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映画「上海の伯爵夫人」と上海の箱庭世界

The_white_countess 上海が「魔都」と呼ばれた1930~40年代を舞台にした映画「上海の伯爵夫人」(ジェームズ・アイボリー監督作品)が上映されている。原作と脚本は、「日の名残り」などの作品で知られる日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロだ。

上海のことを「魔都」と呼んだのは、明治、大正期の作家、村松梢風(村松友視の祖父)だが、上海を言い表すのに、これほどぴったりした言葉はなく、伝説的なキーワードとして定着していった。「上海の伯爵夫人」では、映画の舞台となっている租界の状況が克明に描かれているが、当時の租界を形成していたのは海外から流れ込んできたディアスポラ(流浪の外国人)たちだった。この映画の主人公も、ロシア革命から逃れてきた亡命貴族で、革命以前は、貴族として一族とともに優雅な暮らしを送っていたが、上海では、まるで息をひそめるようにして貧民街で肩を寄せ合うようにして暮らしている。一族の生活を支えるのは、落魄してナイトクラブにホステスとして働くソフィア(ベリンスカヤ伯爵夫人)の稼ぎだけ。その収入が無ければ生きていけないことがわかっているにも関わらず、貴族としてのプライドから、一族はソフィアがナイトクラブに出かけていくことを嫌悪し軽蔑する。こうした物語の設定は、絵空事のフィクションではなく、当時、実際に起きていたことだった。

3万人のロシア人、ユダヤ人難民が流れ込んだ租界

租界には、帝政ロシアの崩壊前後に3万人を超える白系ロシア人が流れ込んだ。その頃、約15万人の外国人が居住していたといわれるから、短期間にその2割を占めたことになる。帝政ロシア軍の元将校やその家族が多く、国を追われて、生活のすべを失った難民に近い状態だったから、この物語に描かれているように、若いロシア人女性が、身を売って暮らしをたてたというのは、珍しいことではなかった。他に租界に大量に逃げ込んできた外国人としては、ユダヤ人がいる。ロシア革命やナチスドイツの迫害を逃れ、太平洋戦争までには、やはり3万人近いユダヤ人が上海に流れ込んだ。有名な杉原千畝のビザを得て独ソ戦直前のリトアニアから脱出したポーランドのアシュケナージ系ユダヤ人も、その多くが上海に流れてきた。 つまり、「魔都」とは、国を追われた寄る辺なき人々を世界中で唯一受け入れた都市でもあった。しかし、そこは安定した暮らしや幸せが約束されている地ではなく、欲望と犯罪と阿片が渦巻く「魔界」でもあった。

映画の主人公としては、もう一人、レイフ・ファインズが演じる盲目のアメリカ人元外交官トッド・ジャクソンが登場する。ジャクソンは、「国際連盟の最後の希望の星」といわれた優秀な外交官だったが、テロに遭遇して家族を失い、自らも視力を失って上海に流れてきた。そこで、ソフィア(ベリンスカヤ伯爵夫人)と出会い、彼女をマダムにした理想の店「夢のバー」を開店する。ジャクソンの「夢のバー」にとって、魅惑と悲劇性とあきらめに満ちた彼女こそは、理想の女性だった。しかし、その「夢のバー」は、盲目のジャクソンの脳裡にだけ存在していて、外界とは遮断された夢のような世界であり、この世には本来存在し得ないという意味で、もうひとつの「魔界」でもあった。魅惑と悲劇性とあきらめ、それは、別の表現をすれば、滅びることをさだめられた者たちが、織り成すデカダンス(頽廃)の世界であり、刹那的であるがゆえに、その美しさが見るものたちを魅了する。しかし、ジャクソンが作り上げた魅惑的だが箱庭のような世界は、日本軍の上海侵攻によって、打ち砕かれ、全てがカタストロフィに向かって進んでいく。

箱庭のようなデカダンスの世界

この映画を見ている間、ずっと考えていたのは、現在の上海のことである。今の上海をあえて「魔都」と呼ぶなら、魔物が棲むという「魔界」は、この街のどこに巣食っているのだろうか。上海には何回か行ったことがあり、その都度、この街の変貌の激しさと活力に驚かされたが、そこで感じられたのは、子供のような無邪気さであって、魔物を飼っているようなような得体の知れなさではない。浦東のシンボルになっている張子の虎のようなテレビ塔や、「世界で最初に実用化した!」と共産党の幹部が鼻高々で自慢するニアモーターカーなども、おもちゃを見せびらかす幼稚園児のようなもので、どちらかといえば底の浅さのほうが目に付く。しかし、最近になって、無邪気という言葉では片付けられない事態が進行しつつある。

中国共産党、上海市トップ解任、汚職事件に関与(産経Webより)

【北京=野口東秀】中国共産党中央は25日、国営新華社通信を通じ、上海の社会保険基金の不正流用汚職事件に関与したとして、党中央が同市トップの陳良宇・党委書記(59)を解任したと発表した。また、中国筋は、同事件にからみ黄菊副首相(党中央政治局常務委員)の家族が軟禁されたことを明らかにした。

更迭された陳良宇・上海党書記は、中国共産党の序列に従えば、上海市長よりも上であり、上海の権力機構のトップの要職にあたる人物だ。それが更迭されるというのは極めて異例のことである。日本の中国ウオッチャーの大方は、このことをおきまりの権力闘争ととらえ、江沢民の権勢が衰え、その庇護を受けていた上海派が政権中枢で立場を失いつつある証としている。そうした分析を否定するつもりはないが、あまりにステレオタイプな見方でなないか。問題の本質は、もっと別の所にある。

