場の路地裏で昔からこの築地に根付いてやっていますという構えで営業している。聞けば、京都から進出してきたそうで、京都では錦小路で同じ業態の店をやっているというから、路地裏店舗のプロなのだ。
築 地場外でカレーうどん店(虎杖)、カウンター寿司店(築地黒瀬・喰)、高級寿司割烹(築地黒瀬・鮑)と全く異なる業態の店を展開して、いずれも繁盛してい るという。探さないとわからないような、築地の迷宮(ラビリンス)にあえて出店することで、「こんな場所に、こんなおいしいお店があるんだ!」という形で どんどん口コミが広がっている。新しい築地を構想するためには、せめて、この「虎杖グループ」程度には築地の路地裏の神に敬意を払い、築地のラビリンス (迷宮)性を活かした、新しい築地を構想していく必要がある。
喫茶マコに流れる築地の時間
私が密かに「ラビリンス(迷宮)築地の女神」と呼んでいる、昌子さんという喫茶店のママがいる。築地の場外市場にある「喫茶マコ」というお店を営んでいて、築地で45年前に最初の喫茶店を開店し、未だ現役で一人で店を切り盛りしている。築地西通りの中富水産ビルの2Fにあるのだが、「珈琲・雑煮」と書かれた赤い看板が目印となるだけで、通りすがりの一般人には、そこに喫茶店があることさえも想像できないだろう。
喫 茶マコは、今もってネルドリップで淹れるコーヒーと、なんと!鳥雑煮がこの店の売りだ。マコさんが作ってくれる具たくさんのお雑煮をいただき、熱いコー ヒーを啜る時間は、表通りの喧騒とは対照的に、ゆったりと静かに流れていて、築地という空間が、路地裏の神を宿しつつ、実は、森のように豊かな時間を刻ん できたということをわからせてくれる。
築地という場所に、本当に流れている時間を知りたかったら、この喫茶マコに足を運んで女神(昌子さん)に築地の昔話でも聞いてみることをおススメする。
ただし、あらかじめ断っておくが、あなたが築地のラビリンス(迷宮)を辛抱強く彷徨って、首尾よく、この店まで辿り着けるかどうかまでは保証しない。
(カトラー)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
市場移転による築地界隈パラダイスの崩壊は間違い無いでしょうね。
想像するだけでも恐ろしいです。
俺の至福の昼飯を返せ!と絶叫することになりそうです。
投稿: もきぞう | 2006.04.30 01:39
おはようございます。
築地が築地でなくなる・・・・その哀しみの声は
もう届かないのですね。
石原都知事は2016年の東京五輪招致を目指し
市場跡地にメディアセンターを作るという構想を持っているそうですが。
こうやって街の記憶が消されてゆくのですね・・・・。
投稿: bikki | 2006.04.30 05:50
|路地裏の神に敬意を払う
仰るとおりですね。
東京では、日々、有機的なものがどんどん無機的なものに変わってゆきます。
どこか、昔は自然芝でやっていたのが、人工芝でのプレーに変わり、スポーツ医療が向上したのに、選手がMLBと違って、若くして引退してしまう日本の野球をおもいださせます。
#そして人間達の心が、有機的なものから無機的なものに変わってしまいます。
とは言え、築地のまえに、日本橋に魚市場があったわけです。SF小説好きだからと言うわけではないけれど、海外、特にモロッコ、インドや東南アジアなどに行くと、江戸という町に住んでみたかったとおもいます。
投稿: ADELANTE | 2006.04.30 07:27
神田の住民です。商売柄、お客様もいらっしゃるので、築地からの移転は残念です。ただ江戸、明治に日本橋に河岸があったのは伝え聞いているので、しょうがないかな、とも思います。お客様である仲卸の方も、徹底抗戦は少ないようです。東京という町のあり方が問われていると思います。
投稿: 北村隆男 | 2006.05.01 23:34