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安部首相のカメラ目線と松岡農相の死

Abe_shinzou 安部首相がインタビューを受けている映像をテレビで見ていた時、表情がいつもと違っていることに気がついた。どうしてかなと思っていたのだが、先日、その原因がわかった。カメラ目線なのだ。以前は、テレビのニュース番組などでレポーターにインタビューを受けるとそのレポーターに向かって、やや伏し目がちにしゃべっていたのだが、最近は、カメラ(テレビ画面)に体の正面を向け、目線をまっすぐにしてしゃべっている。ルー大柴じゃあるまいし、一国の宰相が、衒いもなくカメラ目線で画面に登場するというのはどういうつもりなのだろう。

これは、面白いことを発見したと、得意になって周りの連中に教えてやったら、「安部首相のカメラ目線」のことは既に結構知られている話で、安部首相自身が、「力強く国民に向かって語りかける姿勢を示す」ために、意識的にカメラ目線でしゃべることにしたのだという。

カメラ目線のスタイルにしたのは、数ヶ月前からのことだから、憲法改正論議や、北朝鮮からアメリカに飛んでいくミサイルを見て見ぬふりをしていいのかという与太話を引き合いにした「集団的自衛権」の問題提起など、本来のタカ派的志向を鮮明に打ち出したことで、内閣支持率が上昇したことに自信を持ったということなのかも知れない。
一国の宰相を顔で判断するなどとんでもないと顰蹙を買いそうだが、私は、この安部晋三という人ののっぺり顔がどうも苦手である。真面目顔のカメラ目線で口をパクパクして喋られると、腹話術の人形を眺めているような気分になってくる。
日頃から披瀝しているタカ派的主張や憲法改正論議がこの人の信念であり、その信念を気まじめに実現しようとしていることもわかるのだが、発せられている声が、この人の肉声ではなく、どこか別の場所から流れ込んできて、「安部晋三人形」を媒介にして喋っているような錯覚に陥る。安部首相がテレビ画面に登場すると、この人の主張とその肉声との間に漂うアンバランスが気になってしかたがないのだ。

私心を持たない「お坊ちゃん」

安部晋三という人は、良い意味でも悪い意味でも「私心」を持たない人物なのだと思う。世間的にはタカ派といわれるが、強大な権力を持つ独裁者になりたいという野心があるわけではない。岸信介を祖父に持つ政界サラブレッドの家系に育ち、日本のエスタブリッシュ保守層がもっている世界観、価値観を、私心なく体現することが、自分のミッションであると心得ているのだろう。安部晋三が言うところの「美しい日本」という表現は、自分という存在はこの言葉に象徴される保守的世界観、価値体系の一部であることの表明であり、そうした価値観を実現することが自分の使命であると幼い頃から教え込まれてきた、あるいは彼自身もそれを信じてきたに違いない。わかりやすくいえば「お坊ちゃん」なのだ。

安部を貶める意味で「お坊ちゃん」と表現したのではない、この言葉が安部晋三的なものの本質を理解するキーワードになることを示唆したいだけだ。小泉路線の継承を標榜して登場した安部だが、小泉が持っていたようなトリックスター性やカリスマ性とは無縁の人間であり、小泉的パフォーマンスは逆立ちしても真似できないだろう。しかし、周囲から十分な愛情と承認を得ながら育った「お坊ちゃん」安部のキャラクターには、自分の手が届かない他人の所有物を羨む心性がそもそも存在しない。だから、小泉純一郎に対してコンプレックスを持ったことが無いはずだ。

安部批判に回らないエスタブリッシュ保守層

そして、保守層にとって、この「お坊ちゃん」は、60年ぶりに登場してきたかわいいプリンスである。戦後、ずっとタブー視されていた憲法改正を政権トップにあって、淡々と口にする「お坊ちゃん」が誕生したわけだから、保守的な人々にとっては感無量であろう。安部は、先の訪米前に米国の圧力に負けて、慰安婦問題に関して謝罪するという、みっともないダブルスタンダードを演じて見せたが、日本の保守系の論客、メディアの多くが沈黙を決め込み、そのことを捉えて批判に回るということが無かった。それだけ安部晋三という60年ぶりに生まれた「お坊ちゃん」のことが保守層の連中は可愛くてしかたないのだ。

