日本農業の出口
都会から同じように里帰りした親戚の子供たちなども、花畑を見て「キレイだなあ」といって無邪気に喜んでいるのだが、そうした子供たちの姿を見ながら複雑な心境になる。というのも、その「コスモス花畑」とは、元は青々とした稲が育つ水田だったからだ。休耕田を、そのままにしておくのは、いかにも殺風景だと、村の青年部などが、お盆休みの帰省者を迎える気持ちも込めてコスモスの種をまいて、耕作放棄地を一面の花畑にしていたのだ。
こうした「コスモス花畑」が全国に広がっている。
40%を割り込んだ日本の食糧自給率
日本の食料自給率は、40%を割り込み、先進諸国の中では最低だ。この状態で不測の事態が発生すれば、日本人の大半は食うや食わずの北朝鮮のような状態に陥ってしまうだろう。それでは、まずいと、食糧安保の観点からも日本の農業を再生させなくてはならないという議論が起きている。
先の参議院選挙で大勝した民主党の小沢一郎も食糧安保の観点から、農家に対して直接の所得補償をしても自給率を上げるべきだと主張した。この主張に対しては、民主党は農村票が欲しいがために食糧安保を持ち出してバラマキ行政を正当化しているとの批判が投げかけられた。農業をめぐって、政策論争を行うことを無駄とはいわないが、問題は、そうした机上の議論を重ねている間にも、あの「コスモス花畑」は、全国の農村で確実に広がっているということだ。農業の根本問題は、実は近未来の担い手をどうするかにある。
農業の担い手が消える?
高度成長時代から今まで、農村は、労働力を都市に供給し続けた。農家の次男坊、三男坊だけでない、後継ぎの長男さえも都会に出て、サラリーマンになってしまったために、農村には年老いた父母が残るだけになった。彼らにしても、あと何年、農業を営んでいられるかわからない。つまり、いくら所得補償をしようが、それとは関係なく営農そのものが不可能になるタイムリミットが、すぐそこまで来ているのだ。もっと、はっきりいえば、このままでは日本の農業の余命は10年がいいところだろう。その間に、抜本的な構造転換を果たさない限り、耕作放棄地が激増し自給率はつるべ落としの状態になるだろう。
都会には、フリーターやニート、最近ではネット難民と呼ばれる定職のない若者もいる。彼らを農業の担い手にしたらどうかと呑気なことを言う人々もいるが、きっと農作業というものを一度もやったことのないのだろう。草取りでも大根抜きでもよい、一回農作業というものを経験すれば、インターネットカフェでパソコンゲームに興じている若者の柔な体と頭脳が、農業という営みに適応していくことはとても出来ないことがすぐ分かるはずだ。それは善し悪しの問題ではなく、それがこの国の現実になってしまったということだ。かつての中国の文革時代に、「下放」と称して都市の若者を強制的に農村に送り込んだ毛沢東のような独裁者ならいざ知らず、東京の若者を首に縄をつけて、農村に連れていって働かせるわけにはいかない。
日本の農村に不可欠な外国人労働力
一方で、農業の現場では、既に現実的な対応が進みはじめている。外国人労働力の活用だ。
前回のエントリー記事で紹介した群馬県の大泉町の工場のように、深刻な労働力不足に悩む地方の農村では、農業研修生制度を利用した、外国人の受け容れが進み、中国の若者などを中心に現在では1万人に達する農業実習生が全国の農村で働いているという。日本は海外からの単純労働力を受け容れないということになっているので、建前上は技術研修が目的とされている。しかし、実際は農作業の担い手としてアジアの若者たちが、地方の農業を支えるようになっている。農業関係者の話を聞いて印象的だったのは、海外労働力の受け容れの問題は、関係者の間では「選択肢」としてではなく、既に「自明の前提」と受け止められていることだ。日本の田畑、田園風景は、アジアの若者の力に頼らないと守れない時代になっている。
「食糧安保」の問題もこうしたことを前提に考えなくてはならない。この国の安全保障にとって自給率を上げることが不可欠であるという主張はもっともだが、そのためには、中国や東アジアの人々の労働力が不可欠という日本農業の現実をよくよく理解する必要があるだろう。
秋空にトンボが飛び交い、黄金色に色づいた稲穂の波の中で、一家総出で収穫作業に汗を流す・・・そんな牧歌的な日本の農村の風景は、寂しいことだが終わりを迎えようとしている。農業法人と呼ばれる新しいプレイヤーや外国人に代表される働き手たちが、これからの田園風景を変えていくことになるだろう。規制緩和によって、さまざまなプレイヤーの参入可能性がひらかれ、農地の売買も実質的に可能になった今、中長期的には「農業」には成長ビジネスとしての大きなチャンスが生まれている。実際、大手商社や外食、流通、食品メーカーなどが農業ビジネスへの参入を狙っていて、さまざまなパイロットプロジェクトも動き出している。戦後の農地解放によって、フラグメント(断片)化された土地・労働力・資本が、これからは、逆に束ねられていくプロセスが進行することになるだろう。
