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「美しい国」の食文化と国際標準

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和食「認証」やめます… 「支援」に2億7600万円

農林水産省は22日、19年度予算案で認められなかった海外の優良和食店を認証する新制度について財務省と復活折衝を行い、2億7600万円の全額が復活したと発表した。(産経Webより)

農林水産省が進めている「海外の日本食レストランの認定(支援)制度」というものがある。

松岡農林大臣が外遊した際に入った日本食レストランのあまりのまずさに激怒し、認定制度をつくると言い出したのがそもそもの発端らしい。松岡農林大臣によれば「日本食というのは高度に発達した芸術であり、美しくしかも本物の材料を使って訓練されたシェフが作りだすものだ」だから「我々は(海外でも)日本の食文化を守らなければならない」というものだ。
前回のエントリー記事の中で、この制度について言及したところ、玄倉川さんからトラックバックをいただき、そのブログで本制度を支持する立場から異論を展開されているのを拝見した。それにお答えする意味もあり、再び取り上げてみる。

この件は、昨年の暮れに農林水産省が制度化に向けて2億7600万円の予算を要求したことで、マスコミでも取り上げられ、海外でもワシントンポストなどから「寿司ポリスがやってくる」などと揶揄された。その後の経過を調べてみると、この予算要求を、財務省は認めずゼロ査定になってしまったのだが、松岡農林大臣の復活折衝で「認定制度」ではなく、「支援制度」とすることで復活が認められた。

認定ではなく支援制度として復活

「認定」ではなく、「支援」ということになり、「日本の正しい食文化を守る」と大上段にふりかぶったわりには、随分と腰砕けな結果になった。
だいたい、日本文化を守るという立場から「日本の食文化の認定」を行うこと自体、無意味なこととしかいいようがない。仮に日本の食文化というものが存在すると想定したとしても、国民食であるラーメンやカレーは、混血文化のたまものだし、問題になっている寿司にしても、カリフォルニア・ロールなどは、日本人だって大好きだ。そもそも「うまい」「まずい」という最も個人的な感覚に、文化の名を借りて政府が口を出すようになったら世も末だ。どんな変てこりんな「日本料理」を出していようが、レストランとしてお客に受け入れられ、商業的に成り立っているのであれば、とやかく文句をいえる筋合いのものではない。
食文化は政府や一握りの識者が創り出すものではなく、市井の人々の暮らしの中から生まれてくるものだということを忘れてはならない。また、文化にヒエラルキーや正統性の概念を持ち込むことも余程注意しなくてはならない。文化が人と人の交わりの中から生まれてくるもの、混じり合うものだとすれば、その交わりを誰も止めようがないし、ましてや、そこに上下関係などが入り込むはずなどないからだ。にもかかわらず、文化の純血性を主張することは、ナチスドイツが行ったように、そこに何かしらの政治的意図やイデオロギーが反映されていると見るべきである。

文化に規準を持ち込むことの愚かしさ

この認定制度の設置にむけた委員会の討議内容が、公開されていて、読んでみると、そこで議論されている内容は、至極まともな内容である。委員の中からは、文化と認定制度のありかたについて以下のような指摘も出ている。

「認証制度というものは基本的には一定の基準なりガイドラインをつくるというものでありますから、文化は基準に馴染まないものだと思います。・・・・(中略)・・日本料理の基準や規格を決めるということは、全く不要です。大事なことは、良い・悪いという基準を決めることではなくて、戦略的目標に沿って、ここで提案されているように食品産業の海外進出の後押しになるような、あるいは日本の農林水産の加工食品を含めた輸出マーケットをより多く扱っていく。それをいま、海外で日本食に対してこういうイメージのポイントらしくマーケット等を落とし込んでいくために、このテーブルはどんな認証制度をつくるかということで目標を決めていけば、割とこれからの議論は早いのではないかという感じがしています」(日本フードサービス協会、加藤委員発言)

