ル・モンド・ディプロマティークのこと ~サヨクの新しい可能性~
ル・モンド・ディプロマティークというタブロイド版の月刊新聞がフランスで発行されている。日刊紙の「ル・モンド」は、良く知られているが、それとは別の編集方針を持ち、新自由主義に批判的な立場をとる左翼系クォリティーペーパーとして、フランス国内で30万部発行され、英語版、ドイツ語版、ネット上で発行される各国語版があり、世界中で150万人余りの人々に読まれている。
現在の編集長、イグナシオ・ラモネー氏は、彼が書いた記事がきっかけで、トービン税の導入を主張する世界的団体ATTAC(Association for the Taxation of Financial Transactions for the Aid of Citizensアタック)の設立に一役かった人物だ。メキシコの革命家、「マルコス副司令官」の紹介者としても知られている。
日本では死語となりつつある「左翼」
日本では、左翼という言葉が、半ば死語になって久しい。朽ち果てる寸前の社民党や妖怪跋扈するような日本共産党を見ていれば、「サヨク」と言葉にすることさえ憚れるのも無理からぬ話だが、ヨーロッパでは、左翼運動は、さまざまな進化を遂げて健在だ。
「ス
ローフード」という言葉が日本でも流行した。電通の仕掛けにメディアが乗せられて、知らぬ間に「ロハスフード」とかいうわけのわからない言葉に取って代わ
られてしまったが、イタリアのスローフード協会が提唱している、この「スローフード」という言葉の方が由緒正しい。「スローフード」とは、周知の通り、マ
クドナルドやKFCに代表されるファーストフードに対して、大資本によらない伝統的な地域の食材やレシピを大切にしようという「ライフスタイル運動」のこ
とを指す。この運動を始めた、イタリア・スローフード協会は、実は、イタリア共産党系の団体だ。ガストノミー(美食)に、正義と環境というコンセプトを注
入することでスローフードという概念は誕生した。「おいしくなけりゃスローフードとはいえない」といっているところが、いかにもイタリアらしいところで、
贅沢や快楽を糾弾する教条的共産主義者を感じさせないところが良い。、
頭でっかちな教条主義をヨーロッパの左翼は、早々と卒業して、人々のくらしやライフスタイルに根付いた運動を展開しているのだ。
ル・モンド・ディプロマティークは、日本語版(Web)が発行されている
ので、ぜひ読んでみてほしい。ノーム・チョムスキーやエドワード・サイードなど、欧米の硬派知識人がこぞって「ディプロ」には論文や記事を寄稿している
が、それよりも大きな特徴は、その「とっつきやすさ」にある。「サヨク」のメディアであるにも関わらず、教条主義的な説教臭さが微塵も見られない。
遺伝子組み換え作物の栽培を住民の合意で拒否したアフリカの農村の話や、コミュニティビジネスによって村おこしに成功したケベック州の村の話など、一般メディアにはほとんど載らないローカルな話が丹念に取材されて記事になっている。
個人とボランティアが運営するディプロ日本語版
驚いたのは、日本語版の翻訳・編集およびウェブサイトの運営が、斉藤かぐみさんという個人とその周りにできたボランティアネットワークによって支えられているということだ。最近、原書房から「ことばの仕事
」(仲俣暁生著)という本が出版されたが、その本の中で、斉藤かぐみさんのことが詳しく紹介されている。
斉藤さんは、もととも某国内電機メーカーで法務の仕事をしていたが、フランス留学の機会を得て、そこで「ル・モンド・ディプロマティーク」と出会う。世界各地で翻訳された各国版が発行されていることを知った斉藤さんは、日本語版をぜひ発行したいと思い立つ。
当
時、岩波書店の「世界」が、「ル・モンド・ディプロマティーク」の翻訳記事を掲載していたことから、一緒にやってもらうのが一番いいと「ディプロ」側から
言われ、岩波書店とかけ合うのだが、岩波からは、日本語版まで発行する気はサラサラ無いと断られてしまう。普通であれば、ここで諦めてしまうのだが、斉藤
さんは、なんと独力で日本語版を立ち上げてしまう。1998年から現在に至るまでの8年間、斉藤さんを軸にした同好会的ボランティアネットワークによって
日本版「ディプロ」は発行され続けている。斉藤さん自身は、「ノンポリ」で特定の政治信条をもってこの仕事を続けているわけではない。ただ、このメディア
が発信しているメッセージが世界から閉ざされたような言論環境にある日本の人々に役に立つはずだという一心で続けてきた。「ディプロ」では、食えないの
で、他の仕事もしているが、本業はあくまでも「ディプロ日本版」の発行人だという。
