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第三の開国へ、出でよ平成の篤姫たち!

Poster_b NHKの大河ドラマ「篤姫」がブームである。
大河ドラマの主役としては史上最年少である宮崎あおいを篤姫役に抜擢したことがヒットにつながった。番組スタートから20%を超える視聴率をマークし、その後も順調に数字を伸ばしている。これまで、大河ドラマを見ることの無かった宮崎あおいと同年代の若い女性達を惹きつけたことが高視聴率の要因といわれている。

篤姫は、幕末の第13代将軍、徳川家定の御台所(正室)として、薩摩藩から将軍家に嫁いだ。家定が病弱だったために後継ぎは生まれなかったが、次の将軍、家茂の後見役をつとめ、大政奉還から開国、明治維新へと激動する時代の奔流の中で、嫁ぎ先である徳川家を支え、江戸城の無血開城などにも隠れた貢献を果たした。
薩摩藩の名君と仰がれた島津斉彩(しまづ・なりあきら)の娘ということになっているが、実子ではなく、分家の娘であったのを、その人柄と才覚に惚れ込んだ斉彩が養女にして、家定の正室として大奥に送りこんだ。当時は、子供のいない家定の後継将軍の座を巡って、紀州藩(紀州派)と水戸藩(一橋派)で権力闘争が繰り広げられており、一橋派に加担していた斉彩が、水戸藩の徳川慶喜を次の将軍にするために、篤姫にその命を授けた上で仕組んだ政略結婚であった。
この政権工作自体は、斉彩自身の急逝と紀州派の家茂が将軍となり、大老、井伊直弼が「安政の大獄」によって一橋派を放逐してしまったことで潰える。篤姫(天彰院)自身は、徳川の人間になったという自覚を深め、徳川家が崩壊の危機に瀕した際に、薩摩藩から再三の帰郷要請を受けたにもかかわらず、これをきっぱりと断り、二度と故郷の地を踏むことはなかった。

Poster_a NHK大河ドラマ「篤姫」が共感される理由

実在の篤姫と、大河ドラマに描かれた主人公を同一視することはできないが、幕末から明治へと向かう夜明け前の最も暗い閉塞の時代にあって、自分の生きる道を真摯に探し求めた篤姫の生き方が、多くの視聴者から共感を呼んでいる。

大河ドラマ「篤姫」がこの時代に共感されている理由は何だろう。

1)シンデレラストーリーとしての篤姫:「女の道は一本道」
九州の中流武家の娘から、将軍家の正室にまで登りつめるというシンデレラストーリーは、徳川300年の間に固定化した社会システムの中にあっては、まずありえないことだったといえるだろう。幕末に実在したシンデレラストーリーとして宮崎あおいの好演もあって、現代の若い女性たちの心を掴んだ。

ドラマの中で分家から本家の養女になることで心が揺らぐ於一(おかつ:篤姫の幼名)に対して奥女中の菊本(佐々木すみ江)が名言を吐く
「御養女の件、お迷いなのはわかりますが、女の道は一本道に御座います。定めに背き引き返すは恥に御座います」

この言葉によって、於一は、自らの運命をあらためて自覚的に選び取り、篤姫としての人生を歩み始める。迷いながらも、自らに課せられた役割、使命を自分のものとして選び取り、突き進んでいく
篤姫に、自分探しをする現代の女性達も自己の姿を重ね合わせて見ているのだろう。

2)家族を希求しながらも、果たせなかった孤独への共感
篤姫は政略結婚によって将軍家に嫁ぎ、夫である13代将軍、家定に、次の将軍を一橋慶喜とするように働きかけるというミッションを持っていた。そうした意図をわかっていた家定も最初は篤姫に警戒感をもって接していたようだが、まっすぐな篤姫の人柄に惹かれ、次第に心を開き、互いに心を通わすようになった。篤姫の心中でも、徳川家という存在が、幕府としてではなく、夫とともに守るべき「家」として意識されるようになり、徳川家を守るということが、「家族を守る」ことと同義になっていくのだが、家定が病弱なうえに急逝したことから子供や家族に恵まれることはなかった。
暖かく支え合う家族を求めながらも、そこから遠ざけられる運命にあった篤姫の寂寥は、平成日本の第一線で活躍しながらも自分自身を「負け犬」と揶揄してはばからない、30代、未婚、子無しのキャリア女性たちの心にも宿っている。

