「国技」の救世主になった朝青龍
朝青龍が3場所ぶりに横綱をつとめる大相撲初場所がスタートし、国技館は満員御礼の盛況となった。日本中からバッシングを浴びた朝青龍が、一体、どんな相撲を取るのか見たいという思いから人気を呼び、当日チケットを求めて、長蛇の列ができた。こうしたことは、若貴人気以来のことで、相撲人気の長期低落傾向が指摘される中で、関係者にとっては久しぶりに明るいニュースになった。
日本の相撲ファンといわれる人々の反応は、とても健全だった。
メディアや横綱審議委員会の一部の連中が先導した朝青龍バッシングのことなどは、ケロリと忘れたかのように、朝青龍の強い相撲に溜飲を下げ、手放しで朝青龍の復活を応援している。「品格」などという腐った観念を持ち出す前に、横綱は強くなければ話にならないということを日本の相撲ファンは、その声援をもって示したのであり、初日の朝青龍の相撲は、その期待に見事に応えたといえるだろう(と思ったら2日目は黒星だが)。
健全だった相撲ファンの反応
一連の騒動は、朝青龍の仮病による地方巡業のズル休みが発覚してから、メディアが一斉にバッシングを始め、それに乗った形で、横綱審議委員会の一部の連中が「横綱の品格」論を持ち出し、朝青龍に対する引退勧告発言にまでエスカレートした。
悪役(ヒール)を常に必要とするのが、視聴率や販売部数を稼ぎたいメディアの体質で、今回も朝青龍を悪役に仕立てて、騒ぎ立てたのは、TVのニュースショーや駅売りの夕刊・スポーツ紙、週刊誌などであった。
外国人力士で、相撲は強いが態度が悪い朝青龍のような存在は、悪役としては、うってつけなわけで、そのために持ち出されたのが、「横綱の品格論」であり、それに乗っかる形でメディアの朝青龍バッシングが進行したというのが、これまでの基本構図だ。
その悪役が低迷する「国技」の救世主になっているわけだから、なんとも皮肉な話で、今回の騒動が、相撲人気復活のために、あらかじめ仕組まれたものだったとすれば、相撲協会の高度なマーケティング戦略には、まさに脱帽するところだ。
一連の朝青龍騒動が、仕組まれたものだったなんてことは、まさかあり得ないだろうと思われるかも知れないが、実は、大相撲というもの自体に、その出自において、あるメッセージが組み込まれおり、それが、強力なブランディングあるいは意図的な詐術によって維持されてきたことは、ほとんど知られていない。
そのメッセージとは、大相撲が「国技」であるということだ。
相撲が「国技」ではない、明治政府によって盗まれた起源
驚いたことに、相撲が「国技」であるということを規定する法律は、現在はもちろん、過去においてもどこにも存在しない。それが、何故、「国技」と称されているかというと、明治42年(1890年)に両国に相撲の常設館が建設された時に、その建物の名前が決まらず、伊藤博文の鶴の一声で「国技館」と命名されたことに拠っている。つまり、相撲は、もともと国技であったのではなく、「国技館」という名称の場所で行われていたスポーツだから「国技」であるという認識が、後世において広がっていったということなのである。江戸時代に遡ると、相撲の力士たちは、それぞれの「国」を代表していたのだが、明治政府が「日本人」としての意識を発揚するために、相撲を日本国の「国技」として喧伝し、国威発揚に利用した政治的な意図が、そこには色濃く投影されていたのだ。
だから、事ある毎に繰り返される、相撲は、日本の伝統、国技であり、神聖な神事でもあるからして、単なる「スポーツ」とは異なるのだという議論には、全く根拠が無いことになる。
明治の終わりから「国技」と称されてきたという意味では、それなりの敬意を払ってもよろしいかとは思うが、例えば創業500年の虎屋の羊羹に比べれば、ひよっ子みたいな存在であり、国技としての歴史は、たかだかここ120年のことでしかないことを認識すべきだ。
大相撲は人々のものであり、スポーツである
大相撲は、「国技」としてある以前に、常に市井の人々と共にあった。人々の声援、支持があってこそ成立しているものなのだ。その大相撲の人気を明治政府が盗み、国威発揚のための手段として利用したというのが、相撲が「国技」として偽装されていった経緯である。その後の大相撲が、偉そうに振る舞っているのは、伝統、格式、品格、神事といった観念と常に結びつけていないと、もともと国技でも何でもなく本来は人々のものであったという真実が露呈してしまうからに他ならない。
だから、大相撲は、「国技」としてある以前に、スポーツである。スポーツである以上、外国人であろうが、日本人であろうが、同じルール、同じ基準で評価されなければならない。そこでは、フェアに勝負を競い合うこと、すなわち強いことが一番重要となる。
朝青龍の活躍は、大相撲が人々と共にあり、スポーツとして愛されるべき本来の姿をもう一度思い出させてくれた。
朝青龍がんばれ!ファンが心から喝采する相撲を見せてくれ!
