地域雑誌「谷根千(やねせん)」の休刊とジェントリフィケーションの罠
東京下町の情緒が残る町として人気スポットになっている「谷根千(やねせん)」。その名付け役にもなった地域雑誌「谷中・根津・千駄木」が、09年春に休刊することになった。作家の森まゆみさん(52)ら子育て中の母親4人が、84年10月に創刊。年4回の季刊で、郷土史や地域の魅力を掘り起こし、読者は海外にまで広まった。(MSNニュース:毎日新聞より)
地域雑誌「谷根千(やねせん)」が休刊するというニュースが、連休前に突然飛び込んできた。ニュース記事でも紹介されているように、この雑誌は、84年に創刊された、老舗地域情報誌である。
この雑誌が創刊された頃の根津は、高層マンションが不忍通り沿いにチラホラ建ち始めていたが、全国で最も人口当たりの銭湯の数が多い地区で、一歩露地に入れば、下駄履きの下町の雰囲気が色濃く残っている場所だった。当時は、「根津」といっても、一般の人々にはほとんど知られておらず、知っていたとしても「ああ文京区の谷間ね、あそこは昔、大雨になると必ず水が出たとこよ」などと言われるのが関の山だった。
その根津と谷中、千駄木をひとつの線で結び、「谷根千」と表現したことに、この地域雑誌の真骨頂と慧眼があった。その頃、ちょうど根津権現近くのボロマンションに間借りしていたこともあり、この雑誌を毎号読むのが楽しみだった。「谷根千」は、この土地の暮らしの基層に眠っている文化や歴史を発掘して紹介することを持ち味にしており、地元の古老などに丹念に取材してまとめられた記事は、平易な語り口ながら、地域の歴史や文化に対する深い愛情と知識に裏打ちされていて、とても感心させられた。果たして、この地域雑誌からは、発行人の一人であった森まゆみさんは、ノンフィクション作家として、メジャーデビューを果たした。
全国ブランドになった「谷根千」
「谷根千」の休刊宣言が、驚きを持って受け止められたのは、この雑誌が創った、谷中、根津、千駄木を意味する「谷根千(やねせん)」という名称が、今や、全国ブランドとなり、人気の町歩きのスポットになっているからだ。休日ともなると、東京メトロの根津駅には人があふれ、根津の有名店、串揚げのはん亭や、甘味屋の芋甚などには長蛇の列ができる。不忍通りには、万里の長城のように、高層マンションが立ち並び、その住人たちを目当てに、オシャレなカジュアルレストランが、次々とオープンしている。かつて、ステテコ姿のじいさんがヨタヨタ歩いていた露地裏も、下町ウォッチングにやってきたカメラをぶら下げたうら若き女性や、熟年カップルなどに占領されている。「根津に住んでいる私たちは、いつも見られているみたいでパンダになった心境よ」と昔から根津で育った、茶房はん亭を営む美保子さんは、苦笑まじりにそうこぼす。
都市再生の分野で、よく聞かれるようになった「ジェントリフィケーション(Gentrification)」という言葉がある。老朽化した都心部(インナーシティ)を再開発することで、高級地域化(Gentrification)することを意味する。ニューヨークのソーホー(SoHo)地区などが典型的なケースだ。19世紀末に建てられて廃屋となった繊維工場や倉庫に1970年代からアーティスト達が移り住むようになり、80年代以降は、高感度な地域というイメージが生まれ、ヤッピーと呼ばれる富裕層が移り住み始めてから不動産の高騰が始まった。地価や家賃が上がると、皮肉なことにこの街の可能性を開拓したアーティストたちは追い出され、後から進出してきた高級ブティックや高級アパートしか残らないという状況が生まれた。
資本の罠としてのジェントリフィケーション
このジェントリフィケーションというのは、世界的に共通した現象で、中国の上海でも莫干山路50号という倉庫エリアにアーティストが集まり、コミュニティができたが、その後、一気に開発と高級化が進み、同じような玉突き現象によって、コミュニティを最初に立ち上げたアーティストたちはどこか別の土地に移ってしまった。こうしたことから、ジェントリフィケーションとは、つまるところ、資本の罠と考えることができる。もともと誰も見向きもしなかった二束三文の土地に、アーティストたちが徴(しるし)を与え、いったんブランド化の兆しが見えるや、資本家は投資マネーを湯水のように注ぎ込み、不動産価格を高騰させ、値上がり益でガッポリ儲けるという寸法だ。
谷根千の休刊のニュースを聞いた時に、真っ先に頭に浮かんだのは、この「ジェントリフィケーション」の事だった。この雑誌が創刊してから、20余年、どこか鄙びたところのある街だった根津は、私などからすれば気恥ずかしさを覚えるくらい「オシャレ」な街に変貌してしまった。そのオシャレになった根津にマンションを購入して、最近、移り住んできた人々のことをとやかく言うつもりは毛頭無いが、彼らにとって、谷根千という地域は、快適で良い場所なのかも知れないが、この土地が宿している記憶のようなものには、もともと関心がないのだろうと勝手に想像している。
谷根千をつぶすな!
どの雑誌を見ても、同じような内容の下町特集を垂れ流しているが、そんなものでも眺めておけば、谷根千あたりのおいしいレストランだとか、新しいお店情報などを知るには事足りる。今更、この町の記憶を辿る気などサラサラございませんというのが彼らの本音だろうか。かくして、谷根千の住民は増え、街としての知名度も昔とは比較にならないくらい高まったが、谷根千の読者は、逆に往時の6割程度にまで減少し、採算ラインを保持することが難しくなってしまった。2年後の休刊を宣言したのは、ひょっとすると彼女たちなりの賭なのかも知れない。遅まきながら、私も定期購読を申し込んだ。「谷根千をつぶすな!」そうした声が、澎湃と起きてくることを切に望んでいる。
今でも、根津の街に足をよく運ぶ。不忍通りの両脇にそそり立つマンション群の間を歩いていると、この土地の記憶を封印した墓標のように見えてくる。
(カトラー)
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