頭の強い子の育て方、頭のよい子の育つ家
プレジデント・ファミリーの特集タイトルを見てもらえば、その徹底した編集方針がどんなものかすぐわかるだろう。
・頭のいい子の親の顔
・頭のいい子の生活習慣
・頭のいい親子の勉強法
・お金に困らない子の育て方
ここまでストレートなタイトルを、衒いも無く打ち出すというのは、そうそうできるものではない。「頭のいい子の~」というキーワードを編み出した編
集者こそ非凡というべきと思うが、この世で一番大切なことは「頭のいいこと」であり「お金に困らないこと」であるという本音メッセージが、この特集タイト
ルからは、ひしひしと伝わってくる。プレジデント・ファミリーという本は、ひとことでいえば、「自分の子供を勝ち組にする」あるいは「親子で勝ち組にな
る」ための雑誌といっていい。
私が学生の頃は「教育ママゴン」という言葉があって、「受験地獄」を引き起こしている元凶という風にマスコミから怪獣扱いされていた。当時の父親は、教育のことは母親任せ、たまに口を出しては、逆に「何にもわからないくせに!」とたしなめられているような存在だった。
親子一丸となって受験に邁進する時代
しかし、時代は変わった。
今や、父親も含めて親子は一丸となって、お受験や子供が頭のいい子に育つように努力するようになった。そのことに
よって、親子の絆が強まっているのなら、それはそれで結構なことだが、「頭のいい人間」になることと「お金に困らない」ことが、親子の間で一点の曇りも無
い共通の価値観にまでなっているとしたら、空恐ろしい限りだ。まあ、私がこんなことを言ってみても、プレジデント・ファミリーの愛読者からは、「負け犬の
遠吠えだ」と鼻で笑われるのが関の山だろう。よくよく考えて見れば、空恐ろしいのは、彼らの価値観というより、むしろ、そうした価値観を生み出す現実のほ
うかもしれない。体を使う仕事だけでなく、コンピュータソフトのプログラム開発まで、中国やインドに移転しまう「フラット化」した世界の中で、子供に対し
て高度な教育を与えることだけが、この社会で一握りの「勝ち組」になるパスポートであることを、親たちは体験的に知っている。
以前、このブログで「頭の良くなる家~子供たちを勉強部屋から開放せよ~」という記事をエントリーしたところ、大きな反響があった。はてなブックマークで、この記事は104名もの方々からマークさ
れ、このブログでエントリーした190本あまりの記事の中でダントツの評価となった。その記事の中で、麻布、開成、武蔵、桜蔭といったな有名中学校を合格
した子供たちの家を実際にフィールド調査してデータを集めた四十万さんのことを紹介したが、慶応大学の渡邊朗子助教授との共著で「頭のよい子が育つ家」(日経BP社)という本になった。 本になって、四十万さん話や、それを裏打ちしている渡邊さんの理論を読むと、あらためて考えさせられる所が多かった。受験生をもつ親や、プレジデント・ファミリーの読者にもこの本はぜひ読んでもらいたい。
頭のよい子が育つ家とは
本の中で、武蔵中学の入試問題が紹介されているのだが、これには驚かされる。社会の問題で、岩倉使節団のことが出てくるのだが、問題文を読みながら、そこに書かれた使節団が辿った航路を地球を俯瞰した白地図に書き込むことが求められる。さらに、以下のような問題――――
「中江兆民が活躍した時代には、世界との関わりは国が中心となると考えられていました。しかし、今ではわたしたちは一人ひとりの個人として世 界の中で活躍していくことができます。君はどんな態度で世界の人々と付き合っていきたいですか。中江兆民の考えも参考にしながら、君自身の考えを書きなさ い」
この問題を紹介しながら、四十万さんもいっているが、勉強部屋に閉じこもって参考書を暗記しているような勉強、そんな頭の良さでは、とてもこんな問題には太刀打ちできないだろう。
この本を最後まで読むと浮かび上がってくるのは、そもそも人間の「頭の良さ」とは何なのかという問いだ。そのことに気づかせるというのが、実はこの本の肝心な点であり、戦略になっている。
理論編を担当している慶応義塾大学の渡邊朗子助教授は、空間の知能化という問題を建築の視点から研究されていて、知能の発生や発達に、空間やそこにおけるコミュニケーションのあり方が深く関わっていることをわかりやすく説いている。
人
間の知性を育てる「教育空間」とは、コンピュータの回路空間のような整然としたものではなく、①見え隠れ ②回遊性 ③シーンづくり という3つの要素で
構成されるという。ここでは詳細は紹介しないが、子供の知性を育てる教育空間とは、極めて身体性に依拠した概念といえるだろう。知識や情報のデータベース
があらかじめ存在していて、そこからダウンロードするような形で、人間の知性や知識というものは形成されるわけではないのだ。実際、四十万氏が調査した有
名中学に合格した子供たちは、ほとんどが勉強部屋で勉強するのではなく、遊牧民のように、家の中を回遊していたり、リビングなど家族とコミュニケーション
が持てる空間で勉強していたという。
頭が強くて、お金が無くても困らない
「脳力」という怪しげな言葉が流行っているが、人間の知性とは、どこかのインチキ大学教授が大儲けしている「脳力トレーニング」みたいなものでお手
軽に向上させられるものではないだろう。通勤電車の中で、その教授が監修したトレーニングゲームを一生懸命やっている真面目な方を時々見かけるが、残念な
がら、そんなゲームをやったところで、ようするにインチキ教授のテストに対する習熟度が上がるだけだ。
人間の頭の良さとは、インチキテストや有名
中学の受験結果で測れるものではない。そもそも、そうした指標では捕捉できない力、すなわち、物事の本質や味わい(テイスト)など、言語化、指標化できな
