チベット暴動、胡錦涛の恐れとダライ・ラマのメッセージ
中国国営放送を通じて、ラサ市街でチベット人が、中国人の商店や銀行を襲っている映像や、投石している映像を繰り返し流し、国際世論の矛先をチベット人の暴力に向けさせようとする一方で、武装した治安部隊を送り込んで、力による鎮圧に躍起になっている。
天安門事件以来、20年近くが経過し、改革開放路線の浸透やWTOへの加盟により、中国の民主化は着実に進んでいるという見方も生まれていたが、今回の暴動で中国共産党政府の本質は、何も変わっていないことを露呈させてしまった。
北京オリンピックの開催を間近に控え、国際的な威信の低下に繋がる、この種の暴動が起きることを最も警戒していたのは、他ならぬ中国政府であり、胡錦涛国家主席であった。
1989年のチベット暴動鎮圧の手腕が認められた胡錦涛
現在の中国共産党のトップ、胡錦涛主席は、1989年のチベット暴動の時には、チベット自治区党書記としてチベットの治安を統括していたが、戒厳令により暴動を力によって鎮圧した政治的手腕が認められて、中央政界のトップまで登り詰めた。現在、北京で開催されている全人代(全国人民代表大会)においても、現在のチベット自治区の党書記が「オリンピックに向けて最大の懸案は、チベットの治安問題」であるとし、ダライ・ラマ14世ら亡命政府の活動を分裂主義者と呼び非難していた。その矢先に生じた暴動であり、中国政府および胡錦涛にとっては極めて大きな痛手となった。
中国政府として、チベット問題に無策であったわけではない。むしろ硬軟織り交ぜた手厚い施策を発動していた。5カ年計画により400億元にのぼる投資を行い、ラサと北京を結ぶ青蔵鉄道を開通させ、チベットを一大リゾート地区にすべく、開発を急ピッチで進めてきた。また、漢族、回族のチベット地区への移住を積極的に進め、文化的、民族的にも同化政策を推し進めていた。チベット問題にうまく対処したことでトップまで登り詰めた胡錦涛にしてみれば、この問題を引き続きうまくやり通すこと自体が、自らの政権基盤の本質に深く関わっていた。その肝心、要の部分で綻びが生じた。
ダライ・ラマ14世のメッセージ
中国政府は、暴動の首謀者としてダライ・ラマ14世を名指しで非難しているが、暴動の直前の3月10日に「チベット民族平和蜂起49周年記念日」に寄せられたダライ・ラマのメッセージは、中国政府の同化政策を厳しく批判しつつも、胡錦涛の「調和ある社会」という考え方を支持し、対話を呼び掛ける内容になっている。
「・・・・中国は経済成長とともに強い力を持つ国家として台頭しています。これは歓迎すべきことであり、しかし同時に、世界的舞台で重要な役割を果たす機会を分担されたということでもあるのです。現在の中国指導部が言明している『調和ある社会』『平和的台頭』がいかに実行されていくか、それを目にできる日を世界中の人々が待ち望んでいます。そのような概念を実現するにあたっては、経済の成長だけでは不十分です。言論の自由のみならず、法律の順守、透明性、知る権利についての改善が求められます。中国は多民族国家です。その中国が安泰であるためには、すべての民族に自由と平等が与えられ、民族独自のアイデンティティが保護されていなければなりません。
2008年3月6日、胡錦濤主席は、『チベットの安定は中国国家の安定であり、チベットの安全は中国国家の安全である』と述べました。さらには、中国指導部はチベット人が満足のいく状態で暮らせることを保障し、宗教や少数民族に関する取り組みを向上させ、社会の調和と安定を維持しなければならない、と言葉を足しています。胡錦濤主席の主張は現実に即していますし、それが遂行されていくことを我々も望んでいます。
中国の人々は、今年中国で開催されるオリンピックを誇りに思い、たのしみにしています。私もまた当初から、中国がオリンピックの開催国となる機会を得られるようにと、支持しておりました。国際的な競技大会のなかでもとりわけオリンピックは、言論の自由、表現の自由、平等と友好が第一とされます。中国は、これらの自由を提供することによって、良識ある開催国であることを証明するべきです。・・・・」
