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小沢一郎の挫折と「不熟」なる政治

Ozawa2 小沢一郎党首の辞任表明、そして、その撤回と、この一週間で振り子が大きく振幅し、「大連立」という言葉とともに民主党が迷走した。
当初、小沢一郎の辞意は固いと見られていたが、鳩山由紀夫ら党幹部の慰留に対して翻意し「恥をさらすようだが、皆さんの意向を受けてぜひもう一度頑張りたい」と両院議員総会で正式に辞意を撤回した。

辞任表明の直接の引き金になったのは、福田首相との党首会談後、党の幹部役員会で、自民党との連立を提案したところ、全員反対に近い形で拒否されたことだった。「何故その場で断ってこなかったのか」というような反対意見も噴出し、福田首相との間で阿吽の呼吸で進めていた交渉について責任がとれなくなったことへのけじめと、政権担当政党になるべき民主党のあまりの「未熟」さに怒り心頭に達し辞任表明に至ったと説明されている。

理念と現実を往還するのが政治家

政治家というものは、理念と現実の間を振り子のように行き来しなくてはならない。その振り子運動が理念ばかりに停滞している様のことを「未熟」といい、現実ばかりに足をとられているのを「政治屋」というのだが、今回の騒動を通じて垣間見られたこの国の政治の姿は、果たして何というべきなのだろうか。

このブログでは、安倍前首相のことを手厳しく批判してきた。「美しい国」やら「戦後レジームからの脱却」といった空疎な擬似「理念」を振り回しながら、現実を前にすると、からきし駄目になってしまう「未熟」さを「おぼっちゃん」といって批判したわけだが、その「未熟」さは、小沢一郎が、自分が党首を務める民主党を政権担当能力に欠けると記者会見でこき下ろした、民主党の「未熟」さとどこかで繋がっている。
一方、今回の騒動のシナリオを用意し、「大連立」とぶち上げてみせた読売新聞会長、渡辺恒雄らの構想が「成熟」しているのかといえば、お世辞にもそんなことはいえない。鈴木宗男が「政界に1リーグ制は不要です」とうまい言い方をして、渡辺らの動きを批判していたが、本来なら引退して鬼籍にでも入っているのが適当な老人たちが、「大連立」などとはやし立て、子供のように、はしゃいで立ち回っている姿は、これはこれで不気味な「未熟」さである。

小沢一郎の挫折

小沢一郎という人物は、日本の中では、理念と現実の間を往還することのできる数少ない政治家だと考えていたが、今回の騒動では、明らかに誤り、挫折した。
政治理念のレベルで最大の誤りは、自衛隊の海外派遣にからむ安全保障の問題で、福田首相の「小沢の考え方を受け容れる」という申し出に乗ったことである。その申し出というのが、伝えられているように小沢一郎の考え方を、ほぼ鵜呑みにするような内容だったのかどうか、実際には知る由もないが、小沢が年来、主張している「国連中心主義」にまで踏み込んだものだったとは、とても考えられない。
自衛隊派遣のための恒久法を作るという点では、自民党と小沢一郎の考えは一致するようにも見えるが、本質は全く異なる。小沢のいう「国連中心主義」とは、究極的には、米国離れまで視野に入れたものであり、米国との同盟関係の風下で、自衛隊が恒常的に軍事貢献をできる枠組みを作るという自民党的な考え方とは別物である。
靖国神社に参拝し、特攻隊の手紙に涙する姿を見せる一方で、かつての敵国、米国大統領ブッシュの前では、悦に入ってプレスリーを歌ってみせた小泉純一郎は、アメリカにとってはGood Guy(いい奴)だった。

米国にとって危険に映るアソシエーショニズム

しかし、「普通の国」になるといい、日米同盟至上主義に対しては、公然と国連中心主義を唱える小沢一郎は、米国にとっては極めて危険な存在と映るだろう。小泉純一郎のように靖国神社を参拝して、中国や韓国などと摩擦を起こしてくれた方が、米国としてはよほど安心して見ていられたはずだ。日中や日韓でナショナリズムがぶつかり合う覇権主義的な状況は、米国が前提としている世界観の内側に存在することであり、その内側で多少の摩擦が生じようと米国の覇権構造そのものは変わることがない。むしろ彼らが嫌うのは、世界がアソシエーショニズム(共同体主義)を志向することだ。

小沢一郎という政治家の政治行動は振幅が大きく、何をやるかわからない人物だといわれる。しかし、小沢の政治家としての本質は、単純で、一言でいえば、リベラリストであり国家主義者ではないということと考えている。