そもそも、「日本の正しい食文化を守る」などと言い出したことが大間違いだった。実際のところ、松岡農林大臣や農林水産省の役人は、本心から日本文化を守りたいと考えていたのか、甚だ疑問である。本当は単に日本食を海外に売り込みたかっただけではないかと推測する。そのことは、海外から寿司ポリスと揶揄されたとたんに「認定」ではなくて「支援」にすると簡単に宗旨変えしたことからも明白だろう。だったら最初から、日本の農産物、食材の輸出促進のために、「日本食のブランディングと標準づくりを行う」といえば事足りた。

日本食のブランディングと標準づくりが重要

日本の食文化を「守る」ということと「広める」ということは、本来、正反対の課題である。「守る」ことが主眼なら、まず、なすべきことは、マクドナルドに子供向けのマーケティング活動を止めさせ、ビッグマックを喰う奴などは即刻刑務所送りにすることだろう。「広める」ことが目的なら、海外の消費者を躍らせる仕掛けが必要だ。この有識者会議のメンバーであるザ・アールの奥谷禮子委員がフランス発のボジョレーヌーボの例を引きながら「フランス人は、ボジョレーヌーボを流行らせることで、まずくて自分たちが飲まないワインを日本人に売り込んだ」と発言しているように、「日本人の食わない標準米や古米を輸出するにはどうしたらよいか?」という風に、ちょうど逆の視点から考えることが、この有識者会議のミッションになるべきだったろう。
規準づくりということには、2つの側面がある。ひとつには、越えるべきバー、すなわち「基準」を定めるということである。もうひとつは、市場の目安になる「標準」を定めるということだ。前者は、基準以下のものを足切りするためのものだから、外部に対して閉じられて排他的になる。一方、後者の標準のほうは、デファクトになることが最終目的なので、入り口の段階では、とにかく広く受け入れられるということが先決となる。ある標準が、デファクトとして強制力を持つようになるのは、それが市場の過半に受け入れられた後になる。今回の件で、愚かしいのは、「日本の食文化を守る!」とカッコつけたために、海外から「ポリス」よばわりされ、本来、海外市場で日本食のけん引役になるべき、外国人の日本食レストラン経営者から一斉に反発を買ってしまったことだ。今さら「支援」と言い換えてみたところで、いったん作られたポリスイメージは拭われることはないだろう。標準化、デファクト化の第一歩で大きな躓きをしてしまったのだ。

「美しい国」に擦り寄って標準化戦略に躓き

結局、今回の混乱は、農林水産省が、本来、日本の農産物の輸出促進のために議論すべき問題を、「美しい国」という中味からっぽなご託宣に結びつけ、点数稼ぎしようとしたために、基準と標準をめぐる議論がごっちゃにされたミスリードに起因している。もうひとつ、指摘しておきたいのは、農林大臣の松岡利勝という政治家の存在だ。この人物は、鈴木宗男の子分格として、立ち働いていたが、親分が失脚してからは、道路族としてマスコミに登場していた。この人物の真骨頂は、変わり身の速さで、小泉内閣が主導した郵政民営化では、反対から突然賛成に回り周囲を唖然とさせた。農林大臣の座を射止めたのは、その際の論功行賞であるとの声もあるくらいだが、その松岡にしてみれば、「日本の食文化を守る」と大見得を切って、「美しい国」計画に擦り寄って見せるなどということは、朝飯前の芸当だろう。海外で「ポリス」呼ばわりされたとしても永田町というムラ社会で点数稼ぎができれば、屁でもない。いい面の皮なのは、「美しい国」というからっぽなご託宣に付き合わされた挙句、2億7600万円もの血税を無駄遣いさせられるこの国の国民である。

(カトラー)

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コメント

玄倉川です。ご批判ありがとうございます。
カトラーさんのお考えは理解できたように思います。
まったく同意はできませんけれど。

ところで、タイやイタリアが行っている海外における自国料理レストラン認証制度、中国労働部労働局の厨師認定などについてはどうお考えでしょうか。これらも「ナチスドイツが行ったように、そこに何かしらの政治的意図やイデオロギーが反映されていると見るべきである。」ということになりますか?

