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福田内閣の命運

Fukuda_yasuo 福田新内閣が発足した。
派閥の領袖を党役員の要職に配し、内閣のメンバーも大きな入れ替えをしなかったことから、さっそく「派閥政治に逆戻りした」とか「安倍おさがり内閣」などと野党から揶揄されているが、福田康夫は、危機意識をテコに求心力を高めつつある。安倍晋三に比べれば、リーダーとして数段、玉が上といえるだろう。さながら、学級崩壊した教室にピンチヒッターとして送り込まれたベテラン教師といった風があり、その安定感から、71歳という高齢に対する批判も今のところは影を潜めている。

その可能性は低いだろうが、現在の難局を何とかしのぐことができて、年明けともといわれている総選挙を乗り切ることができたら、案外、長期政権も夢でないかもしれない。

一方、(もう、この人物に対して、論評することは何もないと考えているが・・・)安倍晋三は、入院先の慶応大学病院で、弱々しい姿をさらけ出して、意味不明の記者会見をおこなった。
政権を投げ出し、敵前逃亡したにも関わらず、ボクちゃんとしては、ボクちゃんなりの言い訳をしたかったのだろうが、政治家としても、ひとりの人間としても何の意味も持たない行動だった。

意味不明だった安倍の病院での記者会見

辞任の会見の際に、健康問題に触れなかったのは、政治家は健康問題を持ち出したら、その時点で政治生命を絶たれるという鉄則を意識してのことかと推察していたが、今回の会見によって、その鉄則をも破ることになった。
Abe_kaiken 「最悪のタイミングで辞任したことで政治的空白を生み出したことを国民に心からお詫びする」という話だったが、詫びるくらいなら、そもそも辞めなければ良かったと誰もが感じたはずだ。一国の首相だった人間が詫びるというからには、その行為によって、少なくとも「何かのために」なっている、自分が身代わりになって何かを救うことになるというのが、リーダーとしての当然の行動だろうが、安倍の場合は、今回もそれがさっぱり見えてこない。

大方の国民も、この期に及んで、ただガキのように詫びられても、白けるだけというのが本音だろう。だから、この手のお坊ちゃんは、とことん手におえないので、自分が何故辛かったかを言い訳をすれば、どこかで誰かがよしよしといってくれると思っている。そもそも政治とは、そうした自分の思いや痛みが、他人には受け入れがたいものであるという苦い認識を共有する地点から始まるものだ。

「理念」と称するものを空疎な言葉にのっけて垂れ流せば、そのまま他人にもわかってもらえると考える安倍のような甘ちゃんは、もともと政治家などを志してはいけない人間なのだ。この国のリーダーだった人間がここまで退嬰的であったかと思うと、最初から最後まで見ていて反吐が出そうな会見だった。

権力の座を放り出す政治家は存在価値がない

権力の座を放り出した政治家は、何の存在価値も無いことをメディアは、よく知っていて、とことん冷淡だった。夜のニュース番組の扱いも、安倍の会見については端折られぎみで、既に関心はこの人物にはなく、福田康夫に移っていることをあからさまに見せていた。

福田康夫は、安倍と同様に二世議員だが、安倍のお友達二世連中とは、明らかに違った政治家としての資質を持っている。たぶん、福田は安倍のようにナイーブに言葉というものを信じていないだろう。政治家にとって言葉は道具である。自分の政治的意図を実現するためなら、甘言も弄すれば、讒言も使う。貝のように黙ることもあれば、しっぽを捕まれないようにはぐらかしもする。一夜にして首相獲りに動いた今回の局面では、これまで逡巡を繰り返していた福田の行動の素早さに誰もが舌をまいた。
一言でとらえにくい福田康夫というキャラクターに対してメディアも適当なキャッチフレーズをつけかねている。ひょうひょうとしたキャラクターということが言われているが、それは、福田が言葉の無力を知っていることの現れだ。

官房長官の時代から、時にシニカルなブラックユーモアともとれる発言を見せていたが、ブラックユーモアを解するということは、世界は矛盾や不条理に満ちたものであることを理解していることであり、そのことが福田康夫という人物の分かり難さを生み出している一方で、政治家としての振る舞いに安定感を与えている。

北朝鮮への対応は宥和的か?

