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第三の開国へ、内向きの日本志向、情緒的な鎖国主義を排せ!

自民党国家戦略本部、移民1000万人を提言
Photo 自民党国家戦略本部の「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」(座長・木村義雄衆院議員)は20日午前、日本の総人口の1割に当たる1000万人程度の移民受け入れを目指す政策提言を福田康夫首相に提出した。首相は「大・人口減少社会に入っていく中で、広く人材を活用しかなければならない。提言を生かせるよう真剣に受け止めたい」と述べ、前向きに検討する考えを示した。
木村氏やPT顧問の中川秀直元幹事長らが20日午前、首相官邸を訪れ、首相に報告書を手渡した。(産経MSNより)

先月、自民党の国家戦略本部が、日本の人口の約10%にあたる1000万人の移民を受け容れるという構想を福田首相に提言した。これは、自民党の中川秀直元幹事長などが中心となってまとめたもので、移民の積極的な受け入れで活性化を図る「移民立国」への政策転換、外国人政策を一元的に担う「移民庁」設置や移民受け入れの指針となる「移民基本法」制定、留学生の100万人受け入れ-などの政策が提言されている。

移民問題については、このブログでも何回か取り上げてきた。その中で指摘したのは、この問題について「移民を受け容れるべきか否か」というような論点で議論される傾向があるが、そうした問題の立て方や選択肢そのものが既に無意味になっているということだ。そんな空疎な議論を交わしている間にも外国人労働力は流入しているのであり、何よりも彼らの力を借りなければ、既にこの国自体が立ちゆかなくなっている。議論すべきテーマは、彼らを受け容れるか否かではなく、いつから、どのような戦略に基づいて移民政策を実行に移すのかということだ。自民党という政党も中川秀直という政治家も個人的には、いけ好かないが、責任与党の政治家としての見識に従って、現実を見すえれば、物事はこうなりますよという問題提起を行ったことは評価できる。民主党も若手の有志議員が中心となって、2004年に「移民1000万人受け容れ構想」を発表していることは、このブログで紹介したことがあるが、与野党間で移民政策をめぐって共通認識が生まれつつあることは、ひとつの前進だ。頭の悪い国粋右翼や情緒的な鎖国主義者でない限り、好むと好まざるとに関わらず、外国人労働力の受け容れは避けようのない現実なのだ。

グローバル化で始まった人材獲得競争

移民受け容れを推進すべきと考える理由は2つある。ひとつは、グローバル化の流れの中で、モノ、カネ、情報だけでなく、「人材」の流動化が急速に進み、世界中から優秀な人材を獲得することが不可欠になっているからだ。ITや金融分野では既にグローバルなスケールで熾烈な人材獲得競争が始まっており、日本もその競争を勝ち抜いていかない限り、高付加価値な産業を発展させていくことはできないだろう。日本は「ものづくり」でやっていけばいいんだというようなナイーブな議論が未だに真顔で行われているが、こうした与太話を流布させるマスコミや識者ほど罪深いものはない。

iPod Phoneに日本人が長蛇の列をなしているのを見ればいい。ものづくりとITを軸としたビジネスモデルが融合して動くのが21世紀の製造業であり、アップルは工場を保有せず付加価値を設計するIT&製造企業へと見事に脱皮した。「ものづくり」においても高度な付加価値をデザインし、創造できる人材が確保できなければ、現在の日本の経済水準を維持することすら到底不可能になる。コンビニの店員や季節工を確保するだけなら、ナントカ研修生という名目の低賃金の外国人労働力を搾取してこき使えば何とかなるかも知れないが、日本の産業の成長に貢献する高度なスキルを持った人材を日本の産業や企業に呼び込むためには、日本社会で彼らが安心して長期的に暮らせる環境を提供すること、すなわち移民政策の発動が不可欠となる。

