静かな津波が広がっている ~食糧危機の深層~
「お前は、米をお百姓たちが、どんな思いでつくっているかわかっているのか!」
家中に響いていた父親の怒鳴り声を今でも不意に思い出すことがあるが、その頃は、子供心に父親は、お米を作っている祖父母のことが好きだから怒るのだろうと勝手に解釈していた。しかし、最近になってようやく、父親が怒っていた本当の理由がわかった。
父は、米が食卓から忽然と消えてなくなる日が来ることを恐れていたのだ。
日本人の歴史の中で、一般庶民が米を腹一杯食べられるようになったのは、ここ数十年の間のことでしかない。池田勇人が大蔵大臣の時代に「貧乏人は麦を食え」と言って物議を醸したことがあったそうだが、米を食べることは、それ自体が贅沢という時代がつい最近まであったのだ。終戦後から日本人の米消費量は、急伸するが、昭和37年にピークを打つと、その後は一貫して下がり続ける。パン食や肉食など日本人の食生活の多様化が進展し始めたからだ。その後、日本の米農家は、供給過剰による慢性的な価格の下落とそれに伴う減反政策に悩まされ続けた。
静かな津波が世界中に広がっている
その米が、奪い合いになっている。幸いなことというべきか、それは、まだ日本国内のことではないが、米だけでなく、小麦、大豆、とうもろこしといった国際商品穀物の価格が急騰し、国際食料計画(WFP)のJosette Sheeran事務局長が、「This is a silent tsunami(静かな津波)」といっているように、世界中にこれまでにないタイプの「飢饉」とそれに伴う社会不安が津波のように広がっている。
ハイチでは暴動が起こり、首相が辞任に追い込まれた。エジプトでも数千人規模の暴動が発生し、ムバラク大統領が軍隊に対してパンの製造を命じるという異常事態が発生している。香港でも米の買い占め騒動などが発生するなど、全世界で食糧をめぐる社会不安が発生していることをメディアは連日報道している。こうした事態を受けて、来週、急遽、FAOが食糧サミットを開催する。
そもそも、何故、穀物価格は急騰を始めたのか。その背景についても多くのメディアやシンクタンクが分析や解説を行っているが、大体、以下のような高騰要因を並べたてている。
① 穀物輸出国オーストラリアでの昨年の干ばつに伴う不作(地球温暖化の影響?)
② 中国、インドなど新興国における爆発的な需要拡大、肉食など食生活の高度化
③ バイオ燃料として注目されるエタノールの原料としてトウモロコシ需要の急増、
④ 原油価格高騰による輸送費、肥料、燃料費などの負担増
⑤ 投機的資金の穀物市場への流入
そして、こうした構造的な要因を背景に、食糧価格は今後も高騰しつづける可能性が高いと結論づけている。
ここで列挙されている理由は、ひとつひとつを取り上げればどれも誤りとはいえないだろう。しかし、こうした優等生の模範解答のようなステレオタイプな説明は、問題の本質を捉えていないどころか、むしろ問題の核心を隠蔽することの方が多いといってもよいだろう。
穀物価格の急騰をもたらした真の要因は何か
多くのメディアが撒き散らしている、こうした模範解答において言及されている食糧の長期的な需給ギャップが存在するとしても、昨年からの穀物価格の急騰現象は説明がつかない。あたかもわかったような気になっているだけだ。
2007 年1 月から2008 年5 月までの短期間に、トウモロコシが1.5 倍、小麦が1.7 倍、大豆が1.8 倍、米の国際価格にいたっては2.7 倍の水準まで高騰している。オーストラリアの干魃は小麦の価格に関係しているとしもて、トウモロコシや大豆とは関係ない。米についていえば、凶作や実需が何らかの理由で倍増したという話はとんと聞いたことがない。
つまり、ここで穀物の国際価格の高騰要因とされるもっともらしい理由は、全体としてみれば、事態の本質を隠蔽するという「もっともらしい嘘」になってしまっている。
思い起こされるのは、これと全く同じような論理が、日本の土地バブルの時にも見られたことだ。
① 日本は国土が狭く、日本の土地は有限である。
② 日本経済はずっと成長してきたし、これからも成長しつづける。土地やオフィスに対する需要も拡大し続ける。
③ 日本経済は、土地本位制であり、担保価値を割り込んで土地の価格は下がることはない。
今、考えれば、こんな理屈をどうして信じられたのかと思えるのだが、当時の日本人の多くが、この「もっともらしい嘘」土地神話に見事に騙された。