そして、体も張らずに、口先だけで偉そうに「伝統」だ「品格」だと口走る奴らを、ぐうの音も出ないくらい黙らせてやれ!
(カトラー)
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コメント
全く同感です。
投稿: kadoorie-ave | 2008.01.15 02:36
「伝統」や「品格」でかくさないと、女相撲のほうが男相撲より人気があったこともばれてしまいますね。女相撲の復活を!
投稿: junq | 2008.01.15 09:17
「ハレ」と「ケ」でしょう。
「横綱朝青龍 vs. 日本相撲協会」の迷勝負
http://www.akashic-record.com/y2007/asamon.html
投稿: katute | 2008.01.15 11:35
国(田舎や故郷)を背負って、闘っていたから、国技となったのか。ドメスティックな国技の定義が、国際的になったとしても、故郷をどこかに意識しながら、闘う構図に変わりはないのかも。
そういえば爺さんたちは、「国はどちらですか?」「九州です」なんて、会話してましたね。
投稿: あたり前 | 2008.01.15 11:46
以前、手遊びに相撲の歴史を調べたことがあるのですが、相撲は神への捧げもの、ようするに「奉納」、ひいては五穀豊穣を神に問う「神占」という性格があったんですね。
四股は足で大地を打ち、神を招く、いわば柏手の一種であるともいえます。
青白いメディア人たちによる「品格」議論以前に、強い関取が真剣勝負で民草を涌かせなければ、日の本の八百の神々も喜びません。横綱の国籍など二の次、三の次の問題です。
強き者を讃えず、口舌の徒をもてはやし、空虚な「品格」を振りかざし、要領よく振舞おうという人間ばかりが幅を利かす今の日本に、ドルジが荒ぶる神々を招魂してくれることを期待しています。
がんばれ、朝青龍!
投稿: Yute | 2008.01.15 12:09
まったくの同感です。【国技】、【品格】、神事】とかいって思考停止を偽装するのはいけませんね
投稿: 大西宏 | 2008.01.15 14:50
実は、以前から朝青龍の勝ったあと、横向いて、「どうだぁ」というあの顔、あるいは土俵を去るときのアノ姿、好きでした。自然に身に付いた、あの暴れん坊、悪童そのもの、あれこそ荒ぶるカミではないでしょうか?
ひょっとすると、彼こそが上代の日本の伝統を体現してはいませんか?