ドイツの苦悩と新移民法の成立

ただし、単に国内労働力の不足を補填するという狙いでアジア諸国から、労働力を受け容れるだけでは、手痛いしっぺ返しを受けるだろう。ドイツは高度成長時代に労働力不足を補うために大量のトルコ移民を受け容れたが、70年代のオイルショックによる不況や、90年代に進行した製造業の海外移転によって、大量の失業者と社会不安を抱えこむことになってしまった。しかし、そのドイツも2004年に新移民法を成立させ、あらためて移民を長期的、戦略的な視点にたって受け容れていくことを確認し、高度なスキルを持った人材を世界中から集めるという戦略ヴィジョンを明確に打ち出した。重要なことは、労働人口の減少という現実にだけ目を奪われ、働き手の頭数を揃えるという発想だけで移民問題を考えてはならないことだ。ヴィジョンを持った移民の受け入れが重要だ。

移民の受け入れが必要と考えるもうひとつの大きな理由は、そのことが、この国の「心の開国」につながると思うからだ。日本の住民の1割が外国人ということになれば、当然、軋轢も生じるだろが、人間関係というものは、ぶつかりあいがあって初めて深まるのであって、世界には様々な考え方、文化が存在するということを肌で感じ、日常的に意識することで、日本人の精神は否が応でも世界に向かって開かれることとなるだろう。
この国に充満する言いしれぬ閉塞感は、アキバ事件にも見られるように、若者の間で特に著しい。「最近の若者」という言い方はしたくないのだが、あえていうなら、彼らに特徴的と思えるのは、ひどく「内向き」になっていて、日本の中のことだけしか見えていないのではないかと思えることだ。

若者達の内向きな日本志向、オタクは国粋的?

自民党の1000万人移民構想が報道された時、アキバ系のブログで移民を入れるなんてトンでもない!という反応が巻き起こった。オタク文化は、世界に伝播し、今やグローバルカルチャーになったのに、その担い手たちは、妙に「国粋的」だ。
しかし、オタクとよばれる若者たちが、生身の人間よりもヴァーチャルな世界に惹かれ、オタク同士の同質的な世界に引きこもる傾向があるとするなら、日本の中で内向きになるのも、考えてみれば当然の帰結かも知れない。リュックひとつを担いで、海外を放浪するようなバックパッカーと呼ばれる日本の若者をめっきり見なくなったという。自民党の麻生太郎は、マンガ好きを標榜し、アニメ・マンガ文化のパトロンを気取っていて、昨年の自民党の総裁選では、アキバで街頭演説をして、アキバ系の若者から「タロー!タロー!」と応援コールを受けて悦に入っていたが、麻生太郎のアキバ系若者の間での人気は、こうした内向きの日本志向、いいかえれば、国粋オタク的なセンチメントを背景にしているのかも知れない。

開国を阻む情緒的な鎖国主義者

Photo_2 そして、心の開国を阻むもうひとつの典型が、私が情緒的な鎖国主義者とよんでいる、森永卓郎のような人物だ。森永は、「構造改革を生きどう生きるか~人口減少社会なんて怖くない~」という文章の中で、以下のような主張を展開する。

「人口減少時代を迎えて、移民を受け入れよと主張している人がいる。いわゆる、新自由主義の立場にたった人たちだ。 新自由主義というのは、評価の尺度を金に一本化するという単純な発想から成り立っている。・・・(中略 )・・・彼らの発想の根源となっているが、いわゆる生産関数――つまり、経済の大きさが、労働と資本を投入した量で決まるという理論だ。ところが、人口が減少してしまうと、投入できる労働は減り、彼らの儲けも減ってしまう。そこで、経済成長を維持させるために、どこからか労働力を供給しなければならないと考えているわけだ。それが手っとり早い方法だからである。それが、外国人労働者を受け入れよという要求につながってくる。しかし、外国人労働者の受け入れには、私は絶対反対である」

ここでいわれている生産関数とは、何も新自由主義者の専売特許でも何でもなく、経済の常識に過ぎないのだが、森永にかかれば、労働力を供給することが、あたかも悪魔の所業のようなこととなり、ドイツの状況を引き合いにしながら、外国人労働者の受け入れに絶対反対を唱える。

「現に、ドイツやフランスをはじめとして、諸外国でも外国人労働者の受け入れは失敗の歴史であるといっていい。 たとえば、ドイツでは1960年代、高度成長のもとでトルコから大量の労働者を受け入れた。 ところが、高度成長が終わり外国人労働者の雇用調整をしようとしたところで、つまずいてしまった。すでにドイツ国内では労働者たちに二世が誕生。彼らはドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せず、本国に返そうにも返すことができない」