3)越境する精神
また、篤姫は、好奇心が旺盛で何にでも興味を持つ、開明な精神をもった女性であったようだ。男勝りに囲碁を嗜み、養父の斉彩から認められるようになったのも、斉彩と碁盤を囲みその腕前に感嘆したことがきっかけになったとドラマでは描かれている。また、大奥の女性は、表の政治の世界には口を出さないという暗黙のルールがあった。しかし、夫の将軍、家定と毎夜、国の行く末を論じるなど、政(まつりごと)の世界にも積極的に関心を示した。
男と女、表(政治)と奥(大奥)の境界を軽々と越境する、のびやかで自由闊達な精神を篤姫が持ち合わせていることが、幕末と同じような閉塞感に苛まれている今の時代の人々から共感を得ている最も大きな理由だ。

そう思って周りを見渡すと、平成日本の閉塞感に風穴を空ける現代の「篤姫」たちが、社会の各所で活躍をはじめていることがわかる。就職氷河期といわれた時代に社会人となった「ロストジェネレーション」といわれる30代に元気のいい女性たちが多い。彼女たちは、日本の企業社会が自分たちを受け入れないと見るや、資格を取得したり、さっさと海外に飛び出て、自分が生きていく場所を見つけた。

一昔前のキャリアウーマンは、男中心の企業社会の中で認められるために、男以上にがむしゃらに働いて、自分を社会にアジャストしたものだが、現代の「篤姫」たちは、逆に社会をうまく利用して自分が生きる場所をつくりあげる柔軟さとしたたかさを持ち合わせている。ちょうど、川の流れ中に巣をつくるビーバーのように、水の流れや餌のありかを敏感に読み取って自分の居場所を見事に作りあげる。
彼女たちは、篤姫のように、政治に対する意識も高い。環境問題などについても関心を持ち、ロハスブームなどにもはまったりするが、社会の仕組みや枠組みを変えなくてはだめだという、より深い政治意識を持っている。

現代の「篤姫」としての勝間和代

Photo_2 最近の著名人では、経済評論家で公認会計士の勝間和代さんもこうした現代の「篤姫」といえるだろう。彼女の著書4冊がアマゾンのブックランキングベスト20に入るという人気ぶりだが、正直いって、最近まで、この人が何故こんなに受けているのかよく理解できなかった。
書いていることや、テレビなどに出演して喋っていることには、なるほどと思える点もあったが、私などからすれば、そこまでの人気を説明できる魅力と根拠は感じられなかった。
勝間さんの本を皆買っているという、知り合いの20代の男の子に聞いてみると即座に答えが返ってきた。

「だって、彼女は生き方がかっこいいんですよ」

彼女が、19歳という最年少で公認会計士の資格をとったという話は知っていたが、同時期に学生結婚して子供も産んでいたということは知らなかった。その後、子育てと仕事を両立させるために、外資系の金融機関に入り、ステップアップを重ね、コンサル大手のマッキンゼーなどにも籍を置き活躍した。
表面的な経歴だけを見て、バリバリのキャリアウーマンという印象しかもっていなかったのだが、むしろ自分なりの生き方、居場所にこだわってきた人だということがわかった。
彼女も「篤姫」だったのだ。

それにしても、男どもはどうしてこんなに駄目なんだろう。国とか会社とか、そこでの評価だとか、既存の権威や価値基準に自分を当てはめて、「あーだ、こーだ」と言っているだけのような気がする。
その最悪のケースが、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大だ。進学高校の競争から落ちこぼれた自分を「負け組」と規定し、その疎外感を身勝手に募らせた挙げ句に無差別殺人に走ってしまった。一連の無差別殺人事件を引き起こしているのが、ほとんどが20~30代の男だということからも、男の駄目さ加減がわかろうというものだ。既存の価値観や社会システムが行き詰まる、あるいは崩壊していく閉塞の時代には、頭でっかちの男ほど自滅する。