投稿: 北村隆男 | 2008.01.15 21:33
ウィンブルドンのテニスコートでサービスエースを決めた日本人選手がゴールを決めたサッカー選手よろしくコート狭しと腰振りダンスを始めたり、その観客席で日本人観客がトラキチよろしく鳴り物入りで応援を始めようものなら、世界の良識と共に眉をひそめて見せるだろうあなたちが何を言うか。仮病でファンサービスをさぼったり、土が着いた力士に故意の膝蹴りを食らわせたり、土俵でガッツポーズを披露する事を品が無いと批判する日本人相撲関係者がいたって何の不思議もない。それがどうしたというのかね イギリスの騎士道精神に由来するスポーツマンシップが求める品位に悖るとでも言われれば、御説ごもっともと尻馬に乗って日本人の品格の無さに日本の終わりの始まりを夢想するだろうあなた逹が、日本の伝統に根差した価値観に腐った鰯の頭ほどの価値も見い出せない倒錯、あなた逹は何者か。
投稿: かかし | 2008.01.15 23:17
そうきかれて日本人とは答えないでしょうね。
己は何者かと定義づけるのに国籍や民族などという定義に頼らなければならないのは、人としてあまりに恥ずかしすぎますから。
まだサラリーマンと答えるほうがなんぼかマシというものです。自分で選んで、就職活動という過程を経て自分で勝ち取った地位ですから。
投稿: くろろ | 2008.01.16 03:10
続けてのコメントで失礼しますが、思い出したので一筆。
「電力の鬼」松永安左ェ門翁が、双葉山だったか誰だったか忘れましたが、ひいきの力士が優勝を取り逃がした場所の打ち上げで、他のタニマチが「しょうがない」と慰めの声をかける中、ひとり老躯を震わせて「お前には気迫がたりない!」と叱りとばしたといいます。
横審委員の皆さんも、メディアでブツブツ文句言うぐらいなら面と向かって叱りとばすぐらいの気概を持ってほしいもんです。横綱も土俵からガンとばしているらしいですから、是非うけてたってもらいたい。今のままじゃ横綱の方が役者が上です。
投稿: Yute | 2008.01.16 12:37
かかしさんみたいな人がいると盛り上がりますね(笑)
投稿: とおりすがり3 | 2008.01.16 18:47
歌舞伎もそうですが、娯楽を忘れて伝統や格式に走り始めた芸能って衰退を免れないみたいですね。。
個人的には、相撲に必要な伝統は、土俵、マワシ、四股、番付、決まり手ぐらいかな~
まあ、何にしても烈しい真剣勝負が見たいものですね。その意味では朝青龍(とその包囲網)の勝負には期待してます!
投稿: へなちょこ技術者 | 2008.01.16 18:55
K1、プライドと大相撲の区別がつかんのかね。困ったお人だ。
投稿: かかし | 2008.01.16 23:18
かかしさん、あなたはなにものか。
投稿: とおりすがり4 | 2008.01.16 23:20
かかし以外の何者でもない。私のコメントへの切り返しのおつもりか。片腹痛い。
投稿: かかし | 2008.01.16 23:33
相撲は神事だったので「ケ涸れ」でしたね。
投稿: katute | 2008.01.17 10:55
くろろさん、もとより国籍や肌の色を問いかけたつもりはない。その不思議な思考経路の由来を、返答を全く期待せずに問うたまで。アイデンティティーを問われたと考える方もお在りだろうと想像はしたが、「就活で勝ち取ったサラリ-マンという地位」とは面白過ぎるお答えだ。
あなたの「日本人」もしくは「国籍」へのこだわりは、私などその足元にも及ばない。摩訶不思議と申し上げる他はない。
投稿: かかし | 2008.01.17 21:03
この人には日本語が通じないらしい。困ったものです。
アイデンティティとやらをわざわざ言葉にして問うたり語ったりすることほど愚かしいことはないという意味でのご返答なわけですが。皆さんはわかりましたよね。
投稿: くろろ | 2008.01.18 02:11
To:かかしさん
>K1、プライドと大相撲の区別がつかんのかね。困ったお人だ。
区別はできますよ。相撲はグローブをしませんし、K1はまわしをしません。私は"土俵"とは書きましたが"リング"とは書いていません。
2chのような他人を見下すような"品格の無い"コメントを書かずに意見を交わすことはできないのでしょうか?
