ジダン 「神が愛した男」が聞いた言葉
ジダン発言、差別には反発の声 暴力には批判 仏国内
仏代表主将のジダン選手が12日、サッカーW杯決勝でイタリア選手を頭突きし、退場になった理由について「耐えきれない言葉を繰り返された」と釈明したことで、この出来事が投げかけた仏国内の波紋はさらに広がった。(asahi.comより)
ココログが2日間も使えなかったので、知人のブログを間借りしてジダンの退場問題について記事をあげた。その間に、ジダン自身が会見を行った。
人間として自分のとった行為に後悔はないとしつつも、この事件が、フランスにおける移民の立場や差別問題、多文化主義の行方と絡めて語られることに苦渋をにじませていた。 「ああしたことは絶対に良くないことで、自分でもそれはわかっている」と非を認めた上で「暴力は許されないが、侮辱も許さない。W杯の優勝トロフィーは捨てても、プライドは捨てない」としたジダンの会見における発言は、配慮の行き届いたりっぱなものだった思う。
「テロリスト」「売春婦」etc・・・さまざまな憶測が飛び交っているが、どんな言葉がジダンに浴びせられたかについては、口をつぐんだ。
以下に7月11日にエントリーした記事を掲載する
-------------------------------------------------------------------
ジダン 「神が愛した男」が聞いた言葉
ジダンは、一体、マテラッティに何を言われたのか?
この試合を最期に引退することを表明していた2006年ドイツW杯決勝戦で、イタリアのマテラッティによる挑発発言にジダンは怒りを爆発させ、頭突きをくらわせ退場処分となった。サッカー史上最も偉大な選手の一人と評価され、神が愛した男というタイトルの映画まで製作された、英雄伝説の幕切れとしては、ありえない光景として誰もが目を疑った。
メディアの反応は、総じて批判的だ。スポーツ選手にあるまじき行為として、ジダンのこれまでの功績を台無しにする行為だとの論調が日本のメディアなどでは支配的といえる。他方で人種差別的な言葉が、ジダンをそうした行為に及ばせたのではないかという憶測が広がり波紋をよんでいる。ジダンは、フランスの多文化社会の象徴でもあった。フランスのサッカーナショナルチームは移民の子弟で占められ、彼らが活躍すること自体が、フランスの多文化社会の健全性を示し、フランスの下層社会で苦しい生活をしている移民の人々にとっては、希望にもなっていた。 フランスの国民的英雄ジダンにとって、本来であれば、有終の美を飾るはずの大舞台だった。サッカーワールドカップの決勝戦という何億人という人々が注目する舞台で暴力行為に及べば、どのような結果や、反応が生まれてくるのか、ジダンが理解していなかったはずはない。そのことを誰よりも承知した上で、マテラッティへの行為に及んだわけだから、よほど我慢のできない言葉が浴びせられたのだと想像できる。
ジダンもマテラッティも二人の間でどんな言葉がやりとりされたのか口をつぐんでいるが、近々、ジダンの代理人が、この件に関してプレス発表を行う可能性があると報道されている。もし、報じられているようにジダンが人種差別的な言葉を浴びせられたのだとしたら、私は彼を責める気にはとてもなれない。フランスの移民事情に詳しい、にむらじゅんこさんが、今回の事件について、ブログでも書いているように、自分のスポーツ選手としての名声と引き換えにしても、命を賭して守らねばならない名誉や、家族への愛が、人と生まれた限りあるはずだからだ。しかし、ジダンの個人の感情や信条を超えて、この事件は、フランス社会そのものが孕んでいる社会問題として取り上げられつつある。今後のジダンの発言如何によっては、今年の冬のパリ暴動以来、緊張感を増している、フランスの多文化社会が、人種問題や移民問題を軸に再び大きく動揺することさえ考えられる。それは、ジダンの望みではないはずだ。
恐らく、ジダンは、口をつぐむだろう。侮蔑的な言葉を浴びせられたということは、説明するかも知れないが、聖なる最終決勝戦のピッチで浴びせられた言葉が、どんな汚い言葉であったかは、決していわないと思う。それを言うことは、サッカーの神様や、彼が守ろうとしたものを貶めることになるからだ。その言葉は封印され、永遠の伝説となるに違いない。
