農業を成長ビジネスに変えた「植物工場」

日本の農村では、高齢化と後継者難から農地の荒廃が急速に進んでいる。
ところが、専門家によれば「農業」は、今や成長ビジネスとして位置づけられるようになったという。そんな成長シーンは、一体どこに行けば見れるというのか？と疑問に思っていたら、大手町のど真ん中に、その現場があった。

人材派遣会社のパソナが、旧大和銀行のビルに本社を移転し、金庫室として使われていた地下のスペースに植物工場「Ｐａｓｏｎａ Ｏ2」を造った。一般に公開しているので、誰でも見学することができるのだが、知人からその話を聞いて社会科見学をすることになった。

エレベーターで地下の元金庫室に下りると、そこには、ちょっとシュールな光景が広がっていた。太陽の光も届かない密室空間でサラダ菜、トマト、稲などが栽培されているのだ。日光の代わりに蛍光灯やハロゲンランプ、ＬＥＤなどを光源にして植物が育てられている。中でも、トマトを栽培しているルーム（写真）では、光の効率を上げるために部屋中にアルミ箔がはられていて、さながらブレードランナーの世界を思わせるシュールな近未来空間が出現している。

規制緩和によって農業にビジネスチャンスが生まれた

パソナが、大手町の真ん中で何故、野菜を作っているかといえば、農業が成長ビジネスとなり、リタイアしたシニア世代やフリーターの若者の間で農業に従事する希望者が潜在的に増えていることに目をつけたらからだ。規制緩和によって農業生産法人への株式会社の参入が認められ、カゴメ、キューピーなどの食品メーカー、外食産業などが、アグリビジネスに相次いで参入している。企業法人が農業ビジネスの主体になれば、そこにおのずと人材・労働力のニーズが生まれる。パソナはアグリビジネスの旗振り役を自ら買って出ることで、都市から農村へと向かう大きな人材の流れを作ろうとしているのだ。
ただ、「アグリビジネス」と呼ばれる新しい農業は、従来の労働集約的な日本の農業や、機械化によって規模の拡大を追求した米国型の大規模農業ともだいぶ様子が違っている。一言でいえば、それは、農園というより、工場と呼ぶべきものだ。

パソナが大手町に造った植物工場の設備やシステムを実際に納品しているのは、Ｍ式水耕研究所という、水耕栽培を手がけて４０年間というこの道のプロ。このＭ式水耕研究所の村井社長によれば、最先端の植物工場では、半導体工場のように、完全に外気から密封され、光源もパソナの植物工場のように人工光だ。さらに、無菌状態を担保するために、土は使わず、水耕栽培が中心となる。この状態で栽培されたサラダ菜は、土や雑菌がついていないので、洗わずにそのまま食卓に出すことができる。
「お日様を使わない、土で育てない」と聞いただけで拒否反応を示すナチュラリストも多いだろうが、実際にこうした植物工場で生産された野菜は、既に大量に市場に出回っている。例えば、コンビニで売られているサンドイッチに挟まれているレタスなどは、できるだけ無菌状態であることが求められるため、植物工場で生産されたものがどんどん採用されている。気候などによって収穫量が左右されないため、安定供給が保証されるので、外食産業も大口の買い手になっているという。

栽培技術の技術革新が進む

太陽の代わりに、人工光、土の代わりに人工養液を使うわけだから、自然の状態で栽培するのに比べて、生産コストは当然アップする。畑で栽培するのと収穫量同じだったら、とてもコスト的に合わないわけだが、技術革新によってその障壁が乗り越えられつつある。
例えば、水耕栽培のメリットは、季節要因、天候要因に左右されず、輪作障害の心配もないことで、年間に何毛作でも栽培が可能になることだ。さらに、植物の生育に最適な光量、光の波長域までが、最近の研究によってわかってきた。つまり、植物の発育時期、状態に応じて最も効率的な光と養分の与えることで、作物の収穫量を最大化する技術が確立されつつあるのだ。パソナの植物工場で見た、シュールなトマトは、まさにその見本で、「普通の路地栽培のトマトに比べて、４０倍の収量が上がる」（村井社長）という。４０倍という数字には、さすがに驚かされ、気味悪いとさえ思えたが、村井社長に言わせれば、「トマトが本来もっていた能力をテクノロジーによって引き出したもので、不思議でも何でもない」ということになる。
光源の技術革新も植物工場にとって追風となっている。高出力、省電力のＬＥＤ（発光ダイオード）やＬＤ（レーザーダイオード）の登場によって、ランニングコストが大幅に下がる見通しが出てきたからだ。さらに、最近の研究によれば、ＬＥＤやＬＤが発する赤色光が光合成に、また青色光が葉の正常な形態形成に必要とされていて、植物種や成長段階に応じて赤色光と青色光の最適な割合が存在することがわかってきた。パソナの植物工場でも、ハーブが赤色光だけ、青色光だけで生育している状況が展示されている。

リコピンを強化したサプリトマトも登場？

よくいわれる「水耕栽培＆人工光で作った野菜なんか、たぶん水っぽくて食べられない」というのも、実は偏見に過ぎない。むしろ養液の成分を調整することで、糖度の高い味の濃い甘いトマトやトマトの色素で抗酸化作用のある健康成分といわれているリコピンを強化した機能強化トマト（サプリトマト）なんていうものも作れる技術が既に確立されている。
実際、農林水産省は、バイオテクノロジー戦略大綱の中で、こうした機能成分強化型の農作物（健康増進型農作物）の栽培を奨励していく方針を示している。

村井社長によれば、これまで水耕栽培が最も高いシェアを占めている作物は、三つ葉だという。一般にはあまり知られていないが、日本で供給されている三つ葉の８５％が、水耕栽培によるものになっている。農薬を使わずにすみ、安全に生のまま食べれると点が評価され、三つ葉は短期間で水耕栽培に切り替わった。他の作物が植物工場で生産されるようになる日もそう遠くないだろう。

パソナの植物工場を一通り見学すると、ここで作られたサラダ菜を食べることができる。
一緒に回ったＳ君と一緒に、そのサラダ菜を食して見た。シャキシャキとして瑞々しく、サラダ菜の野菜の香りもしっかりとしている「結構イケルね」と２人で顔を見合わせた。

その時、蛍光灯の下、防塵服に身を固めた植物工場のスタッフが、サラダ菜を栽培している棚の前に立ち、収穫している姿が目に入った。

今後、農業に対する関心が高まり、都会の若者たち、特に人付きあいがあんまり得意でない、フリーターやニートの若者たちが田舎を目指すというのは、なかなか良いストーリーだ。しかし、太陽を浴び、土にまみれる農業に憧れ、都会を捨てて、野菜作りに飛び込んだ若者が、ひょっとして行き着く先が、この薄暗い植物工場だとしたら、これはＳＦではなくて、ホラー・ストーリーになるかもしれないと思えた。

（カトラー）