それと、せっかくご批判くださったのですからトラックバックを送っていただきたかったです。

投稿: 玄倉川 | 2007.01.27 19:21

玄倉川さん、コメントありがとうございます。
制度を議論する場合には、その制度が誰のために、何を目的にしているのかをしっかり考えるべきですね。今回の場合は、日本食の普及が目的で対象は外国人です。世界的に日本食はブームになっていますが、それは、日本文化を海外の人々が評価しているからではありません。ヘルシーだったり、おいしいと受け止められているからです。日本文化を守ることは、大切だと思っていますが、海外のレストランのメニューに規制をかけるようなことが、日本文化を守ることになるとは全く考えていません。食文化とは、カワイイ文化と一緒で、人々の消費意識に関わる価値観であり、一般大衆、人々のものです。おいしいものは、受け入れられ、まずいものはすたれていく、それ以上のものでも以下のものでもありません。そもそも政府や政治家が介入する領域ではないのです。
今の日本食ブームやカワイイ文化のブームにしても、日本政府や政治家とは関係のないところで盛り上がってきたもので、それを松岡利勝のような政治家が目ざとく利用しようとしているというのが、今回の問題の本質的構図ですね。
イタリアやタイの認証制度について、どう考えるかというお尋ねですが、制度そのものがどのような文脈で考えられているのかが問題だと思います。イタリアは、トップクラスのレストランをターゲットにしてイタリア料理のブランディングをしようとしているので、食材の細かい規格まで定めているのでしょう。一方、タイの場合は大衆層が対象なのでイタリアよりも緩い。要はマーケティングの問題です。日本の場合はどうなんでしょう。海外で本格的な日本料理を出している高級レストランが対象なのか、回転寿司のようなファストフードが対象なのか、全然はっきりしていませんね。文化論などによりかかるからこういうことになり、制度として何をやろうとしているのか不明になってしまうのです。
納税者としては、「美しい国」なんていう、からっぽな言葉に騙されず、こうした税金の無駄遣いに対してはにもっと怒らなくちゃいけません。

投稿: katoler | 2007.01.28 10:42

玄倉川です。長文のご返答ありがとうございます。

ですが、残念ながら私には説得力が感じられませんでした。
日本が検討中の(繰り返します、あくまでも検討の段階です)和食料理店認証(推薦)は全否定なさるのに、現に行われている他国の制度についてまったく寛大なのはなぜでしょう。私には分かりません。「やるのならイタリアの(タイの)制度を真似ろ」という考え方はできないのでしょうか。
本文の「文化の純血性を主張することは、ナチスドイツが行ったように~」の部分を読んで、郵政解散のときの亀井静香を思い出しました。外国人記者クラブで会見した彼は、小泉総理をヒトラーにたとえて失笑されてました。

よく分かったのは、カトラーさんは安倍政権が大嫌いなんだな、ということくらいです。

投稿: 玄倉川 | 2007.01.28 18:22

食と記憶は密接につながっているので、まずい日本食をたべたことは、日本にとって好印象を与えないのは、玄倉川さんの言うとおりだとおもいます。食には、愛国精神がつきものだということは、自明です。食を文化の媒介物だと見なすとすれば、それを公的にコントロールすることは「文化政策」ということになりますが、今回の農林省の案には、その言説があまりにも危ういものでした。文化本質主義の立場に立っていて、エスノセントリックな権力欲が、透かすまでもなく表出されており、日本人として大変恥ずかしい思いをしました。
イタリアが認証制度をとっているのは、ベルスコニーニのような腐敗した政権下でできたからでしょう。しかし、その背景を知らないので、それを吟味するまでは、同線上に並べて比較べきではないとおもいます。