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安部の対極としての松岡利勝

安部晋三とちょうど対極の顔が松岡利勝だった。松岡は、話をする時に人の顔をまっすぐ見ていない。コンプレックスの強い人物だったのだろう。松岡に近かった亀井静香が、成り上がりモノはたたかれるのが世の常であり、松岡もその犠牲になったと述べていた。こうした見方は一面正しいが、松岡の自死の動機を半分しか説明していない。成り上がりモノには、強いコンプレックスがあるが、逆にそれが梃子となり強烈な上昇エネルギーが生まれる。本来であれば、松岡は「ナントカ還元水」の問題で世間からバッシングされただけで死ぬようなナイーブな人間ではない。あえて死を選んだのは、そうした心に飼ったコンプレックスの代償物となる何かのために命を引きかえにしたということだろう。松岡が命と引き替えにまでして、手にいれたかったものとは何なのか。

石原慎太郎都知事が、松岡の自殺を「サムライだな」と評していた。身辺に不祥事が生じた場合、自分の名誉や主君のために自死するサムライの死になぞらえたのだ。近衛文麿以来の現職大臣の自殺という選択をした松岡が、死に臨んで最期の自分に投影したイメージとは、政治家生命の終わりを個人の命の終わりに重ね合わせる「サムライ」としての最期だったのかもしれない。言い換えれば、現職大臣として死ぬという死に方以外、自分の心に飼ったコンプレックスを宥めることのできる最期の姿をこの先、どれだけ生きながらえたとしてもイメージできないことを松岡は悟ってしまったのだ。

安部晋三的なモノへのコンプレックス

しかし、松岡の死が、サムライのように主君を守るためにものであったかとえば、むしろその逆だ。「主君」とは、この場合、安部総理ということになるが、松岡の自殺は、安部を窮地に追い込む結果になった。松岡の死の隠されたもうひとつの動機が、実は、安部晋三的なモノとの距離感(=コンプレックス)にあったのではないかと考えている。松岡の政界における政治行動を追っていくと、正に「成り上がり的」であり、安部晋三的なモノに対してちょうど対極に位置する。ポストを手にいれるためなら、なりふりかまわないというのが、松岡の生き方であり、事実、農林大臣のポストを射止めたのは、小泉内閣時代に郵政民営化法案に反対していた亀井静香のグループと袂を分かって、賛成に回ったことへの論功行賞といわれている。それだけ、農林大臣になりたかったのであり、もっといえば、そのポストをちらつかせられたために、賛成に回ったという推測もできる。
成り上がりモノとしての松岡利勝が、心に飼っていたコンプレックスの突き当たる場所は、結局のところ安部晋三的なモノになる。安部は、終始、松岡を擁護する姿勢をとり続けてきたが、それは、皮肉なことに松岡の心の分裂を大きくさせる結果に繋がった。もし、安部が松岡を切り捨てる姿勢をとっていたら、全く別の展開になっていただろう。

ソフトファシズム化する政界

だからといって、松岡の自殺は、安部晋三に責任があるなどと強弁するつもりはない。ただいえることは、田中角栄以来、綿々と続いている政治とカネの問題の基底には、エスタブリッシュ保守層と経世会の政治家に象徴される成り上がりモノとの間に存在した暗闘の歴史があり、結果として、安部晋三「お坊ちゃん」的なものが政界を席巻することが、松岡の死によって決定づけられたということだ。
この国の政界では、政治資金の透明化、コンプライアンスなどと、聞こえのいいフレーズばかりが金科玉条になって独り歩きしているが、こうした動きが、田中角栄や鈴木宗男、松岡利勝を結ぶ成り上がりモノの系譜を排除していく論理として機能してきたことも見ておく必要がある。数年前までなら、それが5百万円という金額であったとしても議員事務所の光熱費などが、問題にされることなどありえなかっただろう。金権政治家を擁護するつもりはさらさらないが、田中角栄的なものを異物として排除していく過程は、喫煙者を締めだしていく禁煙ファシズムにどこか似ており、政界が、安部晋三のようなのっぺり顔の政治家やテクノクラートばかりが蔓延るソフトファシズムのような世界になるとしたら、ゾッとして虫酸が走る。「美しい日本」の一部であることを標榜する安部はクリーンかもしれないが、衒いもなくカメラ目線で、集団的自衛権について語るあの生真面目さは危険である。

松岡利勝農林大臣の自殺が伝えられた日の夜、安部首相は、テレビカメラの前に立って、「慚愧に堪えない」というコメントを発した。誰にいわれてそうしているのか、生真面目な安部はこの時もカメラ目線だったが、その眼差しはどこか落ち着きが無く虚ろだった。

(カトラー)

