ハーフ・エコノミーの衝撃、もう米国にも内需にも頼れない
自動車市場だけではない、現在、世界を覆いつつある「恐慌」の震源地となった米国の住宅市場も価格の下落と販売減に歯止めがかからない。2005年7月に米国の新築住宅販売戸数は、年率140万戸のピーク値を打った後、ずるずると下がり続け、今年の1月には、年率30万戸台の水準にまで落ち込み、前年比-50%という正に壊滅的状況を呈している。
米国経済の主力牽引エンジンである自動車、住宅市場が、前年の半分に縮小するという「ハーフ・エコノミー」化の現実を目の当たりにしている。
問題は、こうした米国市場で進行しているハーフ・エコノミー化が、対岸の火事などではなく、直接的に日本経済を襲っていることだ。自動車販売についていえば、日本の自動車メーカーの多くは、現地化を進めており、米国市場で巻き起こっている津波から逃れようもない。あのトヨタも-37%、日産、ホンダも似たりよったりの状況だ。
米国ビッグ3の経営危機が露呈した際に、彼らが本来のものづくりを忘れ、ウォール街と結託して新手の自動車ローンを開発するなどマネーゲームに走ったところに問題があったというような、日本人が喜びそうな説明がされていた。しかし、現実を直視すれば、日本の自動車メーカーがビッグ3に比べてましな状況にあるというのは大間違いで、数字を見れば一目瞭然のようにトヨタ、日産、ホンダの3社の売上げは、いずれも30%以上のマイナスで全体平均と全く変わらない形で縮小している。だから、現在、起きている状況は、単なる「市場の失敗」や「バブルの崩壊」ではない、市場が全面的に縮小する「ハーフ・エコノミー」化、もっと耳慣れた言葉でいえば、「恐慌」である。
日本を襲うハーフ・エコノミーの津波
時間差をおいて、米国のハーフ・エコノミー化の津波は、日本経済を襲うことになるだろう。世界経済は、既に緊密に繋がっているのであり、誰もその連鎖から逃れることはできないからだ。このブログでも取り上げた中谷巌や他の脳天気な経済学者や政治家が言っているように「グローバル資本主義」や「新自由主義」を悪役に仕立てあげたとしても、それで片づく問題など何一つとしてありはしないのだ。
この国が危機に直面すると必ず出てくるのが、ナイーブな「鎖国主義」である。中谷巌などがその典型だが、彼らは、グローバル資本主義にかぶれて、新自由主義的政策を行ったことが中産階級の崩壊と格差の拡大につながり、「幸福感」の喪失につながったと懺悔してみせる。こうした言い分は、現実を逆さまに見ているだけだ。マルクスが言ったように、そうした頭でっかちな見方を「逆立ち」させなくてはならない。
21世紀を迎えて、人類が「世界恐慌」にあらためて直面することになった根本的な要因は、資本がグローバル化し、国家の統制を超えて急激な信用膨張が生じたこと、そしてそのことを背景に新興国が台頭し供給力の拡大が生じたことにある。
日本では2007年まで戦後最長の景気拡大が続いていたことになっていたが、全く実感が伴わなかった。その間、トヨタをはじめ、日本のグローバル大企業の多くはグローバル市場の拡大に乗って過去最高益を更新するなどバブル期を凌ぐ業績を上げた。この背景にあったのは、中国に代表される新興国の台頭と成長である。こうした新興国にグローバル資本が投下され、多くの製造業が移転され、グローバル企業の資本効率を向上させた一方で、安価な工業製品が、先進国に大量に流れ込んだ。先進国で景気拡大の実感が伴わなかったのは、グローバル企業が儲かっても国内の賃金水準が上がらず、製造機能の移転が進んだために雇用も増えなかったからである。
最後の買い手、米国市場の崩壊
米国は、この間「世界最大の最後の買い手・消費市場」として、金融商品を駆使した「錬金術」によって、かなり無理をしながら下駄を履かせて消費水準の底上げを行ったといえるだろう。製造業の空洞化によって中産階級の基盤が蚕食されていたにも関わらず、飽くことなく「消費」を拡大させ続けた結果が、今般のサブプライムローンの破綻と経済危機につながった。