この文章を一読すれば、ダライ・ラマが、チベットの尊厳や自由について、いかに強い思いを抱き、中国政府の弾圧と戦っているチベットの人々の姿に誇りを持っているかがわかるだろう。
民族主義と共生主義の両立
しかし、ダライ・ラマの思想は、単なる民族主義の枠組みではとらえきれない。チベットの民に対して深い愛を持ち、少数民族の自由と権利を主張しながらも、ダライ・ラマのメッセージが、偏狭な民族主義者と全く異なるのは、地球上の全ての少数民族が、等しく尊重されるべきであるという信念に支えられているからだ。ダライ・ラマの中では、小さき人々(少数民族)が、独立と自尊を希求する「民族主義」と、地球上の人々が共存する「共生主義」とは、矛盾なく両立している。
だから、彼には恐れるものが何もない。弾圧者である中国政府に対しても対話を呼び掛け、胡錦涛のいう「調和主義」に対してもエールを送る。政治的には、完全独立を主張しているわけではなく、真の意味でのチベット人の自治と文化的なアイデンティティの保持を要求しているだけで、覇権を握ることを望んでいるわけではない。
それに対して、胡錦涛の心には、深い恐れがある。中国が抱える最も大きな「少数民族問題」、すなわちチベットへの対応を誤れば、国内に内包される民族問題が噴出し、かつてのソビエト連邦や東欧の二の舞になるかもしれないという恐怖である。
胡錦涛の心に巣くう恐怖
政治(Politics)は、恐れによって動く。その恐怖を知悉した人物だからこそ、胡錦涛は中国の指導者として頂点まで登り詰めることができたのだろう。しかし、恐怖だけが支配する世界には、パレスチナ問題の帰趨を見れば明らかなように、果てしない恐怖の連鎖が続くのみだ。ダライ・ラマの思想は、その連鎖を断ち切り、出口なき世界に光明をもたらすものだろう。
世界は、ダライ・ラマのメッセージから、少数民族問題への新しいアスペクト(視角)を手に入れるかも知れない。すなわち、小さき者たちが共生しうる世界を体現しているのが、少数民族であり、少数民族のアイデンティティを認めることは、世界の多様性を認めることと深く関わっているということを。そして、もし、こうした視角を持つことさえできれば、民族問題とは、中国にとっても、いつ爆発するかわからない不気味なリスクとしてではなく、中国文化の豊饒性を裏打ちし、新たな文化的活力をもたらす可能性へと劇的に転化させられるのではないか。
もともと、中華思想は、他者に対して寛容で、排除する考え方は希薄だった。巨大な中国という世界の内部に、異質なものを全て取り込んで、なお成立するという懐の深さがあったはずだ。それが、今のような偏狭な国家になってしまったのは、たかだかこの数十年のことに過ぎない。中国人民とその上に立つ政治家に恐怖を刷り込んだのは、毛沢東であり、あの悪名高き文革が中国人民にトラウマのように残した最大の罪だろう。
ビョークが上海のコンサートで叫んだ「チベットに自由を!」
ラサ暴動が起こる2週間前の2日夜、上海でビョークのコンサートが開催された。上海に先だって東京で開催されたコンサートで彼女が発したメッセージは「コソボ独立」だったが、上海では、コンサートの終曲に「Declear Independence」を歌い、その中で「チベット!チベット!」と叫んだことが波紋を呼んだ。中国政府は、この事件に関して、不快感を露わにして、今後は、外国アーティストの公演内容を厳しくチェックすると言明した。
ビョークは、中国政府のこうした対応について、自分の公式Webサイトで以下のようにコメントを発表している。
「I am not a politician, I am first and last a musician and as such I feel my duty to try to express the whole range of human emotions.」(私は政治家ではありません、いつだって人間の心や感情の全てを表現しようとしているミュージシャンです)
一見すると、ミュージシャンとしての自分の立場を釈明しているように見えるが、ビョークが本当に言っていることは、こういうことだ。
「世界を変えるのは恐怖ではない、それを操る政治家でもない」
チベットに自由を! Free Tibet!
