ファイテンのプラセボ・マーケティング ～魔法の首輪はいかにして世界商品となったか～

マラソンの高橋尚子が引退を表明した。一時期の国民的大人気がプレッシャーになっていたのだろうか、レースに勝てなくなっているのに、次は３つの大会の連続出場を宣言するなど、誰が見ても無謀な目標を掲げ、あきらかに引き際を間違えた感があった。

その引退報道の中で、気になったのが、高橋尚子のスポンサーをかって出ているファイテンという会社だ。高橋尚子以外にも、阪神の鉄人こと金本知憲選手や日ハムのダルビッシュなど、そうそうたるアスリートたちとスポンサー契約している。

モノを見れば、ああ、あれかと見覚えがあると思うが、チタンを含浸させた首輪のような健康器具「RAKUWAリング」を製造・販売している。肩こり用の磁気ネックレスのようなものかなと思っていたのだが、ナノ化した水溶性チタンを含浸させたチューブをネックレス状に特殊加工したもので磁気は帯びていないという。そんなものを何故、多くの選手がありがたがってぶら下げているのだろうと不思議に思っていたのだが、先日、近所のイトーヨーカード系のショッピングセンターにショップを出店しているのを見つけたので覗いてみた。

スポーツ感覚で販売されるファイテンのリング

店内は、健康器具の売場というよりは、ラケットショップやゴルフ用品ショップのようなスポーツ系の雰囲気で、さまざまな「RAKUWAリング」がずらりと並んでいる。若い男性と女性の店員がいて、フレンドリーな応対をしている。高校生ぐらいの若者、老夫婦、中年の女性など、様々な客が訪れて賑わっていた。

カトラー：これがＱちゃんがつけてるリング？
店員：あっ、そうですね。高橋さんがつけているのは高橋尚子モデルといって、さらにパワーをアップさせたモデルです。
カトラー：これつけると、肩こりとかが治るの？
店員：そういう風におっしゃる方もいますが、肩こり改善などをうたっている磁気ネックレスなんかとは違うものです。むしろ体全体の状況をニュートラルな状態に戻すと申し上げています。
カトラー：なるほど、磁気などは帯びていなくて、チタンが含浸されているのね。ところで、チタン入りのネックレスがなんで体にいいわけ？

私が「RAKUWAリング」の効果について尋ねると、応対をしていた女性店員は、にっこり笑みを浮かべて「お客様、ちょっと、こちらで試してごらんになりませんか」といって、チェーンのついたバーベルと「RAKUWAリング」を持ってきた。

店員：まず、このチェーンのついたバーベルを、そのまま持ち上げてください。
店員：次に弊社のリングをつけて、もう一度同じようにバーバルを持ち上げて見てください。どうですか？持ち上げた感じはいかがですか、軽く感じませんか。

店員にいわれるがままに、リングを着けない状態と着けた状態でおもりを持ち上げて見たのだが、正直な所、違いらしきものは何も感じられなかった。仮に軽く感じられることがあったとしても、それは、筋肉の馴れみたいなものが生じるからだろうと思った。

カトラー：うーん、何も感じないね。俺は不感症なのかな？

カワイイ女性店員は、ちょっと意外なという表情をして、「お客様によって、効果はさまざまですので・・・」といって、リングの「効果」について説明をはじめた。

店員：弊社のリングがどうしてお客様の体の不調を改善するのかは、正直に申し上げるとはっきりとはわからないんですね。体には生体電気というものがありますが、この状態を正常に戻すという効果があるともいわれています。だから、スポーツ選手が、弊社のリングを身に着けることでリラックスできて、本来の実力を発揮できたり、人によっては疲れがとれたり、肩こりが治ったといわれる方もいます。効果の現れ方は、人によって様々なんです。

店内では、私と同じようにバーベルテストをやっている他の客もいたのだが、その人は「おーすごいね、軽いよ、確かに軽くなった」と、満面に笑みを浮かべて喜んでいる。私はちょっと羨ましくなった。

プラセボ効果を利用した商品

ここまで読んで医学分野に詳しい方なら、もうお気づきだろうが、ファイテンのリングは、「プラセボ（偽薬）効果」というものを利用した商品だと考えられる。

プラセボ（偽薬）効果：Wikipediaより
偽薬効果、プラセボ効果とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言う。
偽薬（ぎやく、プラセボ、プラシーボ、placebo）は、本物の薬のように見える外見をしているが、薬として効く成分は入っていない、偽物の薬の事である。成分としては、少量ではヒトに対してほとんど薬理的影響のないブドウ糖や乳糖が使われる事が多い。Placeboはラテン語で、「私は喜ばせる」の意。