「普通の国」のもうひとつのメッセージ

小沢のいう「ふつうの国」とは、他の先進諸国と同様に安全保障も含め自立した国家になることを意味すると受け止められているが、この言葉には、実は「覇権国家にはならない」という、もうひとつのメッセージが含まれている。その帰結として、安全保障の問題を、国連という「共同体」に委ねるという考え方も生まれてくるのだが、それは、国家の主権を何よりも重視する「真正保守主義者」や米国にとっては受け容れがたいものだろう。小沢本人は一度も資本と国家の関係について述べたことはないが、資本が国家を凌駕する、あるいは、グローバル化によって覇権的国家主義が溶解する時代が意識されている。別の言い方をすれば、米国による覇権が終わったあとの多極化した世界の中で、この国のありかたをどう考えるかという問題意識が前提にある。国家に対して資本、覇権主義に対して共同体主義(アソシエーショニズム)を対峙させる小沢一郎の政治理念と問題意識は、新自由主義に最も近いといえるだろう。
かつて小沢一郎が属した経世会は、田中角栄の薫陶をうけた「金権政治屋」集団と見られているが、そこから昇華された理念があるとすれば、金(経済・資本)の力は、必ず国家という枠組みを凌駕することになるという新自由主義的な現実認識かもしれない。

民主党党員のセンチメントを読み間違えた

もとの話に戻ろう。福田首相が、安全保障問題について、国連を基軸にした小沢の考えを丸飲みしても良いと果たして言ったのかどうかはわからない。だが、少なくとも小沢は、福田の言葉に、自分の政治的理念の核心を実現できるかもしれない「現実的な?」手がかりを見て、連立の話に乗ったのだろう。しかし、それは早まったとしかいいようがない。実際、小沢の安全保障議論や国連中心主義に対しても民主党の中においてさえ異論や疑問を呈する声の方が多いのに、民主党議員に対してそこに立脚した連立構想に乗れということ自体に無理があった。小沢一郎のもうひとつの失敗は、自分の政治理念に引っぱられて、こうしたお膝元の生の現実、民主党党員のセンチメントを読み間違えていたことだ。

結局、今回の騒動を通じて、小沢一郎は、理念的立場を押し通すべき所で、現実的に見えた選択肢に足をとられ、現実を見極めなくてはならない時に、理念に耽ってしまった。

成熟なき「不熟」なる政治

冒頭に述べたように、政治家にとって最も重要な資質は、理念と現実の間を振り子のように往還することができる能力である。小沢一郎という政治家の振幅の大きさ自体は評価する。しかし、今回の騒動では大きな失敗を犯してしまった。
ただ、それにも増して、浮き彫りになったのが、理念と現実を往還できない、この国の政治の実態である。「大連立」などという、老人たちの世迷い言は、この際どうでもよい。しかし、権力の分散状況の中で現実の政治を動かしていくためには、駆け引きや妥協が必要なことは自明のことである。「何故その場で断ってこなかったのか」といって反対した民主党の議員がいたというが、そうした人物の政治家としての感性そのものを疑わざるをえない。そもそも、理念と現実の間の往還運動が存在しない場合のことを、「未熟」とはいわない。現実に学び、それを理念に反映させ、再び現実に還っていくという回路が最初から存在しないのだから、そこには「成熟」が永遠におとずれないという意味で「未熟」とはいえないのだ。
同じ事を、「真正保守派」の人々についても言ったら、このブログを読んでくれている「あたり前さん」方から、それは「不熟」というのだ、と目からウロコの言葉を教えていただいた。
今回の辞任騒動で、「不熟」なる政治の姿を民主党の中にも見たのは、私だけではないだろう。

(カトラー)

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コメント

小沢一郎は、過去20年の政治の節目で、常に主役を演じている、稀有なタレントです。彼の主張は、カトラー氏のご指摘通りでしょう。色あせる事のない小沢イズムに、賛成派も反対派も、そして観衆も、注目し続けてきました。彼は、政治の修羅を知る数少ない、いえただ一人の役者だと思っていた人も多いでしょう。小生の「不熟」なる発現をご評価頂き面映いのですが、その小沢氏が「不熟」ならば、「成熟」に達するプログラムは日本政治にはないのでは?と思います。「戦争は究極の外交」であるとの、国際政治の物差しを、金庫にしまい込んでしまった以上、政治決断の絶対値を喪失してしまったのではないでしょうか。戦争を肯定する論者に加担するつもりは全くありませんが、偏差値型の日本政治は、「不熟」政治家を輩出するしかない社会システムとも言えそうです。

投稿: あたり前 | 2007.11.11 00:57

「大連立」が世迷い言と言い切っている根拠がよくわからない。

投稿: | 2007.11.15 02:55

Hello. And Bye.

投稿: Incupeeasesee | 2010.12.27 05:50

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