マルクスが、この時代に生きていて現在の世界情勢を見たとしたら、一国の政治家や経済運営担当者が執った新自由主義的政策が、現状の問題をもたらしたように考えるのは、表面的な見方に過ぎず、資本が国家の枠組みを超えて、グローバル化したことこそが根本原因であることを看破したことであろう。
現代の「鎖国主義者」たちが、ここにきて言い出していることが「内需型経済」への転換である。かつて80年代の円高不況の時も同じことがいわれた。当時の日本経済の潜在成長力は5~6%あり、人口も増えていたが、現在の日本には、そうした活力はない。最近のメディアの論調を見ていると、「農業」や「介護」が、雇用確保にもつながる内需型産業として関心を集めているようだが、経済規模に関する議論が抜け落ちている。「農業」を例にとれば、昨今の自給率向上の要請や担い手問題が限界にまで行き着いたことによるパラダイムシフトによって、今後、農業が成長産業になることは間違いないと考えられるが、その産業規模は、漁業などを含めても、たかだか10兆円ほどでしかない。仮に自給率を現在の39%から50%へと10%向上させたとしても、その内需拡大効果は約1兆円程度だ。要するに国を上げて農業の国内自給率の向上に取り組んだとしても、その経済効果は、今年度吹っ飛んだトヨタ1社分の経常利益、あるいは定額給付金の1/2の程度のものでしかなく、現在、進行しているハーフ・エコノミーへの処方箋などにはとてもなりえない。
ハーフ・エコノミー化する国内広告市場
内需関連でハーフ・エコノミー化しているのが、広告市場だ。特に現状では、新聞広告の落ち込みが著しい。自動車、不動産といった新聞広告の主要産業が軒並み悪化し、広告出稿が、前年比で4~5割減少というかつて経験したことのない危機的な状況が生まれている。早晩、中央紙の中からも、経営破綻や身売りが出てくるだろう
内需を喚起すべき国内広告市場が、ハーフ・エコノミー化しているということは、もう、誰も国内市場が成長すると考えていないことを示している。
「ハーフ・エコノミー」が意味するものは、先進諸国が牽引する経済成長が決定的に終わりを告げたということである。米国経済のシュリンクは、いずれどこかで底を打つだろうが、もう、元の時代に戻ることはなく、米国の過剰消費に依存してきた日本経済も大きな痛手を被り、新たな道を模索せざるを得なくなるだろう。
もう、米国にも頼れない、内需にも頼れないとすれば、われわれはどこに向かうべきなのだろうか。
ソニーやトヨタといった日本のグローバル企業は生き残りをかけて、軸足を成長地域に移していくことだろう。富士フイルムが新興国向けに1万円のデジタルカメラを販売するというニュースが流れていたが、無駄な機能を満載した高機能製品を国内で売ってきた「ガラパゴスの夢」から叩き起こされて、日本のグローバル企業は、本当の意味でトランスナショナルな企業に生まれ変わらないと生き残れない。ドメスティックな中小企業は、二重の意味で厳しい。国内市場がもう成長しないことに加え、日本のグローバル企業が軸足を国外に移すことで、下請け的な仕事がますます無くなる。何らかの形でグローバル化に自分たちの仕事を関係させていくしか、生きる道はないだろう。
つまり、中谷巌のような鎖国主義者が夢想するようなユートピアはもうこの世界のどこにも存在しないことをはっきりと覚悟することから始めなくてはならないのだ。
「ハーフ・エコノミー」とは、氷河期にも例えることができる。氷河が地球上を覆い、生物たちの食料が半減した。そうした極限状況の中で、環境に適応した種だけが生き延び、次の進化の担い手となった。唯一の希望は、人間もそうして生き残った種のひとつであったことだ。
ハーフ・エコノミーとは、終わりでななく、進化のはじまりと捉えることが必要だ。
(カトラー)
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