また、亀井静香が失笑されていたという逸話のくだりは、よく意味がわかりませんでした。論旨とは関係がないのではないでしょうか。

投稿: jq | 2007.01.28 19:43

低俗な理解と失笑されても構いませんが、松岡大臣の腹の内は今回も見えています。彼は彼なりの政治原理を培ってきました。政治は大義の偽装競争、未知の開拓は表の賞賛と裏の長期利権発芽という二兎作戦、為政者への近道は裏取引ボーナスによる連続昇進、スキャンダルは政治家の懐深さのバロメーター。かつて地方にゴマンといた、田中角栄気取りのボスが彼の正体でしょう。
でもこれがカワイクナイんだな、スケールが小さいのとやり方に獣の匂いがすることが。
農業に関わる新規開拓事業とは、海外展開でしょう。
日本の農産品を海外展開する、そのプラットホームとして日本料理店が既にインフラとして存在している、日本食ブームは他国のレストランに影響を与えフランチャイズ・コンサル・食材提供といった第二波もある・・・なんて考えているんじゃないでしょうか。
松岡大臣主導はどんな案も反対するってのも、最近なくなったでもオススメの政治鑑賞のスタイルです。

投稿: あたり前 | 2007.01.28 20:09

>jqさん
説明が足りず、申し訳ありません。
亀井静香の例は「嫌いな相手をヒトラーやナチに例えるのは悪魔化のレッテル貼りにすぎず、リテラシーの高い人には失笑ものの稚拙なレトリックである」ということです。
また、「悪」の形容として安易にヒトラーやナチを持ち出すのはユダヤ人にとって(そしてドイツ人にとっても)たいへん不愉快なことらしいです。ユダヤ人にとってヒトラーとナチの所業は他に比較しようのない絶対悪ですから。

投稿: 玄倉川 | 2007.01.29 00:40

 安倍総理の施政方針演説の中で「美しい国」という言葉が8回も使われたと意味不明な批判をしていた報道機関があったが、中国や北朝鮮の「強勢大国」を批判する以上のエネルギーを注ぎ込んで「美しい国」をこき下す言説こそ空虚ではないか。
 文化、食文化を考えるための記事を装ってはいるが、実はのみとりまなこで安倍批判のネタを探している過程で引っ掛かってきたのがこの話題だったとすれば、コメント欄がナチス・角栄・ヒトラー・金権政治家・亀井・ユダヤなどの言葉が飛び交い紛糾するのも無理からぬこと。

投稿: かかし | 2007.01.29 14:02

かかしさんは、まるで批判することを悪しきことのように書かれていますね。
批判をするのは、応援のひとつの形だと思います。阿部さんのことを本当に嫌いでしたら無視することでしょう。

投稿: ロジック | 2007.01.29 19:40

 批判のための批判は建設的ではなく、説得力を持たないと申し上げたかった。
 「応援」に繋がる批判は真正面からのものでなければならず、別件逮捕のような絡め手で外堀を埋めてゆく手法は卑怯であろう。なぜ安倍政権を支持できないかの本質的な事由を掲げて批判を始められないのならば安易なレッテル張りにすぎない批判は慎むべきだろう。
 

投稿: かかし | 2007.01.29 21:45

ここでの問題は「日本食認証制度」の是非なのに、安倍批判とか小泉のヒトラー比喩とか、まるで関係ないところで論戦が交わされています。
問題は「日本食」という文化を、政府という時限的行政機関が定義し、しかもそれに基づいて承認(ということは活動制限)していいのか、ということでしょう。
文化を定義することは、政府のやることではありません。安倍さんを支持しようがしまいが、「おかしい」ことにノーというのは、国民主権の根本です。もちろん、それに反論も当然アリでしょう。ここでカトラーさんは、ご自身の「日本食とそれに対する政府のスタンス」にご意見を述べられただけです。
安倍さんもいみじくも「国民にすべてのことに関して意見を聞く」と昨日の国会で述べられた(と私には解釈できた)。論点をすり替えることは、不毛でしょう。

投稿: もも | 2007.01.30 14:21

皆様
時間がなくて、コメントをなかなか返せず申し訳ありません。
まずは、ももさん、適切なご指摘ありがとうございます。
jqさんが疑問を感じられたように、私が亀井静香のようだといわれたのか、それとも文章レトリックが稚拙といわれたのか、良くわからないので、この点については、ノーコメントにさせていただきます。安部政権やその「美しい国」というキャッチフレーズについては、機会をあらためて、きちんと意見を述べたいと考えていますが、ここでは、「日本食の認証制度」に関する実質的な議論に絞って、再コメントさせていただきます。