(カトラー)
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コメント
この凄惨極まる事件を取り上げたあなたのエントリー記事について、メイドがご主人様の顔色を窺うような「お気に召しましたか」などという言い回しを使って私を挑発する。どういうつもりか。このエントリー記事が義務と演技であることの表明か。
投稿: かかし | 2008.03.18 23:33
オリンピックは、はっきり言って、どうでもいい。
問題はその後ですよね。
五輪、そして万博後のポスト中国。どのように矛盾と問題と広い土地・莫大な人口を抱えたこの国が、万博後に新中国を作り出していくか。そこが焦点です。
兄の国のロシアで超人気のプーチンがお手本になっていくのかなあ、やっぱり。
投稿: junq | 2008.03.19 14:54
さすがの朝日も今回は中国政府には批判的だ。中国寄りの台湾の馬氏ですら「五輪ボイコット」を匂わせている。
しかし、中国政府は徹底した情報統制で時間を稼ぎ、高齢のダライラマが死ぬのを待ってチベットの同化政策をさらに強化させるだろう。
そしてそれは成功する。なぜなら軍事大国の前では国連も国際世論も無力だからだ。欧米各国もイラク戦争で懲りているし、中国から拒否権を剥奪したりしないだろう。ましてや軍事制裁なんかしない。せいぜいメディアを使っての抗議が限界だろう。発展する中国市場に対し限定的な経済制裁すらしないだろう。
国際世論なんてマスコミ同様まったく偽善的だ。ダライラマやチベットの人には気の毒だが、日本を含む他の国の人には反面教師にしかならないだろう。
すなわち国民たるもの「他国の攻撃には常に備えていよ。さもなくばチベットのようになる」だ。
投稿: sato | 2008.03.20 17:35
コメントをありがとうございます。
チベットの人々の声は、中国の体制に届くのかということを
考えると、現状では、悲観的にならざるを得ません。
しかし、逆の見方をすると、チベットの人々の高い精神性やダライ・ラマのメッセージは、今回のことや、故国から亡命せざるを得なくなったことで、世界の人々が知ることになったといえるでしょう。チベット仏教は、ユダヤ教やキリスト教のように、中国政府の弾圧を受けることで世界宗教化したのです。チベット仏教やダライ・ラマの大きさがわかってくると、逆に、中国や米国や、覇権主義の国家の限界が見えてきます。
投稿: katoler | 2008.03.21 01:24
あなたの手にかかると、「チベット問題」は遠く「米国の覇権主義の限界」にまで旅立ってしまう。「チベット仏教の世界宗教化」、市民大学講座の講義でもあるまい脳天気な。
(血の弾圧を繰り返す)胡錦涛の心理描写と、独立を求めてはいないというダライ・ラマのメッセージ。いきなり「偏狭な民族主義者」を登場させて「共生主義」に焦点を絞る。「偏狭な民族主義者」とは誰なのか? 胡錦涛ではないらしい。中国に抵抗している在家のチベット人を指しているのか?
人口600万人のチベット人は国を奪われ、すでに120万人が虐殺されている。高地での生活を嫌い遅々として進まない漢民族のチベットへの入植、チベット入植を条件に刑務所の犯罪者に恩赦を与えて大量に送り込んでいるという。人々の尊敬を集めている高僧たちに尼僧との性交を強要し、拒否すれば腕を切り落とす。苦しむ僧に向かって中国兵がうそぶく、「その腕、仏陀に返してもらえ」。
共生主義? 事件は現場で起きているのだよ、カトラーさん。ダライ・ラマは中国共産党の殺戮から同朋の命を救おうとしている。彼の忍耐と抑制をもっと深く理解すべきだろう。その忍耐と抑制からのメッセージをここぞとばかり、妙な主義主張の道具に利用してはならない。
投稿: かかし | 2008.03.21 09:32
あの〜、初めてコメントするのですが。
かかしさんは、どうしてそんなに怒っているのですか?
