新型インフルと北朝鮮ミサイルに見る、水際症候群という日本の病
日本の状況について高みの見物よろしくKY(空気読めない)な事を言っていると、連れ合いの川尻えりかの芸能活動に影響するぞと脅しまがいのことを書いているゴロツキのようなマスコミもある。高城のように「外国に比べて・・・・」という言い方で外からの視点を殊更に強調するのもいささか危うさを感じるが、この国の人々が、外からの侵入者というイメージに過剰反応してしまうことは残念ながら事実のようだ。
「外からの侵入者」というイメージに過剰反応する日本
同じ状況がつい最近もあった。北朝鮮が衛星打ち上げと称してミサイルの発射実験をおこなった時だ。政府、マスコミが大騒ぎして、明日にもミサイルが日本のどこかに落とされるかのようなイメージがふりまかれ、迎撃ミサイル「パトリオット」が配備される状況が連日報道された。準備万端だということを示すというならまだしも、北朝鮮がミサイルを撃つ瞬間を今か今かと煽り立てた挙げ句にヒステリー状態に陥って、2度にわたり発射情報を誤認するという前代未聞の失態を招いてしまった。
北朝鮮のミサイル、新型インフルエンザの上陸の問題に共通しているのは、外から進入してくる外敵あるいは異物を「水際」で撃退できるという幻想が、この国の人々の心の底流に蔓延していることだ。
厚生労働大臣の舛添要一も明らかにミスリードした。今回のインフルエンザ騒ぎで担当大臣としてのリーダーシップを見せつけたいと思ったのだろう、記者会見では、自らが説明役をかってでるなどやたら張り切っていたが、そこで強調されていたのは「この日本にウィルス一匹入れないぞ」とばかりに水際対策を徹底するということだけだった。しかし、潜伏期間のあるインフルエンザのような伝染病の場合、水際対策といっても効果には限界があり、国内感染に移行することが不可避であることは専門家の間では常識であったはずである。だとすれば、国内に患者がいずれ確実に発生するということ、水際対策には限界があることこそ先ず国民に対して言明すべきメッセージだった。
北朝鮮のミサイル発射に対するヒステリー反応
北朝鮮のミサイルの問題もインフルエンザ騒ぎで見られたのと全く同じ精神構造のもとで政治家、自治体、メディアが大騒ぎして、発射情報を誤認するという大失態を演じ、自衛隊が、いくら最新鋭の装備を持っていても情報伝達もまともにできない、まるで軍隊の体をなしていない脆弱な組織であることがあからさまになってしまった。
湾岸戦争の時にイラクのフセインが、北朝鮮から購入したポンコツのノドンミサイルをイスラエルに打ち込んだことがあった。当時、イスラエルには、米国から供与された最新鋭のパトリオットミサイルが配備されていたが、飛来してきたミサイルを防ぎきれずにイスラエルの国土にかなりの数が着弾して数多くの死者が出た。事ほど左様に、北朝鮮から飛来してくるミサイルについても悉く迎撃することなど不可能であることは明らかなのに、この国では、政治家もメディアも水際でこのニッポンを守るという姿勢をパフォーマンスして見せることに躍起になっている。
もし、北朝鮮がミサイルを撃ったら、その何発かは間違いなく着弾して、人も死ぬことになるということこそ言明すべき現実なのに、政治家もメディアも「水際」という幻想の防衛ラインを設定し、そこを守ることしか眼中に無いように見える。要するに、この国では、「水際」に関わることは、どうしたものか全てが儀式化されてしまい、ことごとく現実感を失ってしまうのだ。
日本人の多くは誤解しているが、米国から購入しているパトリオットという迎撃ミサイルは、そもそも飛んでくるミサイルを盾やバリアのように防ぐことを目的に開発されたものではない。敵国の戦略核ミサイルの第一撃から自国の反撃能力が壊滅することを防ぐのがこの武器にそもそも期待されている使命なのであって、一定の確率で相手のミサイルを打ち落とせればそれで十分なのだ。その迎撃率は軍事機密として公表されていないが、仮に半分しか迎撃できなくても戦略的には意味を持ちうる。すなわち、パトリオットの存在によって相手の反撃能力が温存されると敵国が考えることで抑止力が発生するからだ。一方、反撃能力を持たない日本の場合は、パトリオットという武器は穴だらけの盾でしかない。いったん戦争が起きても水際で迎撃して無傷でいるなどというのは、全くの幻想でしかないのだ。
パトリオットミサイルは穴だらけの盾
一昨日の北朝鮮の再度の核実験を機に「だから敵国の基地に対する反撃能力を持つべきである」という一部の愚かな自民党議員から声が上がっているが、これも形を変えた「水際論」でしかない。北朝鮮が核を持ったということが、何を意味しているのか、政治家もメディアもきちんとした説明を怠っている。ミサイルを撃ち合えば、相手を打ち負かすことができると考えるなど子供じみた戯言にすぎない。北朝鮮の軍隊や装備がいかに時代遅れで張り子の虎のようなものであったとしても、日本に向けて核ミサイルを数発撃ち込みさえすればいい、それでゲームオーバーだ。戦略核を保有することは、そういうことだということを肝に銘じておく必要がある。