(カトラー)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
暴力は絶対ダメです。
プライドのためでもなんであっても。
プライドを守るための手段は他にもたくさんあったはずです。彼は暴力でそれを守ろうとしたことを謝罪すべきで、あの場で「プライドを守った」とこを主張するべきではなかったと思います。
「配慮の行き届いたりっぱなものだった」とのお言葉、驚きました。
私はジダンの言葉にとてもがっかりしました。
リンクなしでの批判的なコメント、お許しください。
今回の件ではプライドを守ることと暴力容認が境目なく議論されているケースが多く、とても気になりましたので敢えてコメントさせていただきました。
投稿: nashi | 2006.07.14 20:04
nashiさん、お久しぶりです。素敵な旦那様はお元気ですか。今回の記事がnashiさんの顰蹙をかってしまったようなら残念です。ジダンも私と同じマザコンで、自分のことをいわれるならまだしも、母親や家族を侮辱されたら、我慢ができなかったという気持ちは、よくわかるんですね。
でも、おっしゃるように暴力の連鎖に入ったら出口がない。暴力は結局何も解決しないというのも確かです。ジダンは、言葉の暴力があることを今回の件で訴えたいと思ったのだと思いますが、その思いを超えて、事件は社会問題化して、その波紋はひとり歩きを始めています。
投稿: katoler | 2006.07.15 01:07
ジダンのファンだったというマテラッティは、マゾだったと考えるとつじつまがあいませんか?
ユニフォームをもらったこともあるというというではありませんか。マテラッティ選手の許されぬ倒錯愛…。私も、少しM気があるのでマテラッティ選手の気持ちはわからないでもありません。でも、そんなに好きならば、もっとストレートに攻めればよかったのに。
投稿: qq | 2006.07.15 02:24
カトラーさま
顰蹙なんていうことはないんです・・・
ただ、私のように自分のブログはなくても、カトラーさんのブログを楽しみに読んでいる方はきっとたくさんいるだろうな、と思い、その影響力も考えてしまって、コメントさせていただきました。
私も大事な人が侮辱されたら絶対許せないし、その気持ちはすごく分かります。でも、自分から手を出してしまえば、その侮辱に対して、もうプライドを主張することはできないと思っています。
だから、手を出したところで、ジダンにはもう「言葉の暴力」を訴える資格がないと考えます。
プライドを守るためにも、大事な人の尊厳を守るためにも、暴力に訴えたらダメなんです。
生意気を言ってすみません。。
でも、ここで線を引かないと、あとは無差別テロまで一つながりだということを多くの人が忘れているようで怖いのです。。
事件が一人歩きしているのも本当に気になります。一日も早く、いい形で収束してくれることを願ってやみません。
投稿: nashi | 2006.07.15 12:07
相手が,間違ったことを行ってるのであれば,言葉でそれを指摘しても,態度を変えないのなら,相手がアホなんだからほっとくしかないし,アホに対して怒る必要もない.
相手が正しい事を言っているなら,もちろん怒る必要はない.よってどちらの場合でも,怒る必要はない.頭突きの必要もない.きっと肉体的にも疲れて,精神的に,いろいろ苛苛していたんでしょう.チームのキャップとしては,軽率な行為だと思います.が,サッカーの試合ですから大騒ぎする必要もないでしょう.
投稿: MURON | 2006.07.19 16:29
Wonderful blog! I found it while surfing around on Yahoo News. Do you have any tips on how to get listed in Yahoo News? I've been trying for a while but I never seem to get there! Cheers
投稿: Bench Craft Company | 2013.10.29 17:35