自民党の総裁選の中で麻生太郎が、北朝鮮問題における拉致家族への対応の問題を持ち出し、福田が北朝鮮に対して妥協的、宥和的であるという趣旨の批判を仕掛けていたが、限界状況の中で、小泉前首相や安倍に対して、外交上の約束を反古にしてもよいのかと異論を示していたことは、北朝鮮に対して弱腰というよりも、逆に政治家としての安定感を印象づけたものだろう。拉致家族の問題に限らず、およそ政治的問題とよばれるものには、人の目を引くパフォーマンスや美しい理念によってかっこよく解決できる事柄などは、ほとんど存在しないということを福田はよく知っている。世界は、矛盾や不条理に満ちており、解決不能な問題が山積している、だからこそ政治家が必要となる。
テロ特措法の延長問題をめぐり、小沢民主党党首との会談の呼び掛けが不調に終わったことを辞任の理由にあげるような安倍には、こうした福田の複雑さや老練さは、とても真似できないだろう。

福田康夫という政治家は、安倍に対して自民党的なもののもうひとつの流れを体現している。それは、観念的、理念的なものを先行させる安倍や中曽根のような存在とは、ちょうど対極に位置しており、現実に即して是々非々で対応していくことを基本にしている。自民党の歴史の中にあっては、福田のような存在の方がむしろ普通であり、主流を形成してきた。

パフォーマンス疲れ、理念疲れしている国民

見方によっては、理念なき旧来の自民党的政治に逆戻りしたとも受けとれるが、小泉、安倍という指導者が続き「パフォーマンス疲れ」「理念疲れ」した国民の目には、その既視感は、とりあえず「安定感」として映っている。

政権交代を狙う小沢民主党にとっては、このまま安倍が続投していた方が、数段戦いやすかったであろう。福田は自民党の総裁に就任後、すぐに党の重鎮を要職に配した人事をおこない、内閣のメンバーもほとんど手を入れず横滑りさせた。将棋に例えれば、持ち駒を周囲に集めて穴熊戦法をとり、とにかく守りを固めた布陣にも見える。挙党体制によって、当面の荒波を凌ぎ、反攻の機会を狙う戦略だ。安倍を退陣に追い込み王手をかけた民主党としては、千載一遇のチャンスを生かして、この局面で最後まで詰め切れるかどうか問われている。長期戦になれば、福田の安定感がものをいってくるだろう。それがわかっているから、小沢は一気に攻めていくに違いない。

(カトラー)

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コメント

いつもながらのキレキレのエントリー記事、スッキリさせて頂きました。不条理という暗号の解読者であるべき政治家は、世襲や血脈という人類の普遍的条理との対比の存在ではないでしょうか。福田さん的政治家が、血脈や家柄を乗り越えて、いえ一顧だにせず、政治の中心に躍り出る日はいつでしょうか。

