メディア政治の終わり、ヤッシーの夢の後
長野知事に村井氏が当選・田中氏の3選阻む
任期満了に伴う長野県知事選は6日投票、即日開票の結果、無所属新人で元自民党衆院議員の村井仁氏(69)が、現職で3選を目指す田中康夫氏(50)を破り初当選した。
(日経写真ニュース)
田中康夫が長野県知事選に敗れた。
初当選した村井仁陣営が、自民党県連や地元建設業者の組織票をバックにして戦ったとはいえ、8万票の大差をつけられての「完敗」である。
田中康夫は政治家と呼べるかどうか、田中に本当にポリティクス(政治)というものが存在したのかどうか疑わしいと思っているが、ひとつ明らかなことは、政治をメディアと結びつけた「メディア・ポリティクス」に長けた「メディア政治家」であったということだ。
逆風に乗るメディア政治家
メディア政治家にとって、最も必要なのは「風」である。世間の関心を煽り、風に乗ることが唯一の政治力の源になっている。それは、時にポピュリズム(人気取り)に堕していると批判されるが、田中のような政治家にとっては、追風(人気)よりもむしろ逆風(批判)が力となる。風を受けて空に上がる凧のように、逆風が強ければ強いほど、政治パワーは高みに上る。2002年に議会から不信任決議を突きつけられ、信任をかけた出直し選挙では、この逆風をうまく利用した。それは、郵政民営化に反対した造反議員の動きを、逆風にして総選挙に大勝した小泉純一郎と正しく相似形をなしているといえるだろう。
田中康夫の敗因を正確に表現するとすれば、今回の県知事選が「任期満了に伴う争点なき知事選挙」であったことが大きい。端的にいえば、「逆風」がなく、風が起きない無風選挙だったことが命取りになった。明確な争点がない無風選挙といえば、一般的には、現職が有利に決まっているのだが、そこで大敗してしまったということは、田中康夫という人物が、結局は政治家として二流だったということを露呈させる結末となった。
田中バブルの崩壊の後
長野県に住み、田中康夫政治に対してずっと批判的であったブロガーの「エスプレッソDiary信州松本」さんが、今回の選挙は「マスコミとクチコミの戦い」であり、メディアと結託した「田中神話を長野県民が信じなくなり」、「田中バブルの崩壊」に至ったと総括しているが、私も大凡そうした見方に同意する。
ただ、皮肉なことに、最近の田中康夫知事は、財政再建を最重要の政治課題に掲げるなど、メディア受けを狙うのではなく、より本質的で地道なテーマに目を向けつつあったようにも見える。そのことは、田中康夫知事自身が、自分がかけた魔法から醒めつつあったということを意味するのだろうか、今となってはわからない。
およそ物事の本質とは、マスコミが垂れ流すキャッチフレーズの中には無く、日々の地道な営みの中にしか見えてこない。耳さわりの良い言葉が何の解決力も持たない困難な問題がこの現実世界には山積している。容易な解決策などもともと存在しないからこそ「政治」が必要となる。
田中康夫知事を葬り、ヤッシーの夢から醒めた後に、長野県民が向き合わなくてはならないのは、出口が容易に見えない、糞面白くもない、白けた現実であり、政治に対する絶望感あるいはニヒリズムかもしれない。
それは、小泉純一郎が政治の表舞台から退場したあと、日本国民が向き合わなければならない白けた現実でもあるだろう。
(カトラー)
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コメント
奇しくも小泉と田中康夫の終わりは重なりました。二人のメディア政治は終わったのですが今後また新たな「メディア政治家」は出現すると思います。
投稿: italo design | 2006.08.09 13:16
信州在住です。
まわりを見る限り、村井派、田中派両派とも田中県政に対して「やり方はまずかったけど、それまでの古い体制を一掃した」という見方は一致しています。
「やり方がまずかった」を重視したのが村井派で、「古い体制を一掃した」を重視したのが田中派だと思っています。さらにどちらにも決められず、白票を投じた人もいます。
2000年以来の6年間で全県的に「少子化問題で全国のトップを走る長野県。借金はあるが、金はない」という認識が広げたのが田中知事の功績ではないでしょうか。
これから長野県民は、熱くなることなく、醒めることなく「糞面白くもない、白けた現実」に淡々と対処していくんだろうと思います。
農商工業がまんべんなくあり、高齢化が急速に進み、出稼ぎ外国人が多数流入している長野県は、日本の半歩先で格闘中です。奇しくもパフォーマンス政治家でも半歩先でしたが。
ところで移民問題各論編はあるのでしょうか。
地元に多数住んでいる出稼ぎブラジル人達と普通に静かにつきあっていますが「およそ物事の本質とは、日々の地道な営みの中にしか見えてこない。」は本当です。大所高所の論争とは別のところで彼らは悩み、楽しみながら生きてますよ。
投稿: passageiro | 2006.08.09 20:18
italoさん、passageiroさん、コメントありがとうございます。
メディア政治家は、逆風を利用して浮かび上がるという話をしていたら、小泉首相が、靖国参拝を終戦記念日もしくは、その前後で行う可能性が強いという話が飛び込んできました。これも逆風狙いですね。任期も最期だから、後のことはとりあえず気にしなくても良いということと、これまでのところ逆風を梃子にしてきた過去の成功体験がそうさせるのでしょう。しかし、日経の冨田メモの発見報道以降、風は、真っ直ぐには吹いていません。単純な逆風ならば、うまく乗ってみせるかも知れませんが、竜巻になる可能性がありますね。大見得を切ってみせても、誰も喝采しない、裸の王様状態になるのではないかと危惧しています。
passageiroさんによれば、長野は「日本の半歩先で格闘中」とのこと、「熱くなることなく、醒めることなく」やっていくことが重要とのお考え、全く同感です。
移民問題もご指摘の通り、総論はもう意味がありません。それぞれの立場で各論=肉弾戦をやっていく段階です。その中からしか、道はみえないでしょう。私は私なりの立場で各論をやって、できたらこのブログでも報告してみたいと思います。
投稿: katoler | 2006.08.10 18:54