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美しい星の日本人と「温暖化難民」

Fukuda_davos1 首相がダボス演説、温暖化対策で技術革新3兆円投入
 7月の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)の議長として、地球温暖化問題について、京都議定書後の枠組み作りに取り組み、温室効果ガス削減の国別総量目標を設定することなどを掲げた「クールアース推進構想」を表明した。(YOMIURI ONLINE)

世界経済フォーラム(ダボス会議)で福田首相が、日本の地球温暖化問題に対する取り組みとして「クールアース推進構想」を発表した。二酸化炭素削減のための具体的な数値目標の設定や環境技術の開発を通じて、世界の温暖化対策でリーダーシップをとっていく姿勢をアピールした。7年ぶりに日本の首脳としてダボス会議に参加し、北海道洞爺湖サミットを前に具体性のあるメッセージを発信したことに対して、メディアの反応は概ね好意的で、及第点を与えているようだ。あの安倍前首相も環境問題で点数を稼ごうとしたところまでは、福田首相と同じだったが、「美しい星50」と、メルヘン調のまぬけなキャッチをつけてしまったために、主張した内容はたいして変わらなかったにもかかわらず、失笑を買っただけで黙殺されてしまった。
このことがあったからというわけではないが、日本という国は、本当に環境問題や地球温暖化問題でイニシアティブがとれるのだろうかと訝しく思ってきた。

何をいうか、日本には、世界に冠たる先進的な環境技術があり、古来「もったいない」という価値観を持って自然と共生してきた国民ではないか!と声高に反論する声が聞こえてきそうだが、水戸黄門の印籠よろしく、「日本の技術力」と「もったいない精神」さえ持ち出せば、人類が直面している環境問題が解決できると考えている目出たさ加減が、環境問題の本質をかえって見えにくくさせている。もっと、辛辣な言い方をすれば、この国のお坊ちゃん宰相が何の衒いもなく「美しい星」などといって世界中から失笑をかったように、日本では、環境問題とは、残念なことに「雰囲気」とか「気分」の問題でしかない。端的な例が、「ロハス」という言葉の流行だ。意外に思われるかも知れないが、こんなインチキな言葉を有り難がっているのは、世界広しといえでも、この日本国民しかない。

ロハスはマーケティング屋のでっち上げ造語

ロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability )というのは、もともとは、米国のマーケティング屋がでっちあげた造語で、大がかりな消費動向調査を米国で行ったところ、環境コンシャスな連中には、金持ちが多くて、消費性向も高いという結果が出た。そこで、この塊を「ロハス層」と呼び、マーケティングの対象にしてやろうと言い出したのが、そもそも、事の始まりである。そして、その仕掛けが、世界の中で唯一、最もうまくいったのが、この日本というわけだ。このブームの仕掛け人は、電通と雑誌「ソトコト」。仕掛けた連中は、最初から確信犯なので、あっぱれとしかいいようがないが、このインチキな言葉に、頭の弱い一般メディアの連中までが飛びついて、一大ロハスブームが巻き起こり、この国では、いつのまにか環境問題とは、ライフスタイルのことを意味するようになってしまった。繰り返しいっておくが、こんな言葉にかぶれているのは、日本人だけで、本家とされている米国でロハスと叫んでみても怪訝な顔をされるだけだから、くれぐれも注意しよう。

そんな美しい星とロハスワールドを夢見る、悲しき「日本人」が、目を開いて見なくてはならない環境問題の本質や現実とは何なのか?

ルモンド・ディプロマティークが訴えた「温暖化難民」問題

Le_monde_diplomatique ダボス会議(世界経済フォーラム)にちょうど対置させる形で、世界社会フォーラム(WSF)というイベントが全世界で開催されている。ダボス会議に象徴されるところの経済至上主義、グローバルエコノミーの暴力に対抗して、もうひとつの世界(alternative world)をめざすというのが、WSFの主張だが、1月26日、荒川区で日本のWSFのイベントが開催され、ルモンド・ディプロマティーク日本版の有志の人々による、ワークショップが開催された。
ルモンド・ディプロマティーク(以下、ディプロ)というメディアについては、以前、このブログでも取り上げたことがあるが、フランスのクォリティ・ペーパー「ル・モンド」の関連会社が編集する国際月刊紙で、環境問題から地域紛争まで、幅広い地域と分野を取り上げ、全世界で各国版が発行され250万人もの読者を抱えている。日本ではネット版が発行されているのだが、驚かされるのは、発行人の斉藤かぐみさんを中心としたボランティアの人々が手弁当で本紙を翻訳して配信しているのだ。ワークショップでは、このディプロ日本版有志の斉藤さん、土田さん、二村さんが、最近の記事を取り上げながら興味深い問題提起を行っていた。