>玄倉川さんの「イタリアやタイのように認証制度をいれることに意味がないのか?」という問について

本文および前のコメントにも書いたことで、繰り返しになりますが、「日本文化を守る」という文化政策としてこうした認証制度を導入すべきでないと考えます。ただし、イタリアやタイのように自国の農産物の輸出促進策やブランディングのために行うことは意味があることだと考えています。要するに文脈が大事ということで、当たり前さんが鋭く指摘されているように、今回の制度の導入は、松岡利勝という政治家の点数稼ぎと農産物輸出に関わる新たな利権創出にしかならないだろうと申し上げておきたい。
では、日本がこの問題に関してどのような施策を講じるべきか、いくつかアイデアを示しましょう。有識者会議で美濃吉の社長が言っているように、日本料理の最高峰を示したいのなら、ミシュランのような日本料理店ガイドを海外も含め全世界の日本料理店を調査対象にして発行するということが考えられるでしょう。「日本文化を守る」という名のもとに、ひとりよがりな基準を押し付けて排除の論理で選別を行うのではなく、グローバル視点で日本料理の最高水準を示すことの方が本来の目的を実現するためには早道になるということです。出版事業としてミシュランガイドのようにビジネスとしても成立させることができれば、税金を使わなくても済む可能性もあります。
普及品、大衆市場については、むしろ、「もっと日本の食材を広める」視点にたって、マーケティングを展開すべきです。例えば、日本の食材を使ったメニューコンテストを日本政府の主催で実施するということもひとつの方法でしょう。当然、ヘンテコ料理も集まるでしょうが、カリフォルニア・ロールのように、日本も含め世界的に受け入れられる新しいメニュー開発ができて、結果として日本の農産物輸出に大きく貢献することになるでしょう。食文化は、放っておいても自律的に融合していくものであり、そのことをむしろ利用していくことが必要です。

投稿: katoler | 2007.01.30 18:59

玄倉川です。
カトラーさんはイタリアやタイのような形であれば「外国における自国料理の認証制度」をお認めになるものと理解しました。本文中の「文化の純血性を主張することは、ナチスドイツが行ったように、そこに何かしらの政治的意図やイデオロギーが反映されていると見るべきである。」というラディカルな絶対否定の論調をいくぶんか修正なさったものと思います。
私はイデオロギー論争(「美しい国」是か非か)にも政治家個人の批判にも興味がありませんので、カトラーさんが「イタリアやタイのような形ならあり」という認識を示してくださったことをうれしく思います。
現在検討中の日本の制度が多くの人に受け入れやすい形で実現することを(カトラーさんは「やめてしまえ」とおっしゃるでしょうが)願っております。

投稿: 玄倉川 | 2007.01.31 00:33

 ある意味で、ももさんご指摘の通りにちがいない。
 「日本食認証制度」の是非、農水省の文化に対するスタンスが述べられているはずの本文が、まるで関係のない ー(安倍総理の)「美しい国」という中身のからっぽなご託宣ーと執拗に繰り返されて締めくくられてる。
 ならば、コメント欄で議論がすり代えられたとのご指摘はいかがなものか。
 
 カトラーさんによる、美しい国日本への真正面からの批判を期待したい。  

投稿: | 2007.01.31 15:55

カトラーさんのブログを「認証制度」賛成派のoverdopeさんに紹介させていただきました。

O V E R D O P E : マリコ・サンチャンタさんへ
http://overdope.exblog.jp/5052157

よろしければご覧になってみてはいかがでしょうか。
私はoverdopeさんの
「グローバリズムは、その対極にヴァナキュリズム(地域主義)があってこそのものである。 グローバリズムがますます加速する現在、ヴァナキュリズムはますますその重要性を増していると言える。 何でもかんでも「グローバリズム時代に合わない」からと切り捨てるのは愚かなことだ。 世の中にはたとえそれが普遍的なものにならなくとも、頑なに守っていかなければならないものだってある。」
という意見に強く賛成します。

