「年越し派遣村」の正月に見た「中流」の崩壊
大晦日から日比谷公園で「年越し派遣村」が開設されていることを知り、3日の朝からボランティアとして参加した。
昨年のリーマンブラザーズ破綻を発端とする米国の金融恐慌が、実体経済にも及び、北米市場を利益の源泉としていた日本の外需産業が軒並み不況に陥っている。トヨタ、キャノンといった日本のトップ企業も派遣切りを行い、数十万に及ぶ派遣労働者、季節労働者が職場を失って、路頭に迷うことになった。そうした労働者のために「年末年始を日比谷で生き抜く」をスローガンに、テント村による住居の提供、炊き出しなどによる食事支援、そして労働相談、生活相談など行うというもので、「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」や「反貧困ネットワーク」などが中心となり立ち上げられたプロジェクトだ。
炊き出しの列に並ぶ派遣の人々
これまでの年末年始にも、新宿や池袋などの街頭で炊き出しが行われ、ホームレスの人々などが列を作っている光景を目にしたことはあったが、ここの行列は明らかに違っていた。
私はボランティアスタッフとして行列の最後尾について人々の整理にあたったのだが、9時から始まる朝食の提供を前に、テント村に宿泊していた人々が起き出してきて、最終的には500名近い人々の行列ができあがった。驚かされたのは、列を作っている人々が、皆、若くて、こざっぱりしていることだ。日比谷公園を散歩している初老の婦人が、たまたま通りすがってその列を見とめて「一体何の行列ですか?」と私に尋ねてきた。「年越し派遣村の炊き出しを待っている人たちですよ」と説明すると、「炊き出し」という言葉と並んでいる人々の印象がかけ離れていたせいだろう、ひどく驚いた様子だった。
貧困は、今や私たちのすぐ足下にある。
一緒にボランティア活動に参加していた人々も私と同じ事を感じていたようで、ひょっとすると明日は自分が、この列に並ぶ方に回るのではないかと思い不安になったと口々にいっていた。働き盛りの3~40代の人々が、住む家を追われ、正月の朝、一杯の雑煮をもらうために列を作る光景は、日本人が高度成長時代から抱いてきた「中流幻想」が、完全に瓦解したことを象徴的に物語るものといえるだろう。同時に、それは、最大多数の平均的な幸福というものを実現したきたといわれる「日本的な政治」の敗北をも意味するものだ。
「中流」の崩壊を招いた2004年の派遣法改正
かつて9割の人々が自分の暮らしぶりを「中流」と感じている時代があり、それを「一億総中流社会」と表現していたが、この10年余りは、そうした中流意識は、「悪平等」という言葉とともに、ややもすると嘲笑をもって語られることが多かった。終身雇用や年功序列賃金制度が否定され、かわって、自由な労働形態、労働市場の流動化などが叫ばれて、派遣労働の規制緩和が進められた。
ちょうど10年前の1999年に労働者派遣法が改正され、派遣対象業種が大幅に広げられ、続く2004年には製造業に対しても派遣労働が認められるようになったことで、派遣会社などを通じて、メーカーの工場に大量の派遣工員、季節工員などが送り込まれることになった。
その結果、2008年時点で日本の労働力の非正規雇用比率は、33.9%にまで跳ね上がり、実に3人に1人が非正規雇用の労働者となっている。(グラフ:社会実情データ図録より)パート・アルバイト、派遣社員など、非正規の雇用形態の選択肢が広がったこと自体は、多様な働き方を可能にしたという意味で労使双方にとって別段悪いことではない。問題なのは、日本の場合は、こうした労働形態が、いわゆる「正規雇用」に比べて、先進諸国の中でも最も低賃金に抑えられてしまったことだ。その結果、非正規雇用者を中心に年収が200万円にも満たない「ワーキングプア」と呼ばれる人々が大量に生まれ、社会格差を広げただけでなく、アキバの無差別殺人事件に代表される陰惨な事件を引き起こす社会的背景を作りだした。
相対的貧困率世界第2位、貧困大国となった日本