>個人的には、相撲に必要な伝統は、土俵、マワシ、四股、番付、決まり手ぐらいかな~
上記以外に相撲(大相撲)に必要な伝統ってなんでしょうかね。。ちなみに"決まり手"は"禁じ手"を含めた"土俵"上の競技ルールって意味で書いてますが。。。
投稿: へなちょこ技術者 | 2008.01.18 13:06
>2chのような他人を見下すような"品格の無い"コメントを書かずに意見を交わすことはできないのでしょうか?
あなたからはその言葉が聞きたかったのだ。良く解っているではないか。
>上記以外に相撲(大相撲)に必要な伝統ってなんでしょうかね。
その「品格」とやらではないのかね。
投稿: かかし | 2008.01.18 17:48
>アイデンティティとやらをわざわざ言葉にして問うたり語ったりすることほど愚かしいことはない
それはくろろさんの勝手な思い込みに過ぎないと考える人間も世の中にはいるのだよ。そしてその思い込みは、国籍や民族にこだわらないことが原因なのではなく、むしろそれらへの強烈なこだわりが原因であろうと述べたまで。こだわっていない振りをする「こだわり」とは何かまでの言及を避けているだけである。日本語の読解力が問題の本質だとは思わない。
投稿: かかし | 2008.01.18 20:19
>>2chのような他人を見下すような"品格の無い"コメントを書かずに意見を交わすことはできないのでしょうか?
> あなたからはその言葉が聞きたかったのだ。良く解っているではないか。
皮肉のつもりでわざわざ””を付けて使ったのですが、、、通じなかったようですね。。。
>上記以外に相撲(大相撲)に必要な伝統ってなんでしょうかね。
その「品格」とやらではないのかね。
品格=伝統?? 相撲の伝統の何がしかが相撲に”品格”とやらを与えている、と言いたいのでしょうか。とりあえず、意味が分かりません。
やはり”品格”などという恣意的な言葉を使用する人達は、議論すること自体を拒否されているのでしょうか。
カトラーさん
下らないやりとりでコメント欄を汚してしまい、誠に申し訳ありませんでした。
投稿: へなちょこ技術者 | 2008.01.19 01:54
その通じなかったという皮肉で私に
何を伝えたかったのかね。皮肉抜きの記述で伝えても内容は全くかわらんだろう。品格という言葉を使うか使わぬかの違いしかないではないか。品格・品位・品という言葉を使用せずに同じ意味を伝えようとする努力が、言葉狩りでしかないことに気付いた方が良いと思うが。品格という語を悪用した奴がいると決めつけ個人攻撃を仕掛けておいて、品格に関心を持つ人々を格差社会の落とし子だと飛躍する。その人数の多さを終わりの始まりに結び付けておいて、朝青龍の強さに沸く角界へUターン 品格なんて関係ないとうそぶいてみせた揚げ句が、皮肉でしか使えなくなった「品格」の出来上がり。日本で文化大革命でも引き起こそうというのだろうか?
投稿: かかし | 2008.01.19 20:49
かかしさんに感謝デス!
というのは、本当に、かかしさんのおかげで、カトラーさんのブログは盛り上がっているからです。私は、「品格」とか言う人のことは信じませんが、全く違う意見の方の意見を聞くのは為になります。毎日数回カトラーさんのブログに訪れ、コメントしてくれているかかしさんの積極さ! 非常にポジティブなものを感じています。
これからも、よろしくおねがいします。
投稿: ercun | 2008.01.19 22:44
すいません。下記は適切ではありませんでした。
>やはり”品格”などという恣意的な言葉を使用する人達は、議論すること自体を拒否されているのでしょうか。
これでは品格という言葉そのものを否定しているようにも受け取れますね。すいません。
言いたかったのは、
"”品格”という極めて主観に基づいて使用される言葉を人·国等を判断する為の指標に使用することは、議論すること自体を拒否しているに等しい"
ということでした。
投稿: へなちょこ技術者 | 2008.01.20 13:28
日本人は「あなたは汚い」と言われるのを極端に嫌うねえ、
と日本語学習の中国人から聞かされたことがあります。
一方心が「きれい」とか言われると結構喜ぶのも日本人です。
考えてみればこうした特性が清潔好きで繊細な文化につながり、
高品質な工業製品やサービスにつながってきたのではないでしょうか。
高潔、人品、品性、上品、下品、気品、「品」に関する日本語はたくさんありますが、
これらの言葉をひねくれてとらえずもっと大事にしてもいいのではないですか?
