第三の開国へ 中国人作家の芥川受賞がこじ開ける日本語世界
「国際化」されなかった日本語
文藝春秋の商売上の思惑は、ひとまず置くとして、中国人作家が、日本語で書いた小説作品が、日本の文学賞を取ったことは、この国の在りようを深いところで変えていく契機になるだろう。英語やフランス語などは、植民地主義の時代を経て、世界言語となった。しかし、日本語は国内のみで流通するという閉じた構造を持ち続けたため、ネイティブスピーカー同士の間で、繊細なニュアンスや阿吽の呼吸を伝えるといったコミュニケーションの密度を高める方向へ進化していったため、外国人にとっては、習得のハードルが他の言語に比べて高いといわれてきた。こうした孤高の構造は、今回の芥川賞でも以下のような選評となって典型的にあらわれてくる。
「揚逸氏の『時が滲む朝』は中国における自由化合理化希求の学生運動に参加し、天安門で挫折を強いられる学生たちの群像を描いているが、彼らの人生を左右する政治家の不条理さ無慈悲さという根元的な主題についての書き込みが乏しく、単なる風俗小説の域を出ていない。書き手がただ中国人ということだけでは文学的な評価には繋がるまい」(石原慎太郎)
「私は芥川賞もまた文章の力というものが評価の重要な基準と考えているので、唾を飲み込んで『ゴックン』などと書かれると、もうそれだけで拒否反応を起こしてしまう。・・・(中略)・・・表現言語への感覚というものが、個人的なものなのか民族的なものなのかについて考えさせられたが、楊逸氏が現代の日本人と比べて書くべき多くの素材を内包していることは確かである」(宮本輝)
楊逸氏の作品は、日本語との悪戦苦闘の過程を通じて生まれてきた。この作品の受賞を推した他の選考委員も指摘していることだが、作品中の表現には、日本人の作家であれば決して使わないような紋切り型の表現や、大時代風な陳腐な表現も見られる。しかし、そうした難点を補っても余りあるのは、宮本輝も指摘しているように、この作家が日本語で「書くべき多くの素材を内包している」という点である。
「『時が滲む朝』天安門事件の時代に青春を過ごした中国人男性の、その後の20年を描いた個人史である。この間、日本はゆるやかに下降し、劣化し、行き詰まった。同じ20年がかくも違うものかと思った。久しぶりに人生という言葉を文学の中に見いだし、高揚した。・・・(中略)・・・何より書きたいことを持っている。書きたいことがあれば、それを実現するために文章もさらに磨かれるだろう。」(高樹のぶ子)
「書きたいことがある」というこの作家に対する評価の言葉は、そのまま、書くべきことを見いだせず、日本語の世界の内側で小さく閉じこもっている日本人作家に対する痛烈な批判にもなっている。
日本語の外側に別の世界を構築する
私は楊逸氏の作品に対して、あらかじめ存在している日本語の美的基準に基づいて下されている批評、批判の類は、全て的はずれだと考えている。なぜなら、楊逸氏がやろうとしているのは、日本語の内側世界で、日本の文壇の作法、文法に従って作品をつくることではなく、その「日本語」の外側で、別の世界をつくりあげることだからだ。それは、宮本輝氏がはからずも言っているように「拒否反応を起こしてしまう」ような、もうひとつの日本語の表現世界を構築してみせることに他ならない。
日本語を母国語としていない人間が、あえてその日本語を使って表現しなくてはならない事柄があるとしたら、一体それは何なのか?そして、その表現を受けとめた読者(多くは日本人)たちは、はたしてそこから共感、共有できる切実な何かを感じ取ることができるのか?この作品がわれわれに投げかけているのは、そうした挑戦的な問いかけだ。
楊逸氏の受賞作品は、天安門事件を題材としているが、そこには政治的な主張、理念・思想などイデオロギーに類するものは皆無である。石原慎太郎は、この小説において中国共産党政府の政治的横暴が描かれていないことがいたく不満の様子だが、文学とは、そもそも大文字の歴史や政治化されない声なき声を代弁するものであって、「政治家の不条理」や権力批判が書かれていることは文学作品の価値とは何の関係も無い。
政治や権力にナイーブなまま翻弄される若者たち