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Comments

 育った家庭環境や顔かたち、生真面目さを嫌悪の対象として その感情が堂々と表に顔を出せるような場所は 中学・高校のいじめ教室の中くらいだろうと思っていた。
 自意識過剰うぬぼれの代名詞「カメラ目線」にしても、くだらぬバラエティー番組の中で人をこばかにした笑いをとるために お笑い芸人だけがボケとツッコミで使用する言葉だと思っていた。
 物事の優先順位が解らない幼稚さと 幼稚さが常にはらんでいる冷血が、いい年をした大人によってブログという新たなステージを得て表出してくるとは思いもしなかった。
 顰蹙を買うと「わかっちゃいるけどやめられない」、理性のコントロールを失った稚拙な安倍評である。
 「知の巨人??」立花隆の御乱心記事「安倍首相は紙オムツを手放せない、早死にする」に匹敵する出来栄えだと申し上げたら、かえってあなたを喜ばせてしまうのだろうか。
 
 それにしても、ファシズムにソフトとハードの別があるという御説には笑わせてもらった。ノーベル賞を受賞した学者の説だとしても私には受け入れられない。
 
 安倍総理のカメラ目線と集団的自衛権を語る生真面目さを危険だと思っているのはあなただけではないようだ。
 中国・北朝鮮というハードファシズム?(失礼 ちょいと拝借)が最も危険視している指導者の一人こそ安倍晋三なのである。
  彼らファシストたちはそれぞれに 台湾・韓国への武力侵攻を法律に明記して世界に公言している。国家目標なのである。
 ヒトラーのオーストリア併合を地でゆく暴挙の企みなど、日本が集団的自衛権を行使できるというだけで 実際に行使するまでもなく露と消えてしまう運命なのである。
 それが軍事情勢の常識であるからこそ彼らは、あなたのように「アメリカとの集団的自衛権という与太話」などと吹聴してくれる人間を 日本で増やそうと必死の努力を傾けているのである。
 彼らは さぞかしあなたのような人をかわいく思い 重宝だと思っていることだろう。
 彼らも 「安倍」と聞いただけで虫酸が走っていることだろうが、総理のカメラ目線まで気にしているとは思わない。
 
 あなたが見たという安倍総理の虚ろな眼差しとは、安倍総理の瞳に映ったあなた自身の冷えびえとした心の空虚ではなかったか。

Posted by: かかし | 2007.06.10 at 10:47 PM

この「かかし」とか言う人の書き込みが今の時代を象徴しているようだ。権力批判をした人に対して不快を示し、まるで議論にならないいいがかりをつける。しかも匿名だ。どうせ匿名なら「いなご」という風にしておけばよかったのではないだろうか。

Posted by: 通りすがり | 2007.06.11 at 09:23 AM

>どうせ匿名なら「いなご」という風にしておけばよかったのではないだろうか。

アルファ(wブロガーの尻馬に乗るお前が一番かっこわるい。
通りすがりの君こそ、「いなご」という風にしておけばよかったのではないだろうか。

群れないいなごは無害ですし。

Posted by: POI | 2007.06.11 at 10:24 PM

腹から発する情報(あまりにアナログで申し訳ない)が少なすぎる、これが今の政治の実情ですね。でも現代の優等生とは、腹話術の達人ですよね。小学生から腹話術を学習して、正確な模倣を繰り返す能力を優秀と評価するシステムを作り上げている以上、安部さんの誕生は必然だったのではと思います。でも安部首相の危うさは、それが誰といった特定の人物や人格の影響と断じられないことにあるような気がします。保守エスタブリシュメントの総意というべき、著作不明の教科書を丸暗記している気がしてなりません。特定の影響者が存在しない安心感の向こう側で、気がついたら拡声器だけで人間が存在しない「時計じかけの政治」に陥っていると感じるにのは、心配しすぎですか?

Posted by: モイス | 2007.06.12 at 12:22 AM

かかしさん、相も変わらずのコメントご苦労さまです。
誤解されると困るのは、私が顔かたちについて云々するのは、政治家についてだけですね。
それも、この国の首相ともあろう人物を「いじめ」の対象にするなど、とんでもないこと。私と安部首相を比べれば、どちらが比較優位にあり、いじめる側がどっちなのかは、よほどのアホでもないかぎり、わかりそうなものです。それに、「40をすぎたら自分の顔に責任を持て」というリンカーンの言葉を引くまでもなく、顔(ペルソナ)とは、人格の座であり、政治家としてのコミュニケーション力をそのまま体現しています。そう考えるからこそ、安部さんも「カメラ目線」などを工夫して、少しでも自分の顔を良く見せようと腐心なさっているのでしょう。もっとも、そんな、つまらん小細工をする前に、慰安婦問題で謝罪するというような、みっともないダブルスタンダードをやるべきではなかったと思いますが、かかしさんは、この点どのようにお考えですか。
日本の保守の論客といわれる方々の多くも、アジア諸国に対しては強気にでるくせに、安部の言動には大甘のようです。西尾幹二氏ぐらいですかね、この問題についてきちんとした批判を行っていたのは。
それと、ファシズムに関して、ステレオタイプな見方はしないほうが良いですね。ヒトラーや金正日のような独裁者がいるからファシズムが成立するのではありません。異論を認めない精神構造そのものが、ファシズムの元凶です。健康の名において、喫煙者を排除する禁煙ファシズムも同じ精神構造のもとにあります。私はタバコは吸いませんが、不健康でもかまわないという喫煙者の自由まで糾弾しようとは思いません。
この国に蔓延りつつある妙な生真面目さこそが日本を危うくすると思っています。かかしさんも、もう少し肩の力を抜いたほうが健康と日本のためによいですよ。

