世界恐慌後の世界:創造的資本主義は貧困を克服できるか?
ニフティが主催したBlog Active Day Night というイベントが、先週の15日、お台場で開催された。
昨年からBlog Action Dayというネット上のイベントが、世界26ヶ国が参加して行われていたのだが、世界一の「ブログ大国」といわれているにも関わらず、残念ながら日本は蚊帳の外。これではチョッと情けないということで、アジャイル・メディアネットワークの徳力氏らが発起人となって、今年からこのアクションに積極的に加わり、日本でも盛り上げていこうということになったのだ。お台場のリアルイベントは、そのキックオフイベントとしてブロガーを集めて開催されたものだった。
Blog Action DayのテーマはPoverty(貧困)
Blog Action Dayは、10月15日に日を定め、統一テーマを掲げて、ブロガーがその問題についてメッセージを発信し、行動するということをねらいとしている。昨年のテーマは「Eco」、そして今年のテーマとして掲げられたのが「Poverty(貧困)」だった。
お台場のリアルイベントでは、世界銀行による世界の貧困問題の全体状況のレビュー、そして企業の貧困問題とCSR活動の関わりなどについてプレゼンテーションが行われた。
全体の印象を述べれば、世界が直面している貧困問題に対して、日本人や日本企業が向き合った場合に、その関係のとりかたが大変に微妙だな、という感じをうけた。
キリスト教などを信奉するアングロサクソン社会においては、貧困問題への関わり方に疑念が生じることは少ない。慈善という行為が身についており、富める者が貧者のためにドネーション(寄付、寄進)するというのは、神と個人の関係のもとで定められた、当たり前の行動原理と理解されている。しかし、日本の場合は、慈善行為というのは、どこか偽善の臭いがつきまとう。
黒柳徹子のようなタレントが、厚化粧のままアフリカに出かけていって、栄養失調の子供を抱きかかえ、涙でマスカラが流れてパンダ目になっている様には、ドン引きさせられてしまうし、そうした時にメディアがとりあげる貧困は、東京のホームレスや生活保護家庭ではなく、遠いアフリカで起きている話と相場が決まっている。要は貧困を見せ物にして、自分たちはそこから遠く離れた茶の間でテレビを見ている側でよかったねと安心を与えているだけなのだ。そうしたメディアのやり口を見ていると、その情景をテレビの前に座って眺めている自分も含め「偉そうに一体、何様のつもりだ?」といいたくなる。
慈善と偽善のあいだ
ことほど左様に、日本でフィランソラピーやチャリティー活動を展開すると、どこかお涙ちょうだい的な偽善の臭いがつきまとってしまう。誤解無きように言っておくが、私が「偽善」といっているのは、そうした活動を行っている当事者の問題というよりも、それをうまく消化できない、私も含めた受け入れ側の問題だ。
その意味では、Blog Active Day Nightで発表されていた、王子ネピアやキリンMCダノンのCSR活動は興味深かった。
① 王子ネピア: 千のトイレ活動
王子ネピアは、ユニセフの東ティモールにおける「水と衛生に関する支援活動」をサポート。主力商品ネピアの売上げの一部を寄付し1,000の家庭のトイレの建設と15の学校のトイレの修復を実施、あわせて衛生習慣の普及と定着のための啓蒙教育活動などを支援している。
② キリンMCダノン: Volvic (ボルヴィック)1L for 10L
キリンMCダノンは、主力商品Volvic(ボルヴィック)の売上げの一部を寄付して、アフリカで飲料水を確保するための井戸作り、および10年間にわたるメンテナンスを進めるユニセフのサポートプログラムを支援。Volvic1リットルあたり10リットルの水がアフリカの井戸から生まれるというキャンペーンCFをオンエアしている。
トイレットペーパーやミネラルウォーターなど、コモディティ商品は、差別化が難しい。そこで両社は、自社製品の購入が発展途上国におけるトイレや井戸の建設につながるというマーケティングキャンペーンに仕立てて上記の活動を展開している。
CSRと販促キャンペーンを組み合わせたこうしたやり方には、批判もあるだろうが、逆に私にはとてもわかりやすいアプローチだと思えた。企業が社会的責任のために行っている高尚なCSR活動というよりは、消費者が日常生活の中で途上国の「貧困」の問題にコミットする機会を販促キャンペーンを通じて与えているといったほうが適当だろう。遠い見知らぬ国の貧困という問題に正面から向き合うのはちょっと重すぎて・・・というのが、日本の一般的な生活者の本音だとすれば、日常の生活用品の選び方でできるささやかな貧困問題への貢献というのは、心理的な距離のとりかたとしても、いい塩梅(あんばい)のように思えた。