投稿: momo | 2008.01.20 17:46
momoさんのいうとおり。日本人のきれい好きは、高品質のテクノロジーなどの長所を生み出したとおもいます。ただし、その逆に、そうした「きれい好き」が排他的な側面を助長していると思うのです。
投稿: ercun | 2008.01.20 20:04
商業ブログのおべんちゃらから「品格とかいう人を信じない」という方の唐突な感謝表明まで、賑やかなことである。
謡を口ずさみながらさんやmomoさんの実感こそが実態に最も近い感性なのである。そのような実感が浮き上がってしまう「場」こそが「不思議ワールド」だと言えよう。
「品」を腐った概念だとアジってしまうブログ管理者の「不徳の致すところ」と云ったところか。憤りを通り越して哀れを感じる。恥というものを知らぬかのようだ。ものの哀れも恥も、あなたにとっては腐った概念でしかないのだろうが。
投稿: かかし | 2008.01.26 23:43
もののあわれや恥が腐った概念なのではなく、もののあわれや恥を他人に押し付ける人間が腐った人間なのである。
朝青龍にはヒールの品格がありますな(笑
投稿: くろろ | 2008.01.27 15:41
くろろさん 解ったようで解らぬことを言う。「他人に押し付ける」とはどのような意味か。「強制」するということか。誰が誰にどのように強制できるというのか。それとも「批判」するという意味なのか。批判をする人間は腐っているとでも主張したいのかね。
私はあなたとのしりとり遊びに興じていられるほど暇ではないし、伊達や酔狂を愛でるような趣味も持たない。
投稿: かかし | 2008.01.27 21:49
なんですか、強要についていちいち説明してあげないといけないわけですね。
強要というのは「暴力や権力などを行使する、あるいは行使することを示唆することにより、相手の望まざる行為を行わせること」です。
横綱審議委員会委員という特権的な地位と権力を利用した内舘牧子等の「批判」は十分にこの強要の定義に当てはまります。はい、わかりましたね。これからはいちいちこういう下らない説明させるのやめにしてくれませんか。めんどくさいんで。
投稿: くろろ | 2008.01.27 22:23
朝青龍と白鵬の大一番は、久しぶりに相撲というスポーツの醍醐味を充分味あわせてくれたものでした。この2人のモンゴル人力士が見せてくれた今日の相撲は、大相撲の歴史に残るといっても過言ではない、名勝負といえるでしょう。こうした、ぶつかり合いのスポーツの素晴らしさを見せられると、内舘牧子のような連中がしたり顔でわめきちらしていた、腐った「品格」論議や、そうした観念にしがみつくことでしかアイデンティティを確認できない青白い連中は吹っ飛びますな。ざまあみろ、モンゴル人力士の爪の垢でも飲んで出直せ!といってやりましょう。
この2人が見せてくれた、相撲や勝負に対する真摯さは、なりふりかまわず頑張るエネルギーを忘れてしまった、この国の多くの人々にも勇気と力を与えてくれたものでした。
内舘牧子も含め、横綱審議委員会のメンバーが、この2人の力士に「あっぱれ!」と賞賛を与えるかどうか注目したいですね。
投稿: katoler | 2008.01.28 01:03
横綱審議委員会のメンバーの内舘牧子の顔は下品です。
吉永小百合とまで言わなくても、
もう少し上品な容姿の老婦人が相応しいでしょう。
あの顔で品格を説かれたら朝青龍でなくても反発しますよ。
投稿: 本音 | 2008.01.28 12:45
これはこれはアナーキーな。 くろろさん、国家による「日の丸」「君が代」の強制話まであと一息だ。「明治政府盗人(ぬすっと)説」の影響か。
反論のための反論は人を熱くさせる。ともかく少し頭を冷やした方が良い。迷路から抜け出せなくなる。
仮病でのサボリを横綱としての品格に欠けるという言い回しで出場停止・謹慎処分にした横審が、朝青龍の「病気と偽ってもサボりたい」という望みに反する「病を装ってサボらない」という行為を強要した。「品格」の強要だから横審の委員が腐った人間達なのか。私は最初から「品格といってもいろいろだ」と申し上げている。内館氏が朝青龍に暴力を振るったという事実はないようなので、仮病でサボる横綱に対する「横綱の品格」を求めての処分は横審・相撲協会の権限として全く妥当なものである。不当な権力行使だとは思わない。外国人差別とも何の関係もない。