森永の議論が悪質なのは、私が既に述べたように、ドイツがこうした移民問題をめぐる苦しみを経験しながら、それでもなお新移民法を成立させ、新たな移民戦略を発動させているということについては、一切口をつぐんでいる点だ。ヒトの良いオッサンのような風貌をしながら、この人物が行っているのは、情報操作であり、根拠のないアジテーションに過ぎない。さらに、森永は、移民の社会的コストについても言及するのだが、これが目を覆いたくなるようなひどさだ。

「外国人労働者のメリットというのは、雇った企業のみに現れる。ところが、そのコストは長期間にわたって全国民にはねかえってくるのだ。たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍はかかるだろう。外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストがかかる。そして、そうしたコストは雇った企業ではなくて、何の関係もない国民にかかってくるのだ」

これも嘘っぱちのアジテーションだ。外国人労働者は、不法労働者で無い限り、税金や社会保険を払う義務がある。年金制度を破綻から救うために、外国人労働力の受け入れが必要と主張する論者もいるぐらいで、高齢化によって労働人口が減少する日本社会にとって、移民は、社会的コストをむしろ負担してくれる存在なのだ。

「さらにいけないのは、外国人が入ってくるために、まじめな日本の若者がワリを食うことだ。その一例が、最近になって外国人の受け入れが検討されている介護士や看護師である。 日本の若者のなかにも、最近では福祉分野で働きたいという、まじめな人がたくさんいる。ところが、そこに外国人介護士や看護師を受け入れたらどうなるか。起きるのは、外国人の賃金に合わせた劇的な賃金低下である。これでは、若者ならずとも勤労意欲を失ってしまう」

森永は、介護士、看護師の労働現場の実態を少しでも知った上で発言しているのだろうか。高齢化の急速な進行に耐えきれず介護保険制度の報酬規定が改訂されたことで、更なる低賃金を余儀なくされた介護士たちの現場に行って見ればいい。昼夜無く働いて、手取り20万円の給料しか貰えず、これでは生活設計も結婚もできないと泣く々辞めていく介護士が急増している。過疎化によって経営が立ちゆかなくなった地方の病院では、看護師も集まらず、それを理由に廃業する病院さえ出てきている。外国人の介護士、看護師が入ってくる以前に、日本の介護、看護医療の現場は既に自壊しつつあるのだ。

フィリピン看護師、介護士の受け入れ開始

昨年から、フィリピン出身の介護士、看護師の受け入れが限定的に始まっているが、これは、地方の介護、看護が必要とされるお年寄りにとって朗報だ。日本人の介護士や看護師をリクルートできない過疎地であっても、彼らは、しっかりとした目的意識をもって飛び込んでいき、過疎化と高齢化に喘ぐ地方にとってかけがえのない存在になるだろう。他方、フィリピンの人々にとっても、日本の看護技術や介護のノウハウを学ぶことは大きな財産になるし、日本で働けば、フィリピンで暮らす家族にそこそこの仕送りもできる。グローバル化によって成立したこうした有益な出会いを森永がいっているような何の根拠もない情緒的な反応によって閉ざすべきではないのだ。

「人口は減ってもいいのだ。本来の人口に戻っていくという気持ちで迎えようではないか。そして、人口の減少を前提にして、そのなかで、どうやって幸せに暮らしていけばよいかを考えたほうが建設的でないだろうか」