チャリティーにマーケティングの手法を持ち込む
同じように、消費者の購買パワーを、貧困問題の解決に役立てることを目的に、ミュージシャンのBono(ボノ)が提唱者となって立ち上げられたのが「プロダクトRED」プロジェクトだ。
GAP、デル、Apple、ホールマーク、マイクロソフトといった米国企業が参加しており、REDブランドの商品を売ると、利益の一部が途上国のエイズ、結核、マラリア撲滅活動のために寄付される仕組みだ。
こうした活動は、ユニセフなどの国際機関と連携しながら行われているが、ユニセフ自体が、寄付金集めに関して、単に受け身で待っているのではなく、積極的な「マーケティング活動」を展開している。具体的には、マーケティング費用を予算化し、富裕層に対するダイレクトメールなど広告、プロモーション活動を広告代理店なども起用して実施している。私は富裕層ではないが、過去、ユニセフに募金をしたことがあるので、毎年、ダイレクトメールが送られてくる。ユニセフのマーケティング担当者によれば、一度、募金や寄付を行った人のリピート率が高いので、ダイレクトメールがマーケティングツールとして極めて有効なのだという。
こうしたユニセフが行っている「マーケティング活動」の費用も集められた募金、寄付金によって賄われているわけなので、寄付をした人々にとっては、ちょっと複雑な思いが生じるだろうが、要は、マーケティングコスト以上の効果を上げることができれば良いわけで、現在、広がっているユニセフと企業とのマーケティング連携の取り組みもこうした積極姿勢から自然の流れとして生まれてきたものだろう。
ユニセフのこうした姿勢からもわかるように、貧困問題への対応を「慈善」や「人道支援」という狭い枠組みだけで考えない方がよいのだ。貧困は、克服すべき人類的な課題であり、課題の克服には、目標設定やその目標を達成するための戦略と計画が不可欠である。
ビル・ゲイツの挑戦的な「慈善活動」
この点について、特筆すべき活動を行っているのが、ビル・ゲイツである。
ビル・ゲイツが、今年になってからマイクロソフトの経営から全面的に退き、ビル&リンダ・ゲイツ財団を組織して、チャリティー活動に専念していることは知っていたが、ITビジネスの成功で得た巨万の富をバックに、今度は社会的な名声を得るために始めたことだろうというくらいに考えていた。しかし、あらためて現在の財団の活動内容を見ると、ビル・ゲイツが、ITソフトウェアの世界を席巻したのと同じレベルの情熱と戦略を持って、貧困問題に取り組んでいることがわかる。財団を組織した最初の頃に行っていた活動は、発展途上国の子供たちにPCやソフトウェアを無償提供するなど、長い目でみると本業の成長に貢献するような取り組みが中心だったが、現在では、貯蓄口座の提供や生活費融資などの金融支援、マラリアワクチンの接種や新薬の開発支援など、多岐にわたる分野に多額の資金を投入している。財団のホームページを見るとわかるが、それぞれの目標に対して、達成状況がどうなのか、また、目標達成のための課題は何なのかが詳細に報告されている。
これを見てわかるように、マイクロソフトの成功で富を築いたビル・ゲイツが、引退して慈善活動を行っているというよりは、貧困問題の解消に取り組む社会事業家にビル・ゲイツは完全に転身を遂げたというべきだろう。その場しのぎの「慈善」には1ドルも使わない、持続可能な支援策で、貧困の構造的な解決に繋がるようなプロジェクトに対してのみカネを出すという姿勢を評価して、大富豪のウォーレン・バフェットも、個人資産の8割近くをビル&リンダ・ゲイツ財団に寄付した。
創造的な資本主義(Creative Capitalism)の必要性
残念ながら、こうした雲の上の大富豪とは全く関係のない立場だが、貧困や格差の問題に、資本家や資本主義が、それなりの答えを出していかないと現在の資本主義社会は、早晩行き詰まるという認識においては、私だってビル・ゲイツやウォーレン・バフェットと同じ見方をしている。ビル・ゲイツは、最近、Time誌に寄稿して、そのことを創造的な資本主義(Creative Capitalism)と呼んでいる。創造的資本主義とは、何か特別の経済理論やユートピア観に裏打ちされたイズム・イデオロギー(主義)ではない。そんなものが可能かどうかという議論はあると思うが、資本主義をもう少し、万民にとって恩恵あるものにしようという試みといえるだろう。
