「かもめ食堂」～愛すべき負け犬たちの最後の晩餐～

映画「かもめ食堂」（荻上直子監督作品）がヒットしている。

前から見たいと思っていた映画だったのだが、ロードショーの終盤になって、やっと映画館に足を運ぶ時間が取れた。

「か もめ食堂」は、小林聡美が扮する日本女性の主人公が、フィンランドのヘルシンキで和食の食堂を開き、その小さな食堂を行き交う人々の人間模様を描いた作品 である。和食といってもいわゆる日本料理ではなく、おむずび、鮭の網焼き、トンカツ、豚の生姜焼きといった、ごく普通の町の食堂メニューが次々と画面に登 場してくる。食べ物を題材とした映画はこれまでも色々あったが、こうした町の食堂メニューが、主役となってスクリーンに大写しとなって登場した例を他に知 らない。映画を見ている間じゅう、揚げたてのトンカツや、ジュージューと音を立てる生姜焼きが無性に食べたくなって仕方なかった。

映画の観客は、ほとんどが３０代のOL、 いわゆる「負け犬世代」「団塊ジュニア世代」とおぼしき女性たちだ。彼女たちと一緒に映画館でこの映画をみていると、映像に対する感動や笑いのポイントが 正確に共有されていて、映画館全体に笑いの渦とともに共感の輪が広がっていくのがよくわかった。「『かもめ食堂』は、私たちの映画だ！」という声が、観客 席から湧きあがってくるようだ。この作品は、一体、彼女たちのどんな心情を代弁し、なぜ彼女たちの心の琴線に触れることができているのだろうか。

映画全体に流れる静かな虚無感

作 品全体は、軽妙なコミカルなタッチで描かれているが、その底部で諦めにも似た静かな虚無感が、この映画の通奏低音となって流れている。小林聡美が演じた主 人公のサチエも含め、この映画の登場人物は、皆、何かしらの諦め、虚無感を心に抱いて、このフィンランドのヘルシンキにやってくる。

登 場人物の女性たちの過去については、おぼろげな輪郭が示されるだけで何も具体的に説明されることはないのだが、親の死よりも飼い猫の死に強い悲しみを感じ た主人公のサチエ（小林聡美）、とにかく日本から脱出したくて目をつぶって世界地図に指を立て、そこがヘルシンキだったからやってきたというミドリ（片桐 はいり）、両親の看護で青春を棒にふり、その死によってやっと解放され、はじめての一人旅をしているマサコ（もたいまさこ）、それぞれが日本での生活の何 かを振り捨てて、かもめ食堂に辿り着いている。その意味では、かもめ食堂に漂っているのは、日本という娑婆を脱け出た「彼岸」の世界が持っている静けさ、 あるいは虚無感といえるかも知れない。

この静かな虚無感と同質の空気感を、ソフィア・コッポラがビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソンを起用して製作した「Lost in Translation」にも感じたことが思い出された。そして、この虚無感は、かもめ食堂を監督した荻上直子、ソフィア・コッポラなど「ジェネーレーションY」あるはい「団塊ジュニア世代」と呼ばれる人々が共有している時代の空気感だ。

ジェネレーションY、団塊ジュニアが共有する空気感

かもめ食堂に共感する３０代半ばにさしかかった彼女たちは、バブル経済に踊った消費社会の虚しさを目の当たりに経験し、マスメディアが日替わりで提供して くる「トレンド情報」や「ライフスタイル提案」と称するものが、いかに見え透いたものであるかがわかってしまっている。女の自立や社会におけるキャリア アップといった、彼女たちの前の世代が信奉していた「自立神話」も無邪気には信じられなくなっている。世のマーケターと呼ばれる連中が、手を変え品を変 え、この団塊ジュニア世代を籠絡しようと試みたのだが、うまくいった例がないのは、彼女たちが心の奥底で、「虚無感」という魔物を飼っているからだ。