日本のメディア企業は、どうしたことか、ふたことめには「ビジ
ネスモデル」という言葉を連発して、結果としては毒にも薬にもならないようなコンテンツを垂れ流している。ディプロのような世界的に評価されているメディ
アの日本版をどこも手がけないというのは、考えてみれば異常なことだ。それを個人で引き受けて8年間やってこられた斉藤さんたちの仕事に心から敬意を払う
とともに、出版業界に関与している身として自らの仕事のありかたや、やりかたの反省としたい。
ところで、9月28日(木)に、このル・モンド・ディプロマティークのイグナシオ・ラモネー編集長が来日し、白金の明治学院大学で講演会が開かれる。斉藤さんも通訳として登場される。
ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊し、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を書いた時点で、確かに、世界の「左翼」は誰が見ても死んだも同然と なった。世界全体が資本主義の一色で染められたために、例えば、イタリアのスローフード協会や、ル・モンド・ディプロマティークを「左翼的」と分類して も、そうすること自体が、ほとんど意味を失った。
新しい世界の別の可能性
今、この世界で「サヨク的」というものが存在しうるとすれば、それは「新しい世界の別の可能性や仕組み」がきっと生まれるはずだという「願い」のよ うなものかもしれない。それは、斉藤かぐみさんが、ディプロ日本版を8年間も続けてこられた思いにもどこかで通じていることだろう。
ディプロのラモネー編集長が、世界に広く紹介した人物で、「マルコス副司令官」というメキシコの覆面革命家いる(覆面レスラーではない)。もともとは、マ
ルクス主義者のインテリでメキシコ先住民サバティスタの独立運動に関わっていたのだが、彼らと関わることで、マルコス自身が大きく変容した。マルクス主義
の教条的な部分を全て捨て去って、ありのままの現実を見るようになる。私は、彼自身が先住民の文化との出会いを通じて、革命家であると同時に詩人になった
のではないかと思っている。大変、魅力的な人物なのでマルコスについては、別の機会にこのブログでも紹介したいが、私が感動したマルコス副司令官の詩を紹
介しよう。ここには、新しい「サヨク」が何を見て、何にむかっているかが、イメージとなって語られている。
私たちは風である。私たちに息を吹きかける胸ではない。
私たちはことばである。私たちに語る唇ではない。
私たちは歩みである。私たちを歩かせる足ではない。
私たちは鼓動である。私たちを駆り立てる心臓ではない。
私たちは橋である。結びつく土地ではない。
私たちは途である。到達点でも出発点でもない。
私たちは場所である。それを占拠する人間ではない。
私たちは存在しない。私たちはただあるだけだ。
私たちは7回である。私たちは7回なのだ。
私たちは繰り返される鏡である。
私たちは反映なのだ。
私たちは窓を開けたばかりの腕である。
私たちは朝の扉に呼びかける世界である。
(カトラー)
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コメント
こういう柔軟性のみが、ナショナリストに対して有効に作用すると思いますよ。
・・・瀬戸内、金沢、信州と、夏からバイクや登山で回ってましたが、昔ほどではありませんが外人パッカーはまだまだ居ますね。
日本が平和だから余計なのかも知れませんが。
翻って幾人かと話してみたのですが、日本人若者のパッカーは確かに少なくなってますが、国内ならば一つには昔と比べて自家用車による旅行きが増えたという理由があるかも知れません。車中泊で宿代浮きますから。
試しに季節外れの平日に「道の駅」や大きな駐車場にそういう雰囲気で何時間か屯ってみてください。
情報交換か人寂しさ?目的で向こうから話し掛けてきたり、話してオーラを発してますよ(笑)
今回は良いサイトを紹介していただきありがとう。
小まめに目を通そうと思います。
投稿: トリル | 2006.09.23 00:27
トリルさん、コメントをありがとうございます。
バイクや登山であちこち回るというのは、実にうらやましい夏休みでしたね。
2週間ぐらいひとりで旅に出たいと思うことがよくあります。
投稿: katoler | 2006.10.01 17:19
http://2yangfifi.blogspot.com/
卑劣 卑怯 サヨクの隠れ蓑ブログ
投稿: のま−しー | 2010.09.27 11:03