ジェントリフィケーションの錬金術と向島ルネサンス
このブログの「谷根千(やねせん)」に関するエントリー記事でも取り上げたが、都市再開発の手法に「ジェントリフィケーション」という考え方がある。
根津はもともと交通の便の悪い、ひなびた下町に過ぎなかったが、地下鉄・千代田線の開通で都心へのアクセスが良くなったことをきっかけに、80年代に入ると、アーティストや編集者たちが移り住むようになった。
開通した千代田線が表参道、青山などに通じていたことから、デザイナー、エディター、ハウスマヌカン(こんな言葉がありましたね)といった、カタカナ職業と呼ばれた人々が、ここを住処にし始め、「谷根千(やねせん)はオシャレな人たちが住む町」というイメージが定着していった。
荒廃した街の特定ブロックにアーティストなどが移り住むことで、そこに「徴(しるし)」が付与され、投資と再開発が進み、街の姿が一変していく過程をさして「ジェントリフィケーション」というわけだが、根津のケースもこれに相当することを知ったのは、随分と後になってからだ。誤解があってはならないのは、このジェントリフィケーションのプロセスは、森の植生や生態が変っていくように、ほうっておけば自然と進行するわけではなく、明らかに意図され、仕組まれたものであることだ。
資本の論理としてのジェントリフィケーション
意図とは「資本の論理」と言い換えることができる。
タダのような土地に目を付け、そこに再開発と投資を集中させることで、荒廃した土地がブランド地域に様変わりする。その結果、地価や家賃が跳ね上がり、資本家は、めでたく値上がり益とともに投資を回収することになる。この錬金術に従えば、平均的な住民が住み、それなりの都市インフラを持っている地域よりも、むしろ、誰からも見向きもされずスラム化した地域の方が投資対象として「面白味がある」ということになる。ニューヨークのハーレム地区のようなスラム地域が、しばしば再開発の対象になるのは、要は「投資→リターン」を最大化できるからであり、決して劣悪な環境にあえぐ地域住民のことを考えて物事が行われているわけではない。
その証拠にアメリカなどでは、ジェントリフィケーションの進行とともに家賃が上がり、もともと住んでいた住民が、他のスラム地域に追い出されるという現象が必ず見られる。
ただし「見向きもされないようなスラム化したような地域」といっても、どこでも良いというわけではない。例えば、地方都市の寂れたシャッター商店街などは、良いか悪いかは別にして、どう転んでも錬金術の対象にはなりえない。株投資と一緒で、投資先となる土地が、何かをきっかけに、ブランド化された土地に化ける潜在力を持っているかどうかが問題となるからだ。
では、東京で、現在こうした錬金術の次の候補地となる場所は何処なのか?
そう問われれば、私は、断然、向島を推奨したい。
錬金術の次の候補地は向島だ
向島では、根津がジェントリフィケーションの過程に入って行った、ちょうど前夜のような状況が生まれつつある。まず、都心までの交通アクセスが改善された。東武伊勢崎線が半蔵門線と乗り入れたことで、向島で最寄りの「曳船」駅が渋谷や表参道と直結することになった。加えて、隣接する「押上」には、2011年に第二東京タワーが建設される事が決定している。
街の「錬金術」は、アーティストたちが、その土地に注目することから始まる。向島界隈には4~5年前から、この地に惹かれたアーティストたちが移り住んできており、東向島では廃工場を利用したアートスペース「現代美術製作所」が、また、押上にも木賃アパートを改造したカフェ&アート空間「SPICE Cafe」がオープンした。
向島で個人的にも注目しているのは、曳船駅から7~8分歩いたところにある「鳩の街商店街」という場所だ。クルマがかろうじてすれ違うことができる狭い商店街の道が隅田川に向かって伸びていて、そこに小さな商店が寄り添うように立ち並んでいる、一見どこにでもあるような寂れた商店街だが、実はここはかつて赤線のあった色街であったという特異な歴史を持っている。
赤線として栄えた鳩の街商店街
鳩の街に近い玉の井(東向島)には戦前から永井荷風の墨東綺譚で知られる「玉の井遊郭」があった。ところが、東京空襲で被災したために、遊郭がここに移ってきた時期があったのだ。鳩の街商店街は、戦中から戦後にかけて、色街として繁栄するが、昭和33年に売春禁止法が施行され、急速に寂れてしまった。吉行惇之介の小説「原色の街」はここが舞台となっており、色街として栄えた当時の状況が描かれている。女優の木の実ナナの生家がこの商店街の中にあり、赤、青のネオンに彩られた夜の風景の中で彼女は育ったのだとい
う。
この商店街を歩くと、昭和の匂いがたちこめていて、タイムスリップした感覚に襲われる。櫻井旅館という、もとは待合(まちあい)として使われていた建物が残っていて、売り出し中の看板が出ていたので、不動産屋に頼んで中を覗いてみた。四畳半ぐらいの小部屋に細かく仕切られた、独特の造りで、遊郭として栄えた当時の雰囲気がそのまま残っている。表玄関、裏玄関、それに側道の路地に面してヒト一人がかろうじて通れるようなドア玄関があり、この出入口を利用して男や女たちが、人目を忍んでこの待合を利用したことがうかがわれる。こうした、かつて「待合」だった建物が、都内にもまだいくつか残っているがいずれも老朽化しており、先頃も湯島の天神下にあった旅館が取り壊された。この櫻井旅館も、旅館としては、とうに使命を終えて廃業してお り、このままでは建物も解体されるのを待つだけの運命だ。
昨年、この商店街に「こぐま」というカフェがオープンした。商店街の軒割り長屋をカフェに改造し、若いアーティストのカップルが店を経営している。若い二人は向島とは、もともと縁もゆかりも無いとのことだが、この商店街の雰囲気がきにいり、昭和初期を思わせるレトロなカフェを開いたのだという。店内には、マスコットの三毛猫が歩き回っていて、どこか懐かしい時間が流れている。 あと、数年もすると、近接する押上で、東京タワーの倍近い600mの高さを誇る「第二東京タワー」の建設が始まる。鳩の街商店街にある、このカフェ「こぐま」からも天高く建設されていくタワーの様子が見えるようになるだろう。
世界都市Tokyoの新しいシンボルとなる第二東京タワーのもとには世界中から観光客や投資マネーが集まるはずだ。向島の物件を扱っている地元の不動産屋によれば、タワー建設が決まって、ピタリと押上や曳舟駅界隈から売り物件が出なくなったという。錬金術の始まりを皆、固唾を呑んで見守っているのだ。
といっても、この街が好きでカフェを開いた「こぐま」の若いカップル(+三毛猫)や、アーティストたちにとっては、そんな錬金術のことは全く意識されていないだろうし、関係もないだろう。
(カトラー)
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