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世界恐慌はもう始まっている  ~恐慌後の世界経済と本当の危機~

Crowd_outside_nyse 米国発のサブプライムローン破綻に端を発する金融危機が世界に波及し、世界は金融恐慌の真っ只中に入りつつある。

米国政府が薄氷を踏む思いで成立にこぎ着けた金融安定化法によって、不良債権処理の枠組みはできたが、法案可決の前後から株価の暴落、ドル安が急速に進行した。EC諸国でも、銀行の破綻が現実のものとなり、英国は主要銀行に対する6兆円の公的資金の注入に踏み切り、アイスランドも、国内大手銀行を全て国有化した。

ブッシュ米国大統領は、国民に向けて異例のテレビ演説を行い、金融安定化法の施行が持つ意味を説明するとともに、金融危機に対してあらゆる手段を講じて対処するという決意表明を行ったが、こうした声明が行われたのは、破綻が噂される米国の銀行で実際に古典的な取り付け騒ぎが発生しはじめたからだ。先週開催されたG7やユーロ圏15カ国による緊急首脳会合で各国の政策協調や、資本注入も含めた政策セットがアナウンスされたことで、週明けの市場は小康状態を保っているが、先行きは予断を許さない。

恐慌の発生を予想もしなかったのはなぜか?

各国政府やマスメディアは、市場のパニックを恐れて、現状を表現するのに言葉を選んでいる 「我々は、いま危機に直面しており、瀬戸際に立たされている」というような言い回しをている。しかし、信用が収縮し、銀行間の資金取引がマヒ状態に陥り、実際に破綻する銀行がではじめている現実を見れば、これは紛れもなく金融恐慌と呼ぶべきだろう。

1929年の世界恐慌から80年余が経過し、「恐慌」などという野蛮な資本主義的現象が、現代の高度な経済システムに裏打ちされた米国経済が再び震源地となって世界に波及するなど誰が予想しただろう。世の経済学者たちも含め、経済人たちが恐慌の発生についてここまで無防備であったのは何故なのか。世界中で最も高給を取る連中が集まっていたはずのリーマンブラザースのエリートたちは、巨大投資銀行の突然の崩壊について無自覚だったのだろうか。また、米国住宅バブルの崩壊の可能性は数年前から警鐘されていたにも関わらず、それが今日のような「世界恐慌」にまで発展するのをどうして誰もとめられなかったのだろうか。

恐らく、その根本原因の一つは、今日の経済理論、経済政策の中に「恐慌」という古典的な問題が全く意識されなかった、あるいは意図的に無視され続けてきたことにある。別の言い方をすれば、現代の高度な資本主義社会では、「経済恐慌」を回避する術が経済運営のシステムに織り込まれていると考えられていた。

そもそも「恐慌」という経済概念を提出し、この問題を真正面から取りあげたのは、マルクスだが、マルクスにとって、恐慌とは、資本主義生産様式が根本的に抱え込んでいる矛盾であり、その矛盾を必然的、暴力的に解消させるプロセスと考えられた。しかし、それが単に生産と消費の不均衡の解消を意味するなら、現代の資本主義社会においては、単なる景気循環の問題として捉えられ、その不均衡をソフトランディングさせる様々な社会的、経済的スタビライザーが既に整備されているので、今日では「恐慌」は封じ込まれたと信じられていたといえよう。

「恐慌」は封じ込まれたと信じた新自由主義者

特に、90年代以降、米国の経済運営の中心的役割を担った新自由主義者たちは、貨幣は単に交換の媒介手段・記号にすぎず、供給は逆に需要をつくりだす。従って部分的過剰生産はありえても、それはやがて市場原理によって調整されるのであり、政府のなすべきことは、下手な介入などはせずに、できるだけ市場の意志に任せることであると主張した。こうした市場原理至上主義の下で、高度な金融工学を駆使した金融派生商品(デリバティブ)が開発され、リスクは計量化、分散化され、世界中の投資家にばらまかれた。そのことによって、リスクは薄く広く分散化されるので、本来ならシステム全体の安定度は高まっていたはずだったが、現実には、金融派生商品が梃子となって破綻は増幅され、世界の金融システムを揺るがせている。