ここで確認しておく必要があるのは、プラセボ効果とは、単なる「気のせい」によるものだけではなく、計測可能な現実的な効果として現れるということだ。医薬品の開発過程ではプラセボを用いた対照実験が実施されるが、被験者は、薬を処方されたというだけで症状の改善がみられる。そのプラセボ効果は、何も与えない平常の場合に比べて３０％もの高率に達するといわれる。だから、医者の中には、この偽薬（プラセボ）を積極的に治療手段として用いている場合さえある。不眠、下痢、疲れなどの不定愁訴などに対しては、副作用や依存性がないことから、「お薬を出しておきますからね」という言葉とともにブドウ糖や乳糖などが処方されている場合が結構あるのだ。

効果や作用メカニズムはあえて曖昧にする

ファイテンの商品についも同じことがいえる。その効果のメカニズム、作用機序について科学的な根拠に基づく説明が無いからといって、この商品をインチキ呼ばわりするのはお門違いだ。ファイテンの商品を身につけ、肩こりが実際に改善したり、体が軽くなったと感じれば、それは正しく効果があったといえるからだ。
この点の説明について、ファイテンは、明らかに確信犯的かつ戦略的である。自社製品の効果やその作用メカニズムについてあえて明確に説明しないという態度を貫いているように思えた。店員の対応からもわかるように、ファイテンの商品が、なぜ効果を持つのかは、彼ら自身もはっきりとはわからないと表明している。効果が現れるか、現れないかは個人の状態によって様々であり、まず、体験して見てくださいというのが、彼らの基本姿勢だ。利用者の実感にのみ依拠するという、プラセボ・マーケティングとでも呼べるような独特のマーケティング戦略が採用されている。

そして、効果効能を明確にしないという曖昧戦略は、これを前面に打ち出すと薬事法に抵触してしまうという事情もあるのだろうが、自発的な口コミを喚起するという意味では、大変頭のいい戦略である。
プロ野球の選手が、ファイテンを身につけはじめたのが、ブームのきっかけとなったが、まずトップアスリートのコミュニティにファイテンを売り込み、選手間で自然発生的に口コミが広がっていくのをじっくり待った。現在、プロ野球選手の中でのファイテンの装着率はかなりの率に達している。

日本のプロ野球だけではない、ＭＬＢにも進出し、レイズで活躍している岩村や松坂投手、岡島投手などから、ランディ・ジョンソンなど他の外国選手にも広がり、昨年、ファイテンは、日本企業として初めてMLBオーセンティックコレクションライセンス契約を締結した。オーセンティックコレクションライセンスとは、MLB選手が試合や練習時に使用する野球製品の各カテゴリーに対し1社のみに発行されるライセンスで、ファイテンを含め、これまで１０社しか認められていないという。

岡島投手がファイテン製品についてこんなエピソードを披露している。
「とにかく疲れが取れる。自分が身に着けているとチームメイトが興味を持ったので、日本から取り寄せみんなに着けてもらった。するとフリオ・ルーゴ選手から、ホームランを打ったときに、“ファイテンの製品を身に着けていたおかげだ”と言われ、嬉しかった」

年間売上げ１６０億円の世界商品に成長

ファイテンを身につければ、ホームランが打てるというのは、誰が考えてもありえない話だが、これが選手の口から自然に出てきた場合は、意味合いが違ってくる。どうして効くのか、何に効くのかもわからない、ちょっと怪しいファイテンの首輪は、アスリートたちが自発的に発する一言で魔法のリングに変身してしまう。
ファイテンの製品は、こうしたプラセボ・マーケティングと口コミ戦略によって、今や世界商品となり、年間１６０億円の売上げを達成している。

実は、ファイテンの創業者社長である平田好宏氏は、かつて水晶リングパワーのブームを仕掛けた人物で、その際は、現・読売ジャイアンツ監督の原辰徳が、手首に水晶リングをしていたことからブームに火がついた。その時は、数珠のような水晶リングであったこともあり、抹香臭さが感じられ、反発も招いたが、そうした経験も踏まえて、現在のスポーツタイプのリングが誕生したという経緯がある。

ファイテンのリングのような商品に対して、私のように効果を実感できない、あるいは、この種の商品を端から受けつけないという人々もいるようだが、考えてみると、それは、すこし不幸なことかも知れない。
そもそも医療や癒しとは、何かに疑いをもつことよりも、何かを信じようとする力が求められる世界である。薬だって、効くと信じて飲む方が、良く効くということが知られている。

人間という存在自体が、プラセボ的なのである。

（カトラー）