ダボス会議での福田首相の演説との対比において、特に印象に残ったのは「温暖化難民」に関する報告だ。
グーグルで「温暖化難民」という言葉で検索すると、以下のディプロ日本版の昨年、4月4日の記事がトップにヒットする。

 バングラデシュ、明日の温暖化難民
ドナシアン・ガルニエ特派員(アルゴス団メンバー) 訳:阿部幸、岡林祐子
「2007年3月9日、欧州連合(EU)首脳会議は、2020年までに再生可能エネルギーの使用率を20%以上に引き上げるなど、地球温暖化に対する包括的な戦略に合意した。悠長にしている時間はない。環境異変の結果、数千万の人々が移住を迫られるという恐るべき状況になるかもしれない。すでにバングラデシュでは被害が現実になっている・・・・・

記事によれば、バングラデッシュでは、大昔から洪水が日常茶飯事で、人々はそれに対応する術を長年の間に培ってきたが、温暖化によって、その微妙なバランスが崩れている。

「・・・・この大量の水は、おもにモンスーンの時期に流れ込み、平均して国土の3分の1を水浸しにする。『人々はこれに適応することを学んできましたが、その図式が地球温暖化のせいで崩れてしまったのです』とウッディン・アフメドは強調する。第一に、モンスーン期にはヒマラヤの氷河が溶けて降水量が上昇し、海に流れ出すべき水の量が増えた。第二に、海面が上昇したせいで、川の流れが悪くなった。その結果、毎年の洪水が次第に大規模化、長期化するようになったと考えられる。こうして、大半が農村部に暮らすこの国の住民と気まぐれな自然の間に、何世紀もかけて培われてきた非常に微妙なバランスが崩壊した・・・」(ルモンド・ディプロマティーク日本版4月4日号より)

バングラデシュだけで550万におよぶ温暖化難民

そして、こうした気候変動の結果、バングラデシュだけで550万人にもおよぶ大量の温暖化難民が発生しているという。
20世紀は、内乱、民族対立などが世界各地で勃発したことによって、大量の政治難民が発生し、「難民の世紀」といわれた。この言葉に倣えば、21世紀は、「温暖化難民の世紀」になってしまうかも知れない。しかも、その影響の広がりは、政治難民をはるかに上回る規模と深刻さをもっている。現在、全世界で援助を必要としている「難民(政治難民)」は、約2500万人にのぼると見られているが、温暖化難民は、この記事にもあるように、バングラデシュだけで500万人を超える。この先、温暖化難民がどれくらいの規模になるかという予測については、英国の民間団体クリスチャン・エイドが、スイスの研究機関と共同で、2050年までに10億人に達する可能性があると、震撼すべき報告書をまとめている。
地球温暖化がもたらした海面上昇によって、水没の危機に陥り、全住民を移住させるという決断をした南太平洋の小国「ツバル」のことは、日本のメディアでも取り上げられ、だいぶ知られるようになったが、このツバルの難民(住民)の一部を引き受けたニュージーランド政府が、ツバルの人々の受け容れにあたり、彼らのことを「温暖化難民」と定義することをあえて避けたという。というのも、「温暖化難民」として受け容れてしまうと、今後、発生する大量の「温暖化難民」についても同様に対応することが求められることを畏れたからだといわれる。それぐらい、世界は、温暖化難民の問題の行く末に危惧をいだいているのだ。

20年で408人の難民しか受け容れていない日本

翻って、日本の現状を見てみよう。「ロハスブーム」は一種のご愛敬と大目にみるとしても、温暖化難民の問題に関しては、日本国内では、この問題の存在すら認識されていない状況だ。特に日本政府の対応たるや、単にそうした現状を「見て見ぬふりをしている」というだけでなく、この問題の隠蔽に動いていると表現するほうが適当なくらい陰険なものだ。そのことは、難民問題一般への対応を見れば、明白だ。日本は、他の先進諸国と同様に難民条約を批准して、難民を受け容れることを世界に対して約束しているにも関わらず、この20年あまりで、たった408人の難民しか認定していない。