投稿: モイス | 2007.09.29 13:22

 変革期には用をなさない陳腐な政治家像を背景にした抽象(中傷)的で捉えどころのない相変わらずの安倍批判だ。真正面からの安倍批判を避け続けた当然の成り行きなのか 安倍とは対象的な福田の分かり難さを持ち上げることになってしまったようだ。
 安倍が理念を掲げたその事を無意味であると言い張るために、理念のない福田の分かり難さを肯定的に説明しなければならなくなって無理をする。
 私から見ると理念の見えない福田の行動ほど分かりやすいものはない。ちっとも複雑ではない。
 >一夜にして首相獲りに動いた福田の行動の素早さに誰もが舌をまいた。
 無理し過ぎだろう。あなたの言う理想的な政治家像を体現している森・青木・古賀・山崎らが、その老練さを遺憾なく発揮し 「麻生クーデター説」まで流してお膳立てをしたに過ぎない。すねて ふて寝をしていただけの福田がそれに箸をつけただけではないか。そんな福田に舌をまいているような者に私は全く心当たりがない。
 >小泉や安倍に対して、外交上の約束を反故にしてもよいのかと異論を示していたことは、北朝鮮に対して弱腰というよりも、逆に政治家としての安定感を印象づけたものだろう。
 また何を言いだすのやら・・・北朝鮮との国交正常化で数兆円の金が動くと色めき立った老練な政治家たち(老練な福田くんのお友達)のお願いと化石頭の外務官僚のブリーフィングの言いなりになっただけではないか。
 5名の拉致被害者を体を張って守り通した安倍を落としめるためとはいえ、驚き呆れる言い草だ。世界に満ちる矛盾と不条理を良く理解しているがゆえに5人を北朝鮮に送り返そうとした老練な福田に安定感を印象づけられる?どこのどなた様がそんな印象を持っているのかは知らないが、一度そういう生き物を見てみたいものだ。
 無理を通せば道理が引っ込む、何をか言わんや。
 ナイーブに言葉を頼るおぼっちゃんというレッテルを張ることで 安倍の理念そのものへの批判を避けられると考える、そこがあなたの安倍批判の味噌なのだ。
 確かに安倍は弱かった。だがその弱さは あなたがどうしても信じたいであろう歴代総理の中で最悪だというような 相対的に比較できるものではない。満水時の水圧に決壊した安倍政権ダムと貯水率30%で無事なダムとの強弱を水圧を無視して、決壊してしまったダムが弱いに決まっていると言っているのがあなたではないのか。安倍の掲げた理念への道筋が驚くほどのスピードで次々と実現されてゆく、その反動でどの総理大臣も経験したことがないような圧力にさらされた。そのすさまじい抵抗を打ち破れなかった。それほど安倍は恐れられたということでもある。おぼっちゃん・ぼくちゃん・プリンスメロンちゃんとわめき散らすのは恐怖の裏返しであろう。
 あなたは、安倍の理念や政策への真正面からの批判が このすさまじい抵抗の醜い正体を暴いてしまう、ということに気付いているのではないか。今回のエントリ-記事・小沢のサブマリン戦略とやらを語った記事など、私にはその証に見えるのだが。
  「いかなる批判があろうとも8月15日に必ず参拝する」と全国民に靖国参拝を約束した小泉は、その約束を果たすために5年の歳月を要したのだ。この事実を横目にしながらのいかなる安倍批判も 厳しい批判であるほど事実とかけ離れたものになってゆく。まして53歳の首相を批判するために、「なに不自由なく育った幼少期に起因するおぼちゃん性」をそのメインに持ち出すなど 愚の骨頂である。

投稿: かかし | 2007.10.01 11:31

コメント欄を見る限り「かかし」さんの勝ち。相変わらず舌鋒鋭く惚れ惚れする。一方のカトラー氏は朝日の論説気取り。いつまでも高給のリベラルインテリでいたいんだろうね。案外筑紫哲也だったりしてw

投稿: | 2007.10.01 12:57

「かかし」さんの勝ちと言う ななし さん。
「かかし」さんは、相当カトラーさんが嫌いなようで、アンチカトラーが目的であるだけのカウンターを繰り出しているだけなようですが。自ら、提起するのではなく、相手の土俵で勝負、というのも、「ネゴ」の世界では定石でしょうが、このような場所になじみません。勝ち負けではないのですから。

投稿: nanasi2 | 2007.10.06 19:22

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閣僚級の大物秘書が辞めてしまう事が決定的になれば、小泉さんにとっても相当の痛手になりそうですよね。30年以上にわたって小泉さんと二人三脚で政界を走ってきた訳ですから、こんな形で『燃え尽きた』と辞めるのは本人もさぞ不本意なのではないでしょうか? [続きを読む]

受信: 2007.10.11 16:36

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