篤姫が生きた幕末、最も暗く閉塞感を深めたのが安政の大獄だった。
ペリーの開国要求に、勅許を得ずに通商条約を締結した幕府に対して、尊皇攘夷派の水戸藩が諸藩と通じて孝明天皇取り込み、直接、勅定を得て、幕府に揺さぶりをかけた。これを倒幕闘争と見た井伊直弼は、この動きに同調した者たちを徹底的に弾圧、粛清する。この暗闘は、井伊直弼に対する暗殺テロ、桜田門外の変を引き起こすことになる。
幕末という時代は、アジア諸国を次々と植民地化した欧米の圧力が高まる中で、当時の男達は天皇も含め、「攘夷」一色であり、その中にあって、幕府はもちろんそれに対立する勢力も、開国に対するヴィジョンや戦略も持ちえぬまま、その苛立ちと閉塞感を国内の権力闘争に向けた。西欧という圧倒的な力の前に、為す術もなく、負け犬同士が噛み合っていたに過ぎない。
明治維新が、希望に満ちた時代として多分に美化されている所があるが、明治日本の指導者にしても、主体的に開国を選び取り、国の行く末に明確なヴィジョンを持ち合わせていたわけではなかった。欧米の進歩した現実を実際に見聞して知るに至り、振り子が反転するように極端な欧化政策へと突っ走った。その意味で、明治日本の開国とは、「敗戦」でもあった。

篤姫の隠れた功績「江戸城無血開城」

篤姫が日本史に対して残した最大の功績は、皇女和宮とともに朝廷や薩摩に対して働きかけ、徳川家の存続と、そのひきかえとしての江戸城の無血開城を行ったことだといわれている。薩長側の代表として勝海舟と交渉を行った西郷隆盛は、篤姫が徳川家に輿入りした際の婚礼取りまとめ担当であり、篤姫とは気心が通じていた。薩摩と朝廷に対して信頼のおける交渉パイプがあったからこそ「無血革命」が可能になった。もし、交渉が決裂し、幕府と薩長側の内戦になっていたら、日本は間違いなく欧米諸国の植民地となっていただろう。
この時の篤姫や徳川家の身の処し方は、国内「亡命」とでも呼べるものではなかったか。
権力に固執して殺し合うことより、幕藩体制下の日本を捨て、開国した未来の日本に亡命することを選択したといってもよい。たぶんこの「越境」こそが、閉塞の時代を駆け抜けた篤姫という精神が成し遂げた最も大きな功績であっただろう。権力装置としての徳川幕府ではなく、命の繋がりとしての徳川家を存続させることを選び取った徳川家の人々の決断、そこには篤姫の思いが色濃く反映されていた。

江戸城を去った天璋院篤子は、徳川宗家16代にあたる亀之助の養育に心を砕き、それまでの半生とは異なり、家族愛に満ちた平穏な人生を全うしたという。

出でよ!平成の篤姫たち

平成日本も、篤姫が生きた幕末のように出口の見えない閉塞感が人々を苛んでいる。
「大文字の歴史」という言葉がある。教科書に登場するような偉人や国家があたかも歴史をリニアに動かしているように見えることをいうが、こうした大文字の歴史観は閉塞の時代には破綻してしまう。先が見えない混沌の時代に向き合うと、大文字の歴史観に囚われ、既存の理念や硬直的なイデオロギーを振り回す連中は、思考停止状態に陥るか、無意味な殺し合いをはじめたりするばかりだ。この時に本当に歴史を動かす力となるのは、篤姫のような「越境者」や今を生き延びることに必死な名も無き人々である。
暗い事件ばかりが続く日本だが、一方で既存の枠組みを越境し、自分にふさわしい居場所を見いだす平成の篤姫たちも登場していて、彼女たちの活躍の場は確実に広がっていると思う。ろくでもない世の中だが、まだ捨てたものでもない。