投稿: 玄倉川 | 2007.01.31 18:47

地域主義を大切にするという考え方には賛成します。 だけれども、日本という概念自体が日本国民に広がったのは明治以降です。それまでは「近江人」「三河人」とか言っていたわけです。国民国家は近代の発明だといわれています。だとしたら「日本料理を世界に」というのは、「伝統」の正統性を持ち出す人には矛盾ですよね。むしろ、「薩摩料理を~」とか「遠州料理を~」とかいうべきでしょうか? それとも、「エンシュウ」なんて誰もしらないから「日本料理」なのでしょうか。

投稿: ロジック | 2007.02.02 02:40

薩摩料理も遠州料理も京料理も懐石料理も、日本で生まれ日本人に愛される日本料理であることに疑いはありません。ついでに言えば明治以来の「洋食」だって日本文化であり広い意味での日本料理です。

ですが、
「ニューヨークの日本風料理」や「パリの日本料理もどき」なのかというと大いに疑いの余地があります。普通の日本人が国際化だの文化の押し付けだのといったお題目を忘れて口にしたとき「これは違う」と感じるものは日本料理とは呼べないと思います。

投稿: 玄倉川 | 2007.02.02 18:46

玄倉川さん

当ブログを他のブロガーの方にまでご紹介いただき、ありがとうございます。基本的にどなたでも大歓迎ですが右翼や左翼か、政治的信条やらイデオロギーを開陳しあう場ではなく、もっと実質的なことを建設的に議論する場でありたいと考えていますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
さて、余計なことかなとも思いましたが、ひとことだけ。先の、コメントで私が自分の考え方なり論調を「修正した」とされていますが、そうではないことは、文章を読んでいただければよくおわかりかと思います。わたしは、美しい国というからっぽなご託宣のもと、松岡利勝という下司な政治家の尻馬にのって制度化されようとしている、この国の「日本食の認定制度」には、反対しておりますが、イタリアやタイの制度については、本文でもコメントでも、もともと一切言及しておりません。玄倉川さんの求めに応じて、私の考えをお答えしただけだということをご理解ください。日本が農産物輸出促進のために、何をやるべきなのかということについても述べさせていただきました。逆に玄倉川さんには、私がこの国の「認証制度」に対して提出した代替プランについてご意見があれば聞かせてください。松岡利勝が提唱しているプランの方が優れているとお考えになる根拠があるのなら、それをご説明いただければ幸いです。

さて、「グローバリズム」と「ヴァナキュリズム」との関係は、作用、反作用のように、同じ現象の裏表という形でとられることの方が現実に即していると思います。ロジックさんが、指摘されているように「日本」という概念も、黒船がやってきて、開国を迫られ、世界が見えた時に生まれた、国民国家の概念ですから、ひとつの幻想でしかありません。「美しい国」の議論も含めて、国家的なものに関心が集まるのも、グローバリゼーション、あるいは世界のフラット化ということが、まず現実としてあり、それに対する反発も含めた反作用として生まれていることだと考えます。

投稿: katoler | 2007.02.03 19:57

<薩摩料理も遠州料理も京料理も懐石料理も、日本で生まれ日本人に愛される日本料理であることに疑いはありません。ついでに言えば明治以来の「洋食」だって日本文化であり広い意味での日本料理です>


この倉玄川さんのコメントを分析しますと、「日本料理」というカテゴリーは、「薩摩料理」や「京懐石」という地方の郷土料理をひっくるめ(=統合・画一化)た表現ということですよね。それは、国内のグローバリゼーションということにならないでしょうか。国外にその画一化が進めばグローバリズム。国内ならば、それはナショナリズムとよばれる命名の差だとおもいます。