なぜ、こんな恥さらしな状況になっているかといえば、難民認定を世界のどの国よりも厳しく制限し、毎年1人しか認定しないという破廉恥な運用をしてきたからだ。国連の難民高等弁務官として難民救済に奔走し、世界から最も尊敬を受けた日本人といわれた緒方貞子さんも、こうした現状に怒り心頭で、日本が難民を全く受け容れない一方で、毎年10万人にもおよぶエンターテナーを受け入れている現状を指摘して、命を脅かされている人々を無視しても、エンタテイメント(あるいは売春)目的のダンサーは受け容れるのか、と政府の対応を批判している。

残念なことだが、一般難民の受け容れさえ、世界で最も後ろ向きなこの国に「温暖化難民」の問題を訴えたとしても、とてもその声が届くとは思えない。

美しい星のライフスタイルに堕落した環境問題

ディプロ日本語版有志の人々が主宰したワークショップで、温暖化難民に関する報告を行った二村さんは、「日本の人々は、環境問題を語ることが好きだが、それは、ロハスやマイ箸やMotainai(もったいない)だったりして、ほとんどが口当たりの良い、ライフスタイルの問題として扱われ、温暖化難民が直面している生の現実には、なかなか向き合おうとしない」と指摘する。

日本では、企業の多くが、環境問題についてメッセージを出すことは、ブランドイメージの向上につながると考えられていて、環境広告が一種のブームの様相を呈している。しかし、彼らが望むのは、温暖化難民のような、本当の現実を呈示することではなくて、あくまでも口当たりの良い「美しい星」のおとぎ話だ。メディアも、そうしたおとぎ話の片棒をかつげば、広告がとれるので、環境をめぐる言説やイメージ空間に登場してくるのは、女優、動物、子供、テクノロジーといった、口当たりの良い話ばかりとなった。そこには、バングラデシュの干ばつに苦しむ老人の姿は、けっして現れてこない。

この国の環境問題に対する態度は、例えていえば、閉ざされた金魚鉢の中から外を伺っているようなものといえるだろう。ようするに、自分が泳いでいる周りの水だけがきれいだったら、それでよいというセンチメントによって支配されている。金魚鉢の中は、水が濾過され、循環しているので、こぢんまりとしたサステナブル(持続可能)な世界が成立しているが、本当の現実は、金魚鉢の外で進行している。中にいる魚たちは、外の世界が歪んで見え、金魚鉢の外も中と同じ空間がつながっていると思いこんでいる。

Nakamura_tetsu_doctor

アフガニスタンで灌漑用水づくりに取り組む中村医師

それでも救われるのは、そうした金魚鉢をぶち壊し、生の現実に果敢に立ち向かっている日本人も出てきていることだ。
アフガニスタンに単身、医師として飛び込み、医療支援を行ってきた中村哲さんという日本人がいる。米軍を中心とした多国籍軍が、アフガンに侵攻した際に、独特の語り口でメディアに登場し、米国や日本の対応を批判していたのを記憶されている方も多いと思うが、中村医師は、現在のアフガニスタンが直面している本当の問題は、パキスタンと同様に温暖化の進行によって、農地の砂漠化が進行していることだという。タリバン政権が倒れ、戦乱や迫害から逃れていた人々が故郷に戻ってきても、農地が失われているために、結局、生活再建ができずに、ケシなどの麻薬の栽培を再開してしまったり、ゲリラ化してしまう。その結果、治安状態がいつまでたっても安定せず、武装ゲリラやアルカイダの勢力の台頭を許しているのだという。

中村さんのスゴイところは、そうした現実に向き合って、医師としての仕事だけでなく、自らブルドーザーを駆って、現地の人々とともに灌漑用水の建設に取りかかっていることだ。
アフガンの沖合で、アメリカの軍艦に燃料を補給することの是非について不毛な議論を重ねても、アフガンの人々の暮らしは何も変わるわけではない。むしろ、そんな議論に時間を費やしている間にも温暖化は進行し、アフガンの人々が直面している現実は、さらに苛酷なものとなっていく。その温暖化の原因は、われわれが金魚鉢の生活を続けているために、排出している二酸化炭素であり、その被害を受けて、苦しんでいるのが、アフガンの人々であるという現実がきれいに忘れさられている。