その権限の一端を担っているからといって 内館氏の「横綱の品格」に絡めての批判が「十分に強要の定義に当てはまる」、などという事にはならないのだよ。内館氏に「けたぐり」を批判されたからといって「けたぐり」での白星が彼女の権力で黒星になるなどあり得ないし、土俵上でガッツポーズをしたからといって優勝が取り消されることもあり得ないのだ。もちろん出場停止・謹慎処分もない。内館氏が品格を強要する腐った人間なのかどうか、冷静に考えてみてはどうか。腐りきったメディアの終わりが始まったという現実を日本や内館氏にすり代えてその責めを負わせてはならないだろう。朝青龍が内館氏らのおかげで品格の何たるかを多少なりとも自覚したからこそ今回の千秋楽が迎えられたとも言える。朝青自身が「これからは品格も高めていきたい」と表明している。本当に反省しているのかどうかをこそ相撲ファンは注目しているのである。大相撲でのヒール的存在は、比類無き強さとふてぶてしく見える力士の個性によって、相撲ファンの判官贔屓の感情から出現することもあるのであって、仮病で叱られたり、レポーターにかみついたり、敵意剥き出しのはてに膝蹴りを食らわせる、プロレスショーもどきからは生まれない。仮病で優勝祝勝会をサボったり、表彰式で「1・2・3・ダァー」とやらかさないことを祈っているのは内館氏だけではなかろう。足の小指一本俵を割っても負けを認めなければならない相撲とギブアップ勝負の格闘技とは自ずと求められる品格も違うのだ。80年以上も前のことだがデビスカップの決勝戦まで清水善三という日本人選手が勝ち残った。対戦相手は「テニスの神様」といわれたチルデンだ。小柄な清水の巧みなボールを
打ち返した時、ビッグ・チルデンと呼ばれたこの大柄な選手が転倒してしまった。一瞬躊躇した清水はチルデンが起き上がって返球できるように緩いボールを返したのだ。フェアプレイ精神のお手本としていまだに語り継がれている。人は時代を人種を超えてそのような美意識を共有している。それを品性と表現して語ることを腐っていると決めつけることこそが思考停止だろう。
カトラー氏は 真剣勝負だ、勝ち負けだ、スポーツだと騒いでいるが、あなたに歴史に残る相撲の名勝負とやらが理解できるのか。あなたの憎しみの対象である日本社会やその歴史、日本人を見下すついでに持ち出した相撲話。そこへ引き込んで反体制ごっこの企みをはぐらかしているだけではないのか。
投稿: かかし | 2008.01.29 03:07
プロレスの歴史を振り返りますと、戦後は、外人レスラーはおしなべて悪役でした。そして、日本の経済が安定しはじめ未来が明るくなった70年に、はじめて愛される悪役レスラーという存在が現れます。それが、アブドーラ・ザ・ブッチャーです。
朝青龍へのバッシングは、品格うんぬんという問題というより、日本の問題だとおもいます。日本が外人選手をどう表象してきたか。社会・経済の状況とそれをつきあわせて表を作成したら、それが証明できるでしょう。
かかしさんの国粋的センチメンタリズムの言説は、ある意味、“フツー一般の日本人の意見”であり、面白いです。ありがとうございます。
投稿: | 2008.01.29 09:28
行数を見ればどっちが熱くなってるかは明白かと。
発言の要旨を200文字くらいにまとめてください。
投稿: くろろ | 2008.01.29 16:05
はじめまして、いつも興味深く読ませていただいております。
私は、日本的な品格に対する感性は、日本人が大切にすべき財産だと思っています。
だからこそ、ナショナリズムと品格を安易に結びつけて論じたり、二番煎じ三番煎じの品格本を売らんかなで書き散らしたり、確かに少々(日本的な)品が足りないとは言えど、マイノリティの立場ながら努力している横綱に対して嵩にかかったバッシングの音頭をとったり、そのような類の行為は日本的な品格に悖る行為として軽蔑を感ずるばかりなのです。本当に品が無いですよね!