相対的貧困率の国際比較というOECDが2006年7月に発表したデータがある。(グラフ:社会実情データ図録より)。相対的貧困率とは、所得分布の中央値の50%に満たない人々の割合のことを意味する。このデータは、発表された当時、どうしたわけか日本のマスコミは、大きく取り上げなかったのだが、既に2006年時点で、日本は、米国に次いで2位の相対的貧困率を示す「貧困大国」になってしまっていることがわかる。
このデータ自体は、年功序列制度の名残がある日本の場合は、賃金カーブが高齢者に高めになっているので割り引いて考える必要があるが、低賃金の非正規雇用者が3人にひとりにまで増加した日本社会の現実を反映したものに他ならない。
こうした数字は、頭で理解しているだけでは、どこかしら数字のマジックや絵空事のように感じられているだけだが、「年越し派遣村」に参加してみて、それが今日の日本の紛れもない現実であることが実感できた。自分のことを「中流」だと思っていた日本人の誰もが例外なく、炊き出しの列に並ぶ可能性に向き合うことになってしまったのだ。
ところで、この間、政治は一体何をしていたのだろうか。政府は、自由競争を促進することと同時に、セーフティーネットをしっかり張り、やり直しがきく社会を構築することが重要だと、小泉、安倍内閣の時代から言い続けてきたわけだが、「派遣切り」された人々に対して、政府も企業も全くの無策のまま、年末の寒空に彼らを放り出し、年越しの食べ物さえ与えず、何も手をさしのべることをしなかった。
厚労省によって浪費された時間とカネ
こうした問題の前面に立つべき厚生労働省については、この10年間でやったことといえば、京都の誰も行かない辺鄙な場所に雇用保険料を流用して580億円もの巨額の費用をかけて「私の仕事館」なる醜悪なハコモノを建設し、毎年10億円の赤字を垂れ流していることぐらいだろう。呆れたことに、この「私の仕事館」を廃止することを「改革」と称して、舛添要一厚労大臣は、この無駄遣いの張本人たる「雇用・能力開発機構」を同じ厚労省所管の独立行政法人「高齢・障害者支援機構」に統合させ、焼け太りさせようとしている。かくして、貴重な時間と金がドブに捨てられ、そのつけが回って、「派遣切り」という形をとって社会的弱者の人々を襲っているのだ。
政府当局者は、少なくとも2004年の派遣法改正は、誤りだったことを率直に認め、派遣労働者に対する新たなセーフティーネットの構築を速やかに進めるべきだろう。
年越し派遣村には、マスコミも含め、外部の視察者が多数来ていたが、政治家では、厚生労働副大臣で自民党の大村秀章衆議院議員が顔を見せ、私たちボランティアが握ったおむすびを入村者に配っていた。大村は、年越し派遣村に予想を超えて住居の無い人々が集まってきたため、厚労省の講堂を宿泊場所として急遽開放するなどの措置をとった。こうした対応については評価すべきだが、大村議員には厚生労働副大臣として先ずやるべきことがある。
それは、麻生太郎と舛添要一を「年越し派遣村」に連れてくることだ。寒空の下、派遣労働者の人々と冷たくなった握り飯を頬張れば、自分たちがおこなった無慈悲な政策によって「冷や飯を食わされた」人々の思いが一体どんなものであるか、少しは理解ができようというものだ。
(カトラー)
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コメント
派遣法を認めた国会議員はもとより、労組の責任はおおきいとおもいます。
投稿: 古井戸 | 2009.01.05 11:56
古井戸さま
あけましておめでとうございます。非正規雇用の問題は、正規雇用者にとって自分たちの雇用を守るクッションになっているという面があって、当初、この問題に対しては、見て見ぬふりをしている面があったことは確かですね。しかし、それでは、いかんということで、連合なども非正規雇用者のユニオンとの連携などを進めているようです。もっとも、今回の不況は、派遣の人々がクッションになれば済むというような生やさしいことではないと思いますが。
投稿: katoler | 2009.01.06 12:17