パトリオットとは、戦略核を持った者同士が、反撃能力を温存できるかどうかを左右する武器なのであって、非核3原則の下で核による反撃能力を持たない日本にとっては、パトリオットとは、繰り返すが穴だらけの盾でしかない。
話をもう一度、インフルエンザの問題に戻そう。
薬局で売っている99.9%ウィルス・花粉をカットと表示されてバカ売れしているユニチャームのマスクをしたら、ウィルスが防げるというのも幻想である。医療用の防護マスクと違って、マスクと顔の間の透き間から空気が入るから、基本的に空気感染するようなウィルスは防げない。市販のマスクでは、自分の飛沫を外に飛ばさないという効果はあるとしても、外から入ってくるウィルスに対しては無力でせいぜい飛沫感染ぐらいしか防げない。市販のマスクは、パトリオットミサイルと同じでインフルエンザウィルスに対しては穴の空いた盾でしかないのだ。
今回の新型インフルエンザは弱毒性で季節性インフルエンザと同程度の致死率であることが確認されているが、国の対策は、こうした事実認識に立ったものとはとても思えない。過去にもインフルエンザは何度も流行したことはあったが、市中からマスクが売り切れて消え失せるほど、社会全体が神経質に反応したことがあっただろうか。今の日本は、明らかにヒステリー状態にある。
こうした状態に陥った原因は明らかである。危機を演出してリーダーシップを印象づけたいと目論んだ舛添のような売名政治家と、それに同調して視聴率を稼ごうと動いたマスコミが、この国の人々の「水際症候群」にスイッチを入れてしまったからだ。インフルエンザの流行によってこの国は病気なのではない、水際で異物を排除さえすれば、自分だけは無傷でいられるという、独りよがりで根拠なき幻想によって病んでいるのだ。
だとすれば、私たちがしなければならないのは、マスクをすることではなくて、マスクをはずすことである。同じように、攻撃ミサイルや戦略核を持つことではなく、武力による問題解決を断念することである。
マスクを捨てて、街に出でよ!
(カトラー)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
カトラー様
いつも楽しみに拝読しています。
ただ、今回の内容で、何点か空気感染と飛沫感染について誤解があるようなので、指摘させていただきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E6%9F%93%E7%97%85
内容が内容だけにネトウヨが些末な間違えをあげつらうと思うので。
投稿: | 2009.05.29 08:36
×川尻
○沢尻
投稿: 利穴 | 2009.05.29 21:27
今の日本の社会でおきてることは
過去人間の歴史で何度もあったこと
(政治家の動き、マスコミの動き、市民の動き)がそのまままたおきていて
実にわかりやすいともいえると思うんだけど。
そう思うとほんと人間ってやつは
歴史から学ばない生き物だね。
とあきれとあきらめしかありません。
投稿: tokusan | 2009.05.30 02:43
こんなにも死ぬ事が怖いのに、自殺者がダントツに多いのは、なぜ???
このマスク運動は、処女崇拝の変形だと思えてなりません。
異物を飲み込むから、大人になれるんだけどな~
投稿: あたり前 | 2009.06.01 14:55
>だとすれば、私たちがしなければならないのは、マスクをすることではなくて、マスクをはずすことである。同じように、攻撃ミサイルや戦略核を持つことではなく、武力による問題解決を断念することである。
最後の数行の論理展開の荒さは手抜きにも程があるんでないの?
1年前くらいまでは面白いと思って読んでいたけど、最近は結論や論拠に賛成反対という次元ではなく、単純にクオリティー下がってきてるね。
もうアンテナから外します。サヨナラ。
投稿: a | 2009.06.02 00:11
基本的な大前提として人口密度の高い日本で致死率の高い新型ウイルスが蔓延したら相当悲惨なことになってしまうのではないでしょうか?
今回それほど死者が多くないのにパンデミック宣言がなされたのは、この冬に今の新型ウイルスが変異した場合の危機を想定してのことだと思います。
ほんとうに杞憂におわることを願いますが、わたしはホッとした今の心理状態と年末から来年にかけての冬がむしろこわいです。
投稿: | 2009.06.17 10:06