(カトラー)

さて、このエントリーの最後にもうひとり平成の「篤姫」を紹介したい。それは、このブログにも何回か登場してもらったことのある作家の「にむらじゅんこ」さんだ。
にむらさんは、パリの大学に留学後、パリも含めたヨーロッパで約10年、上海に3年間暮らし、最近、東京の下町に活動拠点を移されたが、人生の半分以上を30カ国余りの海外の国々で暮らしてきた。先週末、OTTAVAというTBSがオンエアしているクラッシック・ネットラジオ音楽番組のパーソナリティとして出演されたのだが、この番組での話がとても面白く、文化の越境ということを分かりやすいエピソードにのせて語ってくれた。その話題がブログにアップされているので覗いて見てほしい。 OTTAVA BLOG

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コメント

おっしゃるとおりで人のせい社会のせい、だめな理由を必死に勉強して頭でっかちになっているわけですよ。

 ただあなたたちが現在の時代で生きていたらどうだったか、その点も考えることもなく、安全圏の生活を享受しているポジションで自己責任だといって、権力者側のほうにたって非正規雇用などで、ぼろぞうきんのように働かせて数少ない若年層に負担をかけ、おしつけて切り捨てているでしょう。

 それもお得意の成功者を例に上げてね、その自分たちがやってきた失敗の矛先をかわすわけです。なんか、為政者というか、権力側のすぐ下の世代たちが権力者側に批判がいかない保守的になってるのがわかるような気がしますよ。

投稿: ななし | 2008.08.03 21:40

私の周りには、平成の「坂本竜馬」もたくさんいますし、駄目な女もたくさんいます。
「男VS女」的な古い考え方では、歪んだ世界しか見えず、誤った結論しかでないと思います。
それに、加藤智大のような特殊な人間は、いつの時代にも一定数存在しており、今の20~30代の男と同一視するのは飛躍しすぎです。
参考:http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/

投稿: 中山一志 | 2008.08.05 17:35

・・・しかしカトラーさんはTV好きやねぇ(ボソッとな)

投稿: ト | 2008.08.06 17:51

はじめまして。初めてコメント致します。

私自身、「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代の女性で海外に住んでいますが、女性の場合キャリアは(出産で)途中で分断されることを前提にライフプランを組み立てているので、その都度の状況に柔軟に対応する心構えが初めからできているんじゃないでしょうか?
勝間さんもお子さんが3人いらっしゃるので、その都度必要に迫られたキャリア選択だったのだと思います。

男性もたまにですが、気骨のある人いますよ。
私は「ロストジェネレーション」という表現で言い訳するのが嫌いですが(一生言い訳しててもしょうがないですし)、氷河期をくぐり抜けたという意識がポジティブに働いて(会社に依存しないという意味で)自立している人が男性にも女性にも多いような気がします。

投稿: la dolce vita | 2008.08.07 15:12

la dolce vitaさん、はじめまして、コメントをありがとうございます。
ブログも拝見いたしました。シンガポールで「甘い生活」というのは、うらやましい!
僕もロストゼネレーションという言い方は、好きではありませんが、「甘い生活」さんのように、自分の軸を持ち、自分のペースで生きている女性が多いように感じます。「男性もたまに気骨のある人いますよ」と日本の男を救っていただいた感じですが、結局、日本の男どもでは、甘い生活さんの心を射止められなかったということでしょう。日本男児は、もっと奮起しないといけませんな。
それにしても、インドの人たちは元気ですねえ。猛暑続きで私などはヘロヘロです。これからもよろしくお願いします。