それでは、おなじように「もっともらしい嘘」によって穀物の国際価格を急騰させ、それが、当然の帰結、必然であるかのような言説を撒き散らしているのは、一体誰なのか。
ブッシュ大統領の一般教書演説が契機に
犯人捜しをすることが目的ではないが、明らかなことがひとつある。それは、このエントリー記事の冒頭に掲げたグラフを見れば、すぐわかることなのだが、昨年2月にブッシュ米大統領が、一般教書演説の中で化石燃料エネルギーへの過度の依存を是正し、二酸化炭素抑制を掲げバイオエタノールを代替エネルギーとして活用する方針を表明したことから、穀物価格の高騰が一気に加速したという事実だ。
バイオエタノールの原料作物は、主にトウモロコシだが、米国の農家が大豆や小麦の栽培からトウモロコシに鞍替えしたために、大豆、小麦の価格も高騰した。後は、連想ゲームだ。大豆や小麦が上がるなら、米も上がってもおかしくない・・・そう考えた連中が、香港で見られたように米を買い占めたり、あるいは商品先物市場に投資することで、実際に値がつり上がっていった。
そして、米価の急騰によって国外に米が流出することを懸念したインドやベトナムが輸出規制に踏み切ったために、さらに価格が急騰するという悪循環に陥った。こうして、穀物価格の高騰による新たな「飢饉」が貧しい国々を津波のように襲ったのだ。
静かな津波の震源地はサブプライムローンの破綻
そして、現在の「静かなる津波」といわれている食糧危機の震源地は、米国のサブプライムローンの破綻に求めることができる。すなわち、米国内の住宅ローン市場に投資されていた投機資金が、新たな儲け先、あるいはサブプライムローン破綻による実損を取り戻すために仕組んだマッチ&ポンプ相場が今回の穀物価格の急騰といえるのではないか。
このことは、投資ファンドの動きからも裏付けられる。
2007年の第1四半期末から始まった穀物相場の急騰に呼応して、上場投資信託(ETF)が欧州農産物を対象に運用する資金は5倍に膨らんだという。英銀バークレイズ系列の投資専門会社バークレイズ・キャピタルによれば、この間、米国農産物取引での運用残高はそれ以上に拡大し7倍にまで達したという。
地球環境保護という美名のもとで打ち出されたバイオエタノールへのシフトは、穀物相場全体の急騰を招き、1日の収入が1ドル以下という最貧国の人々から命の糧を奪った。その裏で、大儲けした国際穀物メジャーや投資ファンドが高笑いしている。
地球環境を守るという掛け声のもと、代替エネルギーへのシフトが唱われたわけだが、結果的としては、米国では、エタノール向けのトウモロコシの作付けがトウモロコシ全体の作付け面積の20%まで占めるようになり、それが引き金になって、全面的な穀物価格の急騰が生じたということは、これまで見た通りだ。ところが、米国全体のエネルギー使用量に占めるバイオエタノールの割合は、1%にも達していない。
進まなかった代替えエネルギーへのシフト
要するに、トウモロコシの収量全体の20%を犠牲にしながら、化石燃料依存を脱却するという課題は、これっぽっちも解消されていないのだ。穿った見方をすれば、米国ブッシュが主導したバイオエタノール騒ぎは、地球環境の問題とは、端から関係がないのであり、代替エネルギーへのシフトという大義名分の下、もともと流動性の少ない穀物の世界に投機資金を呼び込み、穀物価格をつり上げて一部の投機的投資家を大儲けさせることが真の狙いではなかったのか。
食糧サミットでは、どうやら、食糧増産の方法やら「今後の対策」に関する議論が中心になるようだが、私にいわせれば、犯人捜しの方が先決である。穀物価格の上昇によって大儲けした連中をテーブルの上にならべて、相互の関係をつまびらかにすれば、誰が仕組んだことなのかはっきりするはずだ。とはいえ、仮にそうした議論が行われ、食糧の投機的な取引に関しては何らかの歯止めが講じられたとしても、投機マネーは、既に次のターゲットの物色に入っているだろう。原油、資源、食糧とターゲットは変遷してきたが、次に向かうのは、たぶん水資源だろう。
私は、これまで資本主義というものは、多くの問題はあるにせよ、基本的には善なるシステムだと思ってきた。それは、飢えや渇きに苦しむ人々に経済と産業をもたらし、貧困から救い出すものであったからだ。それが、逆に津波のように人々を襲い、命の糧である食糧や水を奪い始めている。これは、貧しい国々の人々だけの問題ではない、資本主義の危機だ。
(カトラー)
