ヒスパニックの病としての新型インフルエンザと米国の危機
そもそも新型インフルエンザ(H1N1Flu)によるものかどうか確認するには、遺伝子レベルの照合を行う必要があり、日本でも国立感染症研究所に検体を持ち込まなければ判断がつかないようなものをメキシコではどのように判定していたのか H1N1型による死者の認定数を引き下げたことは、危機の度合いが小さくなったことを意味しない、むしろその逆である。メキシコ国内では、保健衛生の知見や現状掌握が十分ではなく、既に感染がコントロールできない状態にあることが露呈してしまった。米国のCDC(疾病予防センター)も米国内でも感染が広がっており、すでに防止することが難しい段階に入ったと述べている。
既にコントロールできない段階に入った感染爆発
米国CDCが、こうした見方を示すのには、もうひとつ大きな背景がある。それは、メキシコを感染源とする今回のインフルエンザが、「ヒスパニックの病」という側面を持っており、有効な水際対策が困難だからだ。
日本では、メキシコで新インフルエンザが発生したことを受けて、成田空港での検疫が強化されているが、メキシコと国境線を接する米国ではこうした水際チェックはもともと不可能である。
米国内には、現在、約1190万人もの不法移民が居住しているが、その内の8割がヒスパニックであり、メキシコ人は不法移民全体の6割、約700万人を占めている。
これは米国に在住するメキシコ人移民(1200万人)全体の6割に達している。つまり、米国に在住しているメキシコ人の半数以上は不法移民というのが米国の現実であり、そもそも米国は不法移民と同様にメキシコからの感染者をコントロールできない状況にある。つまり、メキシコの病は、ヒスパニック移民を介して不可避的に米国の病になるのだ。
メキシコの不法移民の流れと一致する感染発生数
このことは、州別の不法移民の分布図と新インフルエンザの発生数(5月3日時点)を重ね合わせてみると一目瞭然となる(上図)。不法移民の多いカリフォルニア、テキサス、ニューヨークの各州で新型インフルエンザも突出して発生していることがわかる。つまり、米国では、不法移民の流れと一致する形で新型インフルエンザが拡大しているのである。
ところで、米国においてヒスパニックの存在感が増していることは、日本では、あまり知られていない。ヒスパニックとは、特定のエスニックを指すのではなく、メキシコ人などを中心とした中南米のスペイン語圏に属する人々のことを意味しているが、現在では、米国の全人口の約14.8%、4400万人を占め、黒人を抜いて、米国で最大のエスニックグループに成長している。政治的にも大きな影響力を発揮しており、民主党の大統領候補指名争いでヒラリー・クリントンの最も強力な支持基盤となった。
米国の人口動態にもヒスパニックが大きな影響を与えている。米国は先進諸国の中で唯一今後も人口増加が見込まれているが、それはヒスパニック層の人口が急増していることが要因だ。米国全体の人口の増加率は1%程度だが、ヒスパニックは、その3倍の3%を越える勢いで人口が増えている。米国では、両親が不法移民であっても、その子供が米国内で生まれれば、子供には市民権が与えられる。こうした事情もヒスパニックの高い出生率の要因になっていると考えられる。
ヒスパニック不法移民の低賃金に支えられる米国経済
それにしても、不法移民がヒスパニック系移民の半数以上を占めているというのは、何を物語っているのだろうか。それは、米国で彼らがどのような産業に従事しているかを見れば判明する。
ヒスパニック系の人々が従事している代表的な仕事は、農業と食肉産業であり、両産業におけるヒスパニックの就業比率は実に4割を超える。米国の農業というと大規模化、機械化が進み、省力化されているというイメージが先行しているが、実際は果物や野菜の収穫などは、人手に頼らなければならず、農作業や食肉の解体、加工といった、白人や黒人でさえも嫌がる底辺部分の仕事をヒスパニック系の人々が担っているのである。
あらためていうまでもないが、こうした仕事に従事するヒスパニック移民の半数以上は、不法移民である。米国の農産品、食肉は世界的に競争力を持った戦略商品だが、その低価格はヒスパニック層、特に不法移民層の低賃金労働によって支えられている。米国の農業、食肉産業は、ヒスパニックの不法移民の貧困を収奪することによって支えられているのが実態といえる。
新型インフルエンザ、サブプライムの影にヒスパニック移民