いイメージのようなものを直感的に感じ取ることができる点にあると思っている。
計算がよくできたり、記憶力が良かったりという「頭の良さ」も確かに存在するが、そんなものは所詮、コンピュータにはかなわない。有名中学の入試問題でさえ、単純な計算能力よりも、自分で物事を思考できる「頭の強さ」が求められる時代だ。
プレジデント・ファミリーの特集タイトルに倣って、この世で大切なことは「頭が強い」ことと「お金がなくても困らない」ことであるといったら、やはり負け犬の遠吠えといわれてしまうだろうか。
(カトラー)
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コメント
小学校の教員をしている友人と「理想の子どもとは、どんなものだろう」と話し合ったことがあります。子どもを持っていなかったので、純粋な視点が持てたころでした。そこでの結論は「賢い体・丈夫な頭脳」。
どんなに頑丈でも、体は病に冒される。そんなとき、賢くそれを克服できること、自らの治癒力を磨くことが、大切だと思った。さらに、難問をスラスラ解けるより、「どうしようもな問題でも、なんとか解決の糸口を見出そうとするがんばる頭脳。
いま思うのは、それらを総合した「自己修正能力の高さ」です。社会に出たとき、これまでの経験と自己の考察を軸にしながら、周囲との関連で修正し、適応できること、と。そんな青年たちが、きっと未来を担ってくれると信じます。学歴、関係ありません。
これも負け犬の遠吠えでしょうね。
投稿: mm | 2006.09.10 19:07
最初プレジデントの批判をするのかと思ったら、読んでいるうちに、そうそう考える力大事だよなあ、プレジデントで書かれているのと同じ様な主張なんだなと理解しました。ところが、最後にまたプレジデントの批判をしているので、おやと思いました。
プレジデントはただ受験戦争に勝つ方法が書かれているのではなく、生き方の学び方を書いていたように思います(お金の話は読んでませんが)。そこに父親が参画する必要性を主張しているように思いました。
ただ、それは私が読み違えているのかもしれません。自分がそう思っているののでそういうところだけ同意しながら読んでいたかもしれないということです。
投稿: 悩む親 | 2006.09.11 01:23
子育て真っ最中としてのわが身に照らせば、相当の毒を含んでいると知りつつも、「頭のよい子」や「頭の強い子」といった言葉に、心が動かされてしまいます。
毒をなぜ感じてしまうかと言えば、「素直で元気な子に育ってほしい」という誕生の瞬間に口にする支持率90%の慣用句が、いかに意志なきものかを明らかにしてしまうからです。競争社会は、日本人の最後の「嘘」(大げさですが)も、カミングアウトさせそうです。
また、この種の議論に付きまとう「脆弱さ」や、エントリー記事にもあった様に「頭のよさ」という捕らえ方の多面性も、素直に「そうだね」って言えない一因でもあります。
ただ、作り手の理論のみで供給され続けた家を、利用者の頭脳次第で、スマートな空間へ応用でき、その空間は頭脳を再生産する、これはストレートなメッセージですね。
これが「お金に依拠しない強い頭の家系」への入場券なのでしょうか?
だとすると、その入場券はいくらでしょうか?
ちぇ!また金かよと言ってしまう、小生の頭脳が遺伝しないことを、つい祈ってしまいました。
投稿: あたり前 | 2006.09.11 16:28
コメントをありがとうございます。
人生にとって教育とお金が大事といっていたのは、実はユダヤ人ですね。国を喪い、流浪の民となった彼らにとって、頼みとするものは、教育とお金しかなかったということなのでしょう。翻ってこの国を見れば、戦後60年にして、流浪の民と同じ思いに駆られているのは、わたしたちが国を喪ったということなのでしょうか。「美しい国」なんって言っている場合じゃありませんね。
父親が教育参加するということは、決して悪いことではなく、むしろ良い行いだと思いますが、そのことによって、家族が要塞化したのではないかと思います。子供は、本来、皆の宝という意識が下町などにはあったのですが、サラリーマンばかりの世の中になって、他所の家の子供のことはどうでもよくなりました。大変、シニックな言い方になりますが、ひょっとすると「頭の良くなる家」とは、外部と隔絶された、家というシェルターの中にあっても、まともな子供を育てることができるという、最後のファンタジーなのかもしれません。
少し前まで、頭はそんなに良くないけれど、家族や周囲の人たちの愛情をたっぷり受けて気持ちよく育った、野菜のような子供が地方都市などに行くとたくさんいました。
「頭のいい子」が幅をきかす中で、そうした素直な野菜のような子たちの肩身が、どんどん狭くなっているような気がするのは、私だけの思い過ごしでしょうか。
投稿: katoler | 2006.09.11 22:17
Beat me! Insult me!
投稿: mesubita | 2006.09.12 05:24
I need you! I love you!
投稿: chick | 2006.09.13 00:52
家族の要塞化ですか... 非常にはっとさせられ、考えさせられる視点で、「野菜のような子供」とあわせ、ずっと考えています。
投稿: 悩む親 | 2006.09.26 22:33
People should be allowed to go naked in certain recreational areas only - Or specify those areas and you have another persuasive speech topic
投稿: anya | 2007.10.08 17:44