ビル・ゲイツは、創造的資本主義の実例としてアフリカにおける携帯電話の普及の事例を取り上げる。ボーダフォンがケニアの携帯電話会社の株を取得した時は、ケニアの市場はせいぜい40万台と見込んでいたが、現在は1000万台以上の契約を抱える。課金を分ではなく秒単位にするなど通信料を低く抑えたのが爆発的な普及につながり、携帯電話のネットワークを使って、様々なビジネスが生まれ、貧困からの脱出の糸口が見えてきているという。企業がこれまで見過ごしていた事業機会を途上国の中であっても工夫次第で十分に見いだし、それによって人々に恩恵をもたらすことができるとビル・ゲイツは主張し、以下のように述べている。
「今年になって私が創造的資本主義を提唱すると、新たな市場などあるのか、という懐疑派の声をいくらか聞いた。・・・・中略・・・彼らの態度は古いジョークを思い出させる。
ある人がエコノミストと一緒に、道を歩いていた。エコノミストは、道に落ちていた10ドル札を踏みつけながら、拾おうとしなかった。『どうして札を拾わないんだ?』と聞くと『札なんて落ちているはずがない』とエコノミストは答えた『もし、落ちていたとしたらとっくに誰かが拾っていたはずだ!』・・・企業の中にはこれと同じ失敗を犯しているところもある」
ビル・ゲイツは、このジョークを引きながら、市場原理を途上国にも創造的に貫徹させることができれば、それによる市場化によって貧困からの脱却が可能となると主張する。しかし、その一方で、企業がいくら創造的な努力を重ねても解決できない、例えば“マラリア”のような貧困問題も存在する。マラリアの新薬やワクチンを必要としているのは、その費用を支払う能力が無い人々だからだ。だからこそ、ビル&リンダ・ゲイツ財団は、そうした人々を支援するために組織されたという。
ビル・ゲイツは、ITによって情報の世界を万人に向けて解きはなったといえるが、同様に、「自由」「市場原理」の名のもとに、あまりに荒々しくなってしまった資本主義を万人にとって、もう少し優しいものに変身させる挑戦といえるのかもしれない。
世界恐慌後の資本主義の姿、そして貧困
少々、ビル・ゲイツを褒めすぎとの誹りを受けそうだが、私がビル・ゲイツを引き合いにしたのは、何も彼を褒めそやすためではない。ビル・ゲイツが行っているような取り組みを、もっと徹底させないと、資本主義世界そのものが崩壊する可能性が生まれているということなのだ。
そのことは、現在も進行中の世界金融危機のことを思えば明らかであろう。米国を震源地とするサブプライムローンの破綻は、もともとは、米国の貧困層に無理矢理、住宅ローンを組ませたことに端を発している。貧困による破綻が信用システムの破綻につながり、結果的に世界中に金融恐慌をもたらした。米国の資本主義社会の底辺に澱のように沈殿した貧困が、全ての崩壊の発火点になったのであり、癌細胞のように世界中に転移し、巨大な金融機関を死に至らしめたサブプライムローンとは、見方をかえれば“貧者の爆弾”でもあった。
貧困こそが資本主義の敵である。
(カトラー)
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コメント
巨万の富を持った人が慈善活動をするのは古今東西行われていたことで何の異論もありません。しかし現下の問題は、市場万能主義、極端な自由主義、グローバリゼーションがもたらした極端な富の偏在と政府の巨大な債務とが一体となって現出していることです。政府の巨大な債務も成長さえあれば解消できるとするものです。私は、その根源にあるのはビルゲーツさんも上でいみじくも述べているように”まだまだ先進国にも成長余地がいっぱいある、成長できる”という為政者がが抱く幻想にあると思います。成長が無ければ分配もうまくいかないと考えている人が多いのです。この幻想から先進国は早く抜け出ないと今の資本主義の未来は無いと思います。
投稿: kanayama masao | 2012.02.09 17:17
Ualipie aazucmaed These Last Longer In Bed Pills eiinuo inujpaazo eudiaqo ieuyanyo qonauua!!
投稿: These Last Longer In Bed Pills | 2013.12.03 20:06