上海ヒルズとバベルの塔 ～森泰吉郎からのメッセージ～

森ビルが中国の上海市で建設中の地上１０１階建て超高層ビル「上海環球金融中心」（高さ４９２メートル）など都市開発プロジェクトの名称を「上海ヒルズ」と決めたことに対し、上海市当局が「まず英語ありきの名称は認められない」などと不快感を示していることが２２日、明らかになった。 （Fuji Sankei Business i.より）

森ビルが上海に建設中の超高層ビルに「上海ヒルズ」という名称をつけたことに対して、中国当局より待ったがかかった。

中国国内のビルの名称に「ヒルズ」という外来語は、まかりならぬというのが中国当局の言い分らしい。慌てた森ビルは、「ヒルズ」というのは、あくまでも「愛称」に過ぎず、正式名（登記名）が「上海環球金融中心」であることには変わりがないと苦しい言い訳をして、当局との関係修復に躍起になっている。ビルの名称という基本的な問題でギクシャクするというのも不思議な感じがするが、上海市トップの党書記委員が更迭されて、このプロジェクトを見る目が微妙に変化していることを伺わせる出来事だ。

浦東に世界一（現在は既に世界２位になっている）の高層ビルを建築するという上海ヒルズプロジェクトは、何度も実現が危ぶまれていた。当初９４階建で計画され、９７年にいったん起工したが、アジア金融危機で断念させられた。次に、全体で１０５０億円にのぼる資金の調達が問題となったが、三井住友銀行、三菱ＵＦＪ銀行など日系金融機関を含む５行が５００億円規模の協調融資を実施したことで建設工事がようやくスタートした。しかし、先回のエントリー記事にも書いたように、上海の不動産バブルは、砂糖菓子が溶けるようにグズグズと崩れ始めている。
私が上海の浦東に行った時には、ちょうど雨が降っていて、建設中の上海ヒルズは、霧雨に霞んでしまってほとんど見えなかった。
「五里夢中、バブルの塔か」というつぶやきが思わず口をついた。

上海バブルの象徴？

森ビルの創始者、森泰吉郎は、既に鬼籍に入っているが、亡くなる数年前に直接話を聞く機会があった。
当時は、品川の御殿山で森ビルが手がけていた再開発プロジェクト「御殿山ヒルズ」が完成する時期に当たっていた。
その時すでに森泰吉郎氏は９０歳を越えていたが、記憶や物言いに淀みがなく矍鑠（かくしゃく）としており、不動産事業に対して、徹底した哲学を持っていた。徹底した哲学とは、あくまでも地元（港区）にこだわったということだ。御殿山ヒルズは、オフィス、住居、そしてホテルまでを複合させた、当時の森ビルとしては初めてのプロジェクトであったが、開口一番「御殿山ヒルズはやるべきではなかった」と言い出したのには驚かされた。
理由は、簡単で、御殿山が品川区にあったからだ。森ビルのスタート、すなわち「港区の大家」といわれた、その来歴を見ればわかるように、関東大震災後、港区内の土地を買い続けたことが、森ビルという企業の最大の成功要因となった。
家業として営んでいた米屋と賃貸業を引き継ぎ、泰吉郎氏がオフィスビル事業を始めたのは、横浜市立大学の教授を退職して既に５０歳をこえてからのことで、その後は、港区内に買っていた土地を種地として、アークヒルズなどの再開発プロジェクトを進め、東京の不動産バブルで土地価格が高騰した際には、フォーブスの世界長者番付で３位にランキングされ、時の人となったりもした。しかし、本人はそうした世間の騒ぎには全く無関心で、ひたすら港区の土地を買い続け、ビルを建て続けた。

「蟻の目」を持って、港区の土地に徹底してこだわる

「なぜ、そこまで港区の土地にこだわるのか？」という問に対しても泰吉郎氏の答えは明快だった。
「子供の頃から育ち、小さな路地まで知り尽くしているから」
泰吉郎氏のような人物は、ある意味インタビューア泣かせである。というのも、よくメディアに登場するマスコミ好きな経営者のように、ビジョンといえるようなものを一切語らなかったからだ。
「自分が良く知っている港区の土地を買って、ビルを建てています」泰吉郎氏の話の内容は、つまる所これに尽きてしまう。しかし、このシンプルさが、森ビルという企業の最大の強みになっていた。