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コメント
大変興味深く読ませていただきました。
今まで点でしかなかった事柄が貴殿のお陰で線になったような気がします。
TBさせていただきます。
投稿: ベトナム大好き | 2008.06.02 05:04
興味深く読ませてもらいました
石油を堀つくし、今度は水ですか
人間とは愚かで困った生き物ですね
投稿: のらり | 2008.06.02 08:04
カトラーさん。大儲けどころではないのです。
すでにその段階を過ぎてしまって西欧中心の超巨大ビジネス産業になってしまっているのです。
21世紀は戦争ではあまり儲けられなくなったので、こんどは食料や水や大気をお金にかえる、というわけです。
表看板の「環境問題」そのものがどうもあやしい気がします。今度のサミットでも数兆円日本は金を出すそうです。
多分日本は絶好のカモターゲットでしょう。バカで欺されやすい民族は結局滅亡する運命なのでしょうか。
福田総理は排出取引にも応じるでしょう。構造的にグリーンピースやシーシェパードの日本タタキ(日本ユスリ?)と似ている気がします。
彼らの背後にはゴアも米国民主党もノーベル財団もいます。犯人捜しなんかしたら逆にこっちが攻撃されます。
悪魔の商人たちはメディアや教育団体を使い世界中で暗躍しています。多分もう手遅れかも知れません。
ほんとムチャクチャな話です。娘にそういう話をしたら娘に言われました。「だって環境問題は大事でしょ」
投稿: 賢者 | 2008.06.02 10:48
環境問題がただのヨタ話だとしたら本当にアホな話です。田中宇氏はすでに4年も前に以下のように指摘しています。
誰がそれを企図しているのか。かいつまんでいうと「イギリスを中心とする先進国が、発展途上国の成長率の一部をくすねるために考えついたのが、地球温暖化問題である」というのが私の分析である。
田中宇「地球温暖化のエセ科学」より
投稿: 賢者 | 2008.06.02 13:57
私の妻の実家
フィリピンでも米が急激に値上がりをしています。
収入のほとんどを食費にあてている
貧しい国では、本当に切実な問題だと思います。
投稿: sugino | 2008.06.03 20:03
現状を憂えるのは同意だしキャピタリズムが万能薬でないのも同意だが、「○○主義は駄目だ、○○主義だ」といった分かりやすいスローガンで、たぶん、どうにかなる物でもないでしょう。
昔は何処にでも見られた「間引き」が現代的にスケールアップで牙をむき出し始めたのかもしれません。
先進国の(移民層を除く)少子化とかもね。
しかし短期的には「市場の暴走はけしからん、それで儲ける奴や仕組みはけしからん」で良いでしょう。
投稿: ト | 2008.06.04 17:26
資源・食糧価格の高騰は投機筋の積極買いが原因である。そこまではカトラーさんと同じ見解だが、その後段が納得できない。「ブッシュの陰謀」説に走ってしまえば、それこそ本質を見失う。それでは世界経済の大きなうねりに翻弄されるばかりだろう。
石油・穀物の現物の需給バランスをみれば、投機買い以外の要因は、カトラーさんご指摘の通り「優等生の模範解答」というもっともらしい嘘でしかない。それらと同様に「ブッシュの陰謀」説も事実ではない。ブッシュの発言は、アメリカのエネルギー政策の転換を意識する流れの中で出てきたものだ。あくまで本筋は原子力発電所と天然ガスの輸入基地の決定的な不足への対応。そして何より深刻な問題、石油精製能力の不足の解消である。日本からガソリンを輸入しなければならないほどの事態だ。
バイオエタノール→サブプライムローン問題→投機的投資家→穀物相場上昇→ブッシュの陰謀、この模範解答からでは真実は見えてこないのではないか。
「真犯人は投機筋」、そこから浮かび上がってくる21世紀の世界経済の本質を知るには、増え続ける余剰資金の存在と、その理由が鍵なのだ。サブプライムローンは震源地なのではなく地表に現れた断層の亀裂なのである。サブプライムローンによる金融危機を脱するために短期金利を大幅に下げたことと、増え続ける余剰資金、「現物の需給関係の逼迫」という根拠の薄弱ないい加減な予想が相まって インフレ懸念が投機筋を動かしている。