精神的な鎖国主義を排せ

森永は「構造改革を生きどう生きるか~人口減少社会なんて怖くない~」という文章をこのようなくだりで締めくくっているのだが、間違ってもこんな与太話に騙されてはならない。
森永は、外国人を入れなくても、日本人は金魚鉢の金魚のように、自足して幸せに暮らす道があると耳障りの良い話を撒き散らしているのだが、日本という金魚鉢は、金魚が生きのびるインフラ(エネルギー、食糧)をそもそも外界に頼っているのであり、世界から隔絶した瞬間に息絶える。むしろ自ら進んで国を開くことしか生き延びる道はない。
われわれが直面している人口減少社会を甘く見たら、とんでもないことになるだろう。少子高齢化、人口減少社会とは、年老いた自分の面倒を見てくれる人間が、どこにも見あたらなくなる苛酷な社会のことを意味する。われわれは、その現実から決して目をそらしてはならないのであって、森永のいうような人口減少を前提にしても幸せな暮らし方などというお伽噺は、この世界のどこにも存在しないことを肝に銘ずるべきである。日本ほど急ではないにしても、高齢化社会の到来に同じように直面しているドイツ、イギリス、イタリアといった西欧諸国は、苦しみ、もがきながらも着実に未来への見取り図を描きつつある。翻って日本の現状を見れば、「外国人を受け入れると国の形が変わる」などと、わけのわからない情緒的な鎖国主義を振り回すだけで、苛酷な現実に対して無策といってもよい状況だ。

このまま精神的な鎖国を続けるということは、すなわち、この国の緩慢な死を意味する。

(カトラー)

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コメント

1)計画的な、外国人労働者の移民を含む受け入れが、1000万人ぐらいの規模で、本当に必要なのか?
一つ一つ条件を押さえて考察すべきじゃないでしょうか?

2)そういう前提で計画を考えた場合のカトラーさんなりの指針や計画素案が、エントリー内には存在しないように思う。
一方でその前提に懐疑的な者を否定するだけのエントリーになっていないか?

3)つまり前提設定がおざなりなまま、それが既成事実化したような展開へ持って行き、それらに懐疑的なムードを持ったコメンターを打ち据える事を目的としたエントリーに取られかねないと思う。

4)「余所者」「馬の骨」と部落外の除外する日本の農耕型文化の源泉である農村部も、限界集落にみられるような廃村危機や外国人嫁の流入で、実際、身内としての受け入れならば、都市への流入第一第二世代ほどにエキセントリックは反対はしない・できない状況だと思う。

投稿: ト | 2008.07.20 12:07

  トさんが指摘されている諸点に尽きるのだが、私なりに反論させて頂く。
 ナベツネの盟友で知られる政治評論家三宅 久之に経済情勢の議論で「ポン助」と斬り捨てられてしまう程度の森永某に肩入れするつもりはさらさら無いのだが、彼が導き出した結論だけは正しい。ただその結論を導き出す考察過程が「ポン助」の異名に恥じぬ浅はかさ、ということだろう。アキバ系インテリ風タレント以外の何者でもない。彼の著書に「萌え経済学」などという読むに耐えないトンデモ本があるが、この程度の人物が経済アナリストとは恐れ入る。その見識の低さは、手鏡ハレンチ経済学教授や金子某経済学教授と同類だ。「実物経済」では使い物にならない。この手の人物を移民受け入れに慎重な人々の典型のように扱ってはならないだろう。トさんご指摘のように 移民を受け入れるべき根拠の説明が森永某のレベルに影響されて低空飛行を続け上昇力を失って、説得力まで喪失することになる。
 政治家のアドバルーンでしかない一千万人の移民受け入れなど日本国民が軽々に受け入れるはずがない。受け入れるべき理由とやらを一つ一つ丁寧に議論してゆけばはっきりする。
 イギリス人はドイツ人を「ドイツ人は過ちを二度繰り返さないとその過ちに気付かない」と評することがあるそうだ。日本がドイツの移民戦略をお手本にしてよいものかどうか、じっくり議論したほうがよい。

>ITや金融分野では既にグローバルなスケールで熾烈な人材獲得競争が始まっており、日本もその競争を勝ち抜いていかない限り、高付加価値な産業を発展させていくことはできないだろう。
>日本は「ものづくり」でやっていけばいいんだというようなナイーブな議論が未だに真顔で行われているが、こうした与太話を流布させるマスコミや識者ほど罪深いものはない。