投稿: katoler | 2008.08.08 12:43

>katolerさん
ブログまでご覧いただきありがとうございます。
紛糾していたので怖くて「移民問題を問う」欄にコメントできなかったのですが、国家の命運が移民にかかっているシンガポールの移民政策は大胆ですよ。
私のブログの『シンガポール市民になりませんか?』というエントリー他に書いていますが、私の周りには市民権を取らないか?という招待状が政府から届いています。

katolerさんのブログをリンクに加えさせて頂きました。
こちらこそよろしくお願い致します。

投稿: la dolce vita | 2008.08.08 21:15

 la dolce vitaさん、単なる意見の応酬を、「紛糾していて怖い」「怖くてコメントできない」とおっしゃるナイーブなコメントはとても新鮮だ。最近とんとおめに掛からなくなった大和なでしこの奥ゆかしさに触れることができた。むき出しの自己主張を抑制する日本文化の知恵は海外でも立派に通用するらしい。それとも、リークアンユーを批判しただけで逮捕されてしまうシンガポールにお暮らしのせいなのか。
 独裁と言論統制に嫌気がさした若年層を中心とした人材が、大量に国外脱出してしまう状況を背景に持った都市国家から、「シンガポール市民になりませんか?」と持ちかけられてもねえ。私のような者がそれに応じてのこのこ出かけてしまえば逮捕されに行くようなものだ。「リークアンユー嫌い」だとレッテルを貼られて密告されるのが落ちだろう。話がそれてしまった。率直に感想を申し上げただけなので悪く取らないで頂きたい。
 
 そういう日本人らしいデリケートな感性を前にして、またまた反論しようとしているのだが、また誰かを怖がらせてしまうのではないかと「とっても怖~い」今日この頃である。反論には勇気が必要なこともあるのだと初めて気がついた。
 
 ところで、カトラーさんには相も変わらず後ろ向きなエントリーだと申し上げるほかはない。その黒光りするほどの色眼鏡で幕末を覗き込むからそうなってしまう。「大文字の歴史」といっても色々あるわけで、カトラーさんのそれは「暗黒史観」という紛れもない「大文字の歴史」そのものだ。「篤姫」を持ち出したからといって「大文字の歴史」を超越した視点で幕末の本質を理解していることにはならない。
 日本とはいかなる存在かを知ろうとして幕末を語る者にとっては、すでに「篤姫」そのものが「幾松」「お登勢」「大浦お慶」「大村益次郎」「小栗上野介」「坂本龍馬」らと同じ「大文字」として存在しているのである。

>幕府はもちろんそれに対立する勢力も、開国に対するヴィジョンや戦略も持ちえぬまま、その苛立ちと閉塞感を国内の権力闘争に向けた。西欧という圧倒的な力の前に、為す術もなく、負け犬同士が噛み合っていたに過ぎない。

>明治維新が、希望に満ちた時代として多分に美化されている所があるが、明治日本の指導者にしても、主体的に開国を選び取り、国の行く末に明確なヴィジョンを持ち合わせていたわけではなかった。欧米の進歩した現実を実際に見聞して知るに至り、振り子が反転するように極端な欧化政策へと突っ走った。その意味で、明治日本の開国とは、「敗戦」でもあった。

 この時代、明確なビジョンと戦略をもって国家を運営できた国があるのだろうか。世界中の国々が過去に経験したことのないまったく新しい現実にさらされながら、あらゆる難しい判断と決断を迫られ続けていた激動の時代だったのである。
 まして人類史に残る日本の変革期である幕末に、統一した明確な青写真が提示できようはずもない。幕末期は、当時の日本人が個別的に描いていたそれぞれの青写真を淘汰・収斂させてゆく期間だといってよい。日本の行く末を決める命がけの仕事を成し遂げようとした、ボルテージの高い時期であったというべきであろう。世界が突き進んでいる大きな流れだけを見定めて、暗中模索のなか運命をかけたぎりぎりの判断を続けてゆく。文字通りその後の人類史の行方を方向付けた大事業であった。
 彼らが人類に残した偉業を、ビジョンも戦略もなかった「負け犬の敗戦」だと貶める。そういう暗黒史観という「大文字の歴史」の一種に囚われた視野の狭さこそが、典型的な思考停止状態を引き起こしてしまうのだといえよう。