この作品の主人公、浩遠は、地方から都会の大学に入学し、たまたま、学内で盛り上がっていた民主化運動に加わることになる。民主化運動には心情的に同調していたものの、田舎から出てきたばかりの青年であり、政治や権力の問題に対しては全くナイーブだ。かつての日本の学生運動もそうであったように、社会運動の大多数を担うのは、この小説の主人公のような、自分たちの行動の意味や帰結も理解できぬままに時代の波に巻き込まれ翻弄されていくナイーブな若者たちだ。
主人公は、天安門事件の後、居酒屋で酔っぱらって引き起こした喧嘩が原因で大学を退学処分となり、追われるようにして日本に渡る。民主化運動のリーダーであったわけでもなく、天安門事件で逮捕されたり、弾圧されたわけでもない。酔ったあげくの不始末から中国での居場所を喪失してしまう。
そして、日本に渡った浩遠は、毎日を生き延びながら、中国の成長と変貌を日本に暮らす中国人として見つめることになるのだが、月日が経つにつれ、天安門事件に対する人々の意識も風化し始める。世間ばかりではない、日本で夢中になって働き、中国残留孤児二世の日本人と結婚して子供ができた自分の思いも、20年という月日の流れに微妙に変化していた。
寄る辺なき浮遊館を抱える主人公と作者
浩遠は、日本に渡っても、ずっと「民主化運動」にこだわり続けてきたが、日本の日常の中で自分が信じていたものの輪郭が次第にぼんやりとしていくのを感じるようになる。主人公と中国をつなぎ止めていた錨のロープはいつしか切れてしまい、浩遠の心は漂流を始める。
作家、楊逸氏は、日本語で小説を書くことを「泳げないけど泳ごうとして水に浮く感じ」と述べているが、彼女を日本語で小説を書くことに駆り立てるものは、恐らくこの小説の主人公、浩遠も心に抱え込んでいる、寄る辺なき浮遊感だろう。
小説の終わりで、浩遠は、20年前の民主化運動の時に学生達を指導した教師、甘先生に成田で再会する。甘先生は、外国での生活にピリオドを打ち、オリンピックが開催される中国に帰ることを決意した。その帰途で成田に立ち寄るという知らせを受け取り浩遠は動揺するが、更に彼を驚かせたのは、成田に降り立った甘先生の傍らに、浩遠が学生時代に密かに思いを寄せていた英露とその子供の淡雪がいたことだった。
学生運動のリーダーだった英露は亡命先でイタリア人と結婚して子供(淡雪)をもうけるが、離婚し、その後、甘先生と再会し同棲生活を始めていた。浩遠は、妻(梅)と2人の子供(桜、民生)を連れて、成田で20年ぶりに2人に再会し、甘先生と英露の中国への帰郷を見送ることになる。
「淡雪は飛行機に乗ってどこへ行くの?」
「中国よ」
「中国ってどこ?」と民生が聞いた。
「パパのふるさとよ」と桜は知ったかぶりに答えた。
「パパのふるさと?ふるさとって何?」
・ ・・(中略)・・・
しばらくして、ゆっくりと梅と桜と民生の方を振り返って浩遠は日本語で言った。
「ふるさとはね、自分の生まれる、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟たちのいる暖かい家ですよ」
「じゃあ、たっくんのふるさとは日本だね」
浩遠は民生の顔を見つめ、そして「もう帰りましょうか」といって微笑んだ。
日本での生活が長くなっても、なお、ぎこちなさの残る日本語で、自分の子供達にふるさとの意味について教える浩遠の姿に、この小説作品の全ての価値が集約されているといってよいだろう。
ぎこちない言葉で故郷について語る主人公の姿は、そのまま作者の揚逸の姿に重なる。揚逸氏の作品からは、明らかに違う表情をした「日本語」が迫ってくる。決して巧みとはいえず、美しいともいえないが、この人の文章からは、忘れかけていた懐かしい感情が浮かび上がってくる。それは、平成日本に生きるわれわれ日本人が、程度の差こそあれ、どこかで故郷を喪失し、浩遠のようにぎこちない言葉でしか語れなくなっていることの証左でもある。
グローバル化によって生まれた新しい流離譚
グローバル化によって、この小説の主人公のような新しい故郷喪失者が生まれている。その意味で、この作品は、日本と中国の間で生まれた故郷喪失の物語であり、現代のディアスポラたちが創り出した新しい流離譚ともいえるだろう。
話をもう一度芥川賞のことに戻そう。
揚逸(ヤン・イー)氏の芥川賞受賞は、日本語の開国という問題にも一石を投じた。日本語とは、本来、もっと柔軟で開かれたものであったはずなのに、気づいてみると自閉症児のように内向きになって引きこもってしまっているのは、どういうことだろうか。