 カトラーさんは二種類ある「ものづくり」の一つ、ソフト分野(消費財)だけしか取り上げておられない。iPod Phoneのような消費財は、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界に突入している。アップルが次に市場に送り出す新商品がヒットする保証などどこにもない。それどころかiPod Phoneが世界の最先端携帯市場の日本で何週間話題に上っていられるかさえ定かではないのである。デザインや工場がアウトソーシングですむのなら、優秀な人材が移民として定住する必要などないではないか。
 日本が世界の産業をリードするもう一つの「ものづくり」、生産財や資本財というハード分野がお解りになっておられないようだ。

>日本の住民の1割が外国人ということになれば、当然、軋轢も生じるだろが、人間関係というものは、ぶつかりあいがあって初めて深まるのであって、世界には様々な考え方、文化が存在するということを肌で感じ、日常的に意識することで、日本人の精神は否が応でも世界に向かって開かれることとなるだろう。

 「心の開国」をすでに成し遂げた憧れの国が一体どこに存在するのだろう。人間関係が軋轢によるぶつかり合いで深まるのか。そういう場合もあるだろうが、夫婦・親子・恋人・友人の間でさえ軋轢によるぶつかり合いは関係の破綻につながるがゆえに、知恵と理性そして何より愛情でなるべく避けてゆく。青春ドラマのようなわけにはゆかないのだ。
 まして心の開国を目指して、移民との軋轢とぶつかり合いそのものを求めて受け入れようなどと言う発想は、すでに最初から破綻している。戸塚ヨットスクールではあるまいし、日本人を自閉症だと決め付けてヨットから水中に放り込もうとでも考えているのだろうか。崇高な心を手に入れるため、溺れ死ぬ人間が出ても止むを得ないとでも言いたげな。

投稿: かかし | 2008.07.21 13:41

高付加価値な人材の獲得競争と単純労働者の大量受け入れは、全く別個の問題として、区別して議論したほうがよいと思います。

投稿: まるてん | 2008.07.21 21:25

もう少し思った事を書きます、済みません

5)外国からの転入者数を現在のような手緩い政府はコントロールできない。
例えば日中両政府が野放しにすれば、2~30年で中国人三世代だけで5~6千万人ぐらいは入って来ると思う。
わが国は産児制限が無いし母子家庭への補助もあるからね。
あと例えば中国の民主化運動家や少数民族独立政党など移民の持ち込む外国の政治問題も日本政府は振り回されるかフリーズしてしまう。

6)これまでの主に在日朝鮮人を中心に行われた外国人特権を経緯や実態を含めて公表し総括をしつつ全面廃止しなければ、日本はそういう事を精査し自らコントロールする能力が無いとし、いかなるエスニティをまとまった数で受け入れるには能動的行政能力不足であると思う。

7)立憲二院制代議民主主義から直接民主と一院による大統領制度になり、天皇は元首から外れ、天皇家は無形文化財指定され社稷を祀る、単に世界的に古い家柄の一つになる。
権威と権力が一致する政府は大衆扇動と一致し、粗略且つダイナミックで歯止めが利き難い。

8)80年代からの円高への対応を、ろくにビジョンが無いから、単に各々の労働強化(家計による教育投資を含む)で乗り越えようとして家庭や個人生活は随分疲弊した。
個々人の教育とキャリアのミスマッチ等もあり、企業部門はスリム化したかも知れないが、企業内の付加価値を生む人的資源は不可避的に綱渡り様を呈してきた。
国際市場で競争に晒される企業は為替の影響を受けない雇用を志向すると思われるので、普通は、個々の家計や所得は決して増えない。