バブル崩壊に先立って露呈する政治スキャンダル

日本の10年前のことを思い起こせばよい。政治スキャンダルは、バブルの崩壊に先立って、地獄の蓋が開くように露呈してくる。バブルの連鎖が繋がっているうちは、皆がハッピーで鷹揚に構えているのだが、膨張が止まると妬みや憎悪が一気に噴出してきて、それが汚職やスキャンダルを呼び込むのだ。上海という都市は、浦東地区の開発がその発展の象徴になってきたように、もともと不動産の開発・投資が、成長の大きな動因になっていた。そのことは、当然、上海を根城にする共産党幹部が、巨大な開発利権を持ち、それによって富と権勢を誇っていたということを意味する。ところが、中国の不動産市場は、明らかに崩壊過程に入った。田中宇氏は、不動産バブルの形成の根本要因として、人民元をめぐる中国政府の通貨政策があることを以下のようにレポートしている。

「中国政府は、人民元の為替相場を政府が決定できるよう、民間企業に外貨を持たせず、民間が輸出などで稼いだ外貨は、いったんすべて中央銀行(中国人民銀行)が強制的に買い取るという「外貨集中制」を採っている。中国は2002年以来、毎年20ー 30%台の輸出増加をしているので、中央銀行が保有する外貨は急増し、最近では外貨準備額が日本を抜いて世界一になった。このことは同時に、人民銀行が外貨を買う対価として民間に放出する人民元が急増することを生んでいる。強制的に外貨を売って人民元を買わされた民間企業は、その人民元をどこかに投資して運用する必要がある。加えて、経済成長の恩恵で都市住民の貯蓄も増え、その資金も常に投資先を探している。中国では預金金利が高くないし、株式市場も不安定なので、主な投資先は不動産ということになり、不動産価格の高騰につながっている」

夜の上海の街を歩けば、すぐわかることだが、ここ数年、大量に建設されたマンションの窓には、ちらほらとしか明かりが灯っていない。投資・転売用に購入されたものがほとんどで、そこには誰も住んでいないためだ。黒々としたマンション群は、正に魔物が棲んでいることを思わせる。今の上海は、新たな「租界時代」にあるのではないか。映画に描かれた1930年代の租界は、国を追われた寄る辺なきディアスポラたちが主人公だったが、現在は、国境を越えて徘徊する多国籍企業や国際投機マネーが、新「租界」の主役だ。

「上海の伯爵夫人」で、盲目の元外交官トッド・ジャクソンは、外界と遮断された理想世界として「夢のバー」を開店して、その理想世界のオーナーとなった。考えて見れば、今の上海という都市は、ジャクソンの「夢のバー」と同様、外界から遮断された箱庭のような世界にも擬えることでできる。もともと浦東のような街は、人民元の為替相場をコントロールして、外の世界と隔絶することで呼び込んだマネーによって作り上げられた人工都市であった。さらに、膨張した人民元は、投機マネーという魔物に変貌して、この街のあちこちに巣食っている。

投機マネー、バブル紳士が跋扈している上海

浦東地区ばかりではない、投機マネーを握り締めた下司な連中が暗躍して、上海のあちこちで歴史的建造物を買い占めたり、インチキな中国アーティストに投資したりしている。そうした状況を横目に見て、昔のバブルの栄華が忘れられないのか、日本では終わってしまった黄昏た連中までが、もう一旗上げようと、上海に繰り出して「新ブランド」を立ち上げるなどと息巻いている。こうした反吐が出るような輩が跋扈してきたということ自体が、この街の無邪気で若々しかった時代が終わり、死臭が漂う魔界の世界に入りつつあることを物語っているだろう。

「上海の伯爵夫人」では、日本軍の侵攻によって、破滅的な終りが訪れる。ジャクソンの箱庭世界も粉々に破壊されてしまうのだが、映画では再生の物語が用意されている。この結末に関しては、個人的には少し異和感を持ってしまうのだが、注意深く見ると、原作者のカズオ・イシグロは、この結末をひとつの奇跡として描いていることがわかる。カズオ・イシグロは、日本人として長崎に生まれたが、5歳で父親の仕事の関係でロンドンに渡り、そこで教育を受けて、英国に帰化して作家として文壇デビューをはたした。難民の救援事業などにも関わった時期もあり、国を追われた人々に対する共感や自身のディアスポラ性に対する気づきが生まれて作家活動に入った。そうしたイシグロにとっては、この結末はひとつの希望、彼自身にとっての願いでもあるのだろう。奇跡とは、物語や映画の世界では、作者に許された特権かもしれないが、現実の上海の行く末に、美しいフィナーレが用意されているとはとても考えられない。

Mori_tower 浦東地区で建設中の森ビルの世界一の高さを誇るという森タワー(正式名:上海環球金融中心、Shanghai World Financial Center:写真)は、半分以上が組みあがりつつあるが、皮肉なことに、このビルが完成する頃には、このビルやこのビルが象徴する上海の箱庭世界というものが、実はバブルが生み出した砂上の楼閣に過ぎないことが露呈してくるだろう。

そして、数年もすれば、バブルに踊っている輩の屍が上海には累々と並ぶだろう。魔界の蓋が開いて、最期の晩餐会が始まったのだ。

(カトラー)

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