現在、チベットで何かしていらっしゃる方なのですか?
それとも具体的な対策や理想を持っていらしたり、
カトラーさんとは違う見方をされているのでしょうか。
能天気な質問でごめんなさい。
でも主義主張の有無は横において、かかしさんは
「ダライラマの忍耐と抑制をもっと深く理解」したならば、
ご自身は(人は)どうする(しない)方がよいとお思いですか?
そうすると、どうなる(ならない)と思いますか?
投稿: はてな | 2008.03.21 10:32
はてなさんの質問に答えるつもりはない。あなた自身がすでに認識している通りで、能天気な質問への答えは無意味である。ただ あなたのコメントで、あなたが唯一質問していない「ダライ・ラマの忍耐と抑制をもっと深く理解する」、についてなら答える用意はあったと申し上げておく。
投稿: かかし | 2008.03.21 16:12
では遅まきながら「ダライ・ラマの忍耐と抑制をもっと深く理解する」とはどういうことかお聞きしてもいいですか?よかったら、かかしさんの考えを教えてください。
投稿: はてな | 2008.03.21 19:56
ダライ・ラマ14世の主張は一貫している。チベットの「高度な自治」と「自由」「法の下の平等」を中国共産党に求めている。チベット独立は求めないとも言っている。そのダライ・ラマに対して中国共産党はこれまた一貫してチベット独立要求を放棄せよと言い続けている。どういうことなのか。
自由な選挙を経て成立した中央政府が、県知事州知事を任命している国を民主主義国家とは呼べない。自由な選挙による地方自治が存在して初めて民主主義が実現される。つまりダライ・ラマの「高度な自治」「自由」の要求とは、完全な民主化の要求にほかならない。中国の中央・地方で自由な選挙が実施されれば中国共産党は一瞬で崩壊する。人民解放軍という国家の軍隊ではない党の軍隊つまり私兵の暴力で成り立っている中国が統一を保てるはずがない。チベットは独立するのである。民主化イコール中国共産党の崩壊でありチベットの独立でもあるということだ。
カトラーさんは「中国の民主化は着実に進んでいるという見方も生まれていたが・・・」とわざわざ言及しているが、そんな見方など最初から荒唐無稽なものなのである。中国共産党は世界に向かって民主化しないと言えないだけで民主化を実現するつもりなど全くない。それに、ソ連は民族問題の対応を誤って崩壊したわけではない。情報公開という民主化への一歩を踏み出したとたんに崩壊したのだ。
中国では1年間に8万件も暴動が発生している。チベットの暴動に神経質になっているのはそれが民主化に直結するものだからだ。民主化こそ中国共産党の真の敵なのである。
ダライ・ラマはそれを知っている。性急な独立運動は多くのチベット人の命を中国に差し出すに等しい。彼はそのことを憂いている。だが、チベット独立のために命を投げ出す覚悟を決めているチベットの若者たちを、彼は説得しきれるだろうか。彼らを「偏狭な民族主義者」と罵倒する資格が誰にあろう。
「チベットに自由を!」は、「中国共産党を崩壊させよ!」と同義なのである。米国の覇権主義を持ち出して中国共産党の一党独裁と並列させる意図など論外である。
中国共産党は人類の敵である。
投稿: かかし | 2008.03.22 02:04
そういう見方があるんですね。
かかしさん、丁寧なお答えをありがとう。
投稿: はてな | 2008.03.23 10:45
実はかかしさんと全く同意見の中国人もいるんですよ。彼はこうも主張しています。
「選挙で選ばれた台湾の総統に中国本土も統治させよ!」つまり反共産党の人たちです。
表面的にはともかく本音では共産党政府を信用していない中国人は案外多いかも知れませんね。
投稿: toto | 2008.03.24 19:46