土地には固有の歴史や背景がある。そのことを地位（じぐらい）と呼ぶ。それは、そのまま土地の価値を表しているのだが、通り１本を隔てるだけで、この地位は微妙に変わってくる。泰吉郎氏の土地への投資とは、こうした地位（じぐらい）を読みきって行われていたといえるだろう。土地がもともと持っている地歴、格というものを正確に掴んで投資していくというのは、実は不動産投資の基本である。また、そうした土地に集中的にビル群を建設したことによって、森ビルは港区のビル賃料の相場に対して強い相場形成力・支配力を持つことができた。シンプルすぎて一見何も考えていないようだが、実は、泰吉郎氏の哲学は、不動産ビジネスの理にかなっていたのだ。

「鳥の目を持った人ではなく、蟻の目を持った人だな」というのが、当時の森老人に対して抱いた印象だった。最後まで、「御殿山をやることには、私は反対だったんだ」と言い続け、広報担当者が慌てふためいていたことが今でも思い出される。

泰吉郎亡き後の森ビルの変質

泰吉郎氏の死後、森ビルは大きく変わった。森ビルとして手がけるプロジェクトは、全国に広がり、ついに海をこえて上海にまで及んだ。港区の大家から世界一のビルを建設するディベロッパーへ・・・いつしか森ビルは、「世界ビジョン」のようなものを語りはじめる企業になった。
上海というのは、確かにディベロッパーにとっては魅力的な場所だろう。資金と中国共産党に対するコネさえあれば、地上げの苦労もないし、まるで箱庭でも作り上げるようにプロジェクトを立ち上げることができる。しかし、浦東に立っていると、この街には陰影というものが全く無く、全てが作り物の白日夢の中にいるような眩暈に襲われる。自分の体に染み込んだ土地に対する身体感覚を何よりも重要視した森老人がこの「上海ヒルズ」と名付けられた建物を見たら果たして何ということだろう。

東京のバブル時代もそうだったが、バブルの最中にいる人間たちには、自分が立っている場所が、砂上の楼閣であることに気づかない。オランダのチューリップバブルに始まり、東京の土地バブル、シリコンバレーを激震させたドットコム、ＩＴバブル、そして上海バブルという具合に、どんなに手痛い目にあっても、性懲りも無くバブルという現象がなくならないのは、（このことは、最近気がついたのだ・・・）人間は、結局バブルが大好きなんだと思う。

バブルと人間の関係

バブルとは一種のパラノイア、お祭りのようなものなので、多少のバブルは世の中を勢いづかせる。しかし、他方でバブルは人間を下司にする。バブルの世界とは、ババ抜きあるいはネズミ講のように、先抜けした人間が、大儲けをして、その他大勢が泣きを見る構造によって成り立っている。バブルの中でうまく立ち回った人間とは、要するに最後までババを掴まなかったということで、その他大勢の屍の上に立つことで自尊心を保持している。つまるところ、そうした精神構造自体が下司なのだ。１９９０年代の日本で、森泰吉郎は、不動産ビジネスを営み、東京の不動産バブルの真っ只中にいたが、決して下司にはならなかった。

旧約聖書の創世記に「バベルの塔」の話が登場する。後世、この説話は、天まで届く塔を作ろうとした人間の尊大さを神様が戒めた話として伝わっている。しかし、実際に読んでみると、神が塔を建設している人間たちが喋っている言葉をバラバラに通じ合わないようにしてしまい、工事遂行が不可能となったと書かれている。その結果、世界にはたくさんの言語が生まれたと、人類が多言語を持つに至ったわけを説明する起源説話になっている。人間は、それぞれの言語を持ち、それぞれの土地に根ざして生きることが、神の意志なのだというのが、ここで聖書が発しているメッセージだ。神は人間に対して、その尊大さを戒めたというよりは、森泰吉郎と同じように「蟻の目」を持てと言いたかったのかもしれない。

（カトラー）