投稿: ト | 2008.07.22 07:37

 自由な資本主義市場経済のグローバル化は世界各国の動かぬ前提になっている。いまさらグローバリズム反対を主張する連中は北朝鮮やイランの同類でしかない。なぜならアメリカの陰謀ではないからだ。だからアメリカに向き合う一極を形成したいとあれほどジタバタしていたおフランスでさえサルコジを大統領にせざるを得なくなった。非人道独裁国家中国でさえその中にどっぷりと浸からなければ生きてゆけない。
 カトラーさんが以前指摘していた「人々の命にかかわる食料が投機によって高騰するのは許せない投機を規制せよ」という主張の投機資金も、サミットでさえ規制できない。サミットの影響力が落ちているからではない、これが拡大サミットであろうと、参加国を50カ国にしようと結論は同じだ。この投機資金を規制するということはグローバリズムを否定することになるからだ。そのカトラーさんがグローバル化の競争に日本が生き残るために移民を一千万人受け入れよと主張するのは明らかに矛盾である。カトラーさんの立ち位置から眺めればそういう私もまったく同様の矛盾の中にあるのかもしれない。グローバル化の中で移民に反対しているのだから。しかし私はそれを矛盾とは考えていない。
 投機資金の暴走はグローバル化そのものが原因ではない。各国の金融システムがグローバル化に適応し切れない不備を抱えていることが原因であろう。原油価格の高騰はアメリカのエネルギー政策の失敗にゆきつくし、サブプライムローン危機は明らかに格付け会社のインチキを許した情報の透明性を確保するためのシステムの不備だ。実態を反映していない情報や粉飾こそが金融市場最大の敵だ。だから今度は粉飾大国中国が大問題を引き起こすだろう。
 されど金とは言え、たかが金でこの騒ぎだ。人そのものが係わる移民の問題で「システムの不備でこんなことになってしまった」では済まされないのだ。そのシステムを変えてゆくことが政治の貧困に苦しむ日本ではどれほどの大事業か。開国するにしても現在の徳川幕府に開国をさせてはならないということだ。だからこそ トさんの1)~6)の指摘がきわめて重要なのだ。 
 移民受け入れ問題で7)を追加されてくるとは。移民受け入れのリスクを軽減するためのシステムの大転換をなおざりにして、大量の移民と日本人との軋轢で、強引に社会変革してしまおうという革命家?の本質をついているとすれば トさんの聡明さにあらためて驚かざるを得ない。

投稿: かかし | 2008.07.23 05:54

>そんな空疎な議論を交わしている間にも外国人労働力は流入しているのであり

だったら、そのまま放っておけばよいではありませんか。
外国人も日本人も勝手に外国へ働きに行くし働きに来る。
経済活動のルールと帰化のルールを明確にしておけばよいだけで、数値目標を決めてその実現を政策化する必要はどこにも存在しません。


>このまま精神的な鎖国を続けるということは、すなわち、この国の緩慢な死を意味する。

精神のありかたにまで介入し統制しようというのは、北朝鮮やナチス以上の全体主義です。
グローバルな社会を実現したいなら、国が余計なことに口をはさまないのが一番の近道です。

投稿: ほるほる | 2008.07.23 22:24

皆さんコメントをありがとうございます。
外国人労働力の受け入れは、現実には粛々と進んでいるのに、全てがバラバラに行われていて、統合戦略が存在しないということが一番の問題だと思います。
中川秀直や民主党がいっている「1000万人」という数字も、キャッチフレーズ効果を多分に意識したもので、トリルさんがいわれるように、産業別、分野別に外国人労働力をどう活用するのかという視点が欠落していますね。私は政治家ではないので、政策論のディテールまで議論する力を持ちませんが、大まかにいえば、以下のような分野が移民受け入れの問題と一緒に議論されるべきだと考えています。
1)留学生および理工系技術者の定住促進
エントリー記事でもとりあげた高度なスキルを持った人材を日本に向かわせるという意味では、留学生に対してもっと広く門戸を開くのが、効果的だと思います。現在、日本の留学生は、約12万人といわれていますが、米国57万人、英国34万人に比べると大きく見劣りします。言語の問題もありますが、永住権(グリーンカード)の発行規定がこうした欧米諸国に比べて著しく厳しいのと、社会の受け入れ体制が完備されていないため、敬遠されている面もありますね。永住化の道筋を見せてやらないと、こうした人材の獲得もできない状況になっています。自民党も安倍内閣時代に留学生100万人構想というのを言い出していますが、掛け声だけで具体論にまでおちていません。
2)農・林業従事者
農業の担い手問題は、今後、10年間で答えを出さなくてはならないテーマですが、農業関係者の中では、外国人を大幅に入れるというのが、既に自明のこととなっています。この部分は、今後、10年以内に、数十万単位の受け入れが進むことが確実です。
トリルさんが指摘されているように、限界集落対策としても、大きな意味を持つわけで、定住化ができる仕組みがないと、せっかく研修生として日本にやってきても農村はからっぽになってしまいます。この点については新たに記事をエントリーしました。
3)介護、医療従事者
エントリーでも紹介したように介護、看護分野の人的リソースの不足が深刻になります。
ここでも外国人労働力の活用を進めないと、地方の医療、介護は早晩崩壊するでしょう。
4)ものづくり、伝統産業
日本の中小企業の高度なものづくり技術や伝統地場産業の後継者の分野でも後継者難が放置できない状況になっています。この分野も研修目的で受け入れが進んでいますが、技術を習得したとしても、定住化が進まなければ、単なる技術流出になってしまいます。