そのことは、結局、日本の農業が、米国のような大資本による系列化や大規模・効率化をめざすことを意味するのだろうか。
農業の再定義が必要
三菱商事の中で、農業変革に関するプロジェクトを主宰している栗原さんは、日本の農業は、スケールメリットを追求する米国型の農業とは違うヴィジョンを持つべきだし、そうでなければ、逆に国際競争力も生まれてこないと指摘する。
栗原さん曰く、「日本の農業には、本来、食糧供給業として側面だけでなく、文化的な価値や健康価値を提供する役割を担ってきた。単にスケールメリットや経営の効率化を追い求めるのではなく、そうした複合的な観点に立って、農業を再定義する必要がある」。
この意見には全く同感であり、多様な地域の食文化や里山を守る上で農村が果たした役割を抜きにして、日本の農業の再生ヴィジョンを描くことなどできるはずがない。
栗原さんたちのプロジェクトが注目しているテーマとして、例えば「野菜」の問題がある。日本の中には、地域毎に多種、多様な野菜が生産されており、それぞれの土地の食文化を育んできた。その中には、血圧の調整作用があることで知られる能登地方の野菜「中島菜」や強力な抗酸化作用を持つ加賀野菜「金時草」など、高い健康効果を持つものがあることがわかってきた。そうした野菜・農産物を評価し、その評価情報を媒介として生産者と消費者を結ぶネットワークを構築することができれば、高付加価値な農業が可能になるだろう。個性があって付加価値の高い農作物を、手をかけて作るというのは、本来、日本の農業事業者が得意とするところだ。他方で、そうした農作物を評価することができる消費者を育てることができれば、米国や中国などで大規模に生産される農作物に対抗できる軸を構築することができるかも知れない。
今週、11月9日に、栗原さんたちは、農業と健康をテーマにしたビジネスカンファレンスを開催する。野菜の目利きができる「野菜ソムリエ」という資格制度をスタートさせた日本ベジタブル&フルーツマイスター協会の福井さんなども参加して、農業と食・健康との関わりについて考える。
(カトラー)
関連記事:農業を成長ビジネスに変えた植物工場
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
やっぱりなんでもかんでもオープンにしていったら主食のコメもどんどん日本に入ってきて日本の農業は潰れるでしょう。かといって今の補助金付農政は逆効果でダメ。それならいっそのこと農業を観光業にして美しい田園風景を体験しよう!と世界中から観光客の誘致をすればいいのではないだろうか?失敗したハウステンポスあたりの教訓を生かしてジブリと東京電力あたりがコラボでやるといいけどなあ。
投稿: 長崎人 | 2007.11.04 19:17
イギリスの田園風景はどうやって守られているのだろう。
安い労働力を取り入れても割の悪い仕事に従事させるのは非効率だし、労働の流動化は国内でも起こるよ。
投稿: トリル | 2007.11.05 18:44
コメントありがとうございます。相変わらずレスが遅くてすいません。
英国は、この30年間で、食糧自給率を50%から75%にまで、上昇させました。二度の大戦で国民が食糧不足に悩まされた経験から、自給率のアップに国民的なコンセンサスがもともと存在したのと、国土が平坦なので、小麦の増産をすることが比較的容易で、農家の大規模化も進んだようです。現在では、小麦の自給率は130%という水準で、日本のように食生活が変わり、主食離れのような現象がなく、パンと肉、乳製品といった質素な食生活なままなので、自給率がここまで回復したようです。
日本の場合は、パン食や肉食が進むと、小麦や飼料作物を輸入しなくてはならなくなります。山間の土地に田んぼを作っていくようなやり方ですから、小麦や大豆、とうもろこしなどを大規模につくることも難しいわけで、英国の真似はできそうもないですね。
また、英国では、19世紀に工業化の反動から、カントリーサイドの聖化が行われ、文学や絵画に田園風景が取り上げられ、田園回帰が一種の文化運動として展開された歴史があります。長崎人さんがおっしゃるように、新しい文化運動の視点から農業をとらえるというのも必要ですね。
投稿: katoler | 2007.11.11 14:55