伝統的な品格を重視すべきと論ずるかかし氏にこそ、それらの行為は忌むべきものと言っていただきたいというのが今回の感想なのですが・・・
投稿: 細雪 | 2008.01.29 23:53
細雪さん、はじめまして。小生の駄文をいつもお読みいただいているとのこと、本当にありがとうございます。
ご意見には、全く同感です。品格という言葉が、これだけインフレ状態になり、安売りされているのは、人々の心の中で品格というものの価値自体が下がってしまったからだと思います。寂しいことですね。
個人的には「秘すれば花なり」という世阿弥の言葉が、品格の極地だと思っていますが、じっと黙っていることは、今の世の中では、もっとも難しいことになってしまいました。
投稿: katoler | 2008.01.30 02:04
細雪さん、あなたにそのようにまで諭されては私など青菜に塩である。あなたにそうと出られては・・・私はどうすればよいのやら。返す言葉もない。お叱りごもっとも。
投稿: かかし | 2008.01.30 18:17
かかしさん
そのようにおっしゃられては却って恐縮です。
品を語る事は難しいですね。誰かを「品がない」と評するとき、誰しも自身をその相手より品性高いと無意識に規定する訳ですが、それはまた傲岸な姿勢でもあり、私などそのように思う度に自戒を覚えずにはいられません。
主題から少々それましたね、ごめんなさい。
これからもカトラーさんとの熱い討論を楽しみにさせていただきます。
投稿: 細雪 | 2008.01.31 21:44
貴方のお心遣いに甘えさせて頂きくようでお恥ずかしい限りなのだが、言い訳を許して頂きたい。私の心の中にはいつまでも決して歳をとらない母がいて、その母親の年齢をとうの昔に超えてしまった私には たとえ歳を重ねて容貌が衰えようともそんな母に孝行してみたかったという個人的な想いがある。自らの不純な動機をはぐらかす道具に過ぎない話題ごときのために、いち婦人の容貌を動物に例えてまで批判してみせる人物に憤慨してしまったのだが、細雪さんにたしなめられてみればそれもあくまで個人的な感情の発露に過ぎない。自身を正義と見立てて人と対する事の品の無さを貴方に気付かせていただいた。
投稿: かかし | 2008.02.01 01:16
始めまして 記事に関係の無いコメントですみません。
ブログ超初心者で上達もしない私の稚拙なブログに
次のようなコメントがありました。
“アマチュア相撲はスポーツですが、大相撲は「興行」で
あって「スポーツ」ではない。そこんとこよろしく。“
この御意見に私は納得出来ません。そこでご貴殿の
記事とコメントを無断で引用させて頂き自分のブログに
載せました。ご迷惑なら直ぐ削除致します。勝手に人様の
コメントを盗用したことをお詫び致します。
なお誰方に限らずスポーツでは無いという意見に対する、
お考えをお聞かせいただければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/69724be3d2a9353518aeb0d1f298a8e3/2f
投稿: 偏屈オヤジ | 2008.02.03 08:56