ルモンドディプロマティークの記事には、興味深い提案が紹介されている。

「こうした地球規模の不正義を解決する道はあるのだろうか。ラーマンは言う。「私はずっと以前から次のような解決法を提案しています。各国が現在と過去の排出量に応じて、一定数の温暖化難民を引き受ける、つまり移送と受け入れの義務を負うというものです」。それはおそらく、1951年のジュネーヴ条約に定められた難民の定義を、温暖化難民にまで広げることになる解決法だ。一見突飛な説かもしれないが、もっと検討されてしかるべきだろう」(ルモンド・ディプロマティーク日本版4月4日号より

温暖化難民を受け入れる国際ルールを提唱せよ

COP13バリ会議では、米国の顔色を伺って、二酸化炭素削減の数値目標についてコミットしなかったために評判を落とし、内閣支持率も低迷状態にある福田首相だが、洞爺湖サミットで、温暖化難民の問題とその解決策を率先して提起したらどうか。温暖化難民を受け容れることが、二酸化炭素削減にカウントされるという国際ルールを提唱するのだ。先進国おける国民一人当たりの平均二酸化炭素排出量をベースに、「難民受け容れ人数×先進国の一人当たり二酸化炭素排出量」をその国の二酸化炭素削減量としてカウントできるようにする。京都議定書に定められた削減目標6%を現状ではとても達成できそうもない日本にとっては、その目標を達成しながら、難民救済という国際正義を実現し、さらに人口減少にも対処できる、一石三鳥の施策になるだろう。
温暖化によって、国を追われた人々と隣り合って暮らすことで、地球温暖化がもたらしている現実の重みやその問題に対して我々が背負っている責任を、はっきりと自覚することができるようになるだろう。

まず、金魚鉢を壊すことが先決だ。

(カトラー)

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コメント

耳に聞こえの良いだけで内容に疑問があるという点は同意するが、それと移民・温暖化難民の受け入れを拙速に結びつけるのはどうか?と思うゾ。
「安価な労動力・二流としての新国民の受け入れ」というのは文化的にも歴史的にも日本では受け入れられないと思う。
理念として一緒に同じ職場で同じ作業をするなら肌の色や身上に関わらず同じ条件であるべきであり、これらが未だ海の向こう側との格差であれば我々は相対的に良心も痛めず正視する事無くその状態を受け入れる事が出来る、少数の越境も例外として目を瞑る事もできる。
国内労働力の不足をいう前にすべき事は、今ある潜在労働力を上手くマッチングする事であり勤労所得層の労働と生活環境を改善し将来に希望を持たせる事で、その上でそれでも人手不足なのであれば、国内で新国民らと上手くやって行ける目途をおいてからやれば良い。
今のままコストを理由に外国人を入れるのは反対だし、むしろ無駄にコストが掛かる各種規制や権益団体の方をスリム化して風通し良くしたいね。

投稿: トリル | 2008.02.03 00:42

難民に与える土地も職業も日本には無いですよ。

ただでさえ食糧自給率が低いのに人口を増やしてもデメリットしかありません。

難民を受け入れられるのは、人口集約的な農業を行える広大な土地を持っている国だけだと思います。

投稿: ほるほる | 2008.02.03 17:11

ツバルの問題は、海面上昇ではなく(それも無いとはいえないが海面上昇はたったの5cm)、単なる地盤沈下らしいですよ?温暖化でツバルが沈むというのは、マスコミも取り上げやすくてセンセーショナルな「もっともらしい嘘」