マルクスは「商品は命がけの跳躍をしている」と述べている。
経済が平常に動いている時は、需要と供給が折り合う地点で自然に価格が決まり、商品には固有の値段があって、それに基づいて売り買いが成立するのが当然のように見えている。しかし、いったん恐慌が発生すると、全ての取引参加者が、今、ここで決済することが求められてしまう。商品には固有の価値があったはずなのに、その価値はどこかに消え去ってしまい、誰も疑わなかった商品の価値とは、実は相対的な価値づけのネットワークの結節点でしかなく、そのネットワーク自体が崩壊すると幻のように消え去ってしまうことを悟るのだ。マルクスは資本論で貨幣と恐慌の関係について以下のように書いている。

「支払い手段としての貨幣の機能は、媒介されない矛盾を含んでいる。もろもろの支払いが相殺される限り、貨幣は、ただ観念的に計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。現実の支払いがなされなければならないかぎり、貨幣は、流通手段として、すなわち物質代謝のただ瞬間的な媒介的な形態としてあらわれるのではなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の独立な定在、絶対的商品としてあらわれるのである。この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する。貨幣恐慌がおきるのは、ただ、支払いの連鎖と支払いの決済の人口的な組織とが十分に発達している場合だけのことである。この機構の比較的一般的な攪乱がおきれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然、媒介なしに、計算貨幣というただたんに観念的な姿から硬い貨幣に一変する。それは、卑俗な商品では代わることのできないものになる。商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態のまえに影を失う」(資本論)

世界中の金融機関が、サブプライムローンの債権などを組み込んだ金融派生商品の値付けができなくなっている状況はここで引用したマルクスの描写と酷似していることがわかるだろう。マルクスが生きた時代に比べれば、金融テクノロジーは飛躍的な進化を遂げた。しかし、貨幣の本質やその本質に内在された矛盾から発生する恐慌のメカニズムは、マルクスの分析がそのまま現代の恐慌にも当てはまる。

昔も今も変わらない恐慌発生のメカニズム

現代の金融テクノロジーを駆使し、米国金融資本主義の富の源泉であったはずの金融派生商品(デリバティブ)は、一夜にしてマルクスが指摘している「卑俗な商品」に成り下がってしまい、市場は、今や「硬い貨幣(現金)」を渇望している。

つまり、古くて新しい問題にわれわれは今、直面しているということなのだ。
ベルリンの壁が崩壊し、90年代以降急速に進んだ経済のグローバル化の中で、新自由主義的な考え方こそが、現実の経済運営においても実効性を持ち得た。マルクスやケインズは、時代遅れの烙印を押され、黴臭い本棚の奥にしまわれてしまった。確かにグローバル経済が爆発的に成長していく過程の中では、供給が需要を創りだし、市場という“神”の見えざる手が働き、全てがうまくいっているように見えた。しかし、その舞台裏で世界の胃袋となって過剰消費を続けた米国経済の底部には、住宅バブルというマグマが醸成されていったのである。
金融恐慌という、眼前の危機にうまく対応できるかどうかもまだ予断をゆるさないが、世界経済はこれから長い停滞に入ることは間違いない。グローバル経済は、これから始まる巨大な信用収縮に耐えなければならないからだ。日本は10年前に同様の金融危機を経験したから、その経験を生かせるなどと、経済通を自称するこの国のひょっとこ顔の首相は息巻いているようだが、バカをいってはいけない。そうした脳天気なことを言っている政治家や経済学者たちは、日本の金融恐慌の際に倒れていった長銀や日債銀を買っていったのは一体誰なのかもう一度思い起こしたほうが良い。米国こそが、世界経済にとって最後の買い手であったのであり、その米国が破綻しつつあるというのが、今われわれが直面している苛酷な現実である。何年続くかわからないが、世界経済は、その最後の買い手が不在の中で、これから本格化する信用収縮に耐えなければならないのだ。