映画「かもめ食堂」に登場する、サチエを中心とした３人の女性も、それぞれの虚しさを抱き合うように寄り添っている。その関係は、優しさには満ちているが、川面を重なりあって流れていく三片の花びらのように、移ろいやすく、結局はバラバラになるさだめにあることがわかる。

し かし、この映画の作者の目線は、そうした移ろっていくもの、過ぎ去っていく運命にあるものたちに対して限りなくやさしい。「さよならだけが人生さ」といっ て見せたのは太宰治だが、そうした虚無感を抱えたときに、なお人はどうすれば生きていけるのか、という問いがこの映画全体が発信するメッセージとなってい る。

世界に終わりが来た時、何をする？

「この世界に終わりの時が来るとしたら、あなたは何をする？」と主人公のサチエが、独り言のように、他の仲間達に問いかける。サチエ自身は、その自分の問いかけにたいして「仲の良いひとたちとおいいしゴハンを食べて過ごすつもり」とこたえる。

映 画の終盤で、主人公たちがバカンスにでかけ、店に戻ってくると誰かが店に忍び込んでいるのに出くわす。この店の以前のオーナーが、自分が使っていたコー ヒーミルを盗みに忍び込んでいたことがわかるのだが、その事情がわかった時に、それぞれが抱える人生の重みが反響しあって、重苦しい沈黙が流れる。

「おなかすいたね、ゴハンにしよう」

そ の沈黙を破り、サチエはそういって、おむすびを作り出す。しゃけ、おかか、昆布、と彼女たちが作ったおむすびがずらりとテーブルに並び、静かな食事が始ま る。無心におむすびを食べるこのシーンに、私は何かとても気高いもの、宗教画を見る時のような感動を覚え、不意に泣けてしまった。このシーンは、「負け犬 世代の最後の晩餐」と呼んでもいい場面だと思う。荻上直子監督は、同世代の無意識を見事にこの食事のシーンに昇華させてみせた。

負け犬世代の最後の晩餐

出口の見えない虚無感、いずれは離ればなれになる運命に直面した時に、誰も回答なんか持ち合わせていない、とにかく「ハラゴシラエして、歩くのだ」と荻上監督は、この映画を通じてメッセージを発したかったのだろう。

「かもめ食堂」を見ている時に、ある歌のことが思い出されてならなかった。中島みゆきが作って、研ナオコが歌ってヒットした「かもめはかもめ」という歌のことだ。

あきらめましたあなたのことは

もう電話もかけない

あなたの側に誰がいても

うらやむだけ悲しい

かもめはかもめ　孔雀や鳩や

ましてや女にはなれない

あなたの望む　素直な女には

はじめからなれない

青空を渡るよりも

見たい夢はあるけれど

かもめはかもめ　ひとりで空を

ゆくのがお似合い

こ の曲がリリースされヒットした１９７８年、私はまだ学生だったが、この歌を聞いた時に「新しい女性」が日本にも生まれたのだという実感をもった。ピンクの ヘルメットを被って男を吊るし上げる「中ピ連」などというグループなどが当時のマスコミを賑わし、声高に女性の自立や権利を主張する運動が色々あったが、 そうしたものを見ても何の感慨も、感想も生まれなかった。しかし、この歌を聞き、「かもめはかもめ」と自分自身を表現する、哀しみの意識に接した時に、 「女性の自立」ということ、そして、新しい自立意識を持った女性たちが社会に生まれていることがイメージできた。

それから２０余年、この歌を聞いて育った子供たちが、青空を渡る「かもめ」になり、「かもめ食堂」に集っている。渡り鳥が疲れた羽を休めるように、この映画「かもめ食堂」に「かもめ」たちは集まってくるのだろう。

「ハラゴシラエして、歩くのだ」

そういって、おむすびにかぶりつく「かもめ」たちは、この２０余年で本当にたくましくなったと思う。

「かもめ食堂」という映画は、そうした愛すべき「かもめ」たちに対するオマージュ作品といってよいだろう。

（カトラー）

関連エントリー記事：Lost in Ｔranslation とジェネレーションＹ