以下に示す、高樹のぶ子氏の歯に衣を着せない文章は、そうした沈滞した日本の文学の状況に対する一つの挑発として読まれるべきだろう。
「中国の経済はいまや否応なく日本に大波をもたらしているが、経済だけでなく、文学においても、閉ざされた行動範囲の中で内向し鬱屈する小説や、妄想に逃げた作品は、生活実感と問題意識を搭載した中国の重戦車の越境に、どう立ち向かえるのか。今回の受賞が日本文学に突きつけているものは大きい」
ここで高樹が言っていることは、なかなか刺激的であり、美しくもか弱い日本語が、中国の重戦車の越境を受け、正に蹂躙されようとしているとでも言いたげである。高樹のレトリックに倣っていえば、日本の小説や文学なるものが、こじんまりとした世界に小利口に閉じこもっているくらいなら、そんなものは、完膚無きまでに蹂躙されてしまえと思う。ただし、日本文学の名誉のために言っておくと、中国、韓国、台湾などで既に熱狂的な人気を博している日本人作家がいる。それは、村上春樹である。今や、最も翻訳が出版されている日本人作家であり、大江健三郎に続いてノーベル文学賞に一番近い位置にいるといわれている。
ところが、村上春樹の日本文壇における評価は、当初からひどいもので、芥川賞にも2度候補になりながら、結局受賞を逃している。1979年に村上春樹が「風の歌を聴け」でデビューした時に、当時の芥川賞の選評は以下のようなものだった。
「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。このような架空の作りものは、作品の結晶度が高くなければ駄目だが、これはところどころ薄くて、吉野紙の漉きムラのようなうすく透いてみえるところがあった」(瀧井孝作)
今、読むと、石原慎太郎の揚逸に対する評価と同様に、老害としか言いようがないくらいヒドイ選評だが、ここまで激しい反発をかっていたということは、逆に村上春樹とは、日本語を外に向かって開いた最初の日本人作家だったからかも知れない。
それから約30年、村上春樹が投じた一石は、ブーメランのように大きな弧を描きながら、中国人作家、揚逸の受賞という形となって、平成日本に還ってきた。
(カトラー)
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コメント
「風の歌を聴け」は1979年の作品だと思います。
投稿: | 2008.08.19 14:57
ご指摘ありがとうございます。「風の歌を聴け」は1979年の作品で、ミスタイプしていましたので、修正しました。
投稿: katoler | 2008.08.20 08:21
>気づいてみると自閉症児のように引きこもってしまっている
なんとなくここの表現がひっかかりました。
もし自閉症についてあまりご存じないようでしたら検索してみてください。
こんなページもあります↓
http://www.nucl.nagoya-u.ac.jp/~taco/aut-soc/rainman/autismQA-j.html
投稿: fuda | 2008.09.19 22:28
fudaさん、はじめまして。ご指摘ありがとうございます。
ご指摘の表現について、配慮に欠けていたと思います。
私の身近にも自閉症のお子さんを持っている知人がいますが、人とのコミュニケーションが苦手なだけで、ひきこもっているようなことはありません。修正いたしました。
投稿: katoler | 2008.09.20 15:17
今年になって、母語でない言語での受賞作とはどんな日本語なのかと、興味をもって買っておきながら、はじめて彼女の作品を読みました。始めはたしかに言葉の居心地の悪さにすこし躓きもしましたが、天安門あたりの列車での旅あたりからそうした読んでて居心地の悪さも、ぎこちなさといったこちら読者側の勝手な判断も陳腐になるほど、題材の面白さに引き込まれました。やはり、読み手の前知識、前判断では本を選択すると良書を読む機会をのがすなと思い知らされた本でした。私だったら、こう書くこうした題材も取り入れるとしたものをとりはらって読まなければいけない本だと感じさせられました。
また貴殿の日本語の将来、今後の方向性についての意見を貴重なものだと拝聴しました。
投稿: モンタギュー | 2012.01.27 23:34