恐慌によって再生する資本主義経済

ところで、「恐慌」は、この世の終わりでも資本主義の崩壊でも何でもない。この点についてもわれわれはマルクスに深く学ぶことができる。マルクスにとって恐慌とは、資本主義が必然的に抱え込んでいる矛盾の解消過程であり、恐慌をくぐり抜けることによってむしろ資本主義は脱皮をとげ生まれ代わっていく。貨幣(資本)を人々が渇望するということは、逆に資本主義を強化することにつながる。
同じ事を経済学者の岩井克人氏が以下のように述べている。

「すべての商品がたんなるモノであるという理由から無価値であると見下され、貨幣だけが唯一の富であるとしてもとめられている恐慌とは、したがって、資本主義社会にとっての本質的な危機ではありえない。ひとびとは、たんにモノの実体性よりも貨幣共同体の永続性を欲しているだけなのである。たとえ、生産が止まり、企業が倒産し、失業者が街にあふれていてもひとびとが貨幣を貨幣として欲しているかぎり、その貨幣を貨幣として受け入れる貨幣共同体の未来に対する信頼は失われていない」(岩井克人『貨幣論』より)

1929年の世界恐慌は、自動車産業などが急速に成長し、勃興しつつあった米国の中産階級が自動車を買うために過剰消費を続け、株式投資などに走ったことが、バブルの形成とその崩壊を準備したといわれている。80年前の恐慌によって、ファシズムや共産主義、ケインズ主義などが世界に広がっていったわけだが、資本主義そのものが崩壊したわけではない。むしろ、恐慌によって、資本主義は双頭の怪物へと進化したというべきだろう。
だから、世界史的にいえば、何十年後かには、今般の世界恐慌は、新たな資本主義のステージを用意したものとして歴史家からは評価されることになるかもしれない。

資本主義の本質的危機としてのハイパー・インフレーション

それでは、資本主義社会の危機とは一体何を指すのだろうか。この点について岩井氏は人々が貨幣から逃走するハイパー・インフレーションこそが、資本主義社会にとって本当の危機だと以下のように述べている。

「ひとびとが貨幣から遁走していくハイパー・インフレーションとは、まさにこの貨幣の存立をめぐる因果の連鎖の円環がみずから崩壊をとげていく過程に他ならないのである。・・・・・(中略)・・・・貨幣が貨幣であることをやめてしまうこと、それはもちろん、その貨幣の媒介によって統一性が維持されている商品世界が商品世界であることをやめてしまうことでもある。・・・・(中略)・・・・すなわち、「巨大な商品の集まり」としての資本主義社会の解体にほかならない」(岩井克人『貨幣論』より)

今般の世界恐慌は、旧共産圏や新興アジア諸国の資本主義経済への参画というグローバル経済化の過程で発生してきた。この試練をうまく乗り越えることができれば、新しい「資本主義」が再生してくる可能性がある。それは、地球温暖化など、環境問題などにも適応力を持つ、あらたな世界観をもった「資本主義」となるというのが、最も楽観的なシナリオだろう。オバマが、初の黒人米国大統領として、この難しい舵取りをやり通すことができれば、世界は、再び米国をリーダーとして認め、オバマは世界史に名を残す歴史的大統領となるだろう。

心しなくてはならないのは、世界経済は、これから始まるグローバル規模での巨大な信用収縮の過程の中で、ドル暴落の危機と常に向き合わなくてはならないということだ。
米国政府の金融機関に対する資本注入を市場は歓迎しているが、その財源は、国債の発行に頼らざるを得ない、それはドル安圧力となって次の政権を悩ませ続けるに違いない。
他方、経済のデフレ化が進めば、財政赤字や一般国民が抱えている借金も重みを増してしまう。政権当事者としては、ドル安を容認して、借金の重みを少しでも和らげたいと考えるだろう。しかし、そう考えた瞬間に、ドル暴落という奈落の底が口を開ける。それは、世界通貨のハイパー・インフレーションという、人類がこれまで経験をしたことのない危機への入り口でもある。

(カトラー)

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Comments

非常に勉強になりました。ありがとうございます。

一つ質問させてください。
恐慌が資本主義の本質的危機ではないということは、何となくわかるのですが、ハイパーインフレ-ションがそうなりうるというのは、どういうことなのでしょうか?
恐慌とハイパーインフレ-ションとの決定的な違いは何でしょうか?