「景気」とはよく言ったものである。つまりは人々の気分しだいだ。その気分を作り出すのが、現在の大転換期についてゆけない愚かなマスコミや偏向知識人であろう。石油ショックのトイレットペーパー騒動は子供ながらに記憶している。これからの経済動向の基本的な流れは物価上昇のインフレだという判断ミスが、投機筋のみならず有識者の理解の根底にあるのではないか。 現実を見誤っているとしか言いようが無い。そのような「気分」で暴騰した価格は あっという間に暴落もする。投機筋は極め付きの危ない橋を渡っているのだ。
貧しい国の人々が命の糧をうばわれるというなら、実行犯は投機筋、裏で糸を引いているのは現実を直視できずに間違いだらけの情報を振り撒く 偏向知識人やマスコミ、ということにならないか。
投稿: かかし | 2008.06.05 20:30
みなさん、コメントありがとうございます。返事が迅速に返せず、申し訳ありません。ローマの食糧サミットが終了しましたが、穀物価格の高騰の抑制の手だてに関し、具体的な合意が形成できずに終わってしまいました。
特にトウモロコシなどからバイオエタノールを生産することの問題については、福田首相が、演説で言及する予定にしていたのが、米国に配慮したのか、直前で演説の草稿から削られたという経緯が報道されています。なんとも、情けない話です。世界最大の食糧の輸入国である立場をもってすれば、もっと強い意志表示ができるはずですね。食糧問題は、洞爺湖サミットでも中心テーマになるようですが、こんな調子では、成果はとても期待できないですね。
この一件をとっても、米国が、バイオエタノール騒ぎで、穀物を覇権戦略的に活用しようとする、並々ならぬ意志がかいま見えます。かかしさんも指摘されていますが、それは、原油の支配力が弱体化し、国際オイルメジャーが落ち目になり、ロシア、アラブなどの原産地メジャーが力を増していることに起因しています。石油にかわり、穀物で世界戦略を展開しようというのが、米国の意志といえると思います。
投機マネーの中心が、アラブマネーだとすれば、食糧価格の高騰は、アフリカの人々を犠牲にしながら、米国とアラブの連中の利害と思惑が合致しており、両者が共犯者になりうるという点がポイントでしょう。
繰り返しますが、世界最大の食糧輸入国として、こんな馬鹿なことはやめさせなければなりません。
投稿: katoler | 2008.06.07 11:58
田中宇って人はなぜか人気あるようですが
この人ってただの陰謀論好きですよね。
911陰謀論者だし。だから陰謀論好きが多い
ネットではこの人がウケるわけですけどね。
温暖化がエセ科学なら世界中の科学者は
アフォだっていうことでこのほうが問題ですね。
投稿: tomeko | 2008.06.07 16:04
経済はあまり詳しくないのですが、かかしさんのコメント内容がよく理解できません。これだけ物価が上がっていればインフレになるのではないでしょうか。アメリカのバーナンキはインフレの恐れがあると発表しています。
カトラーさんが指摘しているように、アフリカのような貧しい国々から食糧不足が始まってやがて世界中の人々が食糧難に苦しむのではないでしょうか。世界最大の食糧輸入国で自給率の低い日本の危機だと思います。
投稿: 社会人学生 | 2008.06.08 03:54
To:社会人学生さん
>経済はあまり詳しくないのですが、かかしさんのコメント内容がよく理解できません。これだけ物価が上がっていればインフレになるのではないでしょうか。アメリカのバーナンキはインフレの恐れがあると発表しています。
かかしさんの指摘は実物経済<金融資産(過剰流動性)でインフレが起きているという指摘ですね。FRBもそうですが、今のインフレをコストプッシュだと認識している人は殆どいないとは思いますよ。。。
投稿: へなちょこ技術者 | 2008.06.09 12:18
>FRBもそうですが、今のインフレをコストプッシュだと認識している人は殆どいないとは思いますよ。。。
すいません、上記は意味がおかしくなっちゃってますね。
貨幣要因であっても、需要がトリガーではないという意味ではコストプッシュではありますね。。
いずれにせよ、皆さんがお嫌いな"投機筋"は金利上昇の動きが見えたら、(損を出しながら)我先にと引き上げ始めるんでしょうね。
しかし、その投機筋がの損切りがバッファになるんだし、引き上げたカネが新興国へと流れて不均衡を是正したりもするんだから、あんまり悪者扱いしないでくださいね。
投稿: へなちょこ技術者 | 2008.06.10 21:55
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