投稿: Danz | 2008.02.03 22:30

環境問題での安倍前首相の対応が世界中の失笑を買った?そういう嘘をついてはいけない。まあ、その「世界中」とやらがあなた逹の不思議ワールドを指しているのなら「さもありなん」と申し上げる他はない。が、地球というプラネットに生存する人類社会を指しているのなら やはり「嘘」か「妄想」でしかない。
一億三千万日本人が金魚鉢の金魚でしかないと本気でお考えなのかね。もしやそうならお里が知れるというものだ。
アフガニスタンのブルドーザー運転手等々以外の日本人がそれほどバカに見えてしまうとは、、、驚きビックルを通り越して言葉もない。
それにしても、極め付きの人災でしかない北朝鮮での洪水被害を、あくまで自然災害だと言い張っている連中と五十歩百歩であるところがなんとも哀しい。あなたなら北朝鮮からの脱北者を災害難民と平気で主張しかねない。

投稿: かかし | 2008.02.06 00:51

> 環境問題での安倍前首相の対応が世界中の失笑を買った?
> そういう嘘をついてはいけない。

「美しいほにゃらら」と「安倍」の二つがセットになったそれだけで、笑っちゃうよ。

高村薫からも、その存在を「ほとんど『近づくな、キケン』のレベル」(作家的時評集2000-2007)でしかないと紙切れかナニかのように扱われてしまった安倍ちゃん、
「美しい国へ」では、その小学生並みの作文力で我々をおおいに楽しませてくれた訳だが、
「美しい星50」にいたっては、京都議定書の主催国としての目標達成も未だにおぼつかないと言うのに、そんなことはそっちのけ。
アジアの発展途上国に向かって、お得意の旧態然とした札束攻勢でもって原子力とCCS火力発電所の提供をブチ挙げたのだった。

で、「オイオイ、そんな大風呂敷を広げる前に、目先の議定書の目標クリアが先だろうヨ。」と世界中の笑いを買ってしまったのも無理はない。
もっとも、安倍ちゃんがスピーチ原稿の棒読みを始める前に、「美しい星50」とか言うタイトルを聞いてしまっただけで、みんなワロタとか。

投稿: elnest | 2008.02.06 23:14

あなたが高村某をどれ程崇拝しているのか知る由もないが、私にとってはミステリー、冒険作家の安倍評など紙切れ一枚ほどの価値さえないのだよ。あしからず。私も幼少のみぎりには 欲しい物を親にねだる方便に「クラスのみんなが持っている」と吹っ掛けたものだ。「みんな」とは便利な言葉である。あなたもすでに子供ではないのだろう。いい歳をして他人に甘えるものではない。私には「美しい」「安倍」で笑えるあなたの感性を到底理解できないのだが、人間笑えるうちに笑っておいた方が良いようだ。せいぜい腹の皮をよじっていよ。

投稿: かかし | 2008.02.07 01:42

でも、かかしさん。

自分のことを「美しい」ということが、本当に美しい行為だと思います?
それこそ、美意識のなさの現れだとおもいますよ。他人が評価してはじめて価値を持つ言葉じゃないですか。
「美しい国50」ってお菓子の名前みたいでみっともないですよ。


投稿: the vert | 2008.02.07 09:47

横レス
「美しい国」いや、それは「実現したい願望」という事でも良いんじゃね?
看板だけ出して満足してももらったり済ませてしまわれると困るし、イメージ的にどうしたいのかもう一つ分かるようで分からないんだけど(笑)
・・・言い出したのが安倍ちんだったり小泉だったから必要以上にクダ巻いてるように思うけど、
小沢や管・鳩山辺りが同じ事を言えば「その通り」とか言いそうだもん
まぁ不毛だから止めよう

投稿: トリル | 2008.02.07 19:48

 トリルさん、あなたのようなすべてお見通しのうえに気配りまでそつなくこなす知恵者と絡む必要などないと思っていた。the vertさんへコメントを返そうとしたところ、トリルさんが私の言いたいことをすでにコメントしておられた。坊主(安倍前総理)憎けりゃ袈裟(美しい)まで憎い・・・の一文で始まるコメントだったのだが無駄になった。それもまた良し。

投稿: かかし | 2008.02.07 21:06

そうですね。それもまた良し。

ところで、驚きビックルって何ですか? 教えてください。

投稿: the vert | 2008.02.08 00:54

 知り合いの不思議君たちが時折口にする言い回しだったので不思議つながりで使ってみた。おそらくビックリを「ビックル」という乳酸飲料の商品名に言い換えているだけだろう。他愛もない。使っておいてこう言うのも何だが常識人が常用するような代物ではなかろう。

投稿: かかし | 2008.02.08 04:01

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