(おそらく、ここで問題は経済を離れて、究極的には宗教の問題になるはずですね。つまり、何によって信じるか、という問題です。)

とりあえず、経済の領域にとどまるならば、どういう説明が可能なのか、さらなるご教示をいただければありがたいです。

Posted by: 自力文団 | 2008.10.14 at 05:31 PM

>本の金融恐慌の際に倒れていった長銀や日債銀を買っていったのは一体誰なのかもう一度思い起こしたほうが良い。米国こそが、世界経済にとって最後の買い手

日本の税金を使って買ったということが抜けてますよ。
日本の税金という不良債権を処理できる裏付けとなる担保があったからでしょ、税金という担保のない不良債権という付帯条件まではアメリカ資本は買ってませんよ。

Posted by: ななし | 2008.10.14 at 06:49 PM

ドルの価値が暴落したら、他のましな通貨が新しい世界通貨になるだけではないのでしょうか?

現実的には、食料もエネルギーも工業原材料も工業製品も、交換するための貨幣がないと非常に不便なわけで、”今の”世界通貨に対する信頼が失われるとしても、信頼できる世界通貨を持ちたいという欲求は無くならないでしょう。
いまさら植民地時代の経済には戻れないと思うんだけど。

Posted by: まるてん | 2008.10.16 at 12:24 PM

自力分団さん、お久しぶりです、お元気ですか。コメントありがとうございます。
恐慌とハイパーインフレーションは、ちょうど対極関係にあると考えられます。恐慌の場合は、商品の価値が暴落して、貨幣しか信じられなくなる現象ですが、ハイパーインフレーションの場合はその逆で、貨幣の価値が崩壊して紙くずとなり、モノの使用価値しか通用しなくなります。物々交換の世界です。
資本主義にとっては、物々交換の世界に後戻りすることの方が致命的になりますね。
金融恐慌から全面的な経済恐慌に陥る危機は免れても、ドル暴落からハイパーインフレーションにつながる新たな恐怖と隣り合わせで世界は動いていかねばならなくなるのだと思います。
ハイパーインフレーションは、ワイマール共和国下のドイツや中南米で実際に起きたわけですが、ドイツの場合はレンテンマルクの発行でこれを何とか沈静化することができました。当時の世界の基軸通貨、ポンドやドルの価値には問題がなかったので、これを基軸に実質的にはデノミをやったのと同じことになりました。
ハイパーインフレーションがなぜ起きるのか、本当のところはわかっていません。通貨が下落するとその危険性は高まることは確かですが、ある一線を越えると、抑制がきかない形でインフレが一気に進行しています。この時に、たぶん自力分団さんがいうところの宗教的な領域で何かが壊れてしまうのだと思います。ドル暴落→ハイパーインフレーションというのが、資本主義にとっての最悪のシナリオですが、まるてんさんが言われるように、そうなる前に円やユーロに基軸が分極化して、世界はブロック化していくというのが最もありえそうな展開だとはいえますが、ここ1年間ぐらいの間で急激にドル安が進むような場合は、最悪シナリオも現実性を帯びてきています。いずれにしても、しんどい時代になりました。

Posted by: katoler | 2008.10.16 at 01:07 PM

ご教示ありがとうございます。
なるほど、現象としては反対である、と。
というか、恐慌のほうがまだ手前にあるわけですね。
ということは、恐慌のなかにすでにハイパーインフレがあるということなのでしょう。
局地的には、どっちも起こっているところがありそうです。
大局的には、信用の崩壊と欲望の停止、ということなのでしょうか。
そうしてみると、やはり同じことではない。そのわずかな差が決定的で、
そこからやり直すしかないように思われます。

Posted by: 自力文団 | 2008.10.25 at 10:53 AM

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