Posted by: katoler | 2007.06.12 at 01:28 AM

 政治家以外の人間に対して、行うことが憚られるような事は 政治家に対してもしてはならない、社会人のモラル・常識である。極左や極右がするような身勝手な線引きは危険だろう。
 あなたは リンカーンの許可をもらって他人の顔を無責任だと攻撃できるようだが、どんな基準で責任の持てる顔との線引きをなさっているのかは知りたくもない。 
 肩の力を抜きすぎて精神まで弛緩させては元も子もないのではないか。
 ブログ本文を読んで 安倍総理があなたにいじめられているなどとは全く思いもしなかったし、思ってもいないことをコメントに記した覚えもない。いじめ教室とくだらないバラエティー番組を引き合いに出して「幼稚」を語っただけである。生真面目を笑う前に 自分のブログに寄せられたコメントくらい真面目に読んでもらいたいものだ。
 安倍総理がカメラを見て話すのは自分の顔を良く見せるため、政治家の顔はコミュニケーション力の体現、スタイルに気をとられていい加減なことを記すのはやめたほうがよい。
 
 この謝罪がダブルスタンダードではないことを十分にご承知のうえのプロパガンダに反論するほど虚しいことはない。が、せっかくなので、あなたが 慰安婦問題で安倍総理がみっともないダブルスタンダードを見せたと決めつけられておられる件について申し上げておきたい。
 「慰安婦の方々に人間として心から同情する。日本の首相として大変申し訳ないと思っている。・・・20世紀は人権が世界各地で侵害された世紀で、日本にもその責任があり、例外ではない。」
 これが安倍総理の謝罪である。保守の論客に限らず、この安倍総理の持論に対して批判などあろうはずもない。安倍総理やあなたが指す保守層が「謝罪などしない」とした対象は、「日本軍もしくは日本国が数十万にも及ぶ一般女性を 組織的計画的に人間狩りして性奴隷にした」という荒唐無稽な作り話・プロパガンダなのである。
 すでに米国議会調査局が慰安婦問題に関する報告書を作成している。日本軍は慰安婦の懲募を直接には実行しなかっただろうという内容でる。
 アジアのごくごく一部では、政治宣伝部隊が地団駄踏んで悔しがっているだろう。哀れなものだ。
 安倍総理のこの謝罪と狭義の強制性はないとの発言で、河野官房長官談話の継承に矛盾がなくなるということだろう。見事なお手並みといってよい。とても腹話術の口ぱく人形の仕事とは思えない。
 
 ステレオタイプのファシズムとは一体何のことやら。
 学術的意味を離れて使用されるファシズムなる語は、プロパガンダで多用される単なる「蔑称」でしかない。
 そもそも学術的語義(これもいいかげんなものだが)ではアジア人がアジア人に対して使う用語ではない。
 蔑称にまで堕ちた用語の正しい使い方など、例の政治宣伝部隊内での議論に任せたい。
 この上さらに、ファシズムをソフトだ、ハードだと細分化して勝手な意味付けをしたところで レッテル張りの対象が増えるだけではないか。ばかばかしい。
 私は中国・北朝鮮をファシズム ファシストなどと前のコメント以外で一度も使ったことはない。こちらにお邪魔して敢えて俗用した私の羞恥をお見逃しか。
 本文で「ソフトファシズム」と目にして思い浮かんだのは西尾氏の名前だったのだが、反米感情が優先順位の最上位にまで上り詰めてしまった学者の幼稚さを思い 彼のために惜しむ。
 異論がすべて認められ実行される場がこの世のどこに存在するというのか。
 異論を持つことが許されない事と異論が認められない事の違いが解らないあなたではないはずだが。
 人は、他人の痛みが解れば解る程ムキにもなり 生真面目にもなる。そういうものではないだろうか。自分のためだけに生きられるほど人は強くないと思いたい。 
 
 
 
 
 
 

Posted by: かかし | 2007.06.12 at 07:04 PM

安倍のナメクジ顔を見ていると気持ち悪くなるのでできれば安倍の写真を削除してもらえたらありがたいのですが

Posted by: 通りすがり | 2007.06.26 at 11:52 AM

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