ヒスパニックのことを考える上でもうひとつ忘れてはならないことがある。それは、今回の世界不況の発端を作ったサブプライムローンの問題である。
サブプライムローンは通常、「信用度の低い低所得者向けローン」と訳され、それが不良債権化したことが全世界を揺るがせている金融恐慌の発生源となったとされている。ここでいわれている「信用度の低い低所得者」というのは、実体的にはヒスパニック移民のことを指す。中南米から移民してきたヒスパニックの人々が米国に生活基盤を持ったことで、クレジットカードなども持てず信用履歴も無かったにも関わらず、住宅価格が値上がりしていたということを背景に住宅ローン(サブプライムローン)を半ば無理矢理、組まさせられたということが、世界的な金融破綻の発端となった。
このように、米国におけるヒスパニック層とは、アメリカンドリームを求めて中南米から国境を越えて民族大移動のように流れ込んで来た人々であり、米国の経済、産業は、彼らを低賃金労働層として収奪することで成長を遂げてきた。ヒスパニックの人々は、命がけで国境を越えて米国内に入り込み、米国人の嫌がる仕事に就き、子供を沢山生んで、ウォールマートで旺盛に消費を行って米国のGDPを押し上げてきたのだ。米国はヒスパニックというスペイン語を話す貧しい人々による「新興国」を新たに抱え込むことで経済成長を維持してきたという言い方もできるだろう。
米国の病としての新型インフルエンザ
このように見てくると、メキシコ発の新型インフルエンザとは、実は、サブプライムローンの破綻と同様に、ヒスパニック移民が媒介し色濃く影を落としていることがわかる。二つの問題は、いずれも米国経済がヒスパニック移民を収奪することで成長してきたという共通する構図のもとで発生している危機だ。
すなわち、現在進行している豚インフルエンザとは、単にメキシコ発の保健衛生上の問題なのではなく、ヒスパニックの貧困を糧としなければ成長できなくなってしまった米国経済の構造問題に深く根ざした「米国の病」なのだ。
最近の報道によれば、幸いなことに新型インフルエンザは、弱毒性のタイプで、致死率はそれほど高くないと言われている。しかし、感染爆発(パンデミック)が生じれば、その過程において更に毒性の強いウィルスに変異する可能性もあると指摘されている。残念ながら、米国での感染爆発は既に時間の問題であり、米国で更に感染が広がれば、日本への上陸も避けられない。世界は、今後、長きにわたりパンデミックの恐怖と向き合わなければならないだろう。
以前、このブログで「隠喩としてのパンデミックフルー」という記事をエントリーしたが、その中でペストや癌といった死病が常に時代の「隠喩」として機能してきたように、新型インフルエンザも何かしら時代を表徴する新たな隠喩を担っていく可能性があると述べた。このことに関連して想起されるのが、一昨年に日本でも公開されたメキシコ出身のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バベル」(2007年)という作品である。タイトルの「バベル」は、天に達するほど高い塔を建てようとしたことを神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させて互いに通じないようにしたという旧約聖書に登場する「バベルの塔」の物語に由来する。
奇しくもこの作品はメキシコ人の監督が制作し、世界が互いに影響を及ぼし合う繋がりの中にあり、同時に、世界は人間の力ではどうしようもない不条理に直面していることが淡々と描かれている。今回の新型インフルエンザ発生のニュースを聞いた時に、私はこの映画のことが思い出されてならなかった。この映画のメッセージに重ね合わせて私の脳裡に浮かぶのは、次のような問いである。
新型インフルエンザとは、現代のわれわれが築いた砂上の楼閣、経済成長という「バベルの塔」に対する報い、罰ではないのか?
映画「バベル」では、ラスト部分で一度はバラバラになった人々の心(言葉)が再び繋ぎ合わされていく「再生の物語」が描かれるのだが、新型インフルエンザに向き合う人類は、果たしてそうした再生の物語を紡ぎ出すことができるだろうか?
(カトラー)
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コメント
いいエントリでした。
投稿: momo | 2009.05.08 03:11