>(日本の)男どもはどうしてこんなに駄目なんだろう。
>(平成日本は)ろくでもない世の中だ

 だからこんな根拠のないただの愚痴になってしまう。あなたには見えないのだろうが、世界と対等以上に渡り合ってゆける極めて優秀な日本人が、この日本には掃いて捨てるほど存在している。あなたの認識の範囲外に彼らを掃き出してしまったからといって彼らが日本から消えてなくなるわけではない。通り魔殺人犯たちの顔写真を新聞から切り抜いて、部屋いっぱいに並べてみてもやはり同じこと。優秀な日本の若者たちが日本から消えてしまうことはない。前向きに。

投稿: かかし | 2008.08.09 18:29

今回のような、こんなに前向きなエントリーに対しては、間違いなく、お褒めの言葉でもいただけるとかと思っていましたが、やれやれですな。
記事内容をよくよく読み返していただき、無差別殺人や心中自殺がとまらない「ろくでもない世の中」で、30代の女性たちの元気さが、今の日本の救いだといっていることを、どうか無視されぬように。
ロストゼネレーションと呼ばれる彼女たちが元気なのは、就職氷河期に最も社会から厳しい扱いを受け、そこをたくましく生き延びてきたからです。それにひきかえ、男どもに駄目な奴が多いのは、硬直した価値観にしがみついているからです(全ての男が駄目なんていってませんよ)。
今回の記事は、篤姫を支持している現代の女性達について書いたものなので、幕末の歴史について議論しようとは思いませんが、これまで歴史の表舞台に上ることのなかった篤姫が大河ドラマで取り上げられ、スポットライトが当てられているのは、薩長を軸にした「官軍史観」とは別の見方も受け入れられつつあることを示すものでしょう。
日本史の専門家の間では、幕府側の方にむしろ明確な開国ビジョンがあったことが定説になりつつあります。最大のガンは当時の孝明天皇で、この人物がガチガチの攘夷論者、というよりは海外蔑視者だったので、これを薩長が利用したのが実態で、歴史の皮肉は、理性的に手順を踏んで開国を進めようとした幕府側ではなく、現実も見極めず、攘夷だけを振り回していたナイーブな連中が覇権を握ってしまったことでした。
ただ、天皇を権威として利用しつつ、現実無視の青白い観念論を振り回す愚かな「伝統」が、この時に始まり、太平洋戦争の軍部にまで繋がっているとしたら、これは「歴史の皮肉」といって済まされることでなないかもしれません。

投稿: katoler | 2008.08.10 01:18

> 30代の女性たちの元気さが、今の日本の救いだといっていることを、どうか無視されぬように。

 そのことを無視したつもりはない。誰であれ元気なことに越したことはない。ただ、篤姫に自身を投影させているという「30代の女性たちの元気さ」に日本の救いを求めるしか「救いようのない日本」、そういうカトラーさんの悲観的視点に対して意見を述べただけである。
 御釈迦様がお慈悲で下(おろ)した蜘蛛の糸(元気な30代の女性たち)に必死にしがみつく極悪人・犍陀多(かんだた)のような日本。そういう後ろ向きなイメージが先行してしまうのは、幕末に登場する「大文字」の男たちを、「暗黒史観」に囚われた狭い視野で極端に過小評価してしまうからではないのか、と申し上げたまで。
 
 北京オリンピック開会式のテレビ中継はボイコットすると決めていた8月8日、お偉いさんから呼び出された。今夜の接待に同行しろという。私のことを勝手に友人と呼ぶ取引先の中国人社長の、「受け」だからと肩をたたかれた。気楽に飲もうという意味だ。案の定中国人たちと大画面テレビとに迎えられて開会式を見る羽目になった。拍手、歓声、「すばらしい」の連発である。皆、興奮して目を潤ませている。若い中国人女性社員たちも何人かその場にいて興奮している。引っ切り無しにメールが入っているらしい。皆、何度も携帯を開いている。私が関心を示すと嬉しそうに、友人たちからのメールだといって私に見せてくれた。中国の歴史的偉大さ、中国の誇り、感動を伝え合っているのだ。微笑ましいともいえるが・・・。
 
