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無花果の顔  ~虚無を飼い続ける女たち~

Ichijiku_no_kao_1無花果の顔」は、桃井かおりの第1回監督作品である。
彼女が原作と脚本も手がけているとあって、桃井かおりワールド全開!といった趣のある作品で、不思議な存在感を持った映画に仕上がっている。

その存在感を象徴するのが、映画の全編に渡って登場し、作品のタイトルにもなっている「無花果」の木である。この映画の無花果の木を見ていて、昔の我が家にも無花果の木が植えられていたことを思い出した。とにかく、丈夫な木で、放っておいてもスクスクと伸び、知らないうちに実をつけた。ほとんど手をかけずに済む植木であることが重宝がられて、当家やこの映画に登場する門脇家のような、昭和30~40年代に大量に建てられた小さな戸建ての庭に植木としてよく植えられていたものだ。幹に枝葉を茂らせるとそれなりに見栄えのする木なのだが、茎を折ると、乳のような白い樹液がドクドクと出てくる。実をつけると虫がたかったりするので、妙になまめかしい、木らしくない木だなあという印象をもっていた。

花は無くても、実のある人生とは?

「花は無くても、実のある人生」というこの映画に付けられたキャッチコピーが示すように、無花果は、この作品の登場人物の人生を象徴する存在になっている。
それにしても「花は無くても、実のある人生」とは、一体、何をメッセージしているのだろうか。

桃井かおり、中島みゆき、ユーミン(松任谷由実)の3人は、いずれも50代になりながら、今なお若い女性たちの間で存在感とカリスマ性を持つ女性アーティストである。
私は彼女たちのことを中島みゆきの歌に倣って「空をわたっていくのが似合うカモメ」たちと密かに呼んでいる。以前、このブログで「かもめ食堂」という映画について論評したことがある。そのエントリー記事でも触れたことだが、彼女たちに共通して流れているのは、大空を渡っていくカモメのような哀しみを湛えていることである。カモメたちは、自分がカモメ以外のものにはなれないことを知っていて、けっして群れることがない。そこで共有されているのは、月並みな言葉で表現すれば「自立した女性」が持つ孤独感や寂寥感といってもよい。その哀しみが、今の20~30代女性たちの心にも同じように流れているから、この3人は共感をもって受け入れられているのだろう。OL向けの情報紙シティリビングが、この作品の製作に参加しているのも、桃井かおりに続く、OLカモメたちが桃井に対して共感を持ち続けていることを示している。

桃井かおり、中島みゆき、ユーミンに対する共感

カモメたちの哀しみは、作品では独特の空気感となって現れてくる。「かもめ食堂」や「Lost in Translation 」にも共通して見られる虚無感を帯びた静謐な空気が、この桃井作品にも流れている。「かもめ食堂」や「Lost in Translation 」では、淡々とした時間が物語として流れる中で、ひと時、心を分かちあう仲間や恋人を得たりするのだが、桃井の作品では、その虚無感は、既に登場人物たちの家族関係の中に巣食っている。和気藹々のようでいて、はなれ離れの心、正気のようでいて狂気に満ちている家族という存在がコミカルなタッチで描かれる。
脳溢血で急死した夫の亡骸を前に、その日の通夜で必要になる「稲荷寿司と太巻き」を母親役に扮する桃井かおりが電話で注文するシーンがある。「鯖(さば)寿司の方が本当は好きなんだけど、お通夜には、ちょっと生々しくてダメでしょ」と品定めする姿は、主婦という生き物が、日常と非日常の間で、いかに巨大な虚無(ニヒリズム)を心に飼っているのかを見事に見せてくれた。

虚無を心に飼い続ける女たち

たぶん、アーティスト桃井かおりがこの映画全体を通じて観客に見せたかったのは、この「虚無」であったに違いない。この映画の中心の座を常に占めている無花果とは、その虚無の象徴に他ならない。それは、桃井かおりや、中島みゆき、松任谷由実といったカモメたちが、表現者として心の中にずっと飼い続けてきた魔物でもある。

とすれば、「花は無くても実のある人生」とは、そうした虚無に対する、桃井かおり流の回答と考えることもできる。むろん、人が人生で直面する虚無に対して、明確な答え、出口など、もともと示せるわけなどないのだが、この作品を通じて、桃井が映画の物語として用意した結末の筋書きとは、山田花子が演じている主人公(娘)が、私生児を出産することだった。白馬に乗った王子が現れるハッピーエンドでもない、家族団らんの幸福が約束されるわけでもない、白々とした結末(花の無い)だが、娘は、子供を生んで、とにかく新たな人生(=実のある人生)を自分の足で歩み始める。

映画のラストシーン、生まれたばかりの赤ん坊を抱えた娘と母親が、庭の無花果を眺めている。すると、花をつけないはずの無花果にぽっかりと白い花が咲く。それは、ずっと心に虚無を飼い続け、それでもなお前に進み続けてきた桃井かおりが、彼女の生き方に共感する、若きカモメたちにに与えたささやかな祝福なのかもしれない。

(カトラー)

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コメント

 カトラーさん、今晩は。
 コスメティックの記事で、トラックバックさせていただき、コメントを書いて、恥ずかしくて、しばらく、こちらのブログを覗くことができませんでした。今夜やっと、前回のTB,コメントについて、カトラーさんから、丁寧なコメント返しをいただいていることを知り、大変うれしく、思いました。ありがとうございました。
 今回のカトラーさんの記事は、女優桃井かおりに触れていらっしゃり、私も彼女が昔出演した映画の感想を書いたところでしたので、またまた、恥ずかしながらも、図々しくトラックバックさせていただきました。

投稿: うみおくれクラブ | 2007.01.18 00:00

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