言葉と地政学的な問題からなのか、日本という国は、国を開くのが本当に下手ですね。かかしさんは、戸塚ヨットスクールじゃあるまいしと言っていますが、この国の閉塞状況に喝を入れるには、それぐらいのショック療法が必要と、あえて言っておきましょう。先進国で最も多い年間3万人という自殺者を出し、毎日のように無差別殺人が横行している国を「自閉症」といわずして何といいましょう。

投稿: katoler | 2008.07.25 00:35

 大量の移民とのぶつかり合いという選択肢を採らなければ日本に希望は無いのか、未来は無いのか。自殺者3万人、通り魔殺人、GDPシェアの低下、少子高齢化人口減少、ものづくりでもダメ、非製造業はもっとダメ、食糧は自給できないし、エネルギー資源は皆無、これでは意気軒昂なだけがとりえの私にさえ自殺願望が忍び寄ってくる。これ以上自殺者を増やさないで頂きたい。ネガティブな視点でしか自国を評価できないなら、その解決法もショック療法という危険な賭けに頼らざるを得なくなる。現れている症状を正確に診断できていないのだから当然その治療、ショック療法という賭けは裏目に出てしまう。
 先進国に限定した自殺率の比較で具体的に何を主張したいのか、いまひとつ釈然としない。欧米の自殺率の統計が宗教上の理由による自殺隠蔽で信頼できないことは良く知られたことだろう。中国やロシアおよび旧ソ連圏の国々が日本以上の自殺率であることに触れたくないのか。警視庁生活安全局が発表している日本の自殺者統計から読み取らねばならない問題意識は、先進国との比較で日本の閉塞感とやらを吹聴することではなかろう。
 例えば、日本国内で最も自殺者数が多いのは秋田県だ。だとすれば秋田県は日本の他の都道府県と比べて、最も閉塞感に支配されたショック療法を直ちに施さねばならない希望も未来も閉ざされた自治体なのか。全くのおかど違いというものだ。自殺者数の多さは脳卒中の死亡率が全国一であることが原因だ。ショック療法で秋田県の自殺が減るはずがない。
 日本で暮らすということは世界で最も長生きができる国に暮らすということだ。そういう世界各国から垂涎の的になるような国を作り上げたこと、その偉業を成し遂げたことが前提で起こる種々の問題を、その前提を一切無視してそこまでネガティブに受け止めてしまう。そういう超悲観的精神構造を排除することのほうが、あるいは自殺者を減らすことにつながるのでは?
 私が人様のブログで長文を書き連ねる格好悪さに耐えてまで反論しているのは、、あなたの日本への悲観的見方が的外れであることを伝えたいということ以上に、今となってはその徹底した悲観論が拠って立つ何物かへの好奇心からといったほうがよいかもしれない。と思う今日この頃である。前向きに。

投稿: かかし | 2008.07.25 12:35

移民にまわすほどの仕事があるのであれば、
それを日本人の失業者に回せばよい。

それで立ち行かない企業はさっさと潰れればよいのである。

日本はまずなによりも
「日本人の日本人による日本人のための日本」
でなければならないのである。

投稿: むの | 2010.04.14 00:01

>森永のいうような人口減少を前提にしても幸せな暮らし方などというお伽噺は、この世界のどこにも存在しないことを肝に銘ずるべきである。

では、この世界の人口は、永遠に増え続けなければいけないわけですね。
恐ろしや、恐ろしや。

投稿: | 2011.01.09 23:02

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