投稿: ロジック | 2007.02.04 02:17

 安倍首相ーからっぽな美しい国ー松岡ー日本食認証制度。
 性懲りもない。どんな伏線を張ろうとしているのかここで憶測することはすまい。
 幕末、数百の人間が鉄の塊で飛行して地球の裏側まで物見遊山に行くことなど幻想以外の何物でもなかったであろう。 当時、国民国家という発想が「幻想」と決めつけるほど荒唐無稽なことだったのか。熟考を願う。
 まして、多くの若者たちがその命を投げ出して 「国民国家」を実態を持つ現実のものとして現出させたことを見落としてはならないのではないか。
 いま、旅客機を幻想にすぎないという者がいないのならば国民国家もまたなんらかの意義を体現した実在であろう。
 また、グローバリゼーション、フラット化を出現させた主体を語らずに、作用反作用の力学で国家的なものへの関心の高まりと関連づけるのは短絡に過ぎるのではないか。その主体とは他ならぬ国家そのものと その明確な意図によるからである。 

 

投稿: かかし | 2007.02.04 22:28

玄倉川です。
カトラーさんのご意見は謹んで拝聴します(同意はしません)が、2007.01.30 at 06:59 PMのカトラーさんのコメントで
「>玄倉川さんの「イタリアやタイのように認証制度をいれることに意味がないのか?」という問について」ご返答いただいたはずなのに、今回のコメントで「イタリアやタイの制度については、本文でもコメントでも、もともと一切言及しておりません。」というのはいささか理解に苦しみます。
勝手ながら、「カトラーさんは日本が検討中の制度とタイヤイタリアが実行している制度を『美しい国』批判抜きで比較するつもりがないのだな」と理解しました。これ以上この件についてはお尋ねしません。
カトラーさんの「代替プラン」というのもよく分かりませんでした。私は松岡式(それが何を意味するのか知りませんが)でもカトラー式でもタイ式でもイタリア式でも、海外で日本料理に対する誤解(いい意味でも悪い意味でも)がこれ以上広まるのを防ぐ制度であれば文句ありません。

ロジックさん、私のコメントをわざわざ分析していただいてありがとうございます。
「日本料理」が日本各地の郷土料理をまとめた上位概念なのはたしかですが、それは「統合・画一化」とは違うものです。上下のカテゴリーを混同すると混乱が生じます。
さて、「日本料理」をサブカテゴリーとした場合、統合する上位カテゴリーは単なる「料理」か「アジア料理」ということになります。もちろん私もそのような上位カテゴリーの存在を否定しません。どこかの国の人が好き勝手にアレンジした日本「風」料理店をやるとき「創作料理店」とか「アジア料理店」と名乗るのはたいへん適切で結構なことだと思います。

投稿: 玄倉川 | 2007.02.05 01:16

この認証制度の肝は「食文化」なんていう、どうとでも解釈可能な抽象的な概念ではなく、政府の食料輸出政策の一環だということではないでしょうか。
「フランス 料理 食材 輸出」あたりで検索すればゴロゴロ出てきますが、政府はフランスを手本に、「日本料理」のブランド食材を輸出しようという腹です。(フランスは一部食材を国家管理するなど食材の保護・輸出に極めて積極的です)
農水省は最近、従来のカロリーベースの食料自給率だけではなく、生産額ベースの数値を押し出すようになっており、2005年頃からは生産額ベースでも10年後の目標設定を行うようになっています。
これは、低カロリーだが高価格な野菜などの食材へ生産をシフトし、輸入を積極化する政策へ転換しますという宣言なわけです。

ですから、松岡氏の「思いつき・スタンドプレー」的な書き込みが見られますがそれは誤りです。農水省(の一部チーム)はこの政策に数年をかけており、松岡氏は族議員の役割としてこの政策を表に出すために動いたに過ぎません。(どの省庁でも、政策の変動を見越して様々な作業チームが動いているもので、そこでは、まさにこのブログのテーマであるマーケティングを生業とする広告代理店やらシンクタンクやらがいろいろと動いています)
この政策は、黒船であるEPA/FTAに加え、小泉内閣以降の農水政策冷遇に対応するために窮余の一策であり、上手くいこうがいくまいが予算が取れる手の一つに過ぎません。
そんな中で「文化」についての議論をするなんて、相手の手のひらにのっているようで馬鹿馬鹿しいことだと思うのですが・・・

投稿: 長文スマソ | 2007.02.14 22:14

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