 まあ、確かに日本の若者が彼らのようであっては困るのだが、いくらなんでも暗黒史観はないだろう、といったところか。
 これ以上議論を続けてもお互い得るものはなさそうだ。お疲れのようでもある。
 
勝手に押しかけては随分と嫌な思いをさせてしまいました。これまでの非礼を深くお詫び申し上げます。
長い間お付き合い頂いたこと心から感謝いたします。

 
 
 

投稿: かかし | 2008.08.12 00:42

北京オリンピックが終わりました。
開会式は、私もボイコットするつもりで見なかったのですが、ニュースなどを通じて目に入ってきます。聖火リレーの問題や会期中もテロや暴動が勃発していましたが、中国としては、うまくやりおおせたというところでしょう。祭りが終わり、これから中国はどこへ向かうのでしょう。
かかしさんの会社の中国人社員や、取引先の中国人の反応はよくわかります。長野のデモにも行きましたが、そこで出会った中国の若者たちのナイーブな愛国心が印象的でした。
そのナイーブさは、かつては日本の若者にもあったものですが、今では、サッカーや野球の日本代表に向かって、日の丸を振る若者たちも、「愛国」をひとつのフィクションとして楽しんでいるようにも見えます。そこには、ある種の高度さと同時にひ弱さも共存しています。今回のオリンピックの野球を見ていても代表の選手の思いに明らかに差があり、その差を生んだもののひとつは、ベタな「愛国心」の有無という気がしました。
たぶん、三島由紀夫が自決したあたりから、この国の何かが大きく変質してきたのでしょう。三島は、ああした死に方をして日本人に覚醒を訴えました。そうした姿は、明治天皇の死と共に殉死した乃木大将のように、戦前的な価値観に殉じたようにも見えますが、実は、極めて個人的な死、「極私的な死」だったと思っています。そして、その極私的な世界は、今の若者達が普通に持ち合わせている心情となりました。その意味で、三島の自決は、昭和という時代に殉じたというより、自分の死とともに一緒に昭和という時代を葬った「心中」だったのではないかと考えています。

つい、関係のない話になりました。聡明なかかしさんは、すでにおわかりだと思いますが、この国のことがどうでも良いと思うなら、そもそもこんなブログはやっていないわけで、一体、この国で何が今おこっているのかを自分自身の頭で考えてみたいという一心で続けている次第です。
戦前、戦中そして戦後の復興期まで「国体」という言葉がありました。定義の無い、なんともとらえようのない言葉ですが、「国体」を守るために、多くの人間が死に、あるいは殺されました。その「国体」が砂糖菓子のように崩れてきているとおもいます。その先に希望があるかどうかはわかりませんが、私は、もう少し長生きしてその先にあるものもしっかり見たいと思っています。
ご意見をありがとうございました。また、いつかどこかでお会いしましょう。

投稿: katoler | 2008.08.31 03:02

>頭でっかちの男ほど自滅する。

カトラーさん、あなたもご注意を

投稿: | 2008.09.12 20:20

加齢臭を感じるエントリーですね。

投稿: | 2009.09.28 08:08

バイセクシュアルである私個人としては、記事の多くを拝読させていただき、あなたの考え方や価値観の全般に同意しかねます。

生物学的に雌(HIBOTAN遺伝子)が雄(OTOKOGI遺伝子)よりも先に発生したという説は、先日、東大の研究発表によって否定されましたが、別に性差で高等下等があるか否かはあってもなくてもどうでもよいのです。

これだから男は駄目だ、といった考えかたはバブル世代以前の人に多く、(最近の大学生ではほとんど希薄になっています)現代の考えにはそぐわないので、あなたの考えは古いですよ、と申し上げたくて参りました。

わざわざ他者の牙城に出向いて、抗議することは私の人生でこれを含めて三回しかなく、それほどまでにこのブログに反感と不快感を覚えたことをお伝えしておきます。

長々と突然失礼いたしました。